百五話 火と鉄
さてお次は何だと考えるより早く、伯爵からの次の指令が来た。というか、屋敷へのご招待だ。
昨日の拉致から一日と経っていない、昼飯時のことだ。またジュネアとペイトがやってきて、俺達に伯爵からの伝言を伝えた。
「公女殿下とセイタ様に、セミール子爵への詰問にお立会い願いたいとのことです」
「? 二人だけ……ですか?」
「特にそのような指定は伝え聞いておりません。ただ、お二方にはできるだけ受けていただきたいと」
どういう意図があるのかわからないが、あの伯爵だしろくな考えではない気がする。とはいえこちらはあちらに頼っている立場上、下手に断るわけにもいかない。変なところで機嫌を損ねられても困るのだ。
というわけで、言う通り俺とエーリスだけでペイトについていくこととなった。ユリアさんも従者という立場上ついていきたがったが、意外なことにエーリスがこれを拒んだ。なおジュネアは昨日と同様こちらでシオン達の護衛に回るらしい。
「いいんですか?」
「はい。伯爵にも何かの意図があっての指名なのだと思います」
「俺とお嬢様が、ね……」
実のところ他の人間を覚えてないんじゃないのかとか思ったが、当然言わない。ただでさえ冷ややかなジュネアとペイトの目が怖い。
何か釈然としないまま、ペイトを加えた三人で宿を出た。雨は止んだが、空を覆う灰色の雲はまだ厚かった。
◇
「さる神話によれば、神はまず人に火を与え、次に鉄を与えたという」
伯爵が講釈を垂れながら、赤熱した鉄の棒を掲げて見せた。薄暗い石造りの地下室がそれによりぼんやりと照らされる。
浮かび上がったのは、地下室の中央に座らされた、というか拘束されたセミール子爵の脂ぎった顔である。汚れ、疲弊し、実年齢──といっても何歳かなど知ったことではない──より十歳ほど老けたように見えるそいつの前で、伯爵がうっとりと熱した棒を眺める。
「またさる皮肉屋の神学者によれば、神が殺した人の数は悪魔のそれとは比較にならないほど多いという。直接ないし、間接的に……神は人の命を弄び、摘み取ってきたということだな? セミール卿」
「な……何を……何を言ってる……?」
「さあ? 自分でもよくわからないのだよ」
クックッと笑いながら、伯爵は闇の中から現われた人影に熱した鉄棒を渡した。顔を覆面で多い、服に血のような染みを無数に付けた、巨漢である。無理矢理似ているイメージを挙げるとするなら、レザー○ェイスとかジェイ○ンだろうか。顔も見えず声も出さないが、とにかく不気味だ。
「火と鉄だ。これらはおよそ人類の文明の始まりと言えるが、最も多くの命を殺めてきた概念でもある。剣、槍、大砲、火刑、魔法……皮肉なことだな。我々は同族を殺戮するために生まれ、発展してきたのかな?」
「し、知るものか! ドゥナス卿、私を放せ! こ、このような、このようなことをして、どうなるか……!」
「やりたまえ」
「なっ、や、やめっ、あっぎゃぁあああぁぁぁぁぁぁ!!!」
地下室をつんざく悲鳴が轟いた。伯爵の合図と同時に、巨漢がセミールの露わになった太股に焼き鏝めいた棒を押し付けたからだ。
俺は伯爵の後方で、目を逸らすエーリスを背中に隠しながら、その光景を眺めていた。本当は見たくなかったが、体面的にそうする必要がある気がした。
「いかがかな?」
伯爵はショーを見せる支配人のように、俺達にそう言ってのけた。当然、返す言葉などありはしない。
「……俺に言ってるんですかね」
「まあ、そうだな。公女殿下からは既に答えを窺っているようなものだし」
「つっても……」
「フッフ、まあ率直に言ってくれて構わない。忌憚のない意見を聞いてみたいものでね」
そう言われれば、言いようもあるというものだ。
というか、この状況を指す言葉はぶっちゃけ一つしかない。
「悪趣味」
俺が嫌悪混じりに吐き捨てると、伯爵は怒りも失望もなく、相も変わらず嬉しそうに数度軽く拍手した。
「ああ、そういうのを聞きたかった。この頃は立場が災いしてね、いかに傍若無人を演じようとも、面と向かって詰ってくれる人間がいないのだよ」
「……嬉しそうっすね。悪口のつもりで言ったんスけど」
「嬉しい、という点は否定はしないよ。悪言であることも承知だ。一切含めての感想さ。時と場合によるが、率直なのは概ね美徳だからねぇ」
そんなことまで言い出す始末だ。自覚しているだけ、ただ悪趣味なだけよりよっぽど性質が悪いと思った。
裏ではセミールの拷問が続いている。悲鳴も肉を焼く音もひっきりなしだ。室内の炉に鉄棒を突っ込んだり出したりを淡々と繰り返す拷問役の男が、あまりに冷静で機械に見えるくらいだった。酷い場所だ、ここは。
「……それで、こんな悪趣味なものをお嬢様と俺に見せる必要がどこに?」
俺が渋い顔で問うと、伯爵は「ふむ」とわざとらしく顎を撫でた。
「理由はいくつかあるが……主なものは、この件が曲がりなりにも『公女殿下の主導である』という体裁を繕うためかな」
「体……裁?」
聞き返したのはエーリスだ。俺の背後から一歩出て、拷問を見ないように、伯爵を見上げる。
「そう。私はあくまで協力しているに過ぎない。糸を引くのは公女殿下だ。実際の動きはどうあれ、そうしておかないと後々変な力が動いたり……困ったことになりそうだからねぇ?」
伯爵曰く。
これが、そしてこれからすることが伯爵の一存で行われたとなれば、事態の趨勢はどうあれ王国の権力バランスに歪みが生じる可能性が高いという。
これからすることというのは、要するに主戦派貴族勢力の転覆ないし弱体化である。これは下手すると国内の穏健派の隆盛に繋がり、さらには伯爵の穏健派への組み込みにも繋がってしまう。
伯爵自身はそんなことには興味がない。なので間にエーリスを挟んでワンクッション置くということらしい。あくまで協力に過ぎないというポーズ──実際そうなのだが──を取って、勧誘を封殺するということだ。
「あとは、共犯という体裁を整える意図もあるかな。いくら公爵を殺めた一派とはいえ、同じ国の貴族に独断でこんな真似をしては、さすがの私もただで済まないからね。『政治的紛争』ということで後の責任は有耶無耶にさせてもらうよ」
酷い言い草だ。要するにエーリスをデコイにするため、ここに呼び寄せ拷問を見せたというわけである。
ただ、悪趣味なのには違いはないが、わからないでもない。
これは父親を殺されたエーリスの、主戦派への報復、制裁、反撃である。そうである必要がある。主戦派を徹底的に叩き潰して恐怖を植え付け、下手な復讐など考えられなくする必要があるからだ。
今のエーリスは酷く立場が弱い。抵抗などできる状況ではなく、だからこそ主戦派は好き勝手彼女を追い回していられる。こんな現状をどうにかするには、強引な手段を使ってでも一度痛い目を見せなければならない……のかもしれない。
悪趣味なくらいで丁度いい。怖がられて敬遠されるくらいじゃないと、もうエーリスは安心に暮らせないだろうから。
「それともう一つ。実際に公女殿下が、彼と直に話してみたいのではと思ってね」
「え?」
疑問符を浮かべるエーリスに、伯爵がスッとセミールを示す。
「下手人の口から、直接その真意を聞く。当事者としては当然の権利だと思うが?」
「それは……そうかもしれませんが」
「よもや興味がないとは?」
「……そのようなことはありません」
ぎっと奥歯を噛み締めるエーリス。その裏でどうしたものかと手をこまねく。
確かに、何もかも曖昧なまま追われるというのは我慢ならないことだろう。大本の原因が彼女の父親の立場だとはわかっていても、実際当人達からこのようなことに至った本心を聞きたいというのは当然の気持ちだ。
しかし、エーリスとセミールは憎み合うべき相手である。
そんな二人を面と向かわせて大丈夫なのか? という気持ちもある。ぶっちゃけ精神衛生上よくないと思う。ユリアさんがいれば反対していたと思う。
けどここにいる目付け役は俺だけだ。
「……お願いします。私に、セミール卿に質問する機会を」
伯爵は当然のように快諾し、俺は何も言えなかった。
エーリスを止める権利など、俺にあろうはずもなかった。
◇
「よろしいでしょうか」
剛毅なことに、拷問官に一切の躊躇いなく声をかけるエーリス。
拷問官はペンチらしきものを握ったまま振り返ると、エーリスの姿を認め、畏まって身を引いた。異様ながらシュールな光景だ。やってることはアレだが中身はちゃんとした人間であるらしい。
エーリスがセミールに近付く。後ろから強張っているのがわかる。
当然か。セミールはズボンごと腿をあらかた焼かれて憔悴し切った酷い有り様である。肉の焼ける臭いも部屋の構造上ろくに逃げていかないからたまったものではない。
俺だって数えるほどしか人間を焼いたことないんだから、エーリスとしては吐きたくもなる状況だろう。よく耐えているものだ。
「始めまして、と言うべきでしょうか。セミール子爵」
「あ……あ……?」
くたびれて震える声を上げながら、ぐったりとセミールがエーリスを見上げる。とりあえずいきなり喚き出す感じはない。警戒をわずかに緩める。
「はあ、は……お、お前は、ラングハルトの……」
「私をご存知で」
セミールは鼻水と涙で顔を、嗚咽と咳音で声をぐしゃぐしゃにしながら言葉を紡ぐ。対するエーリスは驚くほど冷静だ。声に抑揚がない。
「何故……どうして、わら、私が、こんな……」
「その理由は、君自身が重々承知じゃないのかねぇ」
颯爽と乱入してくるドゥナス伯爵。爽やかな笑みが状況と酷くミスマッチだ。
「公女殿下は知りたがっている。君自身の口から語ってほしいと願っている。だ、か、ら……答えたまえよ、彼女の問いに、さぁ……」
促され、困惑しつつも、エーリスは頷く。
そして、セミールに問う。
「……何故、父を殺したのですか。私をここまで追うのですか。父が主戦派の方々と相対する立場だったのは理解しています。ですがどうして、どんな理由があってこんな、こんなことまで……」
問われたセミールは唇を震わせ、視線を惑わせ明らかに回答を躊躇していた。恐怖と苦痛で完全に壊れたというわけではなさそうだが、何かしら秘匿しようという感じが窺えて多少不愉快でもある。
と思ってたら、伯爵が指をパチンと鳴らして拷問官を呼び寄せた。呼ばれた拷問官はどこから取り出したのか釘と金鎚を両手に持っており、それを見たセミールが情けない悲鳴を上げながら叫んだ。
「答える! 答えるから、拷問はもうやめてくれぇぇ!!」
見た目は正直だ。ヘタレっぽい印象通り、セミールに拷問を耐えるような気概はないらしかった。