二十五話 何のため
言われて、気付いた。
俺は、何も考えずにここまで歩いて来ていたのだった。
いや、ミナスの森を出た、そのことについては理由がある。俺がヤバいヒトだとルウィン達にわかって、ルウィン達の間に混ざって生活するのが困難になっていたからだ。
それ以前に、俺はもういい加減迷惑かけられないと思って、フォーレスを出ようとしてた……いや違う、それだけじゃない。何一つ人間らしい反応を返さないシオンをどうにかする方法を探すため、森を出ようとしていたのだった。
が、その理由がなくなったのは目の前のシオンを見てお察しの通りだ。この多少弱気だが元気な少女のどこをどう治せばいいのか、俺には理解に苦しむ。
ではシオンを生まれ故郷に帰す!というのもシオンの自身の素性についての記憶がすっぱり抜けているので、無理だ。
結果、完全にオブジェクティブをロストした俺は路頭に迷っているということになる。おまけに文無し。素晴らしい。詰んでるね。魔王が王国の片田舎で人生詰んでいらっしゃるのだ。誰か笑って差し上げろ。
笑えないぞ!!ふざけるな!!
「いや、待て、待つんだシオン。待ってくれ」
何かよくわからない嘆願をしながら、俺は悩んだ。ひたすら悩んだ。
そして閃いた。こんな路頭に迷ってる感じは初めてではないと。
そうだ。冷静に考えれば俺はこの世界に来てからの大半、実にひと月もろくに何もせずのんべんだらりとシカ狩って暮らしていた。異世界サバイバルライフとかそんな大層なもんじゃないような何の目的もない生活を続けていたのだ。
食う、寝る、狩る。これだけが俺の生活の全てだった。あとウルルと遊んだり。
そうさ。だから今さら「何かをしよう」「何かをしなければ」なんていう考えに囚われる必要はないのだ。だって俺は自由だから!魔王だから!!
「何も目的はなかったぞ、シオン!」
「えっ……」
自身満々な俺にドン引きのシオン。うん、そうなるよね。わかってた。
自信満々な俺は亜空間に落ちていき、虚しい気持ちだけが残る。
「そうだよね、何かしないと駄目だよね、人間だもの……」
「あの、いえ、その、何もしなくても、そういうのもセイタさんですよ?」
「そう……シオンは俺にニートになれって言うんだね……」
「に、にぃと?」
懐かしい単語だな。思い出したくない単語だけど。
しかし、冷静に考えるとシオンの言葉に甘えているわけにはいかない。
目的がないっていうのは人間としてマズいことだ。人間は何かのために生きている。それがないと身体とか心とかが色々と終わっていってしまう。
何かのために何かのために、そうやって人は生きている。金か、権力か、地位か、名誉か、平和か、それとも女か。何でもいい。何かに乾きながら、それを潤すために生きている。
あるいは、もっと生物的に、子孫を残すためか?
いや、あまりにナマ過ぎる。大体、それのみから脱却したのが人間という生物だろう。繁殖に文化や娯楽は必要ないのだ。
……じゃあ、「元の世界に戻る」とかか?
「んな、馬鹿な」
とは言い切れない。確かに、元の世界の記憶はまだろくに思い出せない。そのせいでホームシックも発症していない。夜、月を見上げて無性に泣きたくなるなんてこともない。
それでも、あの世界は俺の世界だ。俺が本来いた世界、いるべき世界だ。
そしてこの世界は、俺が本来いてはいけない世界……なのかもしれない。
心情的な問題ではない。実際問題として、俺はここにいるべきではないのかもしれない。
長期的に考えてみれば、いずれ俺が魔王だと世界中にバレる可能性はゼロではない。その時、世界はどうなるか。
きっと混乱し、怖れ慌てて、俺を殺しに来るだろう。やっと手に入れた勝利、平和、その全てを御破算にしかねない俺という存在を放ってはおけないだろう。そして最後には、俺は追い詰められて……
……そのことを考えると、俺は元の世界に戻るべきなのかもしれない。
元の世界に戻る方法を探すべき……なのかもしれない。
けど、俺は……
「どうしたんですか?セイタさん」
シオンの声に顔を上げる。不安そうな目が俺を見詰めていた。
そうだ。シオンを放ってはおけない。何一つ覚えていないこの子を放り出して、自分だけこの世界からおさらばする方法を探すなんてできない。
シオンは俺についてくるだろう。それしかないから。彼女もそう言っていた。それが俺達が一緒にいる理由だ。
なら最後に俺が元の世界に帰れるとなったら?シオンはどうするのだ?どうすればいいのだ?
自分で決めたじゃないか。半端はしないって。放り出したりしないって。助けた責任は果たすって。ならそうしなければ。
俺のことは後回しでいい。どうせ何が何でも死んでも帰りたいってわけじゃない。
わかった。俺がするべきことってのが。
俺は俺が決めたことをするために生きている。当然のことだが、それが俺の全部だ。簡単なことだが、一番大事なことだ。
そのついでに、俺自身も満足できる生き方をする。これだ。これでいい。
「シオン、俺は悔いのないように生きるぞ!」
「は、はい。それで、どうするんですか?」
はい、それを考えていませんでした。大層な人生観についての思索は大体無駄な脱線だったのであった。
◇
「とりあえず、これからのことを考えるにも、まず金が必要ってことで……」
「そうですね……そうだ、私、仕事探して働きます!」
「待ってくださいシオンさん」
勢い込んで言ったシオンに待ったをかける。コンマ一秒の間もなかったと思う。食らったシオンはちょっと泣きそうになっていた。
「シオンは今俺の奴隷ってことになってる。だから俺から離れるのは得策じゃない。奴隷ってことで働き口も大分狭くなるだろうからな」
「うっ……で、でもぉ……」
「でも?」
「私、セイタさんに頼りっきりじゃないですか……何もわからない私を助けてもらって……守ってもらって……魔法も教えてもらって、服まで……このままじゃ私、何もセイタさんにお返しできません……」
そんなの気にすんなよ、とはとても言えない状況だ。シオンは本気でそのことについて自分を追い詰めているらしく、今にも申し訳なさと涙腺が決壊しそうな様子であった。それだけ俺への恩義について真摯に考えてくれているということなのだろう。
……これは、うっかりシオンの寝顔とか衣替えとかを楽しんでいたとは口走らないべきだろうか。どうもそういう雰囲気ではなさそうだ。
「……シオン。俺はさ、シオンに恩を売ってるつもりも、シオンに何もしてもらってないとも思ってないぞ」
「え?」
「むしろ、感謝してるくらいだ。この一週間、シオンと一緒に歩いて、話して、楽しかったぞ。そんなことできないと思ってたからな」
人形のようなシオンの姿を思い出す。俺は、シオンが俺の顔を覗き込むあの日まで、あの人形みたいなシオンを連れて呪いを解く方法を探すと思っていたのだ。
どうしてかそうする理由もなくなって、目的もうやむやになったままサブリナに来てしまったが、それを悪いこととは全然思わない。ウルル以外にも旅の道連れができて、本当に嬉しかった。本当に……
「俺なんかについてきてくれて、それで充分ありがたいと思ってんだ。だから、シオンが無理する必要はない」
「でも、それじゃ……」
「何でもいいから手伝うって言ってくれたろ?何もするなとは言わないけど、できれば俺の近くにいて手伝ってほしいわけよ」
シオンを見ていると目の保養になる。心がどんどん癒されていく。だからどっか行って働くなんて論外だ論外。
と口に出して言ってしまうと俺のイメージが残念無念また来世なので、ここは耳当たりのいい本音だけをちびりちびりと言っておく。
「……そういうわけだ。もし何かしてくれるんだったら、肩を揉むとかそういうのにしてくれ」
「それだけじゃ……とても足りませんよ」
「それだけって!女の子に触ってもらうために金を積む人間だっているんだぞこの世には!」
「えぇっ……」
思わず言ってはいけない類の本音が出てまたドン引きされる。俺も懲りない奴だ。ていうかこれは多分俺の世界の話だが。
「とにかく、駄目駄目!シオン一人でどっか行かせるなんて駄目だから!」
困ったら最終手段、駄々をこねる。これだ。放っておけばどんどん沈んでいくシオンは呆れさせて気持ちをリセットさせてしまった方が一番いい。
俺の思惑は当たって、シオンは呆れ笑いを俺に向けていた。そうだ、それでいい。女の子は笑っている時が一番可愛い。俺もつい笑みが零れる。
そんな風に、騒がしい店内で俺達がそこはかとなくいいムードになっていた時だった。
「また商会の馬車が襲われたって?」
割と近いテーブルでのそんな話し声に、ピクリと耳が震えた。
「例の盗賊団か?」
「多分な。一人だけほうほうの死に体で帰って来たらしい。後は全部くたばってるだろうな」
「ひでぇな。今月で何回目だよ?」
「さあな。数えるのも面倒臭くなっちまった。奴ら、調子に乗って近くの村まで襲ってるらしいじゃねぇか」
片方の男が舌を打った。目を向けないように聞き耳だけ立てる。
「クソッタレ、何人いるんだか……つーかこの町、これだけ暇してる力自慢がいるのに、討伐隊組んだりしねぇのか?」
「隠れ家がわからねぇんだと。それに組んでもなぁ……」
「何だよ?」
「町に仲間が潜り込んでて、何か動きがあったら頭に報告してトンズラこいてるって話もある」
「賢いな。ここの奴らがアホなだけかもしれんけど」
「そろそろ一発目の遠征隊の招集も始まるからな。勝手に兵隊集めて動かすのも気が引けるんだろうよ」
「んなまごまごしてるうちにケツの毛まで盗賊団に持ってかれちまうだろ」
「だよなぁ」
話しているのは、討伐軍志願っぽくない男二人だった。服装からしてサブリナの住人だろう。戦の臭いに血を疼かせている連中とは違う、呆れと疲れを感じさせる声と表情をしていた。
だが、大事なのは彼らが話していた内容だ。
ここいらを荒らしている一大規模の盗賊団……その存在に心当たりがあった俺は、その話から現状の打破の可能性を見出し、爪を齧りつつ今後どうするかを考え出すのだった。
◇
「金がないなら持ってるとこからもらうしかない」
経済とはそういうものだ。いささかではなく大分暴力的な言い方だが。
「あ、危ないですよぉ、セイタさん……」
シオンは案の定怯えている。だが、これしかないんだ。わかってもらうしかない。
盗賊団を襲う。奪う。捕まえる。手っ取り早く当面の金を工面するにはこの手段しかない。非民主的だ暴力的だ前時代的だと言われようが知ったことではない。奪ったり奪われたりするのはこの世の常だ。しかも先に奪った犯罪者は向こう。ゆうても罪は軽い。
「シオン、これは人助けでもあるんだ。商会とか近隣の人達とか、みんな被害に遭ってる。俺が盗賊団を潰せばみんな安心できるんだ」
「……それ、本気で言ってますか?」
「いや全然」
シオンも俺のことよくわかってきたじゃない。まあ実際、シオンとも以心伝心みたいなもんだしな。
「セイタさんがとても強いことは知ってますよ……でも、今度の相手は何十人もいるんでしょ?そんなの、いくらなんでも……」
「別に全部相手にするわけじゃないし。多分」
「誰か、応援を頼むとか、隠れ家の場所を教えるとか」
「連中、仲間に町を張らせてるから、何か大きな動きがあったらすぐバレちまうって言ってたろ。おまけに誰が俺の言うことなんか信じるよ?」
「私は信じますよ」
「そういうことじゃないんだよなぁ」
大通りから夕陽を見上げて溜め息を吐く。
俺達が件の盗賊の一派……らしき連中に襲われたのは、昨日。普通に考えれば、こいつらが俺に殺されたことを本隊が知る可能性はゼロに等しい。
精々「中々帰ってこないなぁ」と思われてるくらいだろう。何かの危機感を覚えるにはまだ早いはずだ。つまり、何かあったら移動してしまうらしい奴らがまだ同じ場所に留まっている可能性は高い。
これは、俺が総取りするチャンスだ。俺だけがあいつらの居場所を知っているのだ。
「本当ならぱっぱと衛兵なんかに隠れ家教えて終わり、でよかったけどな。それじゃ全然動きそうにないらしいじゃん。だったらこっちがやってやる。俺達は当面の金が入ってラッキー、この辺の人達はもう襲われずに済んでラッキー、みんなハッピー、みたいな?」
「そんな簡単にいきますか?それに……」
「それに?」
「その、そうするとセイタさんは……また、人を殺すんですよね?」
「……」
それを言われ、改めて考えると、さすがに自分の思考に疑問を持つ。
自分から出向いて強盗して殺人……っていうのは、正直どうなのかと。
そりゃ結果から見れば、「悪党を退治した」って、それだけのことになるだろう。誰も損しない。誰も悲しまない。ただ悪人がいなくなってよかったって、それだけの話だ。
でも、それをやった俺は何だ?義侠心も何もなく、ただ盗賊の溜め込んだ金欲しさに強盗に押し入った俺は、何になる?
人殺しって言うなら、俺はもう立派な人殺しだ。シオンだってそれは理解している。そして納得しようとしている。
だが、これからすることは違う。降りかかる火の粉を払うのではない。自分から好き好んで虎口に入ろうとしている。自分から誰かを害そうとしているのだ。
違うことは明白だ。その違いが致命的なことだと、多分シオンは無意識で思っていて、わかっていて、俺に言っている。
それは……確かに、納得できることだ。
だから、俺は腕を組んで俯きつつ言った。
「……俺が、人殺しだけが能のサイコ野郎だと思ったか?シオン」
「え?さいこ?」
「心配すんな。血なんか流さなくたってやりようはいくらでもあるんだよ」
そうだ。俺にはその経験がある。
ラザント邸でのステルス経験を思い出した俺の不敵な笑みを見て、シオンが怪訝な表情を浮かべていた。