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琴吹さんに食事が終わったら出かけてくると伝えてから、俺たちは夕食を食べ終えてから、早速目的地へと向かう。
青陽館の備え付けの自転車を借りて、走って十数分。
学生街が一転、信号をひとつ渡ったとたんに殺風景なコンクリートの塀で取り囲まれた区画に辿り着く。道路を大型トラックが行き来し、その合間にこの区画で働いている人たちをターゲットにしたコンビニや牛丼屋が並ぶ。
今は仕事中なのだろう、目的の配達センターを探している俺たち以外、道を走る人は誰もいない。
「この辺りで早川さんはバイトですか……」
本当に人気のない道を見回しながら俺が呟くと、ときおり自転車を停めて地図を確認している素子さんがそれに応じる。
「今は通販の需要が高まっていますからね。バイトの募集も増えているんだと思いますよ」
「それにしたって、そんなところに一日帰れないって、まずいんじゃ……」
「……タイムカードに記入されていないんだったら、いくらでも言い訳はできてしまいますから」
素子さんのボソリとした指摘に、俺は自然と背筋が冷たくなった。これが正社員だったら労基に駆け込むって選択肢も出てくるんだろうけれど、大学生、しかも実家から離れている子だったらそこまで頭が回るとは思えない。だからお節介を焼きに行くんだけれど。
ようやく目的の配達センターが見えてきた。
そこはトラックが通り、その間をエプロン姿に軍手を嵌め、カートに荷物を詰めている人たちが働いている。多分今日配達する荷物の区分をしているのだろう。
トラックの通る道の近くには事務所らしき場所が存在し、そこはひっきりなしに電話がかかってきて、そのたびに問い合わせに応じたり、ドライバーに繋ぎ直したりと、かなり慌ただしい、
俺たちは自転車を降りて、その配達センターに行きかうトラックを眺めていると、ずっと電話をしていた事務員さんのひとりが、怪訝な顔でこちらを見てきた。
「なんでしょうか?」
「い、いえ……! なんでも……」
素子さんが慌てて引っ込もうとしたものの、俺は思わず声を上げる。
「失礼ですが、うちの寮生がこちらで働いているとお伺いしたのですが」
「りょうせい?」
「自分、日名川大学の……」
「りょ、亮太くん、ストップ! ストップ!」
俺が名乗りを上げる前に、素子さんが俺の背後から抱き着いてきて口を塞いでくる。そのまんまひたすら事務員さんに謝り倒す。
「すみません、こちらには来ていないようですので、また伺います! 失礼します!」
そのままずるずると素子さんに連れられて、出入口のほうまで逃げ出した。出入口でようやく素子さんに解放されたものの、怒りは止まらない。
「素子さん! あれいいんですか、なにも言わないで帰って……! 俺たち一応話を聞きに来たはずなのに、日和見で!」
「たしかにそうなんですけど、落ち着いてください亮太くん。私だって早川さんをなんとかしたいのは一緒ですし、あの子から住居を奪うような真似はしたくないですよ。ただここにいるのはまずいからって無理矢理仕事を辞めさせたほうが早川さんのダメージが大きいですから」
「ですけど……早川さん、一週間も寮に帰ってこれなかったじゃないですか……」
「私だってわかりますよ、そんなことくらい。でも彼女に必要なのは、無理に辞めさせることではないです。新しい仕事を見つけた上で、そこに移るようにしなかったら、ただ収入源を止めただけでなんの解決にもなりません。ただの自己満足です」
そうきっぱりと言われてしまったら、ぐうの音も出なかった。
会社で働いたことはないけれど、俺だって心当たりはあるからだ。
ぶっちゃけ全盛期のときに、俺がそこそこ売れているからと言って、訳のわからない出版社やレーベルに声をかけられて、訳のわからない注文ばかりが続いたから荷物をまとめて逃げ出したのは、一度や二度じゃない。でも逃げ切ることができたのは、売れているシリーズが存在したからだ。現状の俺に声をかけてくる奇特な出版社やレーベルは存在しないけれど、もし今声をかけられたら、それに首を縦に振ってしまう可能性だってある。
それは現在進行形でブラックバイトに捕まっている早川さんだって同じだろう。事情聴取と新しいバイト先の確保。それなしで無理矢理仕事を辞めさせたら、メンタルを崩す可能性のほうが高い。
ようやく俺も頭に血が昇ったのが、少しだけ静まった。
「すみません、素子さん。俺、頭に血が昇って……」
「仕方ありませんよ。預かっている子がひどい目にあってるんじゃと思ったら、普通にそうなっちゃうと思いますし。でもどうしましょう、私たちこんな道で待っていたら、迷惑かかりますし……」
「さっきコンビニが見えましたし、そこのイートインで待たせてもらいましょう」
俺たちは再び自転車に乗って、コンビニまで向かう。コンビニのコーヒーを買って、それを飲んで、窓越しに宅配センターの様子を見守ることにした。
だんだん空は暮れてくるけれど、作業が終わる気配がない。宅配センターをこんなに長いこと見守ることなんてなかったけれど、こんなに大変なものだったのかと、ただ呆然とする。
隣で素子さんはコンビニのお菓子を何個か買ってきて、それをまじまじと眺めながら食べていた。
「あんまりこういうのを自分で買って食べる機会なかったんですけど、結構いろんな味があって飽きが来ないようになってるんですねえ……」
「あ、コンビニ菓子を買うなって言われてたんですか?」
「というより、私の実家の近所にはコンビニなんてありませんでしたから。大学にいたときは一生懸命勉強していてそれどころじゃありませんでしたし、会社時代も寮に住んでましたから、わざわざコンビニに寄らなかったんですよ」
「なるほど……」
そういえば素子さんは実家に頼れないって言っていたか。コンビニがないくらいに田舎と言ったら、たしかに帰るだけでもひと苦労だろうと納得する。
空もすっかりと暗くなり、さすがにこれ以上タダで居座っても迷惑だろうと、飲み物のお替わりを買いに行こうとしたとき。
隣でお菓子を食べていた素子さんが「あっ」と言った。
「ようやくお仕事終わったみたいです。早川さん出てきました」
「やっとですか……」
休みの日に昼から呼び出して仕事って……。早川さんが事務所のほうに頭を下げて、出てきたところを見計らって、俺たちは慌ててコンビニから出て彼女を捕まえた。
「早川さん……!」
「あ……」
俺たちを見つけた途端、彼女が小動物のように肩を跳ねさせた。頼む、本当に怖がらないでくれ。こっちは君を責めるつもりは毛頭ないんだから。
素子さんは心配そうに早川さんを見た。
「大丈夫? 観察していた限り、バイトに出てから休んでないみたいだったけど……」
「あれ、そうなんですか?」
俺が尋ねると、素子さんは頷いた。
「……一応一日の労働規定って八時間なんですけど、その場合は一時間は休みを取らないといけないって規定があるんですね。ですけど、五時間とか六時間とか中途半端な時間の場合、休憩時間をつくる規定がないんです。アルバイトの抜け道なんですけど」
なんじゃそりゃ。それ完全に早川さん……というか学生バイトを使い潰すつもりじゃねえか。今度は俺が怒りで顔を真っ赤にしそうになったものの、こちらを震えて見ている早川さんを見ていたら、ここで怒り任せにしゃべるもんじゃないと思い直す。
「あ、あの……私……ずっと琴吹さんに甘えて……届け出とか出さずにバイトに行ってたんですけど……まずいんですよね、これ……。やっぱり……退寮しないと……駄目なんでしょうか……?」
そうガタガタ震えながら尋ねてくる。そして。
空気を読まずに彼女の腹は「ぐぅー……」と鳴った。いくら昼ご飯を食べたとは言っても、そこから速攻で仕事をしていたら、そりゃ腹だって減るだろう。ここからじゃ自転車だとすぐに青陽館に戻れるけど、早川さんは歩きみたいだしなあ。
俺はスマホで地図を確認する。ちょうど学生街に戻った先に、ファミレスが存在する。多分倉庫街で働いていた人たちや学生街の学生ターゲットのところなんだろう。
「ファミレス行こうか、早川さんも寮で話を聞くより話しやすいかもしれないし」
「え……でも、私。お金……それにお昼も出してもらったのに、これ以上……」
早川さんが腰が引けているものの、さすがにどう見てもお金に困っている子に割り勘を言うほどこちらも鬼ではない。俺がなにかを言おうとする前に、素子さんがやんわりと言った。
「むしろ私たちが貴重な早川さんの時間をいただくから、その替わりにご飯をおごらせて欲しいんです。それじゃ駄目ですか?」
女子に寄り添う態度がまだまだわからない俺にとって、彼女の早川さんに対するフォローは的確過ぎてぐっと来た。すごいなと勝手に感嘆する。
あれだけガタガタ震えていた早川さんも、素子さんの言葉に少しだけ落ち着きを取り戻し、ようやく頷いた。
「……ありがとうございます」
「おっし、それじゃあ行こう行こう」
こうして俺たちは、早川さんを伴ってファミレスへと移動した。