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目が覚めると、いつの間にか、寝台の上だった。
誰かが運んでくれたらしい。
早速、手を煩わせてしまったと軽く落ち込むも、起き出して部屋を見渡せば、窓の外は橙に染まりかけていた。
「起きていらっしゃいますか?」
しばらくして聞こえたノックに返事をすると、メイドだろう制服姿の長い栗色の髪を結い上げた女の人が顔を見せた。
「初めまして、お嬢様。リナ様のお世話をさせていただく、シュナと申します」
お嬢様!?
驚愕の呼び名に反応できずにいると、シュナは自分に向かってふわりとお辞儀をする。
自分より年上の、しかも綺麗な女の人に傅かれて、リナはいたたまれずにおたおたと手を上げた。
「あ、あの、私、お嬢様じゃありません。リナでいいです」
慌ててそう言うと、シュナは軽く目を見開き、にっこり微笑んだ。
「ですが、若様の大切なお友達でいらっしゃるのでしょう? そうおっしゃっておられましたわ」
友達…といえるのだろうか。
かといって、他にどう説明すればよいのか、すぐには思いつかない。
「ですから、リナ様とお呼びさせていただきますね。
大変な目に遭われたのでしょう? よろしければ湯浴みのお手伝いをさせていただきますが」
「湯浴み…って…」
「お背中を流したり、ご希望であればお肌のお手入れもさせていただきますけど?」
「ひ、一人で大丈夫です…!」
後から聞いた話によると、あまり過剰に構わないよう、シュナはタズークから言い含められていたらしい。
通常なら数人の侍女をつける所をシュナ一人にして、自分の嫌がる事はしないようにと。
貴族の間ではむしろそうするのが当たり前らしい。後から説明され、シュナがそっと引き下がってくれた事に感謝しきりだった。
ではこちらに、と、内側の扉から隣の部屋に案内されれば、そこには浴室が備え付けられてあった。
着替えは用意しておきますので、と、また丁寧にお辞儀をして、彼女は出て行った。
浴室もやはり広かった。
湯を使って外に出ると、ガウンが用意されていた。着てみると少し大きい。
袖を折って、裾を引きずらないように持ち上げていると、シュナがドレスと思しき服を片手に戻ってきた。
「あ、れ?」
辺りを見回せばさっきまで着ていたクリーム色のワンピースが無い。
聞けば、洗濯場に運ばれてしまったらしい。何も持たない自分にソウキがわざわざ買ってきてくれたものなので、シュナに後で部屋にお持ちしますと優しく告げられて安心した。
「あの、それ、私の着替えですか…?」
「ええ、そうです」
そうじゃないかと思っていたが、あっさり肯定されて二の句が出てこない。
女の子なら一度は着てみたいと思える繊細なドレスだったが、何故、普通の服ではなくドレスなのか。
着替えがそれしかないのなら仕方が無いが、困った事に袖が二の腕までしか無い。
大分マシになったとはいえ、痣だらけのこの両腕をさらすのは躊躇われた。
「あの、このお召し物は気に入られませんでした? 別のものをお持ちいたしましょうか?」
どうしよう。
ぐるぐると考えたが、どう言葉にして良いかわからず、すぐには何も言えなかった。
迷った末、リナは黙って、ガウンの袖をめくってみせた。
シュナはそれを見て顔色を変えた後、痛くはありませんか?と、泣きそうな顔で尋ねたが、それ以上の詮索は無かった。
そうして、手首まで隠れる袖の長い、柔らかな緑のドレスを持ってきてくれた。
*****
着替えて元の部屋に戻ると、ソウキとタズークが揃っていた。
「似合ってるじゃん。可愛いよ」
さらりと褒めてくれるのはタズークで、照れの無い真直ぐな言葉をくれる。
タズークさんって、女の人にすごくモテそうかもしれない、なんてちらりと思う。
ドレスなんて今まで見た事も無い。
鏡を見れば、髪を結い上げた見知らぬ少女が見返してくるのを、不思議な心地で眺めた。
ソウキを見ればそれでいいと言う風に頷いてくれた。少なくとも変じゃないのだと、少しほっとする。
そして、二人も衣装を改めていた。
タズークは立襟に仕立てられたかっちりとした黒の上着を着て、腰に帯剣していた。前身ごろを真紅で縁取りされた釦が並んでいる。
家事が出来ないと嘆いていた普段の姿からは想像のできない精悍な騎士姿だった。
ソウキはこちらも裾が膝まである白の長衣を着て、腰に銀灰色の帯を締めている。
左耳に、今までつけていなかった銀の長方形の耳飾をし、艶めいた美人度がさらに上がっていた。
騎士と魔術士の式服だと、タズークは教えてくれた。
「じゃ、準備も整ったし、王に会いに行きますかー」
え?
「今、王…って、言いました?」
聞き間違いかと問えば、何食わぬ顔でタズークが肯定した。
「着いたばかりで疲れてるだろうけど、早く来いってお達しが来てさー。
申し訳ないけど、付き合ってくれる?」
王って、王様の事?
タズークの緊迫感の無い口調に混乱するが、王とは国を統べる頂点に立つ権力者の事ではなかったか。
序列関係はピンとこないものの、一介の子供が会えるような存在ではない事はわかる。
物語の中で出てくる王様も、大抵城に住み、大勢の兵士を従え、平伏されていた筈だ。
そんな簡単に会える事にちょっとびっくりする。
それにしてもと疑問が湧いてくる。
二人は一体どんな立場の人なんだろう。
この屋敷の有様といい、もしかしなくても、物凄く偉い人なんじゃ。
本当に付いてきて良かったのだろうか。
いずれ、職を見つけて働くつもりといえども、それまでここにいても良いのかどうかさえ判断がつかない。
「リナは余計な心配をする必要はありません」
ソウキの素気なくも、こちらを気遣ってくれる言葉に、そっと頷いてみせる。
だけど、本当に何も考えないでいて良いのだろうか、リナはもやもやとするものを感じた。