メイドさんとの不思議な距離
家の扉を開けると、そこにはいつも通り紗良が立っていた。委員会の仕事でもない限り、彼女は大抵俺より先に帰っている。見慣れた光景ではあるが、改めて考えると少し不思議でもあった。どうやってそこまで手際よく動いているのか、未だによく分からない。
「おかえりなさい、遥斗様」
よく聞く柔らかな声が、静かな玄関に落ちる。しかし今日は少し元気が無いようにも感じた。
「ただいま。……紗良が忘れ物をするなんて珍しいな。何かあったのか?」
何気ない調子で尋ねると、紗良はほんの一瞬だけ視線を逸らした。
「いえ、特には……」
短く答えながらも、その声音はわずかに歯切れが悪い。
やはり、と思う。今朝の出来事が、頭の隅に浮かぶ。別に大したことではないはずなのに、妙に意識に残ってしまっている。紗良の様子を窺うと、どこか落ち着かないようにも見えた。いつも通りに振る舞おうとしているのは分かるが、ほんの僅かに、ぎこちなさが混じっている。
……それはきっと、俺も同じだ。
視線が合いそうになって、思わず逸らす。玄関に、わずかな沈黙が落ちた。そのまま沈黙が続いたまま俺の部屋に入る。
「お着替え、すぐにご用意いしますね」
わずかな沈黙を埋めるように、紗良がいつも通りの口調で言う。
「ああ、頼む」
短く返しながら、カバンを下ろす。それだけのやり取りなのに、妙に落ち着かない。背中越しに、視線を感じる気がした。振り返るべきか迷って、結局やめる。
「……」
「……」
言葉が続かない。こんなこと、今までなかったはずなのに。
(……やっぱり、変だよな)
そう思いながらも、原因には触れない。触れたら、何かが変わってしまいそうで。
「遥斗様」
不意に、紗良に呼ばれる。
「ん?」
振り返ると、紗良は少しだけ言い淀むようにしてから、
「……本日の授業は、問題ありませんでしたか?」
と、どこか遠回しな言い方をした。一瞬、意味を考える。
(……それ、今朝のことだよな)
けれど、
「まあ、普通だったな」
あえて気づかないふりをする。紗良は一瞬だけ目を伏せて、
「……そうですか」
と、小さく頷いた。それ以上、言葉は続かなかった。
それ以上、会話は続かなかった。紗良はいつも通りの動きで部屋を出ていき、俺も自室へ戻る。扉を閉めた瞬間、さっきまでの空気が頭の中で蘇った。気まずい訳でもないはずなのに心の中に釣り針のように引っかかる。ベッドに腰を下ろして、ため息をつく。学校でも、さっきも…どうにも落ち着かない。意識しすぎているのは分かっているのに、どうにもならない。いつもと何も変わってないとそう自分に言い聞かせるも……
肩が触れそうだった距離も、
あの時の紗良の様子も、
やけに鮮明に残っている。
「……はあ」
もう一度、ため息。考えるほど今度は面倒くさくなってくる。いつもと違うような……そんな気もするが「考えすぎか」ぽつりと呟いて、立ち上がる。このまま引きずってても仕方ない。いつも通りに戻ろうと決めて、部屋を出た。廊下に出ると、ちょうど紗良と鉢合わせる。
「……」
「……」
一瞬、またあの空気が流れかけて——
「お疲れ様です、遥斗様」
先に口を開いたのは、紗良だった。いつも通りの、少しだけ距離のある声。それでも紗良はほのかに笑みを浮かべる。それを見た時に妙に何かを納得した気がした。変に意識してるのはたぶん自分だけだ。そう自分に言い聞かせる。
「紗良」
呼び止めると、紗良がこちらを見る。
「今日のこと、気にしてるなら気にすんな。そんな大したことじゃないから」
できるだけ軽い調子で言う。今朝のことなんて気にしていない、ただそれだけを伝えるつもりで。
一瞬、紗良の目がわずかに揺れた。
けれどすぐに、
「……はい」
と、小さく頷く。
その表情は、ほんの少しだけ和らいだように見えた。
(……これでいいか)
胸の奥に残っていた張りが、わずかに緩む。本当にこれで良かったのかは分からない。けれど、これ以上考えても仕方がない気がした。軽く息を吐いて、自室へ戻る。
ドアを閉め、ベッドに倒れ込む。
(……なんだったんだ、さっきの)
少し変な空気だった気がする。
いつも通りでいいはずなのに、妙にやりにくい。
(今まで通りに戻れた。)
深く考えるのも面倒で、そこで思考を切った。
これからも毎日投稿頑張ります。




