1-2
近くに停まっていた車に乗って十五分。
今年の秋に出来上がったばかりの新築のマンション、そこがソウこと伊澤 総規の住まいだった。
中はオフホワイトで統一された内装の所々に、深い青を使ったインテリアが配されている。
湖の底のような、何処か別世界に連れて来られたような心地になる部屋だった。
もう一人の、駒川 輔と名乗った男の人は、明かりの下で見ると髪を明るい茶色に染めているのがわかった。
勝手知ったると言った感じで棚を漁り、「おかしいなー、この辺にある筈なんだけど」と、ぼやいている。
総規は梨奈に自分のものだろう、黒のTシャツを渡し、着替えてくると言って自分の寝室に入っていった。
嫌な記憶が染み付いたワンピースを早く脱ぎ捨てたかったので、素直に礼を述べて、梨奈もバスルームで着替えさせてもらった。
やっぱり大きい。
元々、梨奈はクラスの中でも小柄な部類だ。
Tシャツの裾は膝よりも下で、ワンピースにあつらえたようだ。
ただ、二の腕から先が剥き出しになるのが困った。つねられて痣だらけになった腕が隠せない。
鏡に映った自分は酷い顔をしていた。
頬は腫れて歪んでいるし、泣きすぎた目は真っ赤に膨らんでいる。
腰まである長い髪と相まって、古典的な日本の幽霊ってこんな感じだろうかと思って、少し笑う。
死に損ねちゃったな。
何の感慨も無く、そんな事を思った。
「あ、戻ってきた、戻ってきた。はい、ここに座って」
インディゴブルーのソファに手招きされて、戸惑いながらも座ると、輔の前には救急箱が置かれていた。
「やっぱ冷やした方がいいと思うんだよね。だから、はい、冷えぴた。梨奈ちゃん用に半分に切ってみました」
俺が貼ってもいい?と聞いてくれたのは自分がどんな目に遭ったのか、想像がついたからだろう。
頷くと、壊れ物に触れるように慎重に、頬に当ててくれた。
痣だらけの腕も見られたけれど、特に何の反応もされなかったのが有難い。
「ところで、梨奈ちゃんって何歳?」
気軽に聞かれた質問に、思い出して気分が落ち込んだ。
「…今日、十二歳になりました」
誕生日、だったのだ。
「そ、そうか」
梨奈の暗い表情に気付いたのか、輔は気まずそうだ。
「って事は、俺たちとは一回り以上、年が離れてるんだー。ちなみに、俺たち二人とも二十四だから」
彼と総規は幼馴染なのだと言う。
それから、腹が減ったと唐突な話題転換をして、今度はキッチンでがさごそやり出す。
「っかー! インスタントラーメンの一つもない家ってどうよ!?」
唸るような大きな独り言にびっくりしていると、輔は「俺ってインスタントラーメン以外作れない人なんだよね」と悪びれなく笑った。
「何か、作りましょうか…? その、キッチン、使ってもよければ」
家事は梨奈の仕事だった。
失敗すると伯母からの折檻が待っているので、洗濯に炊事、掃除と全て支障ない腕前に至っていた。
「できんの!?」
「材料にもよりますけど…あの、勝手に使っても、いいんですか?」
「ソウなら気にしないから大丈夫!」
本当だろうかと思いつつ、冷蔵庫を見ればそれなりの材料が揃っているので、取り置かれていたご飯を使って手早く炒飯を作った。
それだけでは食卓が淋しいので、ほうれん草のおひたしとスープも付けてみる。
「人の家でよくそこまで寛げますね」
冷やりとする言葉と共に現れたのは、この家の主である総規だった。
ニットのセーターに着替え、さっきより印象がずっと柔らかくなっているものの、冷めた眼差しは変わらない。
「ソウも食べろって! めっちゃウマイからさー」
にこにこと輔はスプーン片手に炒飯に集中していて、嫌味が堪えた様子もない。
梨奈一人がキッチンの中で固まっていた。
呆れながらも、総規は輔の前のテーブルに座って、並べられた食事を見下ろした。
「梨奈が作ったんですか?」
「か…! 勝手にしちゃって…! ごめんなさぃ…」
怒られると思って身を硬くした後、聞こえる溜息。総規はこめかみに指を当て、疲れた顔をしていた。
「そんな事で怒りませんよ。僕をどんな人間だと思っているんです。
丁度、夕食がまだだったので助かりました。礼を言います」
そう言って、食べ始める。
二人とも残さず、食べてくれた。
それがどれだけ嬉しい事だったか。
誰にも感謝されず、日々、黙々と義務として家事をこなしていたけれど、初めてやってきて良かったと思えた。