6
漁師が黙っていると、若者は口の端を拭いながら立ち上がり言う。
「見てみろよ。こいつは人間の女じゃない。化け物だ。だから、こいつを見世物にしてがっぽり稼がねえぇか」
それを聞いた途端、漁師は海で鍛えた体に全身の力を込めて若者をもう一度殴り飛ばした。
若者が床に伸びて静かになると、漁師は女を抱き上げこう聞いた。
「怪我はないか?」
「はい。しかし正体を知られてしまった以上もう一緒にはいられません」
「お前が何であってもかまわない」
「いいえ、駄目なんです」
「どうしてもお前と一緒に居たいと言ってもか?」
と、漁師が言うと、女は数回瞬きをして聞き返した。
「私と一緒に来てくれるのですか?」
「お前一緒に行こう」
「何もかも失なってもかまわないのですか?」
「かまわない」
漁師は女を抱く手に力を込めた。
「始めから何も持っていない。お前を失ったらもう失うものすらない」
漁師が答えると女は漁師の首に両手を回してしっかり抱きついた。
「私もお前さまとずっと一緒に居たいです。どうか私と一緒に海の中で暮らしてください」
「わかった」
漁師が女を抱き抱えたまま立ち去ろうとすると、気がついた若者が口をひらいた。
「人間は海の中じゃ生きていけねぇぜ。息ができねぇんだからな」
漁師が若者にちらりと目をやると、若者は続ける。
「その妖魚はあんたを騙して海に引きずりこもうとしているんだ。海にはそういう化け物がいるって、あんたも漁師ならよく知ってるだろ」
若者は喉に何かをつまらせたのか咳払いをした。そして、また話を続ける。
「だから、こいつを見世物に・・」
若者が最後まで話をするより先に漁師の足が若者の腹に入り、若者は床の上で再び静かになった。
それから漁師は女を抱いたまま海に向かった。
海はいつになく波が荒れ狂っている。
しかし漁師が女を抱えたまま海に近づくと、波は磨きぬかれた鏡のように静かになった。
「おい、考えなおせよ!」
と、若者が声の限りに叫んだが、漁師は振り返らない。
漁師はただ黙って女を見つめている。
その時、漁師の肩越しに女が妖艶な笑みを浮かべたかと思うと、
どこからともなく大きな波がやってきて、音もなく二人を包みこみ、何事もなかったかのようにどこかへ消えた。
後にはただ打ち寄せる波の前に佇む若者の姿あるばかりだった。
こうして人魚は愛しい男を海に連れていきましたとさ。
めでたしめでたし。