第1話 過去の悪夢と第一歩
11/24 一部訂正を施しました。
10年前、僕がまだ5歳だった頃の話だ。
その日はなんというか、偶然いつもより早く眠ってしまったのだ。
理由は覚えていない、日中に沢山遊んで疲れただとか、きっとそんなものだったのだろう。
いつもなら、一度寝てしまえば夜に起きる事なんて滅多にない。
他の子供がどんなものかはおおよそ知らないけれど、僕に限って言えば、幼少期はとても快眠だったのだ。
それなのに、だというのにその日は、目が覚めてしまった。
見慣れない暗い部屋、まるで自分の部屋ではないような感覚に、微かな恐怖を覚えた。
怖い、早くもう一度眠りについてしまいたいのに、目は冴えてしまっている。
どうしたものかと、子供心にそんな事を考えていると、喉が渇いてきた。
最初のうちは我慢が出来た、しかし、時間が経つごとにどんどん喉が乾いてくるような気がして来る。
水を飲めば眠れるかもしれない。
逃避にも似た考えが頭をよぎり、おずおずとベットから這い出る。
そのまま一歩、二歩とテーブルまで歩いて、ポットに入った水をカップに入れて、飲み干す。
水を飲み終える頃には、部屋の暗さにも慣れていた。
なんてことはない、慣れてしまえばどうという事はない。
むしろ、この暗さに対して好奇心すら芽生えていた。
部屋の中を見渡すと、1人で寝るには持て余すほど大きなベッド、高い位置にあるドアノブ、大きな窓、どれも生まれてからずっと見てきた景色のはずなのに、飽きるほど見慣れた自分の部屋の様で、少し違うような、そんな気がする暗闇の中。
小さく心が躍り始め、いっそ屋敷の中を探検でもしてしまおうかと考え始めた、その時だった。
小さな地響きのような音が聞こえた。
その音に、小さく響いたそんな音に、好奇心は根こそぎ奪われてしまった。
暗闇の中に恐怖が再び満ちて来る。
跳ねるようにベッドまで戻り、シーツを頭から被って丸くなる。
調子に乗った自分に怒りすら湧いて来る。
体が強張り、小さく震えながらも必死に眠りにつこうとする。
暫く震えていると、静かになった部屋の中に地響き以外の音が聞こえてきた。
「とう、さま?」
父の声だ。
こんな夜更けに何をしているのかは分からないが、窓の外からは父の声が確かに聞こえてきたのだ。
もしかしたら、おばけと父が戦っているのかもしれない。
そんな考えに恐怖は薄まり、意を決してベットから起きて窓に向かう。
その間にも、地響きと父の声は止まない。
それどころか、よく耳をすませば、他の大人達の声や、獣の鳴き声のようなものまで聞こえて来るではないか。
そして、勘違いでなければ、声はどんどん近づいて来ている。
一体父達は何をしているのだろう。
恐怖とも、好奇心とも違う、胸に抱いた小さな疑問に突き動かされ、カーテンに手を掛けたその時、部屋の扉が勢いよく開き、1人の侍女が中に飛び込んで来た。
「レイモンド様!良かった、起きてらしたのですね!」
「うぇ、リリィ!ごめ、でも、とうさまが」
少女の名前はリベット・リトラルカ。
家族からはリリィの愛称で親しまれている彼女は、僕の専属侍女であり、姉のようであり、勉学や剣術の先生でもある少女は、白金色の長髪をたなびかせて僕に駆け寄ってくる。
どうにか言い訳を伝えようとしていた僕をそのまま抱きかかえて、一息に部屋を飛び出し、廊下を駆け出した。
「えぇ、リリィ!?どこいくの?!」
「申し訳ありません、いますぐ地下室に向かいます!後でお答えしますので、じっとしていてください!」
燭台に火は灯っておらず、明かりのない暗い通路を迷いなく、風を切りながら少女は走り抜けていく。
目まぐるしく流れていく景色の中、少女の腰に見慣れない物がぶら下がっていることに気が付いた。
それは剣だった。
普段から身の回りの世話をしてくれる、自分より二回り背の高い少女には不似合いなはずのその得物は、不思議と妙に様になっており、違和感がない。
「リリィ、その腰のそれって…」
リリィへの問いかけを終える前に、父や大人たちのものではない、一際大きな音が館内に響き渡った。
「っ!しっかり捕まってください!」
一瞬立ち止まると、リリィは大きく後ろに飛びのいた。次の瞬間、先ほどまでいた廊下の壁を粉々に吹き飛ばしながら、見上げるほど大きな、白い猪が現れた。
廊下の天井まで届く巨体は、少女の腕に抱えられた自分でさえ見上げるほどで、獣の牙はおそらく自分の胴体よりも太いだろうと感じた。
全身が氷のように冷たくなり、震えが止まらない。恐怖のあまり猪から目が離せなくなっていると、獣は体の至る所から血を流していることに気づく。
腹部と片方の前足は大きく削げ、足元には血だまりができている。片目は潰れ、牙にも多くの傷がある。
父たちはこれと戦っていたのだ、と理解した瞬間、不意に獣と目が合ってしまった。
荒い鼻息を繰り返し、激昂している獣がこちらを見て──否、まさに自分を見つめて
獰猛な笑みを浮かべた。
血だらけになりながら口を大きく開けて嗤うその様相から、自分の命が軽んじられていること、そして眼前の獣から伝わる悍ましい感情に、心臓を鷲掴みにされ、悲鳴を上げることもできずに浅い呼吸を繰り返す。
恐ろしい、苦しい、呼吸がうまくできない。
「大丈夫ですよ、レイモンド様」
自身の様子の変化に気づいたのか、あるいは獣がこちらを向いたためか、穏やかな声でささやいたリリィは静かに自分を床に下ろし、腰の剣を抜き放った。
粉砕された外壁から差す月明かりが、無謀とも思える相手に剣を構える少女を照らす。
あまりに凛々しく、しかしあまりに儚いその光景は、いつまでも脳裏に焼きついているのだった。
★
「レイモンド様、レイモンド様!」
「んぁ」
聞き慣れた声で名前を呼ばれ、目を覚ます。辺りを見回すと、小刻みに揺れる馬車の中で、対面に座る側付きの侍女が声をかけていたらしい。
「まもなく学園に到着しますので、心苦しいのですがお声がけしました」
「いやいや、ありがとう。完全に落ちてた」
外から活気が壁をすり抜け、馬車の中まで響いてくる。窓の外を覗くと、頭上には太陽が輝き、それに照らされる街中はまるでお祭り騒ぎのように賑わっている。
「王都はすごいな、うちの領地がどんだけ田舎なのか思い知らされるわ」
「今週は学園の入学式に合わせてお祭りをしているらしいので、普段はもう少し落ち着いているのではないですか?」
「それにしたってだろ。うちは人より家畜の方が多いし、なんだか落ち着かないよ」
王都の道のど真ん中を進む馬車を避けるように指示されているのか、屋台らしき店々は道の両端に寄せられており、その周りを人々が囲んでいる。
一概に「人」といっても、獣の特徴を持つ獣人や、身の丈ほどの大きな斧を背負った炭鉱人、巨大な体と頭にツノを生やした大鬼人など、少し見渡しただけでも多くの種族が顔を覗かせている。
「うわっ、あれって竜人じゃないか!? リリィ、ちょっと見てみろって、あれすごいぞ!」
「レイモンド様?」
「はい、準備します」
リリィの言葉に渋々馬車を降りる準備を始める。
「はぁ、もうここまで来てしまったんですから、いい加減覚悟を決めてください」
「嫌なものは嫌なの。第一、なんだよ学校に通う義務って、今まで通り家庭教師で良いじゃん」
「ずっと家の中にいては学べないこともありますよ。お友達とかできるかもしれませんよ、初めての」
「僕が人付き合い苦手みたいに言うのやめてもらっていいですかぁ?! いるし、友達いるし!」
「あら、これは存じ上げず失礼しました。よろしければお名前などお聞きしても?」
「ぐ、グランツ……」
「あぁ、グランツさんですか。確か今年で80歳でいらっしゃいましたっけ。お元気ですよね。他には?」
「ぎ、ギルバート……」
「兵士長のギルバートさんですね。あの中年オヤジ、お酒が好きなのは良いですけど、昼間からいくのはどうかと思うんですよね。レイモンド様は真似しちゃ駄目ですよ。ところで、同年代のお友達は?」
「いないよ、あぁあぁ悪かったな、い・ま・せ・ん・よ! でも別に僕のせいじゃない! うちの領地に同年代がいないのが悪いんだ、良いだろ別に友達が年上でも!」
「だからこそですよ」
図星を突かれて捲し立てていると、不意に馬車が止まり、扉がノックされる。
「私たちの領地だけでは、そこにいるだけでは、経験できないたくさんの出来事が外の世界にはあるのですよ」
リリィが席を立ち、身だしなみを整えながら話を続ける。
「それは楽しいことだけじゃない、辛いことも、嫌な気持ちになることだってきっとあります」
リリィが「失礼します」と一言断って、僕の横にあるトランクを持ち上げ、馬車の扉に手を掛ける。
「でも、それはいつか、あなたにとって大切で、かけがえのない思い出になるのですよ」
そのまま扉を開け、一足先に外に出ていく。
リリィにつられて外に出ると、そこには視界に入りきらないほど大きな建物が広がっていた。 あまりの大きさに、荷物を受け取るのも忘れて絶句してしまう。
ここから正門を抜けて、校舎の前に広がる噴水を備えた広場を過ぎ、遥か先に見える校舎に入るまででさえ、一体どれほど歩かなければならないのか。
「いってらっしゃい、レイモンド様」
「いやあそこに!? いくらデカいってったって限度があるだろ!」
「どうやら魔法で空間を歪めてるみたいですよ。不思議ですよね」
「なんでリリィはそんなに詳しいの?」
「さぁ、どうしてでしょうね」
リリィから荷物を受け取り、深く丁寧に頭を下げる彼女を見て、覚悟を決める。
「行ってくるよ」
「はい、お気を付けて」
「夏季休暇にはぜぇぇったい帰るから、手紙出すから本当に」
「ふふっ、お待ちしております」
一度大きく息を吐き、前を見据えて歩き出す。
それにしても本当に大きい。白を基調として聳え立つ城のような校舎は、一体どれほどの年月をかけて建てたのか検討もつかないほど荘厳だ。
少し歩いて正門をくぐると、後ろから馬車が走り出す音が聞こえて来た。 リリィが帰るのだろう。
途端に重くのしかかる不安を抱えて、校舎へと歩みを進めるのだった。
遂に始まりました本編!
ストックなんて存在しないので、これからは毎週金曜に更新予定です!
ゆっくり進めていくので、よろしくお願いします!