二十八話 どうしようもない
「よしシオン、目に付いた金目のもんを適当にもらっとけ」
「はい!」
「光りものだ。光りものでとりあえず外れはない。あと大きいものを一つより小さいのを複数な」
「わかりました!」
「逞しいわねあんた達……」
意気揚々と犯罪を指揮する俺に、緊張が続いたせいか吹っ切れて嬉々として従うシオン。そんな俺達の乱行三昧を見ながら、キリカがあーあと呻いた。
「キリカももらっとけよ。治療費だと思ってさ」
「そんなこと言ってもねぇ……」
と言いながら、雑貨をいくつか懐に忍ばせたのを俺は見逃さない。いいぞ、このままケツの毛までむしり取る勢いでいってやる。
倉庫を物色し終わった俺達は、さらにその奥の多分寝室と思しき部屋へ向かう。『探知』によれば反応は一つ。しかも微弱。多分寝ているのだろう。
「殺っちゃうの?」
キリカが物騒なことを言うので、慌てて首を振る。
「そこまで危険人物じゃねえぞ、俺は」
「でも、この奥にいるのは危険人物よ。今のうちに殺しといた方が世のためだと思うけど」
「何で俺がそんなことまでしないといけないんだ」
賞金が出るのならやぶさかでもないが、首を持って帰ったところで一体誰が買い取るのか。そしてその首を盗賊団の頭領のものだと証明する術が俺にはない。
そもそも生首なんてスプラッターな荷物持ち歩きたくない。多分シオンが吐く。可愛い女の子は苦しむ顔もゲロ吐く姿も可愛いが、俺は酸っぱい臭いは嫌いだ。あとさすがに可哀想だと思った。
「せっかくのチャンスなのに」
「そんだけ言うならキリカがやれよ。止めないから」
「……そうするわよ」
憎々しげな声を上げつつも、キリカの拳は少し震えていた。無理すんなよ。
小声で物騒な話し合いをまとめて、奥の部屋へ。
と、少し覗き込んだところで、床板に肌色のものが転がってるのが見えて、ぞっとしながら慌てて退いた。
「な、何?」
「いや、なんかそこに、足みたいなものが……」
キリカが交替で覗き込み、小さく舌を打ち、苦い顔でこちらを振り返る。その目が、俺からシオンに移った。
「……その子には見せない方がいいんじゃない?」
「ん? それってどういう……」
言われて、察する。そしてその通りに、シオンにここで待っているよう告げる。困惑していたが了承してくれた。ここで見張り番を頼むとしよう。
そしてキリカに促されるまま、寝室に忍び入る。
「……見なよ」
「……」
そこに転がっていたのは、確かに人の足だった。
全裸の少女だ。大の字になって転がっている。息は……ない。目は虚ろに壁を見、半開きの口元からは泡を吹いている。
死んでいた。年端もいかないその少女の遺体には、凌辱と暴行と絞殺の跡がある。
ここで何があったのか──想像するまでもない。
「わかった? こういう奴よ、そこで寝てるのは……」
「ああ……わかったよ」
すとんと、重たく冷たいものが腹に落ちた気がした。悲しいとか苦しいとか、そういう気持ちだ。そうして空っぽになった頭に、もっと冷たいものが湧き上がってくる。
俺はずんずんとベッドに向けて歩を進めた。
「なっ、ちょ、ちょっと……!」
キリカの声。構わない。ベッドの上で身体を起こす半裸の頭領。構わない。
「ん、なっ、誰だ、おま」
起きがけのその頭を掴み、壁に叩き付けた。土にびしり、とひびが入る。
「がっ……」
「ちょっと! 予定と違うじゃない!」
キリカが叫んだ。やはりどうでもいい。頭領の頭を今度は地面に叩き付ける。呻き声が土煙と一緒に舞った。『超化』して振り回したんだ、鼻くらいは折れているかもしれない。
「予定は変更だ。こいつは殺す」
「な……さっき言ってたことと違……」
「ぶ、フぶッ、なん、なんらんだ、おま……」
声を上げようとしたので、その口を『凍結』してやった。それでも呻き声が漏れたので、今度は流れる鼻血ごと鼻を『凍結』する。そうするともう呼吸ができないので、パニックを起こした頭領は立ち上がって俺に拳を振り回してくる。
「俺が殺す」
その右腕を、『氷刀』で斬り落とした。
「────────ッ!?」
声が上がらない。口も鼻も閉じられているからな。静かでいい。
手持ち無沙汰だった左の拳を腹に突っ込む。
「──ッ!! ──ッ!!」
頭領の目ん玉が飛び出そうになってた。しかしゲロは出ない。汚くなくていい。
よろめく頭領。その後ろの壁に遠隔で『土整』をかけ、穴を開ける。
ぽっかり空いた暗い穴。墓穴には上出来過ぎだろう。
「死ね」
蹴り飛ばした頭領が穴に叩き込まれる。その身体目掛け、左手で『氷矢』を多重展開し、放つ。
「────ッ!!」
頭領の身体は数十本の『氷矢』によって貫かれ、壁に縫い付けられていく。腕も脚も身体も首も、とにかく全部だ。指ぐらいしかまともに動けない姿にしてやった。
そしてその指も、じきに動かなくなるだろう。刺さった『氷矢』から『凍結』が広がっていく。四肢の末端から身体、そして頭へ。凍死か窒息か、どっちが先か。
どうでもいいか。
「じゃあな」
最後に『土整』で、開けた穴を埋めていく。氷漬けの上に生き埋めだ。生きては帰れない。いや、生きて帰さない。
死んだことすら誰にも知られなくしてやる。
お前なんか、いなかったことにしてやる。
◇
盗賊の頭領は、すっかり土に埋もれて見えなくなった。最初の一発から三十秒も経っていなかっただろうか。三十秒も反吐が出そうなのを耐えた俺を誰か褒めてほしい。
褒めはしないが、キリカが俺を唖然とした顔で見ていた。
「……驚いた。あんた、本当に何者よ?」
「ただの魔導師だっつってんだろ」
「ただの魔導師の身のこなしには見えなかったけど」
「そんなことない」
適当に答えて、俺は、床に転がった少女の遺体にベッドのシーツをかけた。何となく見ていられなかったのだ。シオンにも見せたくなかったというべきか。
「さっさと……用事済ませてここ出るぞ。キリカ、金庫は?」
「あ、ああ……ちょっと待って、この辺に……」
すぐにキリカは、小箪笥の裏に隠された小箱を抱えてくる。一抱えもないほどの鉄の箱だが、重さも結構あり、振ると相当量の貨幣の音が鳴った。
問題は鍵がかかっていたことだったが、それも中を確かめるため俺がすぐ開けてしまった。中身も間違いない。数えるのも面倒なほどの銅貨、銀貨、時々金貨の山だった。
「よし、出るぞ。シオン、もういい。こっちに来い」
「はい……えっ?あ、あの……そこの人、は……?」
「ああ、後で話す」
寝室に入ってきたシオンが、シーツに包まった少女の遺体を見る。その目に困惑と恐怖、それから悲しみの色が浮かぶ。しかし今はそれをどうすることもできない。黙って金庫をキリカに預ける。
「何? これ、どういうこと?」
「キリカが持っててくれ。俺は……この子を連れてく」
「は?」
俺がそう言って少女の遺体を担ぐと、キリカがぎょっと目を剥いた。
「正気? これからここを出なきゃいけないってのに、何でそんな荷物……」
「荷物って……まあそうだけど」
現実的だが冷めたキリカの言に、溜め息を吐いて答える。
「別に来た道を戻るわけじゃない。だから心配ねえよ」
「は? それってどういう……」
「シオン、こっち来い。俺から離れるな」
「は……はい」
シオンが俺の脇にぴったりくっつく。袖を掴まれたが、その手が少し震えていた。
我慢してくれ。もう少しだから。
「キリカも近付け、俺から離れるなよ」
「は、はい……?」
「何をする気よ?」
「『転移』だ。魔法でこっからパッと出る」
「は?」
「おら、早くしろって」
引け腰のキリカに業を煮やして、その手を引き寄せる。抗議の声が上がろうとしたが、無視して『転移』の魔法式を発動させる。
目標はサブリナの『楔』……ではなく、この近辺の地上に一応打ち込んでおいた方の『楔』だ。まさか使うことになるとは思ってなかったが、これもまた何かの縁だろう。
俺は足下の魔法式から溢れる眩しさに一瞬目を閉じ──次の瞬間には、星空の下の平原に立っていた。
「あわ、わ、わ」
キリカがバランスを崩して尻餅をつき、シオンは力が抜けたようにその場にぽすんと腰を落とす。縋り付くように手だけが俺の服を掴んでいた。
「シオンは……一応、初めてだったか、『転移』は」
「は、い……?」
思えば、彼女が自我を取り戻してから一緒に『転移』を使ったことはなかった。それ以前には一度経験しているが、あれはほぼノーカンだろう。なのであの奇妙な浮遊感に腰を抜かしても、まあおかしくはない。
それはキリカも同様だろう。彼女は彼女でぽかんと口を開けて、周りの一変した風景を見回している。とりあえず話しかけてみた。
「な、何したの、あんた」
「『転移』って魔法だ。離れた所に一瞬で移動できる」
「へ……何それ、反則……」
反則だろうか?
まあ、反則か。俺自体が反則の権化みたいなもんだから今さらな指摘だ。
とりあえず、あの洞窟からは脱出した。二人とも腰を抜かしているが、あとは特に問題もない。盗賊団は頭がいなくなったことも、俺が忍び込んだことにもしばらく気付かないだろう。
金も入ったし、今回はこれで充分だ。目的は達成した。
後は、最後の始末をつけるだけだ。
「なあキリカ。ちょっと聞きたいんだけど」
「な、なに?」
「この辺りって、人が死んだら土葬するのか? 火葬するのか?」
「へ?」
俺の問いにキリカが答えたのは、それからたっぷり十秒ほど経った後だった。
◇
「基本的には火葬ね。死体を残すと魔物になる、っていう言い伝えが、昔ある土地から広がって、それから大体みんなそうしてる。ただ、結局は家族の希望通りになったりして、そのまま埋める場合はお祓いをするんだけど」
「そうか」
キリカからそう聞いた俺は、未明の空から地面に視線を下ろし、準備を始めた。
まず『土整』で、昨日盗賊を殺した時のように穴を作る。ただし今回は幾分丁寧に、深めに、人一人ようやく入る程度の穴にした。
そこに……白いシーツで包んだ少女の遺体を横たえる。
「……」
数秒、逡巡した。俺は彼女に……『反魂』を使うべきなのか、どうなのかと。
多分、『蘇生』は無理だろう。勇者達の時は初めてで、シオンの時は動転していてわからなかったが、今はわかる。そういう「感じ」がするのだ。目の前の少女には、魂の残滓すら感じない。既に抜け殻……命のない身体だ。
ならば、『反魂』はどうか。
正直、『反魂』ですらあまり期待できる気がしなかった。何故かと問われると根拠は薄いが……彼女の身体には『治癒』が効かなかったのだ。
魔力が浸透していかなかった。何一つ身体の細胞に反応がなかった。シオンの時は一応『蘇生』も『治癒』も反応があったのだ。それが明確な違いだった。
そしてそもそも──そう簡単に俺が人の命を左右していいのか、と。
俺はまたそうやって、誰かを背負い込むのか。命を拾った責任を。
これからも誰かが死ぬのを見るたびにそうするのか。こんなことを何度も続けるのか。命と魂を削って、注ぎ込んで、賭けて。
……そんなの耐えられそうにもない。
俺には無理だ。シオンで精一杯なんだ。臆病、卑怯と言われても、俺には選べない。
どっちにしたって、責任を取れる気がしない。
「ごめん」
それしか言えなかった。彼女には届いてないだろう。ただの自己満足だ。
そうさ。全部自己満足だ。セーレを助けたのも、シオンを助けたのも、頭領を殺したのも、少女を葬るのも。結局中途半端に割り切れないから、こんなことをしてる。自分の中でケリをつけたいがためだけに。
勝手だろう。それが魔王だ。
でも悲しい。人間だから。
少女の遺体に『燃焼』で火を点け、穴から上がった。ただの『燃焼』といえど、俺の魔力なら火力は馬鹿にならない。炎は青白い光を上げ、みるみる遺体を焼き尽くしていく。ものの数十秒で原型がなくなり、炭に、灰になっていく。
その様を俺は穴の真横で、シオンとキリカは少し離れて見ていた。と思えば、シオンが俺のそばに近付いてくる。そうして俺の横で、火葬をじっと眺め始めていた。
やがて火が収まり、少女は布の消し炭と遺骨の欠片になった。それを『土整』で埋める。埋める。埋める……何も考えられなくなった頃、墓穴は完全に埋まっていた。
「セイタ……さん」
小さく声をかけられる。墓を見下ろす俺の袖をシオンが掴んだ。
そちらに目をやると、シオンは泣きそうな顔を……いや、泣いていた。一文字に噤んだ唇を震わせ、息を詰まらせ泣いている。
怖かったのか、悲しかったのか。聞きはしなかった。とても聞けない。縋り付いてくるシオンの頭をただやんわりと撫でる。
ぼんやりと見上げた東の空が白み始めていた。いつの間にか、そんなに時間が経っていたのか。
長いような、短いような……最後の最後に、酷く疲れた夜だった。