十四話 炎
地を蹴る。枝を蹴る。木々の間を飛び回るように南に進む。
ルウィン達を追い越して、前に森を走った時に比べ五割増しの速度で進む。
だが、そのことを驚くルウィンはいなかった。そもそもその余裕はなかった。
何せ、森に火が回っていたのだから。
「もう少しだ! 囲んで消火に当たれ! ここで留めろ!」
マリウルが吼え、ルウィンの青年達が応える。間もなく視界に赤々と燃える光が見えてくると、彼らは合図を交わすこともなく左右に広がっていく。
そして放たれる、水の塊や飛沫。ルウィン達の水魔法が、一斉に火元に向かって白い煙を上げていく。
だが、見るからに焼け石に何とやら、である。
というのも、火元が大樹そのものであり、さらにその広く伸びる枝葉が周りへ凄まじい勢いで火を伝えようとしていたからだ。木々の密集度が高いこの森の深部では、これは最早手遅れと言っていい焼け具合だった。
だが、ただ眺めていつか消えることを祈る、というわけにはいかない。
自信過剰ではないが、ここには俺がいるのだ。
「セイタ!」
マリウルの静止の声が聞こえるが、無視して突っ込む。向かうのは燃える木の根元だ。
そこ目掛け、魔力を込めた両手を突き出し熱気を突っ切る。
「くそっ!」
熱い。だが熱さも痛覚も『精神操作』で無視だ。
俺は一杯の魔力を込めた『凍結』を行使。熱気を覆うように冷気と霜が広がり、融け、さらに氷がビキビキと音を立て走る。
たちまち木の根元と俺の手は氷で一体に繋がれ、周りの地面の火の気ごと凍り尽くされる。明らかに威力過大だ。氷柱が地面から剣山のように生えてくるほどだった。
だが、これでは足らない。俺は上を見てそう思う。
既に火が上がり、焦がされて落ちる葉が見えた。
「駄目だ! これじゃ止まらん!」
「登れ! 総出で消し止めろ!」
マリウル達が声を張り、枝を伝い木を登っていく。ルウィン族なだけあり、身軽かつ巧みに登っていく。
しかしそれも火の速度に比べれば遅い。このままでは火は上から広がり切ってしまう。
そう思い、俺は力と魔力を両足に込めた。
「行くぞ……どぁっ!?」
手加減なしの『身体強化』がかかった脚力が、ぐわんと俺の身体を空中へと吹き飛ばした。まるで逆バンジーか何かのようだ。
下方に流れていく風景が俺の飛ぶ速度を表している。明らかにヤバい領域だ。このままじゃパニクって死ぬ。
視界に入った木の枝に、反射的に腕と魔力を伸ばす。そして、『念動』で枝を掴んで無理矢理身体をそこへ引っ張り上げた。
対象を掴んだり引き寄せたりするこの魔法だが、明らかに相手の質量が勝る場合、引き寄せられるのは俺の方となる。物理的に当然のことだろう。
そうして登ったそこは、燃え盛る熱気の中心であった。
「よし」
内心ビビりながらもそう呟くと、俺は自分の周囲に魔力を集め、それを冷気に還元していく。氷点下を下回る氷晶混じりの風が俺を取り捲き、熱気を遮断するどころか俺自身を凍えさせる。
だが、これくらいでなければ意味がない。
その魔力と冷気を、一気に拡散させる。氷雪と寒波を広範に叩き付ける『吹雪』の魔法だ。これにより、強引に火の手を潰そうという腹積もりだった。
『吹雪』は撒き散らされる氷晶を炎に叩き付け、勢いが弱ったところを風で拭い去っていく。すぐさま俺の周囲からは火が消え去り、最大効果範囲の外でも、火勢は衰え始めていた。
「助かる!」
ルウィン達が、その火の外周部目掛けて水や風の魔法を叩き付ける。魔法消防隊だ。手勢自体は二十人に満たないが、一人一人の魔法の技量は高く、精確に火の勢いを殺していた。
そうして燻ぶりを残しつつも、ひとまず鎮火し終えたと言えるようになったのは、五分ほど後のことだった。
◇
「みな、ご苦労だった。ここはひとまず安心だろう」
マリウルが号令をかけ、動員されたルウィン達を労う。誰も彼も息を切らしているが、怪我を負ったりうっかり火に巻かれた者はいないようだった。
自信過剰ではないが、俺が真っ先に火勢を留められたのもある程度の効果があったのだろう。もしああしていなければ、上の火を消すために木を登っていたルウィン達は、不自由な足場で轟々と燃える炎に立ち向かわなければならなかったろうから。
「セイタもな。礼を言うぞ」
「いいよ」
マリウルに応えながら、俺は上を見た。焦げた枝葉が痛々しい傷付いた森の姿が確認できる。
幸いなのは、ここだけで済んでいるということだろうか。ここの植生は魔力濃度のせいで少々特殊であり、この程度の焼損ならば跡形もなく治るという。さほど大事にならず安心といったところだ。
しかし、まだ無視できない問題が一つ残っている
「一体、どうして火が……?」
落ち付いたところで、一人がその疑問を口にする。みながそちらに視線を向けた。俺もだ。
「この森に火を吐く魔物などいない。そもそも魔物などいない」
「人為的なものと考えるより他あるまい」
「しかし……」
ルウィンが森に火を点ける、などということはあり得ない。彼らは森の民だ。そのような冒涜的な行動を起こせる精神をしていない。
もっと言うならば、彼らには火の魔法に対する適性がない。代々受け継いできた魔力の特性であろうか、あるいは精神性が魔力に影響しているのか。たとえ使えたとしても、薪に火を点ける程度の火しか起こせないのだ。大樹を焼くことなどできるわけがない。
と、なると。
ここで一番怪しいのは、俺ということになるのだが……
「お、俺は違うからな、念のため言っとくけど」
慌てて怪しい否定をしておく。マリウルが溜め息を吐いた。
「そんなことはわかっている。一緒にフォーレスを出たのだからな」
マリウルのフォローに周囲が頷く。これでは俺が一番俺を疑っていたみたいだ。何か馬鹿らしい。信用されるのは嬉しいけど。
「とにかく、辺りを調べよう。犯人がいるかもしれない」
続けてそう提案。俺はそれを聞いて、思い出したように『探知』を発動。半径一キロ内の生命反応を探る。
──と、そこに二つの反応が。
「おい、誰かいるぞ! あっちの方角!」
「何!?」
俺の『探知』の精度についてはもうマリウルは疑いがない。俺の指した北西を向き、慌てて指揮を取る。
「追え! 先導はセイタだ! 全速力で行け!」
「俺!?」
「『探知』できるのはお前だろう!?頼んだぞ!」
何ともあっさり指揮系統に組み込んでくるものだ。それだけ慣れたということか。
仕方なく、俺は『超化』と『探知』を併用しながら走り始めた。
◇
『探知』で探り当てた反応には、すぐ追い付いた。それは、ほぼ南下するように移動していたからだ。俺達は西に進めばよかった。
だがそこで出逢ったのは、俺達の予想を外れた者達だった。
「何故ヒトがここに!?」
「おい、お前達どこの集落の者だ!? 何故ヒトといる!」
別の集落のルウィン族二人だった。タニアではない。だが真に驚くべきは、彼らが南に走る理由だった。
何と、俺達が消した以外にまた別の場所で火事が起きていたのだという。彼ら二人は既に鎮火に向かった仲間を助けるため、助力を方々で求めてきたらしい。
最初、俺達が向かったのはフォーレスから南南西。彼らが向かっているのはそこからさらに南西に行った場所。若干ではあるが森の外周に近付いた位置である。ヒトの関与をさらに疑わざるを得ない。他の可能性はまずないわけだが。
そうして成り行きで合流した俺達は、『探知』に数十の反応を認めて話が本当であったことを確信し、火事の現場に駆け付けた。
そこには、先の火事よりも規模を増した大火が広がっていたのだった。
◇
「ヒト!?」
「おい、説明しろ! 何だそいつは!」
「待て! その男は攫われたタニアの者を助けるのを手伝ってくれたヒトだ!」
「何を言っている!?」
フォロー三割の、疑問六割。あと拒絶一割という中で、俺は無視して『吹雪』で火を消して回った。途中火に巻かれて少し火傷を負ったが、それも無視する。
先程よりは時間がかかったが、木が燃えているというより地面に火が撒かれているような状況だったので、案外楽に鎮火できた。とはいえ、やはり被害が甚大というのは覆しようのない事実だったが。
「一体何がどうなってるんだ」
別の里のルウィンが呟いた。何人かは俺に警戒と疑いの目を向けつつも、その言葉に同調し悩み始める。
「ヒトだ。ヒトの仕業に違いない」
「だが何故だ? どうしてこんなことを?」
「知るものか! 卑劣な奴らの考えなど!」
「これだけ炎を広げられるのだ。ヒトの魔導師にしても相当の手練だ」
「だから何故そのような者が……!」
疑惑と疑問が募り、冷静さを失っていく一同。
それだけ頭に来ているのだ。当然である。自分達の聖域である森を汚されたのだ。
と、なると。
こういう話の流れになると、自然と俺に目が向くわけで。
「そもそも何なのだこのヒトは!」
「だから言っているだろう、フォーレスの客人だ」
「ヒトがか!? こいつが火を点けたのではないのか! あの魔法と魔力! それだけの力はあるはずだ!」
「自分で点けて自分で消す馬鹿はおるまい。いくらヒトとはいえ」
俺を挟んでヒートアップするタニア、フォーレス組とそれ以外。物静かなルウィンが数十人揃って頭に血を昇らせ怒鳴り合うというのは、何とも奇妙で異様な光景だ。
こういう状況だと逆に自分は冷静になれるというが、俺はそんなことはない。普通にパニックだった。何を言っていいかもわからない。多分、何も言ってはいけない空気なんだろう。なので黙ることにした。
しかし、正直ここで足止めてる場合ではないと思うのだ。犯人の正体が何であれ、とにかく火事が人為的なものなのは確かなのだから。犯人を探さなければならない。
俺はそれとなくマリウルに近付き、そのことを話す。
「なあ、俺バックレていいか? 火ィ点けた奴探さないと駄目だろ」
「待て。ここで消えたらお前がさらに疑われるぞ」
「じゃあどうしろってんだ」
「少なくともここで話をつけねば」
「そんなん待ってられるかよ、これで終わりじゃないかもしれないんだぞ」
そもそも、この放火は誰が何の目的でやっていることだ。
それが全然わからない。犯人も見付からない。ルウィン達は火が出てから動いている。後手後手だ。このまま何もわからないまま、また火を放たれたら……繰り返しだ。
何でもいいからアタリをつけて、犯人の頭を押さえる必要がある。でないと状況は変わらない。それがわからないルウィンではないと思うのだが。
「……お前ほど頭が柔らかくないのさ、我々はな」
「そういうこと言ってる場合じゃないだろ」
疑われたって構いやしないから、今ここを離れるべきだ、とは思う。だがそうすると、俺を庇い立てしてるマリウル達の立場が危うい。俺だけならいいがそんな迷惑をかけるのは勘弁願いたいところだ。
しかし、ならばどうするか。
どうしようもないのか?本当に。
八方ふさがりで、俺は黙って立っている。
俺には何も口出しする権利はない。ここは、ルウィンの森だからだ。
そうやって、俺は事の趨勢を見守っていた。
だが、そんな俺の耳に、いや心に、何か聞こえてくるものがあった。
「……ウルル?」
その波長は、ウルルだった。『思念話』の魔法が、ウルルからの意志を魔力で繋がる俺に届けていたのだ。
森の魔力に阻害されているのか、反応がやや弱い。しかし、どこか不安にさせるその反応に、俺はばっとフォーレスの方向を向いた。
『おい、どうした? ウルル、何か答えろ』
何か、まずい気がする。俺は咄嗟に『思念話』の出力を上げて問い質す。
『思念話』の主導権は俺にあるため、俺からそうしてやらないと、こんな状況ではウルルの声はこちらに届かない。
果たして、そうしたのは正しかった。いや、ウルルの声に気付けたことが幸運だったというべきか。
ウルルからの反応は、焦燥と混乱に満ち満ちたものだったからだ。
『……危険! 敵、ヒト! 魔法! 火が……子供が危険!』
ヒトの言語体系に慣れていないためか、あるいは精神構造上の問題か、それとも混乱のせいか。ウルルが伝える内容は支離滅裂で片言っぽく、それ故に真に迫るものがあった。
ぞくり、と首筋に刻まれた冷たさに焦り、俺はマリウルに声をかける。
「マリウル! 何かマズい! フォーレスだ! ウルルの声が聞こえた!」
「な、なに?」
「フォーレスだ! 火を点けられたらしい!早く戻らないと!」
俺の声に、フォーレス組が一斉にどよめく。それを怪しげに眺めるその他ルウィン達。
「こいつは何を言っているのだ?」
「適当なことを口にするな!」
「おい、待て! どこに行く!」
そのような声が聞こえてくるが、無視する。そんな場合じゃない。
俺は踵を返すと、マリウル達を待たず地面を蹴る。後方からの怒声も置いてきぼりにするくらいの勢いで走る。『超化』は限界まで振り切れていた。
フォーレスに向かう。今はそのことだけしか考えられなかった。
◇
違和感は、集落に着く数分前から感じていた。
『結界』の魔力? だろうか。何やら、それが揺らいでいるように感じたのだ。
傷を付けられ、損失した部分に魔力が流れ込んでくるせいで荒れているというか、乱れているというか。
とにかく、異常なのは確かだ。何かあったとしか思えない。
そんな俺の嫌な予感は、すぐに当たった。
「こいつは……どういうことだ……」
フォーレスの集落は喧噪に満ち、大人達は混乱しながらも号令をかけ残り火に向かっている。何人かは泣く子供達についていた。
その騒動の傍らに、血と火傷にまみれたウルルが蹲っていた。
「ウルル!」
焦る。嫌な汗が出る。
途中からウルルとの『思念話』が切れたことから、何かあったのではないかと思った。命に関わることが、と。
それが、現実になっている。目の前が真っ暗になる。手足が震える。
ウルルに倒れるように走り寄り、その冷たくなった身体を……
身体を……
冷たくない。
というか、身体が上下してる。動いてる。息してる。
なんというか、普通に生きてた。
「ウルル!? 生きてんのかお前ェ!?」
びくん、とウルルが顔を上げて周囲をぶんぶんと見回す。完全に寝惚けた様子だ。俺を認めるとまたびくっとなってから小さく唸る。
「大丈夫なのか、お前……」
至って平然としているウルル。だが、その見た目は血に濡れて痛々しい。困惑しながらも『治癒』を使い、傷痕と血を『水球』で拭っていく。
「誰か、何があったか教えてくれ」
俺が周囲に問うと、一人のルウィンが答えてくれた。
「ヒトだ……『結界』を越えてヒトが……」
「なん……なんだって?」
「魔導師だった。それも何人も……」
まとめるとこういうことだ。
俺達が火事を消しに出た後、フォーレスに複数人からなるヒトの魔導師の集団が襲撃してきた。
奇襲であったことと、手練であるマリウル達が鎮火に向かっていたこと、それに加えて魔導師達の実力が高かったこと。その三つが原因となって住人達の反応は遅れ、抵抗に苦心することとなった。
ウルルが負傷したのは子供達を守って侵入者と戦ったためだった。彼の活躍ぶりはまさに──狼なのに──獅子奮迅、子供達どころか里のみんなへの攻撃を一手に引き付け、敵襲を見事追い返してみせた。そのお陰で目立った怪我人は出ていないという。
その代わりにウルル自身も無視できないだけの手傷を負ったらしいが、それも命に別状ないものだったのは俺の見た通りだ。
ルウィン達が青くなるほどの魔導師達だったろうに、それを退けるとは。一体極天狼ってのは何なんだ、と思う。
が、今はそれよりも集落の状況が気になる。
「本当に怪我人はいないのか?」
俺の『治癒』なら大概の傷は治せる。万一の時は『蘇生』もある。
そう思って言い出したのだが、取り越し苦労みたいだ。子供達は家の中に集まり、集落に残っていた男手は襲撃者を追跡する班を作ろうとしていた。
そうだ。襲撃者はさっきまでここにいたのだ。今打って出て捕まえなければ、相手の目的も意図もわからないままだ。そうすればまた後手に回ることになる。とにかく今はこの混乱を収めなければ。
そうこうするうちに、マリウル達がフォーレスに到着。他の里のルウィン達も何人かいる。魔力を使い過ぎたせいか、それとも『超化』に慣れた俺が速過ぎたせいか、タイムラグが結構あった。が、それも二分か三分といったところだ。大したロスではない。
俺はマリウルに掻い摘んで状況を話すと、これからについても話し出す。その間、別の里の者達は動揺を隠せずにいたが、俺達の話を邪魔することなく話し合っていた。さすがに冷静だ。
そうこうしている時だった。
「セイタ!」
走りながら声をかけてきたのは、レリクだった。
珍しく慌てているように見える。それも当然か。こんなことになったとあっちゃあ、いくら長といえども──
「あの娘がいない! この騒ぎの最中にいなくなった!」
……
……何だと?