2-1
着きましたよ、と声をかけられ、目を開くとそこは別世界の都だった。
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最初に思った事は、空が青い、太陽が白い、そんな事。
変わらぬその色合いに少し肩の力が抜けて、けれど、辺りの喧騒が耳に届き始めれば、そこは間違いなく、今まで暮らしていた日本とかけ離れた世界だった。
世界が繋がっていた仄暗い路地の影から手を引かれて大通りに出ると、二人に挟まれるようにして歩く。
電化製品が何処にも見当たらない街並。
剥き出しの商品を並べた露店。
通りを横切っていく馬に引かれた車。
立ち並ぶ建物はくすんだ白や茶色が多く、同じような高さの平たい屋根が密集していて、しばらく似たような景色が続く。
石畳が敷き詰められた街道は見慣れない衣服をまとった人たちで溢れていた。
髪の色も瞳の色も多種多様だったが、どちらかと言えば金髪や茶髪が多く、黒などの暗い髪色の人間はあまり見かけない。
言葉も普通に聞き取れた。聞けば総規が何か術を使ったらしい。いつ何をされたのか、さっぱり心当たりがなかったけれど。
時折、すれ違う男の人の腰に提げられた剣や槍などの武器を目を丸くして見送った。
こちらは日本より圧倒的に物騒だと話に聞いていたけれど、実際に目にするとやはり驚く。
昼間でも先の見えない路地に入っちゃいけない、夜道は一人で歩いたら駄目と、真剣な顔で忠告してくれた輔の顔を思い出す。
やがて、辻になった道の一本が伸びる先に、巨大な宮殿らしき水色の屋根が連なる建物の全体が見えてきた。
この国、サンフォルド王国の王宮だという、その建物のある方向に三人は進んでいた。
「三年振りかぁ。どうやら都の賑わいは変わってないみたいだけど、前より人が増えたか?」
「少なくともまだ滅びてはいないようですね」
「…おいおい、不吉な事を言ってくれるなよ」
二人は砂色の外套を全身にまとっている。
その下にはジーンズとトレーナーを着ていた筈だ。どうみてもこの世界のものではない衣服を隠す為だろう。
梨奈も総規が用意した、全身をすっぽりと覆うようなフード付きの白いローブを着ていた。
「とりあえず、俺の屋敷に行ってみるか。俺たち死んだ事になってんのかなー」
そう考え込むように呟いた輔を見上げると、目が合った。
大丈夫と笑った輔の笑顔は爽やかな一陣の風にも似て、曇った空も晴れ渡るかのようだ。
「梨奈は何にも心配しなくていいからな」
総規にまた頭を撫でられる。癖になったのか、その行為は心地良くて、梨奈も二人に小さく頷き返した。
*****
俺たちこの世界の人間じゃないんだよ。
最初、そう輔が言った時、よくわからなくて首を傾げるばかりだった。
順を追ってわかりやすく説明してくれたのは総規でその内容は驚くべきものだった。
彼らが別の世界から来た事。サンフォルド王国と呼ばれる国に仕えている事。
三年前にとある魔術士が謀略を巡らし、禁術と呼ばれる危険な術を使った。
何十人もの命を犠牲にしたその術は、時空間も歪ませる程の威力を持ち、術者自身の命を奪い去っても尚止まらず、総規含む国中の魔術士が全力で対抗したのだけれど、結果、その余波で輔と二人、この世界に跳ばされる事態に至った。
総規の正式な名前は、ソウキ・イーザといい、輔はタズーク・コーマというらしい。
ソウキは魔術士で、タズークは王に仕える騎士の一人。魔術?と目をまるくした梨奈に、いわゆる魔法のようなものですと、ソウキは簡単に説明した。
見知らぬ地に跳ばされた後、二人は異世界での生活に苦労しつつも、元の世界に戻る方法を探していた。
そして、三年かけてその方法を見つけ出し、明後日には還る手筈が整っていた。
「梨奈が望むのであれば、僕たちと一緒に来ても構いません」
ただし、二度とこの世界に還る事は出来ないと思ってください。総規はそう付け加えた。
それは正直に言えば魅力的な申し出に思えた。
この世界に、日本に、二度と還れない事より、今はあの伯父夫婦の家に戻る事の方が余程恐ろしかった。
押さえつけられ、上に圧し掛かってきた伯父の身体、全力を込めても振り解けない拘束。
あの時、伯母が予定を切り上げて帰ってこなければどうなっていたか。
あの家に次に帰れば、きっと取り返しのつかない事が起きる予感は確信に近い。
ただ、二人がどうしてそんな申し出をしてくれたのか、よくわからない。
当たり前のように与えられる優しさが少し怖い。
出会ったばかりの子供相手にどうしてそんな風にしてくれるのか。差し伸べられた手を取ってもよいのか、素直に手を伸ばせない。
一生を決める選択になるだろうからゆっくり考えるようにと一人にされても、答えは簡単に出なかった。
ふと気付いた。二人が彼らの世界に還ってしまえばもう二度と会えない事を。
また、一人に戻る、それだけの事だというのに、その喪失は言い尽くせない程だった。
一人で生きていくしかないのだと言い聞かせていた、自分に。
けれど。
「連れて行って、ください」
この人たちと離れたくないと、こんなに強く思ってしまうのはどうしてなのか。
きっと、彼らは梨奈にとって、砂漠を彷徨い続けた旅人がようやく見つけたオアシスに似ていた。
一度、甘露を味わってしまえば手放せなくなるように。
「あの、私、まだ、出来る事は少ないですけど、一生懸命に働きます…! だから…お願い、します」
信じるのは怖い。
いつか掴んだ手を振り払われる時が来るかもしれない。
それでも差し出されたこの手を受け入れたいと、必死にお願いしますと頭を下げた。
そんな梨奈をぎゅっと抱き締めて、大丈夫と言ってくれたのは輔だった。
「まっかせなさーい! 心配しなくても、梨奈一人くらい養う甲斐性はあるから!」
総規とも一つ約束を交わした。その約束が唯一の条件だと言った。
二人は願いを了承し、そして、諦め切れなかった希望に火を灯して、梨奈は生まれた世界と決別した。