第8話 野洲河原の戦いだけど
■■■■■■■■■■
第8話 野洲河原の戦いだけど
■■■■■■■■■■
今日も信長様が夕食を食べにきた。
暇じゃないはずなのに、ほぼ毎日やってくる。
てか、この時期は岐阜城にいて、軍を編成しているんじゃないのですか?
もっとも、今年の主な出来事を事細かに聞いているので、それで戦略を立てているのかもしれないですが。
野洲河原の戦いで六角義賢(承禎)と戦い、姉川の戦いで朝倉・浅井連合軍と戦い、野田城・福島城の戦いで三好三人衆・石山本願寺・雑賀衆連合軍と戦い、志賀の陣で朝倉・浅井・比叡山・六角連合軍と睨み合い、さらに伊勢の一向一揆が攻めてくる。
考えただけでも身震いがする一年を、信長様は生き抜くことになる。
「明後日出陣だ」
ここでそれを言いますか、信長様!
「はい」
この肉、甘い肉汁が出ているはずなのに、なんか苦い。
「なんだ」
「い、いえ……」
「六角の承禎入道めが、年甲斐もなく暴れておる」
「美濃への道を塞いだのですね」
「時久の言う通りだったわ」
ここから信長様は落ちつくことができなくなる。とはいえ、未来のことが分かっているのだから、それなりの手を打っていると思う。
……打ってますよね? お願いだから打ってくださいね!
「安心せい。六角はここで滅ぼす」
史実ではそれができずに、朝廷工作して和議を結ぶことになる。僕は戦えないし、あんな重い甲冑を着て逃げるのも勘弁です。
信じてますからね、信長様!
「六角義賢は朝倉・浅井とも、連動しております。気をつけてください」
頑張ってねー。
「お前もいくのだ」
ですよねー。
行軍中や戦場では、不味いご飯を食べなければいけないんだろうな。嫌だなー。
六月六日。
二条御所を出た信長様は、南近江に向けて軍を発した。僕もその軍の中にいる。
そばには殺気立った甲冑の人たちがいて、これから戦場にいくのだと、否応なく理解させられた。
「軍師殿。背筋を伸ばしなされ」
「あ、はい」
九郎さんに指摘されたように、僕は知らないうちに俯いていたようだ。
「武士であれば、戦場が職場にございますぞ」
僕は武士ではないのですが……。
それにそんな職場だなんて聞いてません! 辞表を出します! と信長様に言ったら斬られそう……。
話しは変るけど、僕の家は平氏系の公家の血筋なんだ。だから家紋は揚羽蝶。
江戸時代は貧乏公家だったし、明治維新後は華族で子爵だったと聞いている。だからなんだと言われると、何も言えないけど。
さて、今回の行軍はまず六角を攻めることになる。六角氏は佐々木源氏で、南近江に巨大な勢力を誇っていた。
六角定頼の頃は南近江だけではなく、伊賀、伊勢、大和などに勢力を誇り、百万石オーバーの大大名だったはず。
その子の義賢の代になると徐々に凋落し始め、孫の義治の代で落ちぶれた。
でも、六角義治はしぶとい。織田信長が本気で殺す気がなかったのか分からないけど、生き延びて豊臣秀吉の御伽衆として足利義昭・斯波義銀らと共に仕えることになった。
秀吉としては腐っても名門の彼らを侍らせることで、自分は凄いんだぞと言いたかったのだと思う。
家柄だけの人たちを集めたのは、その人たちを監視する目的もあったかもしれない。小癪な秀吉なら考えそうだ。
今回は六角義賢(現在は剃髪して承禎と名乗っている)が美濃への道を絶ったことで、織田信長の重臣である佐久間信盛と柴田勝家が激しく攻め立てている。所謂、野洲河原の戦いの援軍として、信長様は軍を率いている。
このまま姉川の戦いや野田城・福島城の戦い、宇佐山城の戦い、そして志賀の陣に続いていく。
この年は信長様にとって厄年かというような危機的なものになるのは、以前何度も触れていることだ。
六月八日。
京から近江に入り、東へと進んで陣を張った。
信長様が陣を張ると、僕もその末席に……えーっと末席でいいですから。 え、駄目? はい、分かりました。
信長様に近いところに座った。武将たちの視線が痛い。
「始めよ」
「はっ」
戦が始まった。
緊張で吐きそうだ。
人が人を殺す。
すぐそばでそれが行われている。
僕はなんでこんなところにいるのだろうか。
あの日、信長の隠れ岩を見にいかなかったら、こんなことにならなかったのかな。
それとも、どこにいてもこの時代にやってきたのだろうか。分からない。
喧騒を聞いていると、魂の叫びが聞こえてくるようだ……。
「時久」
「っ!?」
「終わったぞ」
「え?」
そんな簡単に終わるものなの?
「手を打つと言ったであろう」
情報があったからって、そう簡単に戦が終わるものなの?
六角義賢……承禎入道は偉大な父を持った人。
永禄五年に畠山が三好に勝った久米田の戦いの後、六角が畳みかければ三好はかなり苦しいことになっていたはず。だけど、動かずに畠山を見捨てた人。
野良田の戦いで浅井長政に大負けした人。
将軍義昭の上洛時に三好三人衆に唆されて道を誤った人。
歴史からは色々な情報を得られるが、承禎入道の気持ちについては、僕では理解できない。
ただ、この人はここぞと言う時に判断を誤っているように見える。なぜだろうか。
「甲賀者らは、儂についた。それを知らず、のこのこと出てきた愚か者よ」
承禎入道の首を見つめて、ご満悦な信長様。
甲賀の諸将を調略し、承禎入道が出てきても簡単に捕縛できるように手を打っていたわけか。
それはいいけど、生首はさすがに……ウップッ……。
「「「………」」」
「息子にも裏切られたと知らずに逝きおったわ」
六角義賢には義治という嫡子以外に、義定という息子がいる。
義治が観音寺騒動を起こして、家臣団の統制が取れなくなった。そこで義定に家督を譲ったかもしれないというのが史実。歴史を見ると、家督を譲った、譲らなかったと二通りの見方がある。
信長様に聞いたところ、家督は義定が継いでいるらしい。
つまり、義賢も義治も六角の当主ではない。
六角の当主である義定が信長様の手に落ちた。六角家を再興させ、官位を与えることで手を打ったらしい。
義定が旧六角家臣団を動かし甲賀を説得、さらに義賢と義治親子を泳がせていた。まさにお釈迦様の手の上というやつだ。
未来が分かれば、信長様にとってその程度のことは簡単なことなのかもしれない。
てか、いつまで生首を置いているのですか? はやく供養してあげてください。
戦いが行われている時は、あんなにも落ち着かなかったのに、今は嘔吐を我慢することに集中して他のことが気にならない。
六月九日。
信長様はさらに鯰江城に籠る息子の義治を攻め、その首を取った。
まさか六角親子がここで死ぬとは思ってもいなかった。
信長様は史実の織田信長が見せた甘さを排除したのかもしれない。
ここで六角親子を殺しておけば、この後に活動することはできない。
信長様は本気で森可成たちを生かすつもりのようだ。それだけ森可成たちを大事にしているということなんだろう。
やっぱり信長様は身内に優しい。
僕も身内と思われれば、優しくしてもらえるのだろうか……。




