百二十五話 まるで冒涜
聖堂内は混乱の只中にあった。
爆破テロにでも遭ったかのような狂騒と破壊、その割に被害者は皆無に近かったが、それでも心身ともに多大な衝撃を被った人々は、視界が確保されたことをいいことに一斉に聖堂の出口へと殺到していく。
誰だってそうする。それを狙ってのことだ。
俺が使った魔法は、『爆閃』と似たようなものだった。魔力と一緒に、ただし今回は炎熱の代わりにただ空気のみを圧縮し、破裂させる。そうすることで衝撃波を生む魔法だ。『爆衝』とでも名付けようか。
誰かを殺すのが目的ではないから、『爆閃』よりも威力は格段に低い、というか弱めた。そもそも魔法としての系統がまるで異なる。
ただ、それでも霧を吹き飛ばすのには充分だ。それで霧を吹き飛ばし、周りの人達を怖がらせて、逃がす。そのために撃ったのだから。
目論見は成功した。一石二鳥だ。俺達を不審がっていた人々は逃げ出し、視界も晴れた。敵が見える。ペイトも見える。
代わりに、聖堂の中が滅茶苦茶になったりペイトまで怯んで膝をついていたりしてしまっていたが、まあ、これくらいは仕方がない。
仕方ないんだ。許しておくれ、ペイト君。多分許してくれないだろうけど。
「何を、した……!」
頭を押さえながら、ふらふらと立ち上がる敵の一人。見える範囲では二人いたが、俺ではなくペイトと交戦していた方の奴だ……多分。
小剣を杖にペイトより一拍早く立ち上がり、俺を睨みつつも、まずは近いペイトへと狙いを定めようとしていた。
させるか。俺の魔法で巻き添えにして、そのままペイトを死なせるなんてアホなことはできん。多分ジュネアとかが怖い。
床を蹴り、聖堂内の長椅子を蹴って、ペイトと身体を入れ替えつつそいつに飛び掛かった。三半規管をブッ叩かれたせいか、そいつの反応は鈍い。余裕だ。
剣を弾き、掴みかかって転がる。そのまま床に頭を叩き付け、後頭部が割れて半死になったところを『雹撃』で完全に吹き飛ばした。
聖堂の白い床が汚らしい赤黒の脳漿で染まった……が、言っておくが、断じて汚して嫌がらせしようとか、そういうのではない。『雹撃』が一番展開が早かったからであり、これは必然だ。非常事態なのだ。仕方ないのだ。
まあ、言い訳すべき教会のおっさんも今はいないんだが。
「おい、大丈夫か」
「う、ぐ……はい」
敵はもう一人いたが、ひとまずペイトを助け起こす。俺の魔法でこうなったわけで、放っておくと何か申し訳ない気分になるからだ。
「突然、何をするのかと……頭が、割れそうです……」
「だから耳塞げって言ったんだ」
「できると思いますか? 戦ってる、最中に……」
「うん無理だね、ごめん」
言っていることはもっともだ。何も言えない。
『爆衝』を使った俺自身はともかく、爆心に近い位置のペイトはもろに、しかも何の防御態勢も取れないまま衝撃を叩き付けられた形となる。まだ四肢に力が入らず、平衡感覚も大分怪しそうだ。繰り返しだが、申し訳ないことをした。
だがその甲斐あって、不意を突けて敵はあと一人。あの、どこか見覚えのある黒コートの男のみだ。
まだ隠れているかもしれないが、ここまで窮地で増援が出ないというのは普通考えられない。これで打ち止めか、あるいは集め切れてないか。
ベルプールも見えていた。柱の陰から半身を出して、喘ぎふらついている。『爆衝』が効いたか。走って逃げられそうな状態には見えない。
一般市民は順調に逃げ続けている。場が整いつつある。今度こそ本当に、追い詰めたと言っていいだろう。
後は、ちゃんと仕留めるだけだ。
「……また、貴様か。予感はしていたが……」
最後の黒コートがもう一本の剣、というよりはダガーを左手で抜きつつ、呟く。顔は覆面で隠れていて、目元もフードの影に隠れているが、こいつのことは何となくわかる。
こいつは、デューラー子爵を刺した奴だ。いかにもリーダー然とした、掴みどころのない雰囲気に、憶えがあった。
「まったく……貴様のせいで、何人部下が死んだことか……」
「数えてないからよくわからんね」
「舐めた口を」
声は冷静に、しかし苛立たしげに男が剣で床を叩いた。本気でキレているのがよくわかる。わかりたくもなかったが。
どうせなら、もっとキレるがいいや。
「あんな弱いのをぶつけてくる方が悪い。足止めになるとでも思ったのか?」
「貴様……」
「まだ腐った卵でも投げてくる方が効果的だったんじゃないのか、ええ?」
「貴様ッ」
キレた。まさか乗ってくるとは思ってなかったが。
男はダガーを振り被り、躊躇いなく投擲。銀色の流れ星もかくやという速度で、それがまっすぐこちらに点の軌道で迫ってくる。
だが、問題ない。避ける必要もない。
右手でペイトを後ろに回しつつ、左手を前に出し『障壁』を展開。別段何の魔法処理も施されていないダガーで貫けるわけもない。光の壁によって刃は弾かれ、俺達の後方へと回転しながら飛んでい──
と、その時にはもう既に男は次の動作に移っていた。
ダガーを投げる左手をそのまま懐に突っ込んだかと思うと、中からずらりと何かを引き出した。鉛色のそれは割れたステンドグラスから差し込む光を受け、鈍く輝いて……
鎖だ。長く、細く、それでいて何故か強靭なのが見て取れる鎖。その先端の、方々に凶悪な尖り方をした分銅が、宙を泳ぐ竜のように閃く。
「ぬんっ!」
「おわっ!?」
気合い一閃、十メートル近くあろうかという間合いを無視して、怖ろしい速度で分銅──というよりもう小型の錨か何かだ──が頭上を薙いでいく。屈まなければ頭の三分の一は吹っ飛んでいたんじゃないかと思う。『障壁』があってなお、そんな恐怖が脳裏をよぎった。
が、引き戻されたかと思えば今度は縦に軌道を変えて振り下ろしてくる。これもまたペイトを抱え横に回避。しかし以外に返しが早い。錨は聖堂の床を破壊しながら宙を舞い、今度は直線的にこちらに突っ込んでくる。咄嗟に『障壁』で弾いたが、髪の毛を掠めた。
意外にも、怖い。無意識に防戦に徹してしまう。
加速した感覚なら見極められない速度ではない……が、それでも充分に速いことは変わりない。そして意外な間合いに、意外な軌道。そして遠心力。どこか冷静に、まともに食らった時の被害を考えてしまう。
それでは、と間合いを取ってみる。そして退き様、『雹撃』と『氷矢』を撃つ。
が、これを奴は難なく回避。もしくは引き寄せて回転半径を短くした鎖と錨で弾く。器用な奴だ。魔法を使わないでこれか。もし魔法まで使えたら……
……使えるのかもしれない。そして、それを隠しているのかも。
そう考えると一歩踏み込むのに躊躇ってしまう。遠距離から魔法攻撃を続けるが、これは効果が薄い。一応向こうの攻撃も防げるが、それだけだ。このままでは何の解決にもならない。
もっと強力な魔法でまとめて吹き飛ばすか。けどそれだと聖堂を吹き飛ばしてしまうかもしれない。ならば被弾覚悟で『氷鎧』頼りに突っ込むか。まだあの錨の威力が未知数という不安要素はあるが……
──そうやって俺を迷わせるのが目的だとわかったのは、間抜けなことに向こうの準備が終わってからのことだったが。
◇
突然、奴が鎖を引き戻して攻撃を止めた。時間にしてわずか一分程度の攻防だったが、それでもやたらと長く感じたのは、俺が焦れていたからか。
これを好機、と思って駆け出そうとしたが、その足が止まる。
そして気付く。再び、辺りに霧が充満し始めていたことに。
「よく待ってくれた」
奴が言いながら、霧の濃い場所に下がっていく。何だこれは。まだあの、霧の魔導具をしかけていたのか。遅発性で、煙幕が満ちるのを待ってたと?
同時に、ベルプールの奴が壁沿いに動き出した。逃げる気か?
「待てこの野郎!」
急いて一歩踏み出す。が、その眼前にまたも高速で錨が飛んでくる。慌てて仰け反り回避するが、霧を裂いてさらに追撃が。
高速、かつ重く、そして見えない。さっきよりも格段に避け辛い攻撃が、勢いを増して襲いかかってくる。
厄介だ。これでは『障壁』で防ぎ切れるかどうか。
そして『爆衝』を放つ時間的余裕もない。その間に、ベルプールには逃げられる。
「ふざけんじゃねえ!!」
我慢した俺が馬鹿だった。『雹撃』を両手に連続展開し、目暗滅法ブッ放す。ベルプールに当たるのもお構いなしだ。死なない程度に外すつもりだが。
が、その間隙を塗って鋼鉄の塊が飛来し──
「あ、ガっ!?」
俺のこめかみに、鈍痛と衝撃が走った。