九話 侵入者
『隠蔽』という魔法がある。
簡単に説明するなら感知の困難な魔力で全身を覆い、気配を薄め纏う魔力を隠す魔法だ。より強力な魔導師が使えば、気配だけでなく音、臭いまでも遮断し、視界に入っても意識の外に追いやることすら可能な魔法でもある。
生憎俺はまだ魔法が大して上手くはないが、それでも見られなきゃバレない程度に強力な『隠蔽』を使うことができる。
なので、折角使えるのだから有効に使おうと思う。
「簡単なことだ。俺が適当な貴族を襲って聞き出してくる。今夜中にな。上手くいったら明日には殴り込みに行く。攫われた奴らを取り返す。で、とっとととんぼ返りだ。手っ取り早く済む」
「それは……少し強引に過ぎるぞ」
「バレなきゃいいのよ、バレなきゃスマート」
強引で無謀なのはわかっている。だが、力技でどうにかできる自信はあった。
というか、これくらいやらないと駄目だ。でなきゃ、きっとマリウルの言う「手遅れ」な事態となる。
「いざとなれば俺が全部やったことにしちまえばいいんだよ。というか、そうした方がお互いにとっていいな。俺は一人で逃げればいいし、そっちに迷惑もかからない。後味悪くならないで済むってわけだ」
まあそうなっても、ルウィンだけは助けておくつもりだけど。
「……いくらお前でも、自信過剰ではないか?」
「そうは思わない。ヒトなんかより獣の方がよっぽど手強いと思うね」
とにかくまどろっこしいのが嫌なのだ。それで間に合わなければ元も子もない。
マリウルは俺の提案に渋い顔をしていたが、やがて溜め息とともに頷く。
「……その案に乗ろう。確かに、お前の言うことにも理はある」
「よし。じゃあ早速行ってくるぜ」
と、『転移』の準備を始める俺にマリウルが「待て」と一言。
「私も行かせてくれ。さすがにお前一人にやらせるのは忍びない」
「心配か?」
「ああ、色々な意味でな」
どうしたものかと思ったが、別に問題はないかと思う。
『隠蔽』は俺一人を隠すためだけのものではない。元々、小型かつ特殊な『結界』を張るような魔法なのだ。それを広げてやればマリウルも見付からずに済むだろう。何かあった時に助けが必要になるかもしれない。
足手纏いになるという心配は、まあ、マリウルだから要らないだろう。
「よし、じゃあ今日は徹夜だな」
仲間の一人に事情を伝え、俺とマリウルは並んで『転移』の陣に入った。
眠くないといえば嘘になるが、仕方ない。寝るのは帰って来てからだ。
◇
『転移』で廃墟に出て、そこから狭い裏路地を通り、暗い大通りに出る。
月明かりはあるが、町はやはり暗く寒々しい。見たところ衛兵の巡回はないようだったが、あまり油断もできない。俺は『探知』の魔法を用いることにした。
「動いてる気配は……あるけど」
正直、使い物にはならないと判断した。『探知』の範囲内に人が多過ぎるためだ。これでは反応が反響し合って、個々の精確な位置を掴むことができない。
ただ、この効果範囲を狭めればある程度は精確な索敵が可能だと思われる。感覚的にはおよそ半径二十メートル程度か。最大範囲からすれば本当に雀の涙でしかない範囲だが、正直こちらの方が街中では有用だと感じた。
「まあ、隠れる場所はたくさんあるからな。問題ないだろ」
俺はそう言ってマリウルの賛同を得て、大通りを南下して行った。
しばらく歩き、成金が住んでいそうな建物を探した。と、南の一地区に差しかかった辺りで、お目当ての屋敷を発見する。
大して大きくはない。だが、周りと比べればそれこそ雲泥の差だ。小さいながら庭と門があることからも、そこの住人が金を持っていそうなことは明白だった。
そして、多分趣味が悪い。奴隷とか飼ってそう。そんな気がした。
まったくもって俺の身勝手な想像ではあるけれど。
「ここにしようか」
「ぬう……だが、どう入る?」
「そうさな」
煙突から入るという悪い冗談も考えたが、季節が季節だし普通に使っていることも考えられた。これはなしだ。
となれば玄関か、窓か、裏口か。まあ、穏便に行くなら裏口だろうな。
「裏口を探してみよう」
俺達は見張りのいない門を飛び越え、庭を回り、そしてそれらしき裏口の戸を発見した。
鉄でできた頑丈そうな扉だった。鍵がかかってぴくりとも動く気配がない。正直、使っているのかどうかも怪しい気がした。
だが、あまり問題はないか。
「『念動』で鍵を開けてみる」
俺は言うなり、両手に魔力を集中させ、さらにそれを扉を透過させて内側に潜らせた。
そこから、タンブラー錠に魔力を注ぎ込む。糸より細くなった魔力が錠の中で蠢き、カチカチと音を立てる。魔法式ピッキングだ。
「でもこれよくわかんねーな、俺泥棒じゃないし……」
仕方なく、『精神操作』を併用して頭の回転を早め、鍵の構造を理解しようと努めた。結果、よくわからなかったが鍵を開けることには成功した。平和的だ。
「怖ろしい魔法を使うものだな」
「そうだなあ。でも面倒臭いし気分的にアレだから、あんまり使わないようにする」
はっきり言って、こんな状況でなければ扉なり壁を壊したりした方が早いのだ。俺は頭が悪いから、そういう単純な解決法につい心惹かれてしまう。
今は非常時だ。だから仕方がない
「つーわけで、行くか」
◇
一階の厨房から、絨毯の敷かれた廊下へ進む。
さすがに屋敷の中には衛兵がいた。が、そう数も多くはなさそうだ。高精度の『探知』で探ってみるものの、巡回している奴はいない。
さてお目当ての家主はどこかというと、どうにも二階の隅の部屋が怪しい。確証はないが、何やら同じ部屋から二人分の反応を感じる。
ついでに言うと、数十メートルまで『探知』の範囲を絞ったことで、建物の構造をもマッピングすることが可能になっていた。なんというか、エコーロケーションみたいだな。これでここの間取りは俺に筒抜けということだ。泥棒に入りたい放題だ。
……魔王としてはどうにもスケールのみみっちい話だが、まあいいか。
「……階段の前に一人いるな。どうするか」
俺はマリウルに振り返り、小声で相談する。
「さすがの『隠蔽』でも、俺程度じゃ目は誤魔化せないな」
「静かに、荒っぽくいくか。それか、何か使える魔法は?」
「ちょっと待ってくれ……」
俺は考え、いくつか候補を上げる。
まず、『精神操作』を遠隔から使うという案。だがこれは却下だ。
俺は自分にはともかく、他人に対して完璧な形で『精神操作』を使うことができない。下手をすれば心を壊してしまう可能性がある。そうなれば騒ぎになることは必定、ここはやり過ごせたとして以後動き辛くなってしまう。
何より離れた距離から、というのがネックだ。『氷矢』を一発飛ばすのとはわけが違う。精神に干渉するような魔法は、大量の魔力を絶えず対象に流しつつ、精密に扱う必要があるのだ。今使えるものではない。
となれば、素手で眠ってもらうしかない。
シンプルにいこう。隙を作って、それを突く。これだ。
俺は手元で魔力を集め、それを風に変化させる。圧縮された渦を巻く空気の塊、『旋風』だ。魔力を込めれば人肌をも切り裂く真空波を作り出すが、今のこの風の塊は小指の爪ほどしかない。
それを、壁に隠れながら衛兵の目に向け、放つ。
「ぬぐっ!? なっ、目が……」
小さな呻き声が聞こえると同時に、俺は壁から躍り出て、目を押さえる衛兵の懐へと迫った。『隠蔽』と『超化』を使っている。見えていなければそよ風が吹いた程度にしか思えなかっただろう。
そんな風に影のない俺が、衛兵の首を後ろから絞め上げる。
「むグッ……!」
『超化』で俺の腕力は人の域を超えていた。衛兵に剥がせるはずもない。それ以前に既に、気道と動脈を塞ぎ、意識を奪っていた。
力を失い昏倒する衛兵の身体を階段の脇の隅に隠しつつ、一応『治癒』をかけておく。もしかしたら首を折っていたかもしれないし、こうして暴行の跡を消しておけば後で覚えていたことを証言されても、証拠がないからと相手にされないと思ったからだ。
これ、いいな。家主にもこの手でいこう。
「よし、いいぞ」
俺はぽかんとしているマリウルを手招きし、階段を昇り二階へ。
その先に立っていた衛兵にも、同じ方法で落ちてもらうことにしたのだった。
◇
家主のものと思しき部屋の前まで来た。実に緩いステルスゲーだった。
そこにも立っていた見張りをワンパターン気味に排除し、マリウルとともに扉の前に立つ。
「……なんか、音聞こえない?」
「……ああ、衣擦れの音とかするな」
ぬう……何かとても嫌な予感がする。
嫌というか、気まずいというか……そもそも『探知』の反応が二つ重なってる時点でかなりお察しなんだが……
まあ、仕方がない。間が悪いということだ、こういうこともある……
「あー、よし、じゃあ俺が鍵を開けるから……合図したら突入な。で、左にベッドがある。二人いるから、騒がないように一人を締め上げてくれ。俺はもう一人をやる」
「……気は進まないが、同胞のためだと割り切ろう」
「そういうことにしといてくれ。全部俺の責任ってことでさ」
実際、こんなことに巻き込んで本気で申し訳なく思っている。
思っているが、そうだ。やはり致し方ないことだ。
大事の前の小事である。別に人を殺しに来たわけじゃないんだ。罪は軽い。ないわけではないのが悲しいが……
「よし……三で行くぞ。一……二……三!」
小さな声ながらもはっきりと、俺はフードを被ったマリウルに合図。
同時に、鍵を開けていた扉を蹴り開け、マリウルを先に行かせる。
暗い部屋の中、ベッドの上で二つの影が震えた気がしたが、気にしない。俺も部屋に入り、扉を後ろ手で鍵まで閉めてやる。
マリウルがベッドに突進、一人を──妙齢の茶髪の女性だ──シーツごと引き剥がし、その口を塞ぐ。
俺はその反対側から、もう一人──こちらは中年の男性だ──の首に腕をかけながら、床に引き倒す。
声は上げられていない。成功だ。それはいい。いいのだが……
「……はぁぁぁ……」
制圧した二人が想像通りに全裸であったのに対し、俺は盛大な溜め息を吐くのであった。
◇
「誠に申し訳ないとは思っている。こんなつもりはなかったんだ、本当に」
「……」
「運が悪いと思ってくれ。本当、こんなデバガメするつもりなんてなかった」
「……」
全裸で床にうつ伏せに転がした家主の男。それを上から制圧しつつ、弁解を続ける俺。非情に奇妙な光景だっただろう。マリウルもきっと呆れている。顔を見られないように被ったフードの下で、俺を嘲笑っている。俺の被害妄想ならいいが。
「……何が目的だ、賊め……!」
恐怖を覚えつつも敵愾心に満ちた声で、男が問う。
賊か。なんか心外……というほどでもないな。
まあそうだな。夜に貴族の屋敷に忍び込んで、衛兵を無力化し、当主がメイドと致しているところを襲撃なんざ、犯罪者以外の何物でもない。何も言い訳できん。
だがまあ、賊や犯罪者で済めば安いもんよ。
何度でも言うが、俺は魔王なのだからな。
「金か、私の命か?」
「どっちでもないな。ちょっと聞きたいことがあって、それにしゃっきり答えてくれたらすぐ帰るよ。他には、命も金も何も要らない」
「信じられるか、そんなことが!」
「おい大声はやめろ」
と、男の頭を床に押し付け、間近で見えるように魔力を発現させてやる。そのことに男も驚いていたが、それ以上にマリウルが拘束していたメイドが動揺し、マリウルに纏わされていたシーツを引き剥がして走り寄ろうとする。
「動くな! 騒ぐな! おい、あんたからもあの人に言ってやってくれ。俺はこれ以上危害を加える気はないんだっつーの」
「だから信じられないと言っている……! この下郎め……!」
その言葉に、また溜め息が零れる。
困った。もう少し簡単にいくと思っていたのだが、どうも舐め過ぎていたらしい。
予定では「震えている小太りの貴族をちょっと脅してペラペラ話してもらう」というものだったのだが、部屋の中にいたのはそこそこ肝の据わったナイスミドルであった。これは困る。何が一番困るかって、あまり悪役面したくない俺がどんどん悪っぽくなっていくのが気が引けて、尋問を徹底できないことだ。
さてどうしたものか、とマリウルと一度目を合わせる。
……と、そこで、俺の目にあるものが入った。
「あれ……」
それは、マリウルに抗おうとして露わになったメイドの右腕だ。
そこには、奇妙な形状の焼き印が入っていたのだった。
「おい、ちょっと聞きたいんだけど、あの人はあんたの奴隷か」
「な、に?」
「奴隷なのか? あの人は」
純粋で唐突な質問が功を奏したのか、呆気に取られるナイスミドルは思わず「あ、ああ」と答えてくれた。
ありがたい。偶然だが、これで取っ掛かりができた。
「そうか、奴隷か……彼女を買ったのはこの町で? それとも別の場所で?」
「こ、この町だ……それが何だというのだ?」
「んにゃあ……ちょっとね」
マリウルと再度目配せ。フードの奥で緑色の瞳が強く光った……気がした。
俺はまた男の上から尋ねた。
「じゃあ、聞きたいんだけど……この町の奴隷商について、知っているかな?」
◇
結論から言おう。
今回の襲撃は無茶もあったが成功だった。
戦いにしろ会話にしろ、主導権は握るに尽きる。隙を突いて先手を取り、相手を後手に回して対応し続けるを得ない状況にさせるのだ。そもそもが有利な状況下であれば、ゴリ押しで大抵何とかなる。
そうして、俺はルーベンシュナウの奴隷商について聞き出したのだった。
「彼らは王国でも有数の、息の長い奴隷商会だ。各地に資金と人手、拠点と商品を持ち、顧客も多い。ヴァイレーンやシュタインバルトにまで手を広げていると言われている」
ヴァイレーンとシュタインバルトは、それぞれここエーレンブラント王国の東と西に存在する国だ。ついでに言うならこの三国は魔王領と接する大国で、人類同盟軍の母体である国々でもある。
「なる、中々組織としてデカそうだな。ということは保全体制もバッチリで、商品の扱いは丁寧、一見様にはお断りとか、そういう感じか?」
「そこまでは細かく知らん。が、大方それで間違ってはいないだろう」
ふむ、と一瞬逡巡。一瞬だが、結構な熟考ではあったはずだ。
「じゃあその、次の質問。仮にあんたがルウィン族の奴隷を買うとしたら、どれだけの金額を払うことになる?」
「何?」
「たとえばの話だ。できるだけ高値でな。いくら?」
男は数秒計算するように考え、それからやや困惑気味に答える。
「……女なら金貨八百、いや千枚になろうか。私は興味ないから、詳しくはわからんがな……」
金貨千枚。まあ聞いただけでも凄まじい金額だが、具体的にいくらかとなると、もっと凄まじいことになる。
まず、金貨は銀貨十枚と同価値。
そして銀貨は銅貨十枚と同価値。
つまり銅貨が百枚で金貨が一枚だな。元の世界の過去ではどんなレートだったか俺は知らないので比較しようがないが、まあ十で繰り上げってわかりやすいのでよしとしよう。
では、銅貨がいくらぐらいの価値があるのか。
ルーベンシュナウに入った時に入市税として銅貨五枚を支払った。その後串焼きをただでもらったが、あれはどうやら一本銅貨一枚だったらしい。加えて、店で売っていたパンは三個から五個で銅貨一枚、エールは一杯で銅貨二枚、ワインなら四枚、パイのような菓子は一つ銅貨三枚という具合だった。
大体、銅貨一枚で日本円にして百円というところだろうか。物価や相場がわからないので厳密に求めるのは無理だろうが、それくらいの認識でいいだろう。
となると、銀貨は一枚で千円、金貨は一枚で一万円ということになる。
それが千枚。つまり一千万円だ。
一千万円! まるで車か何かの値段だ。人間、いやルウィンとはいえ奴隷にそれだけの値段が付くとは、正直仰天ものである。
そこまでくると俺の下で寝そべる下級貴族のおいちゃん程度ではどうにもならない値段らしい。まあ、下級貴族だしな。精々が中間管理職のようなもので、元の世界に例えれば会社の課長とか部長とか、そんな感じだろうか。丁度年収一千万といったところだ。
年収をそのまま奴隷に注ぎ込んだとあれば、そりゃあ家は傾くだろうな。この世界の貴族、現代日本みたいにあまりセコセコ貯蓄したりしてないだろうし。
ていうか、そんな奴隷誰が買えるんだ?
「侯爵や辺境伯ならば、手が届くかもしれんな。この町には当然いないが……」
なるほど。詳しい説明、どうもありがとう。
となると、まあ予想通りではあるが、まずい状況だ。
このままでは攫われたルウィン達は別の町に送られてしまう。そうなるともう探しようがない。全部お終いだ。
いや、最悪もう既に手遅れという可能性も……
何せ、金の生る木が目の前にあるのだ。奴隷商達も足が早くなろうというもの。ならなければ、商人として失格だ。
……急がないといけないな。
「……それで、その奴隷商はどこに行けば会える?」
ヴァイレーンとシュタインバルトという国名が出てきましたが、語感を鑑みて後々変更するかもしれません。




