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二代目魔王の御乱心  作者: 古口晶
Chapter.5 Siege
122/132

百二十話 回る舌


 ◇

 ◇

 ◇


「何のことだ……?」


 努めて平静に、内心では混乱の極みにありながら、ベルプールは問い返した。

 対するドゥナス伯爵は眉を掻きながら、とぼけた表情でちらりとエーリスを見て、軽く息を吐く。


「カウフマンとクロウラックスは……随分無茶な融資を複数の商会と銀行に迫ったらしいねぇ。討伐軍に追随するための輜重隊と……それと傭兵団も雇ったのかな? ただ、ない袖を振るのはあまり褒められたものではないなぁ。上手く隠したつもりだろうけど」


 そこで一つ咳払いし、廊下の窓の外を眺めながら、ドゥナス伯爵は続ける。


「ベレンスは余り者の息子二人を討伐軍に捻じ込んだらしいね。それでそっちでも不出来な彼らが問題を起こしたって? 借金、私闘、強姦、殺人にも関与してるとかいないとか……で、フライヒルは諸々の揉み消しか。あちこちに金を回した痕跡がねぇ……見付かっちゃってるんだなぁ、新雪に残った足跡みたいにさ?」

「だから、何を言っている!?」

「おぉっと」


 声を荒げたベルプールに、ドゥナス伯爵はおどけた動作で慄いてみせる。


「だからさぁ、このご時世に王国貴族も中々やんちゃしてるなぁって話さ。折角魔王との戦争も終わったのに、主戦派の方々はまだし足りないようだし? それで王国を混乱させてたら世話ないねぇ。平和はこの国には過ぎた玩具なのかな? どう思う?」

「……知ったことか」

「フッフフ、まあ君が討伐軍をあからさまに否定できるはずがないね。立場というものもあるし。わかるよ」


 何がわかるだ、とベルプールは怒鳴りたくなったが、声が出てこない。まだ混乱は収まっていなかった。


(何故奴が知っている!?)


 ドゥナス伯爵が口にした四人の名前は、主戦派に連なる貴族のものだった。それぞれ問題はあるが力もあり、主戦派主導の流れを打ち立て、討伐軍を立ち上げるにあたってなくてはならなかった、ベルプールの腹心達でもある。

 しかし彼らは純粋な信念の下、目的に尽力したわけではない。そこには大方、魔王領への再征服に伴う利益が絡んでいる。

 軍指揮権、領地、資源利権、経済的主導権。ささやかとは言えない野望と欲望が彼らの原動力であり、そしてそれらは押し並べて人の目を曇らせ、道を誤らせ、不祥事を招くものである。実際、そうなってしまった。


 ただし、それらは全部隠蔽したはずだ。債務は討伐軍のもたらす利益で帳消しにするとして、今この時を耐えるために、あらゆる手段でもって揉み消しに奔走した。そのはずだった。

 ドゥナス伯爵が、それを当然のように知っているのはおかしいのだ。

 ……あるいは、おかしくないのかもしれないが。


(これが、こいつを敵に回してはならないという理由か?)


 何であれほじくり返し、曝け出す。隠せることはない。知られないことはない。そして自分はどんな醜聞を晒されても、家名がどん底のさらに下まで落ち切っているため痛打とはなり得ない。

 ドゥナス伯爵のそんな都市伝説を聞いたことがないわけでもないベルプールである。半ば冗談めいた──と言っても事実ではある──後半はとにかく、前半は今のこの状況で笑い飛ばせるものではない。


 そして──「手を引く」とは何を指しているのか。


(決まっている。こいつはわかった上で言っている。脅している)


 こちらと繋がりがある人間を脅す材料を集め、舞台から下ろさせる。あるいは、自分の手駒として利用する。

 ドゥナス伯爵ならばやりかねない。そしてそれを迂遠な物言いで示唆し、「次は貴様だ」と言っているのだと。ベルプールはそう推測した。


(だが、あまりにも手回しが早過ぎる)


 そうも思った。どれだけドゥナス伯爵の情報網が厚かろうと、いくら何でもこれだけの短時間でそこまでのことができるのか? 

 セミールがドゥナス伯爵の手に落ちてから一週間。そこから首謀者を吐かせ、情報を集め、工作を行うにしても、時間が足りないのでは、と。


(こんなものはただの脅しだ。私を……動揺させるための)


 そう思った。信じたかった。あるいは本当にただの世間話なのかもしれない、と。

 だが、できない。ドゥナス伯爵の笑みを好意的に受け取ることは、この世界の如何なる聖人であろうと不可能である。ましてベルプールが、この男を疑いこそすれ信じたり侮ったりすることなどできるわけもなかった。

 現に、ばれてはならないことがばれているのだから。


「……それが、何だと言うのだ、ドゥナス。何が言いたいのだ」


 動揺を隠し切れないまま、苦し紛れにそれだけ返すベルプール。それに対しドゥナス伯爵は、笑みを崩さないまま答える。


「何でもないさ。ただ、大変だと思ってね。討伐軍はこれからどうなる? 大きいところは君が一人で動かしていかないとならないだろう? 陛下もこの時期に一気に問題を抱えて、頭を抱えていらっしゃるだろうねぇ」


(つまり陛下に密告すると? あるいはもうしたと!?)


 曖昧な物言いで煙に巻く。焦りと怒りを煽る。主導権を握る。

 貴族の常套手段だが、ドゥナス伯爵が使うとこれほど効果的なものもない。あえて、面と向かっているベルプール自身を糾弾してこない辺り、性格の悪さが迸っている。あるいはただ、人を小馬鹿にして楽しんでいるだけなのかもしれないが。


(この男……!)


 殺意が湧く。元から殺す気ではいたが、それとは別に、この男をできるだけ苦しめてどうにかしてしまいたい気になる。

 既にラングハルトの娘の件で我慢の限界ではあった。そこをいたずらに突かれて、堪忍袋の緒が切れてしまっていた。

 また感情的な部分だけではなく、保身のためにもやはりドゥナス伯爵を生かしておくわけにはいかなかった。どれだけ上手く隠そうが容易に醜聞を集めてくるこの男の危険性は既にベルプールも充分理解している。これ以上無為に自由にさせる理由などなかった。


「……そうだな。それが本当なら、大きな問題だ。名誉毀損に聞こえなくもないが、事実確認をさせてもらうこととしよう。情報提供感謝する。失礼しようか」


 はらわたの煮え繰り返るような憤怒の中、ベルプールが選んだこの場のやり過ごし方は、すっとぼけることだった。

 無表情に、自分は何も知らなかったという態度を取り、この場を離れる。後は隙を見せたところに暗殺者をけしかけ、全て隠滅する。

 やることは変わっていない。ただ動揺させられただけだ。それに対する怒りはあるが、表に出してはならない。既に勝利に手はかかっている。ここで全てを反故にするわけにはいかない。


 そしてもし、本当に、ドゥナス伯爵が名を上げた主戦派貴族が裏切っていたなら──今度はそちらも片付けなければならない。


 足早にドゥナス伯爵、そしてエーリスの脇を通り過ぎながら、魔王領制圧に至るまでの遠大な計画の軌道修正について考える。隠し切れない感情の昂ぶりが歯ぎしりとなって現われていた。


「ベルプール伯爵」


 そんなベルプールの背後に、可憐で涼やかな声が投げかけられる。

 ねっとり粘りつくドゥナス伯爵のものではない。エーリスのものだ。それはわかっていて、しかしわかっているからこそ、ベルプールは振り返れない。

 立ち止まるのみに留めた彼の背に、エーリスは続けて言った。


「……私も父を失い、悲しみに負けそうになりました。でも、色々な人の助けを借りて、立ち直ることができました。伯爵も今は難しい時でしょうが、きっと、その困難も乗り越えられるだろうと……それが言いたくて、ドゥナス伯爵に取り次いでもらったのです」

「……そうでしたか」

「ラングハルトである私が言うのもおかしな話ですが……幸運をお祈りしております、ベルプール伯爵」


 エーリスは薄く笑む。だがベルプールがそれを見ることはない。気遣いに対し小さく、聞こえないような礼を言って、再び護衛とともに歩き出す。

 そうしてすぐの廊下の角を曲がり、人目がないのを確認すると、ようやく無表情の仮面を取り去った。


(立ち直れただと? その奇人に股を開いて慰めるなり何なりしてもらったのだろうが! 穢れた血の売女が!! 上から見下してわかったようなことを吐きおって!!)


 挑発であることはわかっている。わかっているが、あの二人の言動が全て神経に障って仕方がなかった。

 声にこそ出さないが、怒りの発露は表情、歩み、握り締めた拳と全身に現われていた。それらを堪えれば身体が破裂してしまうと言わんばかりに。


(舐め腐りおって!! 奇をてらって懐に飛び込んできたと思えば、苦肉の策がこんな安い挑発だったとはな!! だが!!)


 手を上げ、合図をする。それに応じて、柱の陰から二人の人影が現われた。

 擦り切れた黒いコートにフードを被った、気配の希薄な男だった。目元は影になって見えず、口元も布で覆われていて人相どころか表情も、性別すらわからない。二人は足音もなく護衛の間に滑り込み、ベルプールの脇につけた。

 二人がわずかな遅れもなく推参したことにベルプールは若干気をよくしつつ、それでも怒りを納めないまま、邪悪に笑む。


(いいだろう、その挑発に乗ってやる! ドゥナスの奴はすぐに殺してやるが小娘、貴様は別だ! 舌を捩じ切り、四肢を潰し、豚と下男に犯させ、孕んだ胎児を引き摺り出して食わせてやる!! 父親の万倍苦しんでから無様に死に、腐れたラングハルトの家に相応しい終焉を迎えるがいい!!)


 ベルプールは怒りに狂っていた。エーリスの、ラングハルトの何もかもを穢し尽くしたくてたまらないと考えていた。

 それを実行するための手足に、ベルプールは言う。


「奴らを追え。人気のない場所に足を踏み入れた瞬間にやれ。そうならなくても奴らが根城に戻る前にはやれ」


 冷淡に命じる。隠密は顔を伏せたまま聞く。


「護衛は全員殺せ。死体も消せ。ドゥナスもだ。いや、だが、ラングハルトの小娘は生かして捕らえ、連れてこい。私が直々に『処分』する」


 そこまで言って、ベルプールは勝利を確信し笑む──が。


「……もう一度、ご命令の確認を」


 隠密の一人に問い返され、ベルプールは舌を打って繰り返す。


「聞こえなかったのか? 連れてくるラングハルトの小娘以外、死体も残さず消せと言った。わかったなら、さっさと奴らの監視に向か……」

「ここまで聞けば充分ですかね?」


 突然、ベルプールの声に被せて隠密の一人が言った。そして、何事かと固まるベルプールの前で、もう一人が頷く。


「信じ難いが、しかしこうして聞いた以上は、な……」

「では、もういいですか?」

「そう、だな」

「おい貴様、何を言って……」


 声を上げ、振り返ろうとしたベルプール。

 その後頭部に、これまた突然に鋭い衝撃が走るのだった。

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