百八話 包囲戦
人間、自分が獲物を追いかけてると思い込んでいる時に一番気が緩むという。多分元々注意散漫な生き物なんだろう。だからこそ不意打ちだとかが成立するわけだ。
が、時たまそういう生来の不用心を克服する人間がいるらしい。訓練というのは人間の感覚を野性動物のそれに近付けるものなのかもしれない。
何が言いたいのかというと、奇襲がバレた。
黒い覆面、コート、そんな格好をした見るからに怪しい連中が数人、そっちこっちの屋根の上にいる。
そんでもって、俺もそいつらと大して変わらないフードを被った外套姿だ。傍から見れば同類と見られてもおかしくはないだろう。
「何だ、貴様……」
一人が短剣を抜きながら威圧的に尋ねてくる。他のも各々身構え、俺にぎらついた視線を送ってくる。実に危険な状況だ。普通はそう見える。
だが、その対応で俺は一つ安心した。
どうやら、俺を知っている奴はいないみたいだ。
剣を抜き、切っ先を屋根瓦に叩き付ける。あからさまに威嚇してみせると、はっきりわかるレベルで連中の警戒度が上がった。
「何のつもりだ?」
一人が尋ねてくる。だが、それが囮なのはわかっている。
もうここにいる人間誰一人、話す気などない。既に始まっている。
口を開いた男の背後で影が揺らめき、銀色の細い輝きが飛来してくる。ナイフだ。いや、クナイか? 剣で弾いてからその形状に気を取られる。
次の瞬間には口を開いた奴が瓦を蹴って迫ってくる。速い。短剣で突き込んでくる。弾きながら退く。『超化』はいつも通り絶好調だが、それでも一瞬反応が遅れるかと思った。
よくできた暗殺者だ。元々一般人の俺じゃ基準とかわからんが、多分こいつらは相当やる部類なんだろう。
……けど、これくらいならデューラー子爵の屋敷で散々殺したからな。
「おらっ!」
「うぐっ……ガッ!?」
強引に剣を払い、がら空きになった胸に籠手の刃を叩き込む。そのまま持ち上げて屋根の下へ投げ捨てた。
「こいつ……!」
他の奴らは動揺しなかった。しても瞬きほどの短い時間だったろう。即座に俺への反撃を始める。
が、近付いて斬りかかってくるようなことはなかった。投げナイフ、吹き矢、全員が飛び道具だ。冷静である。
と、俺の方は落ち着いていられるわけがない。
「危ね……クソァ!」
飛んでくる凶器を弾くのに精一杯だ。剣じゃ間に合わないから『障壁』と籠手をはめた左手で全身を庇う。それだけじゃ堪らず、別の屋根へと飛び移る。
そこに、狙い澄ましたような伏兵がいた。
見えていた敵が全部じゃなかった。当然か。連中の隠れ蓑みたいなコートのせいか、『探知』は役に立っていない。この分じゃ他にどれだけ隠れているかわかったもんじゃない。
まあ、問題はないが。
囮をやるんだから、できるだけ派手な方がいい。隙だって馬鹿みたいに作ってやればいい。囲みたければ好きにしろ。
その上で全部殺せばいい。
銀色の光。伏兵が剣を薙いでくる。
剣で受け止める。姿勢がよくない。押さえられないか。弾き飛ばされる。
音を立てて剣が瓦を叩き、飛んでいく。気にしている暇はない。さらに返しの一撃が来る。勝機とでも思ったか。舐めてるのか。
残念だったな。ずっと身軽になったよ。
「捕まえ……た!」
「ヌッ!?」
斬りかかってくるその手首を掴む。力を込めてへし折る。悲鳴はない。剣も落とさない。さすがによく訓練されている、というところか。
関係ない。掴んだまま空いた右手で顔面を殴る。『超化』は俺の柔いパンチも高速の石弾みたいにしてくれる。それを速射砲のように顔面に叩き込む、叩き込む、叩き込む。三発目で変な音になった。気を失ったのか、こいつの力が抜けた。死んだのかもしれない。
別の連中が何やら投げてくる。避ける時間はない。掴んだ奴を振り回して盾にする。何発か防いだら最終的に放り投げる。避けられたが。
「くっ、何だこいつは!?」
「構うな、囲めぃ!」
屋根を伝って連中が広がる。どこからか新手も登ってきてる。これじゃマズい。背中に目が付いてるわけでもないし『障壁』で防ぐにも全方向からじゃ動けなくなる。というか絶対どこか被弾する。
避けるのは無理だ。かといって逃げたら囮にならない。
じゃあ、避けなければいいか。
「よし」
冷気を集める。両腕、両足、背中に腹。最終的に頭まで。
鱗状の氷片を重ねて『氷鎧』が完成する。
「な……」
「何だこいつは!?」
暗殺者どもが驚いている。動きが止まった。人が突然氷の像みたいになればさすがにそういう反応になるか。
だがそんなんじゃ終わらない。『氷鎧』はただ自分を凍らせるアホな魔法じゃない。機動性も防御力も実証済みだ。
屋根を蹴る。同時に右の籠手部に『氷刀』を創る。そのまま適当な奴に斬りかかった。
「がっ……!?」
避けられた。だが姿勢が崩れて転がった。それを追っ──
「おっ」
背中と肩に何か当たる。振り返るとナイフを投げてくる連中が。
だが投擲されても一向に貫通しない。そりゃそうだ。思い切り斬りかかられても弾いた『氷鎧』だ。こんなの豆鉄砲にもなりゃしない。
と、効果が薄いと見てか、数人が別の得物を取り出し始めた。紐状の何かだ。ていうか紐だ。先に金属の何かが付いている。
あ、鉤爪か。
「動きを止めろッ!」
鉤縄を投げてくる。とんでもない速度だ。『氷鎧』が重くて避けられない。そのまま装甲に突き刺さる。
危ねえ。中身……というか俺までは届いてない。しかし装甲の隙間に滑り込んで確かに突き刺さってる。
しかも悪いことに、『氷鎧』の自己修復が鉤爪を取り込んでいる。これどうやって取ればいいんだ。全然わかんねえ。これ狙ったとしたら大したもんだ。
鉤爪がまたいくつも飛んでくる。後ろから前から。引き摺り倒されそうになる。膝をついて持ち堪える。それだけじゃ耐えられないから両手もつく。
好機と見たか、一人が突っ込んでくる。わざわざ真正面から。剣を引いて突き込む姿勢だ。切っ先の向きから見て俺の首か頭狙いか。
だが問題なし。避けられないが、避ける必要もない。
「ぬぅうぅっ!!」
「なっ、にっ!?」
全身で鉤縄を引っ張る。足下の瓦が砕けた。拘束が緩む。腕も引く。重い。さすがに何人も引き摺るとなるとこうなるか。だがこれだけ動けば充分だ。
剣が迫る。その切っ先に拳を添え、突きを逸らす。と同時に、逆の拳を突き込んだ。
「うぐぁッ……バッ!?」
ドバン、という音とともに、氷の兜に鮮血がぶち撒けられる。俺に刺突をかましてきた野郎の吐いた血だ。
腹に拳を叩き込むと同時に、籠手の部分の氷を『雹撃』にして炸裂させた。そのせいだ。腹に風穴を空けられれば血も吐きたくなるだろうな。
殺した奴は捨て置く。それよりはこの包囲と鉤縄だ。
「おらぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「うおっ、あっ、あぁぁっ!」
「くそっ、押さえられ……おあぁぁっ!?」
縄を掴み、両足で踏ん張る。『超化』をさらに強め、回転しながら拘束を引っ張った。俺に縄を引っ掛けてる奴らをまとめて振り回す。
とにかく暴れろ。騒げ。何だっていい。それが今の俺の仕事だ。
どこまでやればいいかわからないが、とりあえず全員殺すつもりでやろう。
◇
……全員死んだのだろうか。
どれだけの時間戦っていたのかわからないが、俺の周りにはもう立っている人間はいなくなっていた。新しく追加される敵もいない。全員とどめを刺したうえで落としたか、そうでなきゃ屋根の上で転がっている。
いや、散らばっていると言った方が正しいか? 『雹撃』を何発も構わずブチかましたせいで、腕が飛ぶわ頭が飛ぶわ酷い有り様だった。遠距離から撃とうとすると当たらないからって近付いて撃ち込みまくったのが、より一層惨状を作るのにしてしまった。
覚えてるので七人か。大体把握できたのとほぼ同じ人数だが、だからといってきっちり全員始末できたか確証はない。
なので、聞いてみることにした。
「あんたの仲間は何人だった?」
「……」
だんまりを決め込んでいるのは、俺の足の下でうつ伏せになってる黒コートの生き残りだ。右腕と左足が潰れている。生かしといたのは尋問のため……というと嘘になる。殺すつもりでやったのが一人やりそびれたのだ。なので情報源になってもらった。
……なってもらいたかったのだが。
「誰に雇われてる?」
「……」
「何が目的だ?」
「……」
だんまりである。なしのつぶてである。罵倒の一つも飛んできやしない。
いや、そりゃ暗殺者みたいなのにそんなペラペラされても困るっちゃ困るのだが。困るだろう。雇い主とかが。
うっかり何漏らすかわかったものじゃないっていうなら、罵倒だって飲み込むはずだ。というか無力化された時点で自害しててもおかしくない。
自害。そうだ。こういう時って奥歯とかに毒仕込んでたりするもんじゃないのか? いや適当な知識だけど。というか印象か。
だったら『読心』でも使うか。使った相手の頭を壊して残骸から記憶を読み取るような、あの『読心』と呼ぶのもおこがましい拷問魔法だ。死んでもいい相手だからまあ、いいか。練習だ。どうせこういう時でしか役に立たない。
人の命を随分軽く扱うようになった。そんな自分にちょっと寒気を覚え、それでもこれは必要なことなんだと自分に言い聞かせながら、俺は魔力を暗殺者の頭に送り込んだ。
びくん、と俺の足の下で暗殺者の身体が震え、仰け反る。頭の中を質問が駆け巡り、答えを引き摺り出そうとしている。
弾けそうになったところで弱める。生き永らえさせ、かつ情報を引き出す。一息に壊してしまわないように、この上なく慎重に魔力を繰る。
……人数は八人。これで全部。目的は伯爵の身辺調査。場合によっては拘束と尋問、最悪殺害も。さらにはエーリスの追跡……これには別働班が?
これはマズいか? そうだ、裏についてる人間は──
と、そこで暗殺者が血を噴いた。耐え切れなかったか。
血溜まりにべしゃりと横たわりながら痙攣するそいつを見下ろし、感慨なく『読心』の手応えを確かめる。まだ殺さず情報を引き出すのは無理そうだ。とにかく精神に作用する魔法は制御が難しくて……
いや、それは後回しだ。今気にするのは別働班のことだろう。
まさかシオン達が直接狙われて……いや、居場所が割れてるなら真っ先にそちらから狙うだろう。俺なら最終目標を違えない。
確かめてみるべきか。シオンと『思念話』を試みる。
……何だ。どうして何も反応がない。
シオンはいつだって俺の呼び掛けに応える。寝てても『思念話』なら反応がある。それくらい敏感な感覚を持っている。
それが応じないとなると……何か嫌な予感が──
『……セイタ!? 聞こえる!?』
「うおっ」
突然思考をぶった切って割り込んできたのは、キリカの声だった。あの通信器を使ったのだろう。
「キリカか? どうした?」
『セイタ!? そっちは大丈夫!?』
「大丈夫だ。それより慌ててどうした?」
『ああ、こっちはその……色々大変なのよ! 早く来て!』
「落ち着け。色々って、具体的に何が……」
『追手よ! 追い返したけど、ユリアさんがお嬢さんを庇って刺された! それに毒か何か塗ってあったみたいで……とにかく大変なの! 早く来て!』
……ユリアさんが怪我? 毒?
襲われたのか? やっぱり向こうも? 大丈夫なのか? 他に怪我人は?
わからない。話だけじゃわからない。確かめなければ。早く。一刻も早く。
キリカの慌てた声を聞き、うなじにじりっとしたものを感じながら、俺はとにかく走り出すことにした。