百二十九話 ずっと昔の話
「そもそもどうして、そんな疑われるようなこと言い出すんですかね。わざわざ自分から」
「疑わしいのは初めからだし、取り繕うのも面倒だからね」
「自覚はあるんですか」
「それはね?」
伯爵は自嘲するように鼻を鳴らした。
「公女殿下はともかくとして、君には言っておかなきゃ延々疑われると思ってね。それはそれでいいんだけど」
「いいんですか」
「君の方が安心しないだろ? それにさ、この歳にもなると自分語りする相手もいなくてね、退屈なんだよ。だから少し付き合ってはくれないか」
そんなことを話すために俺を呼んだのか。わざわざペイト達まで下がらせて。
気に入られてるんだか何だか知らないけど、複雑だ。正直困る。
まあ、別にいいんだけど。もう当分顔も合わせないし。
「……わかりました。聞きますよ。その前に質問しますけど」
「何だい?」
「どうしてエーリスに協力を?」
そもそもの発端である。そしてここに至るまで一番の謎だ。
いくら面倒や騒動が好きな奇特な伯爵でも、それだけの理由で今回の分の悪い賭けをやるのか? という話だ。
公爵に恩を売りたい、貴族を追い落として利権を奪う、それもあるかもしれないが伯爵はそもそもそんなことに興味がないという。
そんなんで刺される目に遭ってまでして、本当に満足しているのか?
俺が問うと、伯爵は軽く唸って首を捻った。
「私はこれでもいいと思っているが、そんな答えでは満足しないだろうね」
「そりゃあ、だって危険だし、その割に得が薄いし」
「得ねぇ。そもそも今回の件は、誰も得してないよ」
言われてみればそうだ。エーリスは父親を亡くし、王都の貴族は大部分がボロボロ、伯爵だって屋敷が燃えた。自分で燃やしたんだが。
主戦派の暴走が止まったといっても、それは多少なり状況がマシになったというだけで、万々歳とはとても言えない。
言ってみれば、みんなで痛み分けだ。実際、あまりよくない。
「まあ、国も続けばこういうこともあるものだよ。どうしようもない状況で、みんながみんな最善を尽くして、結局駄目になるというね」
「楽しくない話ですこと」
「大昔に似たようなことがあってねぇ。歴史は繰り返すというものかな」
「大昔?」
何のことかと見返すと、伯爵は勿体ぶった笑みを浮かべて言った。
「前にも話しただろう? 公女殿下の……ラングハルト家の始祖の王のことだよ」
「墓荒らしがどうのこうのっていう、あの話ですか?」
「そうさ。当然、彼女の血がどうこうとか言うつもりはないよ。昔話もどこまで真実かわかったものじゃないしね。ただ……」
「ただ?」
「その時代の人々全員が、王位を継いだ王弟ですら、当時の騒乱によってその後の判断を誤らせた、というのは間違いないだろうね」
どこか遠い目をしながら、伯爵は言う。
まるで、当時を見て来たかのような物言いだった。
◇
数百年前、最終的に王位を巡る争いとなった戦いが終わった後。
弟王は苦い経験から善政を敷き、王国の復興と混乱の鎮静に尽くした。
だが、問題はそれでは済まなかった。貴族達の中から、兄王の乱心を見て、それまでの王家の絶対的権勢を疑問視する声が出始めたのだ。
たとえ人道にもとるような政策、行いであろうと、それを強行できてしまう力が王家にあってよいのだろうかと。
国が乱れていた時代であり、王家への不信感は大きかった。そしてそれは拭い切れず、ただただ募っていった。
弟王は最終的に、王家の権力の一部を放棄し、貴族議会に譲渡することでこの声を鎮めた。そして、彼らが王家を正しい方向へ導くことを期待した。
──だが、時代が下るにつれて、また別の問題が生まれ始めた。
王家の権力の一部を得た王国中枢の貴族達は、次第にその力を肥大化させ始めた。王家を導くための権力構造が、次第に王家を抑圧するための権力構造に変貌していったのだ。
エーレンブラントは依然として王制の国家だ。しかしその絶対性は失われつつあり、貴族達が全てを握る国へと変わる流れは、緩慢ではあるが止めようがないものだと思われた。
誰もが正しさを求めていたはずだ。争いを避けようとしたはずだ。
しかしその流れは、新たな争いの火種となって王国に燻り続けることとなった。
◇
「王は己を戒めるため、見張らせるために監視人を置いた。しかし、誰がその監視人を見張る?」
伯爵は手を広げて、乾いた笑い声を上げた。
「力を持つ者が挿げ変わるだけだ。王国には権力が常駐するだけの器があり、器は満たされていなければならない。その嵩が減じることはない。留めておけなければ、流れるだけだ。王から、どこか別の誰かにね」
「……そんなことが、本当に?」
「確かではない。やはり昔のことだからね。ただ、この国の王制がそれ以前のものから変質したとされているのはその時代のことだ。となると、それなりに信憑性のある話だとは思わないかな?」
そうは言われても、俺はこの国の政治にも歴史にも疎いからな。魔王は人間の国のことなんざ知ったこっちゃねーって感じだし。
ただまあ、全部本当だとしたら、エーリスの先祖がうっかり王家の力を目減りさせちまったっていう話か。エーリスを追及するのは無茶な話だけど、皮肉なもんだな。うっかりで済ませていい話じゃないけど。
「……で、その昔話が今とどういう……?」
「そうだね。とりあえず、見張りの話から始めようか」
見張り。王を見張る人間って意味か。
「誰が見張りを見張る? 下らない話だけど、これは重要な問題だった。王家だけではない、貴族議会の暴走を怖れる貴族もまたそれを懸念していた。王国の舵取りを永遠に迷わせるかどうかの瀬戸際だったからね」
「随分安定性がない船ですね」
「乱れた国というのはそういうものさぁ。一度浸水すると後がなくなるものだよ」
エーレンブラントは内陸国だというのに、伯爵の口から船のたとえが出るのが少し不思議だった。が、構わず聞き続ける。
「気付かれず、貴族達を牽制する者が必要だった。時には彼らに対する脅威となって、しかし彼らに成り代わらない、成り代われない存在がね」
「そんなのそこらにいるわけ……」
「いたんだなぁ、それが」
「誰ですか?」
知らず話に入り込んでいた俺は、急かすように伯爵に尋ねていた。俺のその反応に満足したように、伯爵は両の手の指先を合わせ、焦れったく答えた。
「──ラングハルトだよ。奇妙なことだが、彼らはその役に適していた。その来歴から王国の中枢には身を置けない。しかし、故に貴族議会の目が届かない。それが理由で、王の信は他の貴族へのそれよりも厚かった……皮肉だがね。また彼らは、家の成り立ちの危うさから自分達を守る術に長けていた。諜報に根回しといった諸々に。かつての王はその力を借りて、貴族議会への権勢としようとしたのだよ」
俺は呆然とした。確かに伯爵の話は奇怪だった。
それでもぼんやりと納得していた。だから王家とラングハルトは大して仲が悪くないのか、と。負い目と一緒に借りがあるからなのか、と。
が、そこで伯爵はフッ、と笑って言った。
「まあ、それもエーリス公女の祖父の時代までの話だったのだけど」
「は? どういう……」
「彼はその役割を厭っていたのだよ。時代を下り、権力争いや貴族議会が形骸化し目に見えた脅威が去る中、今さらそのようなことにかまけていては逆にラングハルトを危険に晒すことになるのではないかとね。そうして、時代に適した代役を求めた。もっと相応しい人間を。隠れてその役目をこなすよりは、むしろ目に見える場所で、欲しがりの貴族達を牽制することのできる人間を」
誰が、と反射的に尋ねようとした俺は、その問いを飲み込んだ。
何となく、わかったからだ。伯爵が言おうとしていることが。
その俺の内心をさらにわかったように頷き、伯爵は言った。
「考えている通り、それが私だ。私だったのだよ」