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第9話 姉川の戦い開始

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 第9話 姉川の戦い開始

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 六月十一日。

 徳川家康の徳川軍が合流した。

 家康は僕が持つイメージよりはスッキリとした体形をしている。狸になるのは、もっと年を取ってからのようだ。


「三河殿。よくきたな」

「浅井は決して許せるものではござりませぬゆえ」

 家康も金ヶ崎の戦いに参戦していたから、浅井の裏切りには腹が立っているのだろう。

 そういった体の物言いをしているけど、本当のところは参戦しないと信長様を怒らせると思っているからだろう。

 一度殺すと決めたら、信長様は容赦しない。それを家康は理解しているんじゃないかな。

 家康は、幼い時に織田や今川の人質になり、長く不自由な生活を余儀なくされた。僕の勝手なイメージでは、家康は真面目で融通が利かない感じの人だけど、忍耐力のある人だ。


「初めてお目にかかる方ですな。某、徳川三河守家康にござる」

 家康が僕の顔を見つめた。

 まだ貫禄はない。僕よりは全然あるけど、信長様のような押し潰されそうな圧はない。


「交野尾張掾時久と申します。以後、お見知りおきください。三河守様」

 織田の同盟者であり、半従属者。今の家康は三河と遠江の一部を治めている中堅大名だ。


 家康の後ろにいる武将は、おそらく本多忠勝だろう。多くの戦いに参戦し、一度も傷を負わなかったと言われている人物だ。

 若い頃の家康は敗戦が多かった。それでも本多忠勝は怪我を負わなかったのだろうか? 一度聞いてみたいけど、凄く怖い。信長様と違ったすごみがある。

 本多忠勝といえば、蜻蛉切! あの槍は今は持ってないか。さすがに信長様の前に出るのに、蜻蛉切は持ち込まないようだ。見たかったなぁ、残念。


 朝倉・浅井方は、まさか六角親子が瞬殺されると思っていなかったことだろう。

 史実では朝倉・浅井方の兵が美濃に入って放火するはずだったけど、その前に織田が美濃への道を押え、徳川軍と合流してしまった。

 ここで長比城に配置された堀秀村・樋口直房が、織田方の調略によって信長様に降伏している。

 これは史実通りだけど、信長様のことだからもっと多くの武将の調略をしていると思う。


 織田・徳川連合軍は兵力一万五千で、小谷城に向けて進んだ。




 六月十五日。

 信長様は虎御前山に布陣した。

 調略の結果だと思うけど、ここまで抵抗らしい抵抗はなかった。長政は歯噛みして悔しがっているのではないだろうか。


 虎御前山は小谷城と目と鼻の先にある標高二百メートルちょっとの山だ。そんな目と鼻の先に織田・徳川連合軍が布陣しても、浅井軍は出てこない。


 信長様は配下の武将たちに、小谷の城下町を焼くように命じた。町を焼き払うのは、町の人が困るからしてほしくない。

 ただ、浅井長政を怒らせるためには有効だと思う。

 しかし、信長様は焼くのが好きですね。




 六月十六日。

 信長様は後退した。判断が早い。

 後退した信長様は横山城を包囲し、信長様自身は竜ヶ鼻に陣を張った。

 竜ヶ鼻は北と東が姉川に面している地だ。この辺りが決戦の場になるのだろう。




 六月十九日。

 朝倉六千、浅井軍三千の合わせて九千の連合軍が、小谷方面から進軍してきた。まだ夜が明けきらない時間帯だ。

 朝倉軍は陣払いしたように見せかけ、大依山から姿を消した。しかしその動きは忍者が逐一知らせてくれている。

 信長様は横山城の押えを置き、朝倉・浅井連合軍に備えた。


 史実では、朝倉・浅井連合軍の兵力はもっと多かったと思う。時期が早くなって朝倉が兵を揃えられなかったようだ。それに、浅井家臣団への調略が進んでいて、こちらも数がかなり減っていると思われる。


「長政め、のこのこと出てきおったわ」

 信長様が満足げに鼻の下の薄い髭を撫でた。

 信長様は甲賀・伊賀の忍者を使い、通常よりもはるかに多い人員を割いて物見(索敵)をさせている。

 その警戒網により、朝倉・浅井連合軍の動きがひっきりなしに上がってくる。


「徳川様が朝倉景健殿と交戦しましてございます」

 最初は家康が三田村に布陣した朝倉軍と交戦に入った。


「柴田様が浅井方の浅井政澄殿と交戦!」

 次いで柴田勝家が、織田軍の先鋒として戦を始めた。

 僕の記憶では、浅井政澄という人物は長政の宿老の一人だったはずで、姉川の戦いで討ち死にしたはずだ。浅井を名乗るだけあって、長政に忠誠を誓っていたかもしれない武将だ。

 僕が思うに、せっかく六角の支配から抜け出した浅井なのに、なんで織田のような成り上がり者の下につかなければいけないのか。そう考えていたのではないだろうか。


 この時代は、僕が生まれ育った時代と価値観が全然違う。

 名誉や武士の矜持というものを重んじ、死ぬことを簡単に受け入れる人が多いと僕は思っている。


「木下様が遠藤直経殿と交戦に入りましてございます」

 うわー。猛将遠藤直経は秀吉が相手をするのか。でも、竹中半兵衛の弟の竹中重矩が、遠藤直経の首を取ったという話もあるから、既定路線なのかな。

 実をいうと、僕は秀吉が嫌いなんだ。

 織田信長の嫡孫である三法師(後の織田秀信)や、息子の織田信雄を家臣にしたのが秀吉だ。

 力がものを言う時代だけど、農民出の秀吉を軍団長にまで引き上げてくれた織田信長への恩を忘れ、その血筋を従えた恩知らずだ。

 この不義理な行動が、僕にはどうしても受け入れられないものなんだ。

 歴史上、不義理なことをした人物は数多くあれど、秀吉ほどの不義理はない。僕はそう思っている。

 だから、本能寺の変の秀吉黒幕説を僕は支持している。偏見だと言われようとも、僕は秀吉が嫌いなんだ。


 その秀吉の下にいる竹中半兵衛は、美濃から逃げた際に長政から東浅井郡草野に三千貫の禄を得ていた時期があった。今は秀吉に仕えているとはいえ、恩を仇で返す行為だ。これも不義理だといえるけど、現在の立場ではそうせざるを得ない、と僕は理解している。

 あくまでも僕が持つ歴史の知識から導いた私見だから、本当は違うのかもしれないけど。


 続々ともたらされる情報は、今のところ問題があるように思えない。でも、史実では磯野員昌が織田信長の本陣を攻撃しているはず。どこにいるのか?

 磯野員昌といえば、浅井家中でも猛将として知られている。浅井家には、猛将や勇将が多いように感じる。

 あの六角家の支配を拒絶するには、人材が豊富でなければできないが、竹中半兵衛や黒田官兵衛のような軍師になり得る武将が見当たらない。秀吉のような目端が利く武将でもいいから冷静に状況を判断できる人がいれば、こんなことにはならなかっただろう。

 織田信長を裏切ったことで、家を潰した家臣団だ。猪武者や武辺者ばかりなのだろう。


 磯野員昌は大野木国重、野村定元、三田村秀俊と共に浅井四翼と言われている。

 他の三人より磯野員昌のインパクトは強いけど、たしか信長様に降伏した後に出奔しているはず。



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