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翌日、俺は寮生たちに朝食を出したあとに、事務所のほうに出かけていった。
定期報告と一緒に、念のために他校からマルチ商法の誘いが出回っている話をして、うちの寮生も未遂とは言えど被害にあった旨は伝えるだけ伝えた。
事務所で話を聞いてくれた事務員は顔をしかめた。
「……うちもさすがに学外のことにとやかく言うことはできませんよ? 大学はあくまで学業をする場所であり、社会のルールは社会で学ぶべきかと思います」
事務員の冷たい言葉に、俺は唖然とする。なんじゃそりゃと。
「ですけど。そういうことがあるから注意~って風にはいかないんですか?」
「そういうのは高等学校までの話ですし、家庭で話し合う場所です。ただでさえ、ここに入学した学生は高い学費を払うなり奨学金をもらうなりして、学業を修めるために入学しているんです。その高い学費を使って、社会ルールを学び直すというのも、保護者から苦情が来るんですよ。就職活動にも役に立たない、家庭で学ぶことにリソースを割くとはなにごとかと」
「たしかに少しはお金を使うかもしれないですけど……そこまで渋るほどのことなんですか!?」
「残念ながら、昨今の保護者は高い学費の使い道について、事細かくモノ申しますので。それに寮の管理人なら、入寮生に話すべきはあなたのほうではありませんか? 残念ですが仕事がありますので、これで打ち切らせてくださればと」
うぬぬぬぬぬぬ…………っ。俺は事務所から出ると、思わずドタドタドタと足音を立てて日名大の外に出た。
俺が青陽館に戻り、思わずジャンパーを座布団にぶん投げたときは、事務仕事をしていた素子さんが驚いて顔を上げた。
「お帰りなさい……事務所はマルチ商法のことについてなんと?」
「自己責任だって! なんなんだよ! それでも大学の事務所かよ! 保護者にとやかく言われるから、マルチ商法の啓発に金は出せないって! 学生の心配よりも保護者の声のほうが心配かよ! ああ、腹立つ!」
「……まあ、今は少子化で、どこの大学も学生の奪い合いですから、お金を出してくれる人の意見を第一優先するのかもしれませんが」
「だからって! またマルチ商法にうちの寮生が巻き込まれたら……!」
そもそも、マルチ商法のなにがまずいって、金のために信頼の切り売りを強要するところだろ。そんなものずっと続けてみろ、孤立してますますマルチ商法自体にすがりつくしかなくなるじゃないか。
俺がまだ腹の虫が治まらないでいたら、素子さんがたしなめてくる。
「落ち着いてください、亮太くん。もちろん未遂だからよかったで済ませる話ではないかもしれませんが、心配し過ぎだっていう向こうの気持ちもわからなくもないですから。ただ私たちでは、大学のサークルの様子にあれこれ口は出せませんから」
「ですけど……未遂だったとは言ってもうちだって七原さんが監禁紛いにされたんですよ? いくらなんでもそれを見て見ぬふりはよくないでしょ」
「それは当然怒るべき話かと思います。でも、何度も言っている通り、私たちではサークル活動をとやかくなんて言えませんし、七原さんを孤立させる訳にはいきません。ですから、私たちができることをしましょう。詐欺への啓発を私たちでポスターをつくって貼り出すくらいでしたら、私たちでもできるかと思いますよ?」
素子さんの淡々とした口調で、俺の頭に昇った血もすっと引いていく。納得は全くいってないものの、ひとまず事務所のせいにするより先に、するべきことがあるか。
俺はワープロソフトで詐欺啓発の文面を作成し、ネットのフリー素材サイトからそれらしいイラストを借りてきて、啓発文に追加する。
「うーん……これって子供っぽいですかね?」
俺が出来たポスター案をモニターに写して素子さんに見せると、彼女はそれを見て笑う。
【ねずみ講、マルチ商法、特殊詐欺には注意しましょう】という文面の下に、フリー素材サイトに上がっている特殊詐欺被害に遭って泣いているデフォルメキャラを並べてみた。
まるで小学生がクレヨンで書きなぐってつくったポスターみたいだ。
「いいじゃないですか。わかりやすいですし」
「馬鹿にしてるって思われません?」
「大丈夫ですよ、疲れてても誰でも読める文章だったら、啓発として効果ありますし」
そういうもんか。俺はそのデータをとりあえずUSBデータに保存してから、それを持ってコンビニに印刷に出かけることにした。
近所のコンビニのプリンターの印刷を待っている間、なにげなく窓越しに十字路の信号を眺める。そこには前に七原さんを助けに行ったファミレスが見えた。そのファミレスにまたも外車が何台も停まっているのが目に留まる。
……あのマルチ商法斡旋しているOBやOG、また来てるのか。大学の事務所にも報告は入れたのに。
俺はイラッとしたものの、正義感が強いほうでもない。そもそもなにもしてないのに警察に電話をする訳にもいかないから、イライラしても見て見ぬふりするしかないのかな。俺はそう思って視線をプリンターに戻そうとしたとき。
見覚えのあるスカートの女の子が、明らかに派手な男子……というには、既に大学は卒業してるんじゃないかという風格だし、俺と年齢がそこまで変わらないように思える……に挟まれて歩いているのがコンビニ前を通っていった。
ナンパかとも思ったけれど、あの無邪気な七原さんの顔が笑顔を浮かべつつも口元が引きつっているように見える。そのままファミレスに入っていったのと同時に、信号が変わった。俺はそれを見た途端に、ダッシュでコンビニから走り出していた。
「お客さん、忘れ物です!」という仕事熱心な店員さんの声を無視し、そのままファミレスのほうに走る。
ファミレスの入り口にまで辿り着くと、俺は「七原さんっ!」と声をかけた。
七原さんはビクンッと肩を震わせてから、こちらに振り返った。
「管理人さん……」
七原さんの声に、彼女を挟んでいる男たちが声を上げる。
「ええ、誰?」
「……うちの住んでるところの人」
「ああ、ナナちゃんの! どうもー」
ヘラヘラと七原さんを挟んでいる男が挨拶してくる。どう見ても俺と年が変わらないのに軽薄な態度に、内心イラリとしてくるものの、脳内で素子さんに「駄目ですよ、挑発に乗ったらこちらの負けです。理詰めで行きましょう」という声が流れてくる。
ああ、社会人。この手のことは俺よりも詳しいもんな。そう思いながら、ペコリと頭を下げる。
「どうも、うちの子がお世話になっておりますが、彼女とはちょっと話がありますので、返してもらっていいですか?」
「なんで? ナナちゃんの先客は俺たちだけど。それにいくら住居のお偉いさんも住居の外ではなんの影響力もないでしょう?」
そりゃそうなんだけど。でもなあ。七原さんは笑顔を浮かべているものの、顔を引きつらせている……どう考えたってこの場から逃げ出したくて仕方ないだろうに、逃げられないっていう顔をしている。
俺が下手を打ったら、こいつらが青陽館まで押しかけてくるし。他の寮生にまでちょっかいをかけられても困る。
素子さんだったらどう言うかを考えながら、俺は男たちと向き合った。
「いえ。急用ですから。またの機会にお願いします。七原さん、行こう」
「あ、はい……」
七原さんはほっとしたように息を吐いて、男たちの間を抜け出して俺の元まで小走りで行こうとしたとき、男のひとりが彼女の腕を掴んだ。
「おい、待てってナナちゃん。君だけ逃げるのは卑怯だと思わないの?」
「ほら。皆やっているんだからさ。ナナちゃんひとりだけ仲間はずれはよくないでしょう? だから俺たちが声をかけてあげたんだしさあ」
……おいおい、言っていることだけはものすごく親切っぽいし、やっていることさえ知らなかったらいい話みたいにまとめているけど。知っているほうからしたら、脅迫にしか聞こえないだろ。マルチ商法で人間関係無茶苦茶にして、ますます自分たちに依存させるように仕向ける。そんな会話術まで編み出しているなんて、こいつらの毒牙にかかったのは何人いるんだよ。
イラッ……としたものが喉をせり上がってくるけれど、怒るのはなしだ。脅迫もなしだ。こいつらのせいで、七原さんにこれ以上迷惑がかかってもいけない。
俺はできる限りにこやかに言う。
「用事が押していますから。その手を離してもらってもいいですか?」
「管理人さんには関係ないでしょうが」
「彼女の人生に関わることですので、失礼します」
俺は七原さんの腕を掴んでいる男の手を引き剥がすと、そのまま七原さんと逃げ出した。本当だったらすぐに青陽館に戻りたいところだけれど、真っ直ぐ帰ってこいつらに寮の場所を教えたら駄目だろう。あそこは俺以外は女の子ばかりなんだから、それは困る。
ぐにぐにぐにぐにと道を曲がった先で、広い公園に出た。ファミレスからも青陽館からも離れている場所だから、ここだったらあいつらも来ないだろう。ふたりでぜいぜいと息を切らしながら、藤棚の下のベンチに座った。今は花の季節ではなく、ときおりパラパラと枯れ葉が落ちてくるだけだった。
「はあ……はあ……七原さん、大丈夫だった……?」
「はあ……はあ……管理人さんも……ありがとうございました。助かりました……」
彼女は息を切らしてベンチにへばってしまった。それに緊張が解けたのか、普段滅多に見ない涙まで浮かべている。よっぽど怖かったんだな……まあ当然か。チャラついた男ふたりに挟まれていたら、誰だって怖い。
「んー……ちょっと寒いし、なんか食べるか?」
公園の近くには、ちょうどたこ焼き屋の店が建っていた。俺はそこまで出て行って、たこ焼きを二パック買ってくると、それをひょいと七原さんに差し出した。マヨネーズにソースの匂いが香ばしい。
七原さんはたこ焼きを見て、ようやくいつもの彼女らしくニカリと笑った。
「管理人さんやりますねえ、青のりだけじゃなく削り節までかけてないのはナイスですよぉ」
「えっ、そういうもん? 単純に歯に挟まるからどけてもらっただけだけど」
「それそれ、歯磨きできる場所じゃなかったら、青のりも削り節も邪魔ですしぃ。いただきまーす」
そう言って元気にたこ焼きに爪楊枝を突き刺してそれを頬張り、目を細めている姿に安心した。さっきまで脅えていた姿がどこへやらだ。
でも。あいつらについてはどうにかしないと駄目だもんな。
「なあ、七原さん。あいつらは」
俺の問いに、七原さんの手が止まった。
「……テニス部のOBの知り合いです。なんか裏技駆使して、未だに大学に寄生しているって、先輩たちから聞きました」
「ああ……」
俺と年が変わらない割に、社会人の空気じゃないと思ったら。
俺がたこ焼きをひとつ頬張り、外のサクッと中のトロッとした味を堪能していたら、七原さんは続けた。
「……あたしがこの間逃げ出したとき、ラケットケースを置きっぱなしにしていたんで。それを取りに行こうとしたときに捕まったんです。あたしが頑なにサインしなかったんで。マルチ商法に捕まる前に逃げ出した人たちも、悪いけどあれには関わらないほうがいいし、関わる前に逃げないと駄目の一点張りで、関わってしまったあとのことは仕方ない、諦めろって感じで、助けてくれなかったんです」
「それは……」
よそのサークルメンバーだったらいざ知らず、身内にまで取り合ってもらえないとなったら、七原さんは孤立してしまうだろう。しかもマルチ商法の片棒を担がされそうになり、サインしたくない一心で逃げ回っているっていうのにだ。
大学は大学で相手にしたがらないし、サークルはサークルで琴吹さんの落研みたいに注意勧告を回しておけば済む話なのにそれを怠った上に自己責任って、勝手過ぎるにも程があるだろ。
失敗したほうが悪いって、いくらなんでも薄情過ぎる。
「そんなサークル、辞めたほうがよくない?」
そう聞いてみると、七原さんは拗ねたように唇を尖らしてから、たこ焼きをひと口で頬張る。あ、熱いんじゃと思ってハラハラしていたら、案の定ひと口じゃ無理だったらしく「あっつ!」と目を白黒させながら背中を丸める。
俺はおろおろと「お茶買ってくる!?」と立ち上がろうとすると、七原さんは「いい!」と止めてくる。しばらく目を白黒させていた七原さんは、どうにか飲み込めたらしく、ようやく背中を伸ばして続ける。
「……そういう問題じゃないです。あたし今のサークル活動好きなんで」
「でも、いい加減なことしているから、七原さんもトラブルに巻き込まれて……」
「そうかもしんないんですけど、そうじゃないんですっ……!」
七原さんは語気を荒げてそう言い張るので、俺は少しだけ怯む。どう考えたって彼女の入っているサークルを庇い立てなんてできないはずなのに、それでも七原さんは頑なな態度のままだった。
七原さんは言う。
「……日名大って、結構保守的な校風で、キラキラしたもんとは無縁なんです。サークル活動や部活も、あんまりよその大学とも交流がないんで。テニスサークルくらいなんですよ、外と交流できるのって」
ああ……なんとなく、うちの寮生だけに限らず、日名大の子たちが全体的に格好が大人しいなとは思っていたけれど。そしてその中で七原さんだけキラキラとした格好をしているなとは思っていたけれど。でもそれって、明らかに進学先を間違っていないか?
「それだったら、受験は……」
「第一志望に落ちて、滑り止めに入ったからって学生生活を全部捨てなきゃ駄目なんですか? あたしの学生生活、全部我慢しないと駄目なんですか? どうせ会社に入ったらそういうのと全然無縁な生活になるってわかっているのに、それでも全部ルールに沿わないと駄目なんですか? たかがマルチ商法くらいで、あたしの学生生活に水なんか差されたくないんですっ……!」
そこまで一気にまくし立てた彼女は、そのまんま立ち上がった。
「寮に帰りますっ! 管理人さん、たこ焼きごちそう様です!」
そう言ってそのままスタスタ帰ってしまった。俺は七原さんのペースに飲まれて、ただただ呆気に取られていた。
本人がいいって言っているのならいいのか? いや、これなんにも解決してなくないか? 俺はもやもやしていたところで、コンビニのプリンターに置いてきたものを思い出した。
ファミレスにいた連中と鉢合わないとといいんだけどな。そう思いながら、俺は慌ててコンビニに取りに戻ったのだった。




