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二代目魔王の御乱心  作者: 古口晶
Chapter.5 Siege
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百十話 追憶

 ──十六、の頃だったろうか。魔法学術院を去ったのは。

 厳格で窮屈で冷たく惨めで、孤独と知識しか与えてくれなかった家を追い出されたのが十二歳の時。その後、運よくある貴族の方が後援をしてくださり、私は魔法学術院に入ることができた。


 それから四年間は、ただひたすらに魔法と学問に打ち込んだ。私は実際に魔法を使う方の才能には乏しかったけれど、その分座学には高い適性があった。目的意識もあり、知識欲が旺盛だったこともあってか、とにかく机と本に齧りついた。


 やがて秀才と褒めそやされるようになって、鼻を高くしたりもした。賞賛は心地よく、自分に自信が持てた。私はやっと私になれたのだと、これが私なのだと、そしてこれからもっと輝くのだと、明るい未来に心を弾ませた。


 そんな未来は来なかった。


 支援してくださっていた貴族の方が亡くなられ、支援は打ち切られた。取り止められたのかもしれない。その理由を知る機会はないのだろうが。

 学費を払えなくなった私は学術院にいられなくなった。私は取り立てて特別視されるほどの存在でもなかった。私くらいの秀才なら、他にもいるのだから。


 魔法の理論体系だけを修めた半端者の魔導師が何になれるだろう。私は魔法で戦うようなことはできなかった。魔導師としての稼ぎは一切期待できなかった。

 路頭に迷った私は逃げるように下宿を後にして、人の目を避け、王都を彷徨った。全てに嘲笑われているみたいだった。それか、憐れまれているか。どちらにしても私を叩きのめしたことには違いがない。

 生家には戻れなかった。私は妾腹の子であり、母も母を囲った貴族の父も死んでしまっていた。それ故、大きく歳の離れた腹違いの兄に邪魔者として追い出されたのだ。次期当主である彼にとっては、貧しい血の私に政治的利用価値などなかったのだろう。


 できることはなかった。ただ流されるだけだった。

 後はただ飢えてのたれ死ぬか、身体を売ってしばしの時を買うか。それは選択肢ではなく、ただの確率の問題だったと言えよう。どちらも私にとっては大差ない運命、変わり映えのしない人生の終わりだったろうから。


 けれど、私の幸運はまだ絶えてなかったらしい。

 ギオニス様が、私を拾ってくれたのだ。


 ギオニス・アドルフ・ヴェンデル・フォン・ラングハルト公爵。あの方が私をどこで知ったのかはわからない。学術院で私が発表するのを見学なされたのだろうか。それともどこかで私の生い立ちをお聞きになられて、哀れに思ってくださったのか。

 終ぞ、それをお聞きすることができなかった。悔やむ気持ちもあるが、とにかく救われたという事実だけが何よりも大事だった。それが私の、その時から始まったもう一つの人生の始まりであり、全てだった。


 ギオニス様は仰った。


「学術院君を娘の家庭教師として迎え入れたい。ただ、娘はまだ三歳でな。本格的に勉強を始めるのはしばらく後になるだろう。それまでは学術院に戻り、君自身の学問に励むといい。その分の学費は受け持とう」


 そのありがたい申し出を、私は断った。

 既に返し切れないほどの恩を受けた。もうこれ以上何一つ、迷惑をおかけすることはできない、そのつもりもなかった。


 代わりに私は、ギオニス様のお嬢様──エーリス様の侍女にしてくださるよう嘆願した。家庭教師としてだけではない。私の全てでもって仕え、奉公し、大恩を返すべきだと思ったからだ。そのために魔法学術院を切り捨てることに、何一つ躊躇いはなかった。後悔もなかった。


 十六歳の冬、私はそうして、ラングハルト公爵家にお仕えする身となった。



 ◇



 侍女としての教育を受け、侍女長から正式にエーリス様のお傍役の任を引き継いだのは、それから二年後のことだった。

 それまでに私はエーリス様と何度も顔を合わせ、次第に懐かれるようになっていった。どうにも、お屋敷にいる同性の中で、私が一番歳が近かったかららしい。

 初めはそのことに困惑し、緊張した。私は学問のことしか知らず、人との付き合い方もろくに知らない粗忽者だったからだ。

 しかしエーリス様と触れ合ううち、不敬なことと思いつつも、私も一回り歳の離れた妹ができたように感じるようになった。エーリス様付きの侍女に、そして家庭教師となってからもそれは変わらなかった。


 学術院で得た知識は無駄ではなかった。魔法以外にも私には覚えること、学ぶことがあったし、そして今度はそれをエーリス様にお教えすることができた。手を放せば空の彼方まで飛んでいきそうなほどに腕白だったエーリス様は、八歳になられる頃にはすっかりどこに出しても恥ずかしくない令嬢になられた。

 ギオニス様は私の指導がよかったというが、私はそうは思わなかった。ただ単純に、エーリス様が優秀であられただけのことだろう。それでもエーリス様の身の周りのお世話をし、成長を間近で見させていただくのは、私にとっては生まれて初めてで、しかもこの上ない幸せだった。私はラングハルト家にお仕えして、ようやく、自分で自分の存在を認めることができた気がした。


 誰に望まれ、誰のために生まれてきたのだろう? 自分の中にわだかまっていたその問いへの答えを、私は手に入れられたのだ。



 ◇



「ユリアは、誰かいいなあって思う人はいないの?」


 そんなことを尋ねられたことがあった。大体三年前、エーリス様が十歳、私が二十三歳の頃だったろうか。

 私は質問自体に大した関心を持たず、エーリス様もそのようなことに興味を持たれるお年頃か、という風にしか思わなかった。

 世間では二十も超えればそろそろ「嫁ぎ先がなかったのでは」などと揶揄され始めるものだが、私にそのような願望は皆無だったからだ。


「私にはおりませんね」

「本当に? 今まで誰もいなかったの?」

「はい。誰かと添い遂げようだとか、この方は特別だと思ったことは……」


 特別。特別と言えば、一人だけいる。

 ギオニス様だ。私を拾ってラングハルト家に迎えてくれたあの方は、他の誰とも比べられない特別なお方だと言えよう。


 ただそれは「男性として」という意味ではない。

 私がギオニス様に抱くのは尊敬、感謝の類いであり、お慕いしているとは言っても、決して恋心などではなかった。そのようなおこがましいことが許されるとも思っていなかった。


「私は女らしいところが一つもない女ですので。きっと私がそんな風に思える殿方が現われても、向こうから願い下げでしょうね」

「そんな風に考えたら駄目よ!」


 何を言っているのか、という風に怒られてしまった。どうやらエーリス様がこのような話を振ったのは、恋愛について興味を持ったからではなく、私が一向に男性関係で音沙汰ないために心配なされてのことだったらしい。


 エーリス様は早熟で、優しく、幼くして人を慮ることのできる方だった。その優しさを私は嬉しく、また誇りにも思った──が、それとは関係なく私にいい相手がいないのは紛れもない事実であった。


「ユリアはいつもそうよ。色々なことを知ってるのに、そういうところは抜けているんだから。もっと自分のことを考えて」

「私はエーリス様にお仕えすることが第一ですので」

「そう言って誰とも結婚しないつもりなの? ずっと私の侍女でいるの?」

「できることなら、そうさせていただきたいと思っております」

「だからそれじゃ駄目よ!」


 また怒られたのだった。私は何が何やらという目で見ると、エーリス様は困ったような顔で言う。


「私のせいでユリアがいつまでも独りだなんて嫌よ。ユリアにも幸せになってほしいのに。素敵な旦那様を見付けて、子供を作って……そういうのって、一度は夢見たりするものじゃないの?」

「どうでしょう。私の場合は特に、そのようなことは……」

「それだけが幸せっていうことじゃないとも思うけど、でも、初めから『こうじゃない』って目を逸らしてしまうのも何か違う気がするわ」

「それは……」


 エーリス様は色々なところで私よりも成熟していた。物覚えがよく、決して世界が自由と理想と正義だけで作られているわけではないことも理解し、それを飲み込む器の広さも持ち合わせていた──当然、政略結婚のことも。

 時には自分の意志を殺して、家のために望まぬ相手と結ばれることも貴族には求められる。いや、こと貴族の婚姻というものに限っては、そうであることの方がほとんどだ。

 たとえギオニス様がいかに優しい方であっても、ラングハルト公爵家にも自由な縁談というものはない。むしろ、王族の血筋に連なるにも関わらず王国において微妙な立場であるラングハルト家は、自ずから積極的にそのカードを使い、身を守らなければならない。後継ぎが自分しかいないことから、エーリス様は一層そのことを意識し、覚悟されていたことだろう。


 だからかもしれない。

 自分では叶わないような自由な恋愛を、本当に心から愛せる人と結ばれることを、私にしてほしいと。エーリス様はそのように考えてくださったのだろう。


「私はまだ子供だから、他にどういう幸せがあるのかわからない」


 エーリス様はそう言って、一息吐いてから続けた。


「でも、ユリアは私にとってお姉さんみたいなものだもの。お姉さんには幸せになってもらいたいし、そんな姿を見てみたいの。だから、ユリアもそういうことについて考えてみて?」

「……はい。ありがとうございます」


 結婚。夫婦。伴侶。エーリス様とギオニス様にお仕えして七年経つが、そんなものについて考え出したのは、その時が初めてだった。

 そしてその時でさえも、私は「それがお嬢様のお望みならば」という風に考えていた。お気遣いに報いようという意図で考え出したのだ。それがエーリス様の願うところではないと、どこかで気付きつつも。


 ただ……嬉しかったのは確かだ。私を姉のように思ってくれていることも、私の幸せを考えてくれていることも。


 ラングハルト公爵夫人、奥様は早逝されており、エーリス様には物心ついた頃からギオニス様しかおられなかった。私が多少なりと家族の穴埋めをできたというなら、これに勝る光栄はない。

 できることなら……そう、もし私が誰かに見初められ、私もその方を愛して、その方の子を産んだ生なら……エーリス様に、我が子を抱いてほしいと思う。

 それはどれだけ幸せなことなのだろうか? 私がそのようなものを欲していいものだろうか? 興味は尽きない……そして、恐怖も。


 私は誰に望まれて産まれてきたのだろう? 私の両親の間に愛はあったのだろうか? 私はそれを受け継いでいるのだろうか? 


 ──私は誰かを愛せるのか? 


 今となっては答えの出ない疑問。それでも向き合わなければならない。誠実でなければならない。見据えて、信じるしかない。

 私がそれを……「愛」というものを真に理解できるまで。そこを超えなければ、私はまだ、きっと、進めないのだろう。


 ……そうして、結局相手が見付からないまま、三年が経ってしまったのだが。



 ◇



 ……何だろう。夢を見ていた気がする。

 幼いころの記憶。暗い記憶。揺らぐ記憶。確かな記憶。

 全てが私を形作り、私の命以上にそれは私だ。


 ……熱い。何だろう。胸が、腕が。

 ああ、そうだ。思い出した。私は今、酷く弱っている。衰弱した身体に引き摺られて、心も闇の奥底に沈もうとしている。


 それは、そうなった甲斐はあったのだろうか?

 わからない。何も見えない、考えられない、これ以上。

 答えはなく、果てもない。いつぞや歩いた、暗い路地のように。


 でもあの時とは違う……そうだ、違う。

 私は最も大事なものを守った。それだけを守って、抱いて、沈んでいける。私はもう一人でなく、虚ろでもない。もう怖いものもない。


 ……けれど、どうして? 

 声がする。熱が近付いてくる。私を囲み、心と闇を波立たせる。

 まだ何も終わっていない。起き上がって目を開けろ。熱からはそんな意志を感じる。奇妙な形の、揺らぐ螺旋の輝き。荒れ狂う嵐のようでいて、完全な調和のようでもあって。


 私は知らぬ間に、自分を呼ぶ声に手を伸ばしていた。茫漠とした心の荒野、その上に昇るぎらつく太陽。熱と乾きと輝きと、命の光。


 待っている。そう言った。そう聞こえた気がした。

 そうだ。戻らないと。待っている。お待たせしてはならない。そう教育された。常にお傍に控えろと。決して邪魔にならない位置で、しかしいつでもすぐ近くに。忘れてはならない。これは私にとって捨てられない誓い。


 ──エーリス様のところに、戻るんだ。

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