伊吹山の宴
とある山の奥で、人知れず宴が開かれた。
宴席に置かれた皿には、切り分けられたばかりの、赤い肉の切れが一つある。
客人の侍はそれをつまんで、よく噛んで食べた。
「さあ、さあ、うまかろう」
肉をすすめた目の前の鬼は、にたりとしながら言ってくる。
「酒も存分に飲むがいい。ついでやろうぞ」
そう言って、脇に置いていた朱漆の徳利から、鬼はどぼどぼと液体をつぐ。
液体は徳利と同じように、真っ赤で、ぬたぬたとねばりけを持っている。
「これはこれは、かたじけない」
丁重に礼を言い、侍はぐびぐびと、盃からあふれたそれを飲み干す。いかにも美味しそうである。口をぬぐわずにいるので、愉快に笑っているその口も真っ赤に汚れている。
「あまりいただいてばかりでは申し訳がありませんな。おい、与助」
名前を呼ばれてびくりと反応したのは、真っ青になって二人の様子を眺めていた家来の与助である。
「あれを出せい」
「は、はい」
言われて動かないわけにはいかない。与助は震える手で荷物を取り出し、やっとのことで黒漆の徳利を侍に手渡した。
「どうぞひとつ、つまらないものですが」
侍は鬼の盃に中の液体をなみなみと注いでいく。液体は透明だが、先の赤い液体と混ざって、盃の中は薄く赤みがかった液体で満たされた。
「ほう、これは……」
くんくんと、酒のにおいを嗅ぎ、鬼がひと舐めする。
じっくりと味を確かめたあと、鬼は侍を見て、にやりと笑った。
「お主、見てくれは人間でも、中身はわしらと近しいようだのう」
鬼はそう言って、ぐいと盃を飲み干した。
「おう、もそっとついでくれ」
最初は控えめに飲んでいた鬼も、一杯、二杯と盃が進むうちに、興が乗ってきた。どんどんと酒を求めるようになり、侍は言われるままに酒を注いでいく。
やがて持ち込んだ大量の酒が底を尽きかけたとき、鬼はぐうぐういびきをかいて眠り込んでしまった。
「………………」
侍はそんな鬼の様子を、かなりの間眺めていた。
「おい、もうそろそろいいだろう」
すっと、侍が立ち上がった。その足取りはしっかりとしている。
「美酒も過ぎれば毒となる。鬼というものは自制心が無いからな」
「…………」
与助は黙っている。
「何をしている、はやく取り掛かるぞ」
侍が与助を急かした。
「頼光さま……」
与助が青ざめながら、信じられないものを見る目つきで侍を見つめた。
「あなたには、人の心というものがないのですか。あんなに……あんなに人の肉と血を飲み喰いしたというのに、何故そうも平然としておられるのです!」
いまにも崩れ落ちそうになりながら、与助はそう絞り出すように言った。部屋の中は、二人と鬼を取り囲んで、凄惨な光景が広がっている。
そう言われた侍は、何も言わずに与助の方を見た。
やがて侍は、口にたまっていた血糊を畳に吐き捨てた。それはじわりと、畳の目に入り込んでいく。
「くだらないことを言う奴だな」
そうして口を拭い、刀を鞘から引き抜いた。
「お前には分かるまい。一生分かることはあるまい。さあ、鬼の首をしっかり持てよ。うまく切れぬからな」
そう言ったきり、侍は与助の方を見もしなくなった。
外では雨が降り出したようだった。草木を雨だれが打つ音のみが、夜にこだまする。
しめやかに、確実に、その後の作業は執り行われていった。