百二十六話 死線
命中した。食らった。頭に。当たってはいけない類いの一撃が。
だが、クリーンヒットじゃない。
ペイトだ。ペイトが間一髪、横から俺を突き飛ばしてくれた。そのお陰で致命的な一発を避けられた。咄嗟に『障壁』を展開したのも功を奏した。これがなければ本当に頭を吹っ飛ばされてたかもしれない。
斜めに弾かれて、錨が霧の中に消えていく。それを眺める。意識が朦朧とする。だが飛んではいない。次の一撃が来る。避けなければ。
「こちらに!」
ペイトが叫び、転がるように俺を抱え、後ろに退く。周囲にズガン、と床の砕ける音が聞こえる。奴の攻撃か。何故この霧でわかる。ペイトもよく避けるものだ。『探知』に頼ってる俺には難しい芸当だ。
そんなことをぼんやりと考えてるうちに、柱の陰に転がされる。
と、ペイトに頬を叩かれた。急速に意識が回復する。
やべえ。何ぼんやりしてんだ。まだ戦闘中だぞ。
頭に『治癒』をかける。傷は浅い。頭蓋骨も、割れてたかもしれないがすぐに治る。意識に問題はない。記憶も飛んでない。脳味噌は大丈夫だ。
俺は大丈夫。多分、大丈夫なはずだ。わずかばかり冷静にもなった。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ、うん。助かった。ありがとう」
「礼なら後で」
冷たく言ったペイトが柱から出ようとしたが、そこに叩き付けられる錨。凄まじい音を立てて床の破片が飛散する。こっちにまで飛んできた。
「動けませんね」
「参ったな、これは」
額に流れる血を拭う。と同時に『探知』を使う。
示し合わせていたように、黒コートの攻勢と同時にベルプールが逃げ出そうとしている。足取りは遅いが、それでもすぐに聖堂を出ていくだろう。そして追えば、というかここから動けば、攻撃に晒される。実に厄介だった。
まあ、厄介だろうな。本来ならば。
「でも、こっちにも余裕ができた」
「は?」
困惑するペイトの肩を拳で叩きながら立ち上がると、俺は魔力を全身から掻き出した。
冷気を集め、全身を『氷鎧』で覆っていく。特に上半身から頭にかけては、これまでにないほど分厚く固める。少なくとも一撃で割られないように。
展開までに約十秒。短いようだが、これが実に長い。
これまでの攻防では、俺のせいでグロッキーなペイトを抱え、間断なく襲ってくる攻撃をいなさなければならなかった。『氷鎧』は使えなかった。使おうとしたわずかな隙を突かれるのが「怖かった」からだ。
加えて、あの錨の衝撃は殺せないんじゃないかという懸念があった。だったら防御を考える間に攻撃すれば……と思っていたわけだ。
しかしもう、こうなっては避けるのも難しい。被弾覚悟の方針でいく。
それに、俺が攻撃を「食らう」のは悪いことじゃない。これからやろうとすることを考えれば。
「ペイト君、ベルプールを追いかけてくれる?」
「え?」
「手分けしよう。あの鎖野郎は俺が食い止める。だからその間に、さ」
要はあの鎖と錨が邪魔なわけだ。視界も悪いし反撃も難しい。
だったら俺が食らってる間にペイトが行けばいい。簡単な話だ。
「じゃあ頼むよ」
「な、待っ……」
待たない。答えは聞かない。柱から躍り出て、空気を斬る錨を待ち構える。
風切り音。左から飛んでくる。軌道は恐らく、さっきと同じ側頭部だ。
間に合うか。アテが外れないか。耐えられるか。疑いつつも、左腕を構え──
「ぐぁっ!!」
ドゴン、と頭と左腕に衝撃が走った。
所詮は氷の装甲。受け止め切れず、割れる。砕ける。衝撃が骨まで響く。
だが、どことなく単純な質量と遠心力のもたらす威力ではないと思った。やはり、何かの魔導具か。巨大なハンマーにブッ叩かれたようなこの重みは。
けど、止めた。頭までは割られていない。
鎖に軋む左腕を巻き付け、叫ぶ。
「行け、ペイト!!」
「はっ!」
「ぬ、ぐっ!?」
俺に攻撃を止められて、焦った黒コートが呻く声がした。ペイトは走り、既に聖堂を出ていたベルプールを追っていく。
すぐに片付けて合流したいところだ。敵がもういない、とはまだ言い切れないのだから。
だが、それは容易い。もう捕まえたも同様だ。
「いつまでもこんな玩具が通用すると思うなよ」
実際通用していたのだが、強がってそう言い放って、鎖を引く。霧の向こうで呻き声が聞こえた。
俺は躊躇わず、そちら目掛けて『雹撃』を放った。
手応え、なし。命中の気配、なし。
何もなかった。手に握る鎖を引く力すらも。
「捨てたのか……」
俺が攻撃した瞬間、奴は武器にならない鎖を手放し、逃げたのだろう。また奴は霧に紛れて、見えなくなった。鎖を引き寄せ、腕に巻く。
さっきとは打って変わって、不気味な静けさが辺りを包んでいた。奴はまるでいなくなったように何も仕掛けて来ない。本当に逃げたのかもしれない。あるいはペイトと、ベルプールを追って。
そう思って出口に下がろうとした時、どこからともなく声が聞こえた。
「ふざけた真似をしてくれる」
少なくともまだこの場にはいるようだ。そして声の様子から、この場で俺を殺すつもりだということが何となくわかる。
主人の安全より、自分の怒りと恨みを優先させるつもりか。あるいは合理的な思考の末の決断かもしれないが。
「来いよ。俺を殺したいんだろ」
挑発すると、鼻を鳴らす音が聞こえてくる。
「殺したいのは貴様だけではない」
「そうかよ。どうでもいいな」
全身の『氷鎧』をさらに分厚く作り直す。砕けた部分もだ。左腕も骨にひびが入ったみたいだったが、すぐに『治癒』で治す。
万全だ。これで迎え撃つ。
……と、ここまできて侮りが出てくるのはよくない。
もう一つ、策を弄してみるか。俺も。
「さっさと来いよ。お前の顔が見たいんだ」
言いながら、魔力をさらに集めた。
◇
虚空からナイフが飛来する。両手で弾く。弾き切れず腹や足に当たる。
が、刺さらない。それも氷の装甲に弾かれる。
前方へ『雹撃』を放つ。壁に着弾する音。外れたか。
投げると同時に動いている。霧があっては捕捉もできない。当たらない。
だが問題はない。あちらの遠距離攻撃だって効果は薄い。さっきの鎖みたいに距離を離しながら強打してくる武器も打ち止めだろうか。これならいくらやろうが無駄だ。
それは向こうもわかっている。これで終わるわけがない。
「虫も殺せねえぞこんなんじゃ」
嘲るように言う。まるで動かず、攻撃を受けるだけ受けつつ言うのだから、挑発効果はてきめんだろう。顔は見えないが。
「霧が晴れるまでゆっくりやるか? 構わないぞ俺は」
また投げナイフ。そして吹き矢。弾くまでもない。片手で雑に受ける。
俺が今陣取っている聖堂の入り口前。真っ当に聖堂を出ていくなら俺を無視するわけにはいかないはずだ。そして馬鹿正直に俺に効果のない攻撃を繰り返していることから、俺をスルーする気はないのだろうと推測できる。
何か、あるはずだ。それを待つ。待った上で、ねじ伏せる。
そのために『爆衝』も使わない。わずかな隙も作るわけにはいかない。
「……ん」
攻撃が止んだ。何かの予兆か。わずかに前傾にする。
静寂。外の喧噪のみが聞こえてくる。無視だ。だがもうじき憲兵が来るだろうか。いや、考えるな。今は眼前の敵だ。
前方からカツン、と一つ足音。いるのか。来るのか。まだ撃たない。ギリギリまで待つ。完全に補足してから撃つ。そう決めた。
……霧が、揺らいだような気がした。
「来たか……」
足音はない。滑るように流れるように、近付いてくる。
依然として『探知』に感なし。だが気配は何となくわかる。わかるような気がする、というだけかもしれないが。
五メートル先も見通せない濃霧。勝負できる間合いはその五メートル内。俺が確実に奴を捉えられる距離だ。
そして近付いてくる奴が、「何か」を仕掛けられる距離。そうであるはずだ。油断はしない。迎え撃つ。
──奴の影が、霧向こうに見える!
「ってぇ!!」
両手で『雹撃』を撃つ。散弾の弾幕だ。最早壁と言っていい。当たれば蜂の巣どころか上半身が吹き飛ぶ。
が、それを奴は、屈んで回避──違う。弾幕の下へと身を滑らせて、ほとんど速度を殺さず突っ込んでくる。
腕を下ろす。下方に照準を直し、再度『雹撃』。
が、今度はそれを光の壁に弾かれる。『障壁』だ。完全ではないが、急所を外される。殺し切れない。距離を詰められる。
次弾……間に合わない。殴りかかる。避けられる。懐に入られる。
奴が一瞬速い。俺が一瞬遅い。だが、ここから何をする。何が来る。
──と、爆裂音とともに、氷の装甲ごと腹が弾けた。




