百二十八話 密に
人間の残虐性には底がない。
やろうと思えばどこまでも恨みの理由を掘り返せる。
子々孫々いつまでも怨念を受け継いでいける。
いくら殺しても飽きない。満たされない。果てがない。
人間はだから、平和を手の中に留めておけないのだ。
指の間から、握った砂が零れていってしまうみたいに。
──ドゥナス伯爵は意地の悪い笑みを浮かべて、そう言った。
◇
全てが終わったのは、あれから──要するに俺とペイトが王都南地区を荒らし回ってから──一週間後のことだった。
それまで色々あったが、何だか面倒で顔を出していなかったりしてよく覚えていない。無責任かもしれないが、本当に面倒だったのだ。
とりあえず、ベルプールは留置所にブチ込まれた二日後に裁判に引き出されて、当然の如く有罪判決をもらった。
ドゥナス伯爵の調査報告にエーリスの証言、これでもう完全にクロなのはわかっていて、ほぼ出来レースみたいな裁判だったらしい。当然だろうけど。
ただ、それで吹っ切れたのか、あるいは元からだったのか、ベルプールはそれでもなおエーリス……というかラングハルトのバッシングを止めず、逆に国家転覆の疑いをかけて起訴し返す、なんて狂った真似をしやがったという。
当然そんなの通るわけがない。国王やら大臣やら王国の中枢、傍聴していた貴族全員に「狂人」と認定されて、ベルプールはまた留置場送り。家を取り潰し、財産を差し押さえ、一族にも処分を与えた上で改めて刑罰を執行するという段になった。
まあ、死刑だろうな。色々と取り繕うのもできなくなったせいで、言動があからさまにヤバいもん。
ついでにその裁判の場で、ドゥナス伯爵はベルプールの協力者とその罪状なりを雑に列挙した。
酷いことに「ついでに」だ。「ついでに」でまたいくつもの貴族が家を潰されることになる。千歩譲って閑職送りか。あの伯爵は「綺麗になったねぇ」とか笑ってた。実際頭おかしい。
なお、反撃のきっかけとなったセミールは運よく──というか伯爵の勝手な差配で──難を逃れたらしい。その代わり変な薬を盛られてあっぱらぱーにされたとか何とか……尋問拷問諸々を誤魔化すためか。もしくは裏切らせたことに対する伯爵なりのフォロー……
なわけないか。
デューラー子爵も、何とか五体満足で屋敷に帰れた。
実は子爵、エーリスを一度は裏切ったのは事実なので、自分も処分されることを覚悟していたらしいが、そこは彼も被害者ということで伯爵が気を回してくれたという。まあよかったなってところだ。
ただ、これでデューラー子爵はドゥナス伯爵に借りを作ったことになる。彼としてはあまり気が休まらないことだろう。一難去ってまた一難だ。
で、俺はその一週間エーリスとは別行動を取っていた。具体的にはペイトやラウリさんと組んで、王都をあちこち走り回っていた。
目的は主戦派・過激派の残党狩りだ。ベルプール配下のあの殺し屋集団の生き残り、もしくは似たような私兵とその主人、あるいは使いっ走りされている末端の賞金稼ぎなんかを勝手に検挙して、まとめて留置場にブチ込んでいた。
伯爵に言わせれば「膿取り」だ。何かこの機に乗じてついでだからやっちゃおうみたいな軽いノリで、俺は走り回されてしまった。
まあ、エーリス付きにされてしまったシオンやキリカと比べれば多少は気が楽だったかもしれないけど。殴ったり蹴ったりしてれば済む仕事だし。
そんな感じで最後まで──むしろ最後に一層──扱き使われて、あっという間に一週間が過ぎた。
実のところ、まだ伯爵や国王にとって、この一件は終わってはいない。むしろ暴走気味だった主戦派から主導権を取り戻したこれからが始まりなわけで、色んな場所に手を入れて体質改善をしていかなきゃならない。当然、討伐軍に関しても。
ただし、それは俺達には関係ない。
もうできることはない。これで終わりだ。一足先にお暇させてもらう。
エーリスは王都を出て、故郷に父親の遺灰を連れて帰る。王から感謝と謝罪の言葉を受けたようだが、それも関係ない。王家とも、嫌な思い出しかない王都ともこれっきりだ。少なくとも、しばらくの間は。
そして、俺達もそれについていく。護衛……いや、友人として。
準備が済めばすぐに発つ。今はそれまでの、わずかな猶予期間。
……そんな貴重な時間を割いて、どうして変態親父と顔を突き合わせることになっているのか。何か色々、納得できなかった。
◇
「怪我はもういいので?」
「ああ。ジュネアと君のお陰で、もう完治さ」
伯爵はワイングラスを傾けながら笑って言った。俺にもと勧めてくるが、謹んで辞退する。むしろ力一杯拒否する。
「酒は飲めない性質なんで」
「それは残念。しかし珍しいね」
「そうっすか?」
「力のある冒険者はみんな飲むものだろう? 強かれ弱かれ、関係なしにね」
そうなのだろうか。俺は冒険者でないからわからない。
「飲んでも美味いと感じないんですよ」
「美味いかどうかは関係ない。酔うかどうかだよ」
「酔う、ね」
「酔わなきゃやってられないこともあるだろう? 危険な仕事なのだからさ」
危険、危険ね……
確かにこれまで多少なり危険な目には遭ってきた。けど、それでも酒に逃げようと思ったことはない。そもそもその考え方がない。
酔って全部忘れられるとか、そういう都合のいい幻想は持っていない。記憶にないけど、多分、酒にいい思い出がないんだろうな。
……代わりに、シオン達に縋ってるけど。駄目になりそうな時は。
俺が仏頂面で答えあぐねていると、伯爵はまたくすくすと笑った。
「君は面白いねぇ、セイタ君。聞きしに勝るよ」
「……ん? 聞きしに……何ですって?」
ちょっと聞き捨てならないようなことを言われた気がして、食い付いた。
何だその、誰かから俺を聞いたみたいな言い方は。
というか、俺を前から知ってたような言い方は。
「君のことはよく知っているよ。有名だし、よくしてもらってるからね」
「何のことですよ? 覚えがないんですけど……」
「では、サンデル・マイスという名には? 覚えがないかね?」
いや、あるけど。あるけどそれが何か……
……ん、え、いや、まさか。
「いやぁ、あの商会には私もよくさせてもらっていてね。出資なり何なり……で、ここ何ヶ月かの君の噂もちょくちょく耳に入れていたんだよ」
……何ということだ。
世間は狭い。いや、伯爵の交友関係が広いと言うべきかもしれないが、まさかそんな、実はとっくに目を付けられていたとか……
だからか。これまで妙な目で俺を見てきたのは。俺を知っていたからってことか。
それを今さら言ってくるなんて……
「優秀な魔導師、あるいは冒険者……素性はよくわからないが、信頼できる人間性……まさかそんな君が、渦中の公女殿下を連れてくるとはね。奇妙な巡り合わせだと、私もさすがに驚いたよ」
「そうは見えませんでしたけど」
「フッフフ」
どこまで本当なのかわからん。だが、俺のことを知っていたのは事実だろう。
多分そうだ。俺が便利だとわかっていたから、色々と任せてきたのだ。駒として潰しが利くとわかっていて、もしくはそれを確かめようとして……
……何か、遊ばれたような気もする。
確かに伯爵は最後まで俺を扱い切ったが。全部掌の上って感じが、どうにも気に食わない。いけ好かない。
ただそれも、考えてみれば今さらだ。
伯爵が胡散臭くていけ好かなくて不気味な変人だってことは、最初からわかっていた。全部承知の上で、踊ってみせたわけだから。
エーリスのためだ。言い訳めいているが、それで我慢することはできる。
何より、別に怒る理由はない。気分はよくないが、だからどうだというわけでもないし。こちらだって伯爵を利用したわけだし。
お互い様。実に使いやすい言葉だ。ただ今この場は、それで片付けてしまうのが一番だろう。
最も後腐れがない。関わりが残らなくていい。デューラーのあんちゃんみたいに死んだ目で伯爵に愛想笑い向ける人生は嫌だからな。エーリスにだったら死ぬまで愛想じゃない笑いを向けられるが。本当美少女っていうのは得だぜ。
「で、それを言うために俺を呼んだんです?」
「それも、だね。話はまだあるよ。というか、君の方が私に聞きたいことがあるんじゃないか?」
「俺が? 何を……」
俺が肩を竦めると、伯爵はワイングラスを置き、向かいに座った。
そして俺の目を覗き込み、言う。
「……公女殿下は優しい。人を疑うことを知らない子だ。彼の父親と同様にね」
「まあ……そうみたいですね」
「ならば代わりに疑う人間が必要だろう? 悲劇を繰り返さないためにも」
「何が言いたいんです?」
「君は私を疑ってはいないか? と、それが聞きたいのだよ」
伯爵はわずかに身を乗り出し、食い気味に俺に尋ねると、試すような笑みを浮かべてきた。
俺はしばらく黙って視線を返していたが、このままではどうしようもないと思い、仕方なしに後ろに体重をかけつつ答えた。
「まあ、正直に言っちゃうと……伯爵のことは最初から怪しいと思ってましたし、今もそうですよ」
俺の言い方は無礼に当たるのだろう。言っといて何だが自覚はあった。
だがそれでもやはり、当然のように、伯爵はそれを嬉しそうに笑って、受け入れるのだった。