二十九話 戦利品
「セイタ……って言ったっけ。あんた、よくわかんない人間よね」
「あ?」
平原に座り、夜明けを眺めていると、キリカがそんなことを言った。
キリカを見る。彼女の鳶色の瞳は俺を見定めるようにじっと俺を見据え、視線を逸らそうとしない。普段の俺だったら気恥ずかしくなってそっぽ向いてるところだが、今の俺はそんな気力も残ってなかった。
シオンに至っては、なんと俺の膝の上で寝てしまっていた。連日の疲れが取れないうちに昨晩のあれにつき合わせてしまったせいだろうか。あるいはあんなことがあって、滅入っていたのかもしれない。まあ、起こす必要もないし、しばらく寝ててもらおう。涙の跡だけそっと拭っておいた。
「頭はあれだけ酷い殺し方しといて、女の子が死んだことにはそんな顔するのね」
「おかしいか」
「おかしいっていうか……まあ、そうね。多少は」
強姦して殺した男と、犯されて殺された少女。その命や死が等価値なわけがない。少なくとも俺には同じ扱い方はできない。
「あんたを怖がっていいのか、変だと思えばいいのか、わからないわ」
「怖いならさっさと行けよ。もう自由だろ」
「それもそうね」
キリカは肩を竦めて俺の傍らに歩み寄ると、小脇に抱えていた小箱をどさっと置いた。中の銀貨銅貨がじゃらりと音を立てる。
「ネコババするかと思ってた」
「してるかもしれないわよ?」
「いや、丸ごとって意味だよ」
「そんなことしたって、どうせさっきの『転移』とかいうので追い付かれちゃうでしょ? で、恨みを買ったあたしも串刺しにされちゃうんだ。それとも犯されちゃう?」
「俺がそんなことするように見えるか?」
「しないの?」
「しねえよ。金は返してもらうけどな」
キリカが笑い、後ろ髪を払った。
「これでもあたしね、仕事については結構カタいつもりなの。やった仕事以上に入った金は不幸を呼ぶって、ずっと教えられてきたから」
「ふーん。誰に?」
「父さん。あたしに盗みのイロハを教えてくれたの」
自慢げに語るキリカ。盗賊の道義とか言われても、正直「ろくなもんではないだろう」と思う気持ちがなくはないが、キリカの様子を見ていると何となく「是」をくれてやってもいいような気がしてしまうから困る。
「だから、そんな一杯もらうわけにはいかないわ。くれるって言ってももらえない」
「まあ、やらないけどな」
「知ってる」
とは言ってみたものの……確かに、昨晩彼女に助けられた部分は結構大きい。キリカがいなければまだあの洞窟でウロウロしていたかもしれない。馬鹿げたことだが、あそこはそれだけの規模があったのだ。
無論、それ以前に俺がキリカを助けたという貸しもあるにはあるのだが……それは正直大したことがないと思っていた。打算もあったが、半ば俺の自己満足で助けたようなものだったからだ。
なので、俺は小箱を開け、中から適当に金銀銅貨を鷲掴みしてキリカに渡す。
「えっ? ちょっと、え?」
「仕事したろ? お前の取り分だよ」
本当に適当なので、いったいいくらぐらいかわからない。ただ量にするなら箱の中の四分の一ほどだろうか。こう言うと分け前がセコいみたいで俺が悪人っぽいが。
しかし、キリカは中々受け取ろうとしない。まだ足りないか、と思ったらそうでもないらしい。何となく手を伸ばすのを躊躇しているみたいだ。
「どうしたよ」
「いや、その……どういうつもり?」
「どういうつもりって……」
「何か企んでるんじゃないでしょうね?」
どういう言いがかりだ。盗賊のくせに金に警戒するなんて変な奴だな。
いや、差し出されたからか? 盗賊だからこそ盗んだ金じゃないと駄目なのか?
「いらないなら別にいいけど」
「待った。くれるならもらうわ」
どっちだよ。面倒な奴だな。
キリカは慌てて腰から財布を取り出して、空っぽだったそこに無造作に金を入れていく。
溢れた。なので他にパクッてきた諸々の袋なんかにも入れていた。
俺も同じようにする。シオンがガメてくれた小物類を入れた袋に、閉じた小箱を突っ込む。後で中身を数えよう。まあ、当分はこれで凌げるだろう。
「本当にやっちゃったわね、盗賊団から盗みを」
「まあな」
「おまけに頭領まで殺しちゃうし」
カッとなってやった。後悔はしているが反省はしていない。むしろさせてみせろってなもんだ。
キリカが「あーあ」とぼやく。
「あそこももう終わりね」
「あそこ? 盗賊団か?」
「そう」
「なんでだよ。頭が一つ潰れただけだろ?」
キリカは「寄り合い所帯」と称した。つまり元々は複数の盗賊団で、それぞれに統率役がいたはずだ。大ボスがいなくなったら元の集まりに戻ればよさそうなものだが。いやそれもカタギの人達は困るだろうが。
「何だかんだで、あの頭領……アザンは優秀だったのよ、まとめ役として。あいつが強引にまとめてなかったらとっくに空中分解してみんな『これ』よ」
キリカが自分の首を刈る仕草を取る。何か知らんが乾いた笑いが浮かんだ。
「ま、それも調子に乗り過ぎて、どのみちそろそろ破綻しそうだったんだけど」
キリカ曰く、あの盗賊団は元々もっと南で活動していたらしい。それを人の行き来が活発になったところを狙い、頭領アザン指揮の下サブリナまで出張ってきたのだと。ついでに言うとあの谷下の洞窟はこちらで偶然合流した盗賊達が寝床にしていた場所とのことだ。
「そいつらは?」
「さあ? 死んだんじゃない?」
反応に困る。一応仲間だろうに、キリカはそれでいいのかと。俺が口を出すことでもなさそうだが。
「ま、もうどうでもいいことか。用は済んだしな」
「そうね。あんた達、これからどうするの?」
「町に戻る。サブリナにな。今回の稼ぎでようやく宿に泊まれる」
「そう。よかったわね」
「キリカは? 仲間んとことかに戻るのか?」
俺が問うと、キリカは寂しそうに首を振り、やや視線を伏せがちにして答えた。
「仲間なんて……もういないわよ」
抑揚のない、しかしどこか寂しげな声。どういう意味なのか、改めて問う気にはならなかった。何を答えさせても残酷なことになる気がしたからだ。
だから、「そうか」とだけ答え、東の空を見上げる。丘の向こうに太陽が昇り始めていた。もう用は済んだ。そろそろ行くべきだ。
シオンを背負い、かっぱらった荷物が突っ込まれた袋を抱えて立ち上がる。俺は南西の方向を向きつつ、キリカに言った。
「俺、もう行くよ。なんつーか、まあ、元気でな」
「ありがと、お人好しさん」
お人好しか。どこでもそう言われるな。まあキリカの場合は、マリウル達とは違った意味で言っているのだろうが。
俺は『転移』を発動する。さすがにここから歩いて帰る体力は残ってなかった。再び目にする『転移』の光を、今度は外側から眺める形になったキリカが、少し驚いたように目を見開いていた。
俺は片手でも振ろうとしたが──その前に俺の目の前の景色は、石畳と煉瓦の壁に囲まれた裏路地へと変わっていた。
「キリカ、ね」
偶然出会って助ける羽目になった少女の名を反芻しつつ、俺は宿を探すべく、まだ人通りの皆無な大通り目掛けて歩を進めるのだった。
◇
宿探しには多少難儀した。大抵の手頃な宿は、サブリナに溢れ返る討伐軍への志願者などによって完全に占拠されていたからだ。
聞くところによれば、要領悪く泊まれなかった者は酒場で夜を明かしたり、娼館で夜を明かしたりすらしている始末だという。そんなんなるくらいならさっさと編成して進軍しちまえよと思うのだが、これが補給物資の調達に手間取り、中々上手くいかない様子。
そのせいで町に落ちる金も多いのだが、一方で揉め事も増えているらしい。まったく難儀なことだ。ていうか、朝っぱらからそんな愚痴まで聞かせないでほしい。こっちは女の子連れの荷物持ちなのだから。
結局、俺は宿のグレードを上げるという強引な手段で問題の解決を図ろうとした。金ならあるのだ。節約するに越したことはないが、使わない理由もない。特に無理させたシオンにはいいベッドで寝てもらいたかった。そのためには金は惜しまない。
女の子にお金をかけるのはリア充の特権だ。俺はこの異世界でようやくその権利を得た。そして義務もだ。義務なら果たさなければならない。
そんな徹夜明けのテンションで選んだ宿は、ツインベッド部屋で一泊銀貨四枚というものだった。一人一泊二千円、と言い換えると安そうに聞こえるが、実際そんなことはない。この辺りで手頃な宿となると一人一泊で銀貨一枚前後は当然、さらに安いのをご所望となれば銅貨五枚から宿泊可能な宿だってあるのだ。
サービスの充実した二十一世紀の地球世界のホテルと比べてはいけない。ややもすればこの世界の宿はカプセルホテルもかくやという程度でしかない場合だってあるのだ。
というか、ある。ベッドだけ貸す形態の宿だ。正直見た目は何の奴隷収容所か軍の詰所なのだというくらいの密集度で、とても現代っ子の俺っちには泊まれそうもない。一つのベッドにシオンと抱き合って眠るという妄想に多少心は踊りもしたが、妄想は妄想だ。現実には勝てなかったよ。
まあそんなこんなで一泊銀貨四枚の部屋に通された俺は、平静を保ちつつうっほほいと心躍らせた。シオンとにゃんにゃんする妄想とは関係なく。
広さにして六畳から八畳程度だろうか。正直、大して広くはない。かといって狭くもない。ツインベッド分の面積を除いてもまだ、腕を伸ばして回るくらいの余裕がある。便所やバスルームがない分の余裕か。
家具はほとんどない。腰の高さ程度の箪笥が一つある程度だ。化粧台なんかもない。誰もしないから問題ないがな。異論はあるだろうが、俺はごちゃごちゃしていない分落ち付ける部屋だと思った。
とにかく寝られればいいのだ。そして満足に足る部屋だった。それで充分なのだ。金は関係ない。部屋に通される際にやや変な目で見られたが、まあそれはいい。俺だって年端もいかない女の子を背負って妙に荷の多い客を見れば多少気にしてしまうだろう。こっちは金を払ってるのだから文句を言われる筋合いはない。
そうして荷物を置いて、シオンをベッドに入れ一息吐く。魔力で無理矢理活性化させていた心身もそろそろ休ませる必要があった。気が付けばシオンのとは別のベッドに転がって、天井を見上げぼんやりしていた。
気を抜くとあっという間に眠気が襲ってきたので、一つ欠伸をしてから瞼を閉じる。
ここ最近の癖だろうか、意識を手放す前に部屋に『結界』を張るのは忘れなかった。
◇
腹が減って目が覚めた。多分昼を過ぎた辺りだろうか。
俺が起きてぼんやりと荷物と金を検品したりしているうちに、シオンもふらりと起き出した。金貨二十八枚、銀貨百六十七枚まで数えたところだった。銅貨はこれからだ。ていうかこの時点で四十万円相当以上あるんだが。しかもまだある。シオンがパクッた雑貨も売れればもっとだ。
一日前まで無一文だったってのに何なんだこれは。盗賊狩りって怖い。
「あ、おはようござい……ます?」
「おう。もう昼だけどな」
「え!? そんな寝てたんですか? というかここまでどうやって、じゃなくてここは……」
「宿を借りたぞ。当面は野宿の心配はない」
はぁ、とシオンの気の抜けた反応。まだ寝惚けているのだろうか。だったら寝ててもいいのだが。
「あ……荷物の整理してるんですよね、手伝います」
「ああ。じゃあとりあえずその、袋ん中のもん全部出しちまってくれ」
「はい」
ベッドに革袋の中身を開けていくシオン。俺は俺とて金を数え続ける。既に金貨四十五枚相当、四十五万円の大台を通り越してなおも残高上昇中である。そろそろ変な汗が出てきそうだ。
一方のシオンの方は、こちらも宝石やら装飾の凝ったナイフやら燭台やら服やら籠手みたいな防具やらと凄まじい有り様だ。あと食料品も結構あった。
なんかもう色々と価値観が壊れていく気がする。このままじゃ遊んで暮らす駄目人間になりそうだ。
省みよう。『精神操作』で堕落と欲望を排除する。落ち着くのだ俺。金を得ることのみが人の生きる理由ではない。
「しかし、これどうしようか?」
面倒臭くなって銅貨のカウントをやめた俺は、シオンの脇に立ってそう呟いた。
「どこに売り払ったらいいかわかんねえな。シオン、何かアテとかあるか?」
「え……すいません、私にもわからないです」
「ですよね」
所在なく籠手をくるくると弄んでみる。このままじゃただのお荷物だ。せめて金に換えて少しでも身軽にしておきたいところである。
バザーとかあるのか? それとも商会に直接売りに行くのか? 正直それはちょっと避けたい自分がいた。
というのも、これは元々盗賊団が商会の馬車を主に襲って手に入れた品々だろうからだ。盗まれた品をわざわざ持って行ってもこちらが怪しまれるだけではないか?そう思うと軽々しく行動を起こせない。
荷物といえば一昨日パクッたロングソードもだ。正直大した金にはならないだろうが、あっても邪魔なのだ。俺が使おうにも普通に魔法使った方が強いし、『氷刀』もある。魔導師で通すつもりなのに剣というのも変なものだ。精々剣士としてカムフラージュするのに使える程度だろうか。
アイテムストレージ的な魔法とかあればいいのだが……ファンタジーといえどゲームではなく現実だ。そこまで甘くはない。
そもそも、そんなものあったら馬車なんていらない。商人は涙目だろう。
「面倒くせえな。後でいっか!」
俺は全部放り出して、というか雑貨を元入っていた袋にザッと詰め、金銀銅貨も箱に突っ込み、ベッドに再度寝転がった。
「あぁぁぁー、駄目になるうぅぅぅぅー」
結構久し振りなベッドの感触に、俺は完全敗北してうつ伏せでうごうごと蠢いていた。シオンの視線を感じるが、気にしない。既に女の子にムスコを晒すなんて失態を犯した俺が、いまさら人の目を気にするわけがないだろう。
「セイタさん、大丈夫ですか?」
「ああ、うん。割とくたびれた。シオンもだろ?」
「私はそんな……セイタさんにおぶってもらいましたから」
ちらりと目を向けたら、不意打ち気味ににこりと笑みを向けられた。シオンさん、そういうのはマズいって。誤解しちゃうって。
……改めて考えると、今、宿の部屋に男と女で二人きりなわけだよな。
ダブルベッドなわけではないけど、これは確かに怪しまれる。シオンがまだ成人前頃に見えるっていうのも結構危険だ。そしてシオンが名目上奴隷っていうのはもっと危険だ。状況的には今の俺はラザントおじさん一歩手前と言っていいかもしれない。
静まれ、鎮まりたまえ、我が燃え滾る少年心よ。
「シ、シオンさん? 腹減ってない? なんかもらってきたもん適当に食ってな。そんで、夕飯に少しいいもんでも食いに行こう。頑張ってくれたからな」
「いえ、ですから私はそんな……頑張ったなんて」
「駄目です。シオンには一杯食ってもらいます」
そんでもってもっと太ってもらいます。拒否権はありません。これがみんなの幸せのためなんです。主に俺とシオンの。二人で一緒の、というわけではないが。
シオンはまだ少々躊躇っていたが、俺が有無を言わさない構えを取ったのを見て「はい」と答えた。答えてくれた。今夜は美味い飯が食べられそうです、はい。
そんな薄桃色なことを考えていると、突然部屋の扉をドンドンと叩く音が響いた。
「ひっ!?」
「お?」
俺はベッドから飛び下りて、シオンを背に隠しつつ扉の方を向く。
即座に『探知』を使う。効果半径は五十メートルに絞る。宿とその周囲を見る程度、それで充分だ。
宿の内外に変な動きはなかった。扉の外にいるのは一人。何らかの襲撃者、という線はなさそうだった。シオンに目配せで心配ないことを伝え、扉に近付く。
「誰だ?」
「あたしよ」
「え?」
即座に帰ってきた聞き覚えのあるその声に、俺はまともな返答を返せなかった。
どうしていいかもわからなかった。ので、とりあえず扉を開けてみる。
そこに、今朝方別れたはずの赤髪の少女が立っていた。




