二十二話 魔法の先生
「魔法が使えれば、もっと色々なお手伝いができると思うんです。それに、自分の身も自分で守れるようになります。この短剣をもらった時に思ったんです」
街道を歩きながら、シオンは俺に語った。
理屈は通っている。魔法で色々できるようになれば、俺がシオンに一々気を回す必要もなくなる。シオンも俺に対して気まずいものを抱えずに済む。
さらに言えば、魔法という「力」を持つことで俺という存在への恐怖心を薄れさせることもできるだろう。気弱なシオンには確かに魔法が必要なのかもしれない。
しかし、その提案には問題があった。
「魔法って、そんなすぐに使えるようになるものなのか?」
久し振りに魔王書房を引用する。魔法の習熟に関しての一般論だ。
まず第一に……魔法は一朝一夕で使えるようになるものではない。
体内に魔力を定着させ、蓄積し、循環させ、大気中の魔力と噛み合わせる感覚を得る。その訓練から始めねばならない。満足に魔法を使えるようになるまで、基本的にはこれを数年、短くとも一年続ける必要がある。
さらにその間、魔法の知識も並行して取り入れる必要がある。構成法式、基本概念、法体系。覚えることは膨大だ。魔導師という存在は一般的にも軍事的にも一目置かれる存在ではあるが、それはこういった積み重ねに裏打ちされたものなのだ。
一方の俺はどうだ?
魔法は全て感覚で制御、行使している。俺のイメージを魔王の知識が補填し、現実化させている。魔導師になるあらゆるプロセスを無視して、俺は超一流の魔導師としてここにいた。
それもこれもヴォルゼア様々だ。というのも、あいつはどちらかというと魔法に偏った戦い方をするギークでナード系な魔王だったらしい。そんな奴の知識がそっくりそのままブチ込まれたのだから、持て余すのもやむなしだろう。さらに持て余してなお一対多で敵を退けられる力があるのだ。
まあとにかく、まとめるとこういうことだ。
魔法の習得には時間がかかる。さらにそれを教えるには、感覚的な俺は教師として明らかに最悪レベルに不適格。
意気込んでいたシオンにそれを言うのは申し訳なかった。
「で、でも、やってみなければわかりません!」
私、頑張る! という握り拳と表情に思わず涙。いい子やこの子、ほんま。
その熱意を「あらそう」で流してしまえるほど俺は冷血ではない。シオンの決意を無駄にしたくはなかった。
そういうわけで、街道を歩きがてらまず魔力を操る訓練から初めてみたのだが……
「息を吸うように、一緒に空気の中の魔力を吸い込んで、溜めるイメージを持つんだ」
「それを逃さないようにして、身体の中でぐるぐる回すイメージで」
「自分を一つの瓶か樽だと思うんだ。その中に魔力を注ぎ込んで蓋をするイメージで……」
色々文句を変えて試してみるが、結局「イメージ」という曖昧な指摘に落ち着いてしまう。それしか言えんのかと言われると実際それしか言えないのでぐうの音も出ない。だから教師として最悪だと言ったのだ。
そして案の定、シオンの訓練の進展は思わしくなかった。
いや、一日目でそんなバンバン使えるようになったら魔導師なんて今頃この世に吐いて捨てるほどいるというものだが、感覚を掴む取っ掛かりすら得られないというのは中々厄介である。全部俺の不徳のせいだが。
「本当にごめんなさい」
「セ、セイタさんは謝らないでください! 私が未熟なんです!」
「違います俺のせいです」
自責の念が口調まで変にさせる。なんか色々駄目になっていた。
実際、俺が目を凝らして見たところ、彼女は普通に魔力がある方だ。
というか、結構ある方である。具体的には、あの森で戦った魔導師連中、あいつらに少し及ばないというぐらいか。それもまるで魔法の手引きをされていない現状で、である。贔屓目を抜きにしても、素質がある方と言って過言ではないだろう。
どうしてただの少女であるはずのシオンにそれだけの素質があるのか、それは謎である。しかしあるものはあるのだ。無駄にするのは罪というものだろう。
そしてこの才能をどうにかできないのは、やっぱり俺の責任である。項垂れざるを得ない。
「俺は駄目な奴だ」
「そんなことないです!」
いや、駄目なのだ。そして土台無茶な話なのだ。
俺は真っ当に修行して魔法が使えるようになったわけではない。だから真っ当に使えるようになる方法を教えることもできない。俺じゃシオンを魔導師にはできないのだ。
「私、頑張りますから!」
駄目駄目になっていた俺の手を、シオンが握る。むしろ縋り付くような感じだ。それだけ期待を裏切られた感じが伝わってきて、なんとも気まずいことこの上ない。
と、その時だ。
「ん? あれ……?」
何か、ぽわんとした様子になるシオン。まさか、男の手を握ったから発情したなんてそんなことじゃないだろう。シオンはそんな子じゃないって俺信じてるよ。信じてるから。
確かにそうじゃないみたいだった。シオンは遠くを見るように目を細めつつ、俺の手を眺め、意識を集中させていく。
と、その部分に魔力が集中していく。大気中からシオンの身体へ、それから両の手の部分へ。今さっきまでろくにできていなかったのに、まるで澱みなく、流れるように魔力を取り込んで循環、集中できている。
「何じゃこりゃあ……」
思わず声が出る。その上達振りは異常を通り越して突然過ぎ、驚くしかない。
俺の教え方が上手かったから……というわけでは、当然ないだろう。何か他の要因があったとしか思えない。
となると……怪しいのはこの握った手だ。これしか考えられない。
「よくわからないんですけど……頭の中に何か流れ込んでくる感じがして……急にやり方がわかるようになりました」
シオンの要領を得ない答え。だが実際できているので何とも言えない。
俺は手を放してみる。シオンはそれでも一度コツを掴んだせいか、問題なく魔力を操れていた。自身でも違和感を感じないようだ。才能の賜物だろうか。
「で、できました、セイタさん」
「お、おう、凄いな。シオンは才能あるよ」
月並みで陳腐な褒め言葉しか出てこない。俺は褒められるのも慣れていないが、褒めるのも慣れていないのだ。だから先生などできないのだが。
しかし、一体全体これはどうしたことか。
何となく、想像はつくが……試してみるか?
「シオン、もう一度手を握ってみてくれ」
そう頼み、右手を差し出す。シオンは頷くと、握手のように俺の手を掴み返してくる。
柔らかい手だ。とても心地いい感触……いや、そういう場合じゃない。
「あの、セイタさん?」
「待ってろ」
俺は脳裏に、実際に使う時みたいに『障壁』の魔法式を思い浮かべた。
その概念に、構成要素、そして実際に使った時の感覚やイメージ。それらを余すところなく想像し、そして、それらをシオンに伝えるように繋いだ手に意識を集中させた。
「あ、あっ……何か、流れてきます、セイタさん」
「本当か?」
どうやら、俺の予想は合っていたらしい。
俺は、シオンに触れることである程度意識を共有できる。記憶を伝えられる。魔法を使うという感覚をも伝えられる、らしいのだ。
「これ……魔法、ですか? 私が、使えるんですか?」
「さあ、どうだろう。使い方は伝わった、つもりだけど……」
後はシオン次第だ。手を繋ぎ、見詰め合ったまま、俺はシオンに頷いてみせる。シオンもそれに応えて頷いた。
それから、左手を脇に伸ばしてそちらに視線を移した。俺も見る。シオンは二度三度深呼吸してから、ぐっと表情を固くして意識を集中させた。魔力が左手の方に流れていき、さらには魔法式を構築していくのを俺も感じる。
そして……シオンの左手の前に、半球状の空気の歪みが形成された。
「あ、わわ、な、何か出ました!」
「ああ、出たな」
慌てふためくシオンに、平淡な俺。だが、俺も驚いてはいたのだ。
形成された『障壁』をまじまじと見る。バスケットボール大程度の半球がシオンの左手を覆うように展開している。
小さいが、見紛うことなく『障壁』だ。初めてにしては上手い、どころではない。訓練始めて二時間足らずでここまで使えるなど、普通では考えられない。
そもそもその練習時間のほとんどは俺が上手く教えられず無駄にしていたのだから、これはほとんどぶっつけ本番で成功したようなものだ。もっとあり得ない。
「凄い! 凄いですセイタさん! セイタさんのお陰です!」
「お、おう……」
多分、違うと思うんですけど。どうやら『障壁』が使えたことに驚き喜び過ぎて、これまでの惨憺たる失敗を頭の中から取っ払ってしまっているようだ。シオンも割と幸せな頭してるな。
「とにかく、これでシオンも魔導師の仲間入りだな。『障壁』は一番基本的な防御魔法だから、訓練しといて損はないと思う」
俺はそう言って、シオンの手を放す。シオンは右手を見下ろしながら、感触を確かめるように開いたり閉じたりしていた。
「ありがとうございます、頑張って練習します!」
「おう、頑張れよ」
会ってから一番かもしれない、明るい笑顔をシオンから向けられる。
悪い気は全然しなかった。自然とこっちも照れ笑いが零れた。
そして一時間後、嬉々として『障壁』の訓練をしながら歩いていたシオンは突然ブッ倒れ、ウルルの背に担がれるのであった。
◇
「すいません……」
「いや、俺が考えなしだった。ほんとごめん」
ぐったりとウルルの上で死体になりかけているシオン。どうにも声のかけようがない。
彼女が倒れたのは、ズバリ魔力切れのせいだ。俺が魔王領から連続で『転移』した時になったアレである。
魔力を使い果たす、あるいは急速に魔力を消費し過ぎると心身虚脱状態になる。ドワッと全身と思考が重くなる感じだ。シオンもまた唐突に襲ってきたそれに抗い切れず、崩れ落ちてしまったのだろう。
無理もない。彼女は今日の今日まで魔法を使ったこともない女の子だったのだ。慣れていない『障壁』の連続使用は余計に魔力と精神力を消耗させ、多いとはいえまだ人間の範疇の魔力総量などすぐ使い果たしてしまったことだろう。
その結果がこれだ。俺の監督不行き届きである。
「ま、まあ、次からはほどほどにやろう。な?」
「はい……」
「大丈夫、筋はいいから。もうこんなことは起こさせない」
そう、二度とあってはならない。魔力切れはホントキツいのだ。
俺は青い顔をするシオンの肩を軽く叩いた。無理して返してくる笑みが痛々しかった。
とまあ、そんな感じで昼前まで歩いた頃。
地平線の向こうに、町の壁が見えてきたのだった。
◇
「あれがサブリナか」
遠目からでも、ルーベンシュナウより大きな町ということがわかった。人口もそれに比して多いだろう。
街道も少し前から次第に広くなってきている。加えて、市街に広がる田園地帯も否応なしに目に入ってくる。久し振りの人の気配に、俺は少しそわそわするのだった。
「あ、そうだ」
そこで、ふと立ち止まり、街道を外れて休憩に入る。
シオンを気遣ってのことではない。いやそれもあるが、ここまで無視してきたある問題について考えなくてはならなかったからだ。
「ちょっと困ったことがある」
「何……ですか?」
「ウルルをどうしよう」
言って、俺とシオンは同時にウルルに目を向け、欠伸を返された。
確認しよう。ウルルは狼である。
それも何やら極天狼という特殊な、知能と能力が高く異様に体格のいい灰色毛の狼である。
はっきり言って、常人には刺激が強過ぎる。失禁を免れない威容なのだ。
誰だってナマで狼を見たら怖いと思うだろう。それがライオンか馬みたいな大きさだったらもっと怖いだろう。俺だってビビッたのだ。都会のお坊ちゃんお嬢さんが見れば心臓がしめやかに鼓動を停止してもおかしくない。
冗談は置いておいて、このまま三人でサブリナ入りしたらパニックは不可避である。対策を考えねばならない。
「無理言って頼み込むか、あるいは賄賂か」
「どちらにしろウルルさんは隠せないでしょう……」
「それな。大体袖の下払えるほど金も持ってないし」
俺は盗賊狩りで得た金を広げて見せる。金貨一枚、銀貨十三枚、銅貨二十八枚という内訳だった。日本円に換算して二万五千八百円である。あくまでそのくらいという感覚だが。
どちらにしろ、この金額ではそうそう暮らせたものではない。何か買えば吹き飛ぶ額だし、一週間か二週間宿を取ってもさらさらになる額だろう。相場がわからないから憶測だが、多分正しい。早急に生活資金を得る手段を見付けねばならない。
そして、やはり袖の下でのウルルの入市は現実的ではないと思う。したところで特別メリットがない。
「最悪、どこかの農家で預かってもらうか……ウルルはそれでもいいか?」
『命令ならば、大人しくそうしていよう』
「悪いな。そうなったら毎日顔出すようにするから」
「農家の人が引き受けてくれるかどうかが問題ですが……」
シオンはそう言うが、ウルルは大人しいし賢い。ちゃんと内面を知ってもらえれば、犬を預かるような感覚で預かってもらうことも不可能ではないだろう。十中八九問題ないとまでは言わないが。
悩んでいても仕方ない。まずは当たってみるとしよう。
砕けたらその時は……まあ、その時だ。