百十五話 芸術家
「大分マシになってきた……と思うんですけど、どう?」
「そうですね。ただ、細かいところはいいんですけど……」
「……全体的に怖いです」
テーブルの上のそれを見て、シオンとエーリスが率直な感想を述べた。
それは、全長二十センチほどの竜の氷像であった。全身をくねらせ、尾を巻き、限られたスペースで存在感を放つ傑作……と言いたいところだが、作った俺の贔屓目で見ても少々残念な造形である。
「何て言うか、バランスが悪い?」
「そうですね……継ぎ接ぎした部分を隠そうと装飾過多になっているのかと」
これはキリカとユリアさんである。実にいいところを突いてくる。痛いところとも言うべきか。
「何だろうな、つい最初から凝り過ぎちまうんだけど」
「途中から力尽きるよね」
「うん。で、途中から慌ててゴテゴテさせたくなって」
「一貫性がなくなると」
キリカと頷き合う。意外と審美眼があるものだ。盗賊やってて値打ちものの美術品とかをよく見ていたからなのかもしれないけど。
「強迫観念があるんだよな。単純に済ませようとすると何か物足りなくなって、派手にしたくなったりゴツくしたくなったり」
「やり過ぎると悪趣味になるじゃない」
「俺悪趣味なのかもしれんな」
まあ、「コレでよし」と思うのなら本当にそうなのだろう。自分で見ていて納得しないだけ、まだ美的センスに致命的な破綻は訪れていない。
「でもまあ最初ののっぺりトカゲくんに比べれば多少は……」
「あ、あれはあれで可愛いと思います」
「シオン、そこは庇うところじゃないと思う」
シオンの儚いフォローをバッサリ切り捨てるキリカ。まあ、俺も同意見なので何も言わない。
「じゃあもう一回作り直すか」
俺は宣言すると、四人の前で氷像に魔力を込めた。局地的に氷点下を保っていた冷気が霧散し、氷は固体のまま刻まれ、砕け、融け、蒸発していく。
その水蒸気を再びテーブルの上に集め始める。今度は最初から一体型で作ることにした。パーツごとに作るとバランスが怪しくなるからだ。
まず氷で結晶を組み上げて大体の骨組みを作る。『念動』で固定しているので砕けない。崩れない。見たことない竜の骨格を想像で組み上げ、そこから周囲に氷を張って肉を付けていく。
まず両足。腰。腹。胸でシルエットが広がる。長い腕は地面につき、後方に翼膜の張る指を伸ばす。さらに首。太くなり過ぎないように、長く、優美に折り曲げ、空を向かせる。頭部。顎。細く、鋭く。さらに角を四本後方に伸ばす。最後に尾を翻させて──
「……完成。今度はどうだ」
できあがった氷像からかざした手を退け、四人に見てもらう。数秒と経たず感嘆の声がキリカから漏れた。
「驚いた……段違いじゃない。売り物にしたいくらい」
「凄いです、セイタさん!」
身内贔屓でないのは、先程の正直な感想からもわかることだろう。そう思いたい。さてではエーリス達はどうだろう、と。
「余分なものをそぎ落とされて、かえって活き活きとしているように見えますね。力強さが伝わってきます」
「私はこういうものに接したことがないので、よくわからないのですが……さっきのものより、確実に美しくなっていると思います」
好評である。よし。やはり首を細くして全体的にスマートかつシンプルに仕上げたのは正解だった。俺の潜在的趣味の悪さを抑えたのもな。お陰で余計に精神力を使ってこれまでの四倍強ほどの魔力を使う羽目になったが。
「それにしてもさ。今さら聞くのも何だけど、どうして竜?」
「え、カッコいいから」
脊髄でそんな答えを返すと、キリカは固まっていた。
いや、本当に大した理由はなかったのだ。だって典型的な幻想動物だし、細部が適当でもそこはかとなく強引にカッコよく仕上げられると思ったから。
なお、モデルは半年近く前に見て、蘇らせた勇者一行の竜だ。名前は覚えてない、というか知らないが。
「上手くできたからこいつは魔力で低温保存しとくとして、じゃあ次は何作ってみようか」
俺が指をポキポキ鳴らしながら言うと、少女三人組は程度の差こそあれ目を輝かせた。いや、ユリアさんまで興味あり気に見てくる。全員だった。
やはり女の人は誰でも美しいものが好きなのだろう。俺もそうだ。男はそれに加えカッコいいものも好きなものだが。
「そうだ、じゃあ似顔絵っぽく顔の像でも作ってみるか」
言った瞬間、四人が声を上げずに湧いたような気がした。
◇
魔力の制御は針に糸を通すようなものである。
慣れれば上手くなる。しかし中々神経を使う。繊細な作業で、上手くない奴はとことん上手くない。そしてままならなさにブチキレる。
俺は、上手さで言えばおよそ下の上くらいに位置する感じだ。
大体の場合、魔力を爆発させるように魔法に注ぎ込んだ方が手っ取り早い。魔力の総量もあるので節約する理由もないし、戦闘に際してそんなことする気もない。そんなだからこれまで大して上達しなかったのである。
しかし氷像作りはそうもいかない。
バッとやってドンと作れるわけではない。ゆっくり氷を大きくしていき、細かい氷片を作っては張り重ね、溶かすように削り、また氷片を乗せる。他に効率的な方法を知らないので、こういう風に細々した魔力制御を延々と続ける羽目になるのだ。
しかしその甲斐はある。膨大な魔力と集中力を注ぎ込めば注ぎ込むほど氷像は細部まで作り込まれていく。そしてそれに並んで俺の魔力制御も、血管を流れる血みたいに鋭く精緻で流動的なものになっていくのだ。
氷像の作成と訓練、段々どっちが主目的なのかわからなくなってくるが、それでもひたすら作り続けるのだ。よくわからないが、元から俺はこういうのが好きだったのかもしれない。何だか止まらなくなってしまった。もう夕方なのに。
まずシオンの胸像を作った。興が乗ったキリカ達の容赦ない駄目出しを受け、半泣きになりながら照れるモデルを穴が開くほど観察し、ひたすら作り込んでいき、一時間半ほど経った頃に完成した。
好評であった。シオンが喜んだのはとにかく、キリカからも「可愛いじゃない!」とお褒めの言葉をいただいた。
調子に乗った俺はキリカのも作り出した。慣れたのか、今度は一時間でできた。キリカは及第点をくれると言ったが、その表情は及第点で見せるものじゃなかったと思う。憂い顔に作った氷像を飽きるほど眺めていた。
ここまで来たら止めるわけにはいかない。無論エーリスとユリアさんのも作った。さらに慣れたのか両方合わせて一時間である。ここまで来ると精神にも変調を来たしてきて妙なテンションのまま作業する羽目になっているのだが、作品はまともだった。まともでなくなってたのは俺の方である。
「セイタさん、あの、お茶入れてきますから、そろそろ休憩を……」
「駄目だ。何か作ってないと落ち着かないんだ」
好きこそものの上手なれと言うが通り越して狂気に踏み入っていたのかもしれない。何か強いられたような使命感に駆られ、俺は題材を欲した。
幸い、それは無数に存在した。キリカの氷像を作ってる辺りから、「何か変なことやってる」と聞き付けた娼館のお姉さん方が、俺の見物に来ていたのだ。ギャラリーはどんどん増えていって、最終的にシオン達も合わせて十人を超していた。ある意味ハーレムである。
お姉さん方は俺の作った四つの像──竜君はお眼鏡に適わなかったようである──の出来を見て、こぞって「私で作って!」と言った。俺は一も二もなく了承した。そうしない理由はなかった。
さて、最適化された俺の整氷技術は、最終的に人間の胸像を二十分で完成させるまでに至った。つまり六人を二時間である。しかも精緻さもどんどん増していき、自分モデルのそれが出来上がるとお姉さん方は驚喜して俺に礼を言い、中にはしなだれかかってくる女性もいたがこれはキリカがそれとなくガードしてくれていた。余計な修羅場の成立を止めてくれて感謝の言葉もない。
「何やら面白いことをやっているねぇ」
芸術の狂気に堕ちかけていた俺がシオンに引っ張り起こされ、娼館の一室に据えられた夕食の卓につくと、そこにいた伯爵が俺にそう声をかけてきた。
「よくできていたねぇ。君にあのような才能があるとは知らなかったよ」
「俺もですよ」
才能と言われるとこそばゆい。特別な技術があるわけではないのだ。
ただ凝り性を極限まで鋭く削り上げ、氷像にモデルを再現しているに過ぎない。後は単純に作業の最適化の賜物である。
「氷の彫刻はたまに見ないこともないが、あそこまでのものとなると私も記憶にない。祝賀会場に飾りたいくらいだよ。どうだい? そういう方面で活躍する気があるのなら、売り込む手伝いをさせてもらうよ?」
「いや、結構です。俺はあくまで魔導師なので」
既に狂気は解け、どっと疲れが来ていた。どうやら知らず、相当量の魔力を使っていたらしい。軽度の魔力切れ症状が発生していた。
「こんなのを仕事にしたら絶対身体壊すんで無理です。絶対に無理。ひょっとしたら死ぬまで作ってるかも」
「芸術家の鑑のような姿だねぇ」
他人事だからって笑ってる伯爵が恨めしい。ああ身体はだるい。スパゲッティーが辛くて美味い。
夕食が済んであてがわれた部屋に転がり込む。椅子に座って寝ようとしたら、キリカとシオンに掴まれベッドに放り投げられた。
「セイタくたびれた顔してるじゃない。ベッドで寝なさい」
「もっと身体を大事にしてください」
母親みたいな口振りで注意され、大人しく二人に従った。娼館のベッドはそこそこ大きく、無理すれば三人で寝られる形だ。
だがいいのか。
いくらここが娼館だからって、そういうこと前提のベッドだからって。
ここまで来ると耐え切れそうにない。今日の訓練でこの上なく疲労した頭、どろっとした思考では、どうしたって誰かに甘えたくなる。
喉が渇くように、誰かが欲しくなるのだ。
具体的には、シオンとキリカが。
そんな場合じゃないってのに。今は非常時なのに。
理性はぐったり倒れ込み、それを尻目に本能がじわじわと、俺の両脇の二人へ手を伸ばさせる。
シオンの頬に指が触れる。キリカの顎に手の甲が触れる。
「やっぱ、本物が一番だな」
作品には自信があるが、そう思わざるを得なかった。嘘偽りなく本心であった。
二人は顔を見合わせ、それから意地の悪そうな笑みを浮かべた。俺の考えていることが、してほしいことがバレたのだろう。
俺は灯りを魔法で掻き消しながら、飛び込んでくる二人を抱き留めた。