空
敵機発見から一時間、伊三十は水深百mまで潜航していた。
「爆雷、推進音、共に感無し」
「潜望鏡深度まで浮上。E-27に反応がなければ水上航行に切り替える」
「了解」
艦長の指示に応えた副長を始め、一部の部下の表情は硬い。
改造後の艦は従来の伊号潜水艦と異なり水偵も備砲も無く、対空兵装は数丁の二十五㍉機銃だけである。
改造が施される前に上記兵装分に充てられた重量だけでなく小型化したモーターや自動操縦で浮いた機関兵二〇人+食糧の重量も電池に回され、攻撃より機動力に重点が置かれていた。
「心配するな。周囲の警戒とドイツに行く事だけを考えていれば良い」
メインタンクから排水音が響く中、遠藤艦長はそう部下達に語りかけた。
──ニューギニア、ラエ──
日没が迫る頃、空襲警報のサイレンが鳴り響いた。
(またか……)
朝夕の太陽を背にお互いの基地へ空襲を仕掛けるのは睡眠妨害の夜間空襲と並ぶ日常と化していた。
窓の外で対空砲陣地や機銃座に向かう兵士を見ながら、坂井もビストに急ぐ。
サイレンに混じり、陸軍から供与された百式原動機付自転車──自転車に九四式六号無線機用発電機を補助エンジンとして取り付けた物の改良型──の駆動音が聞こえて来る。
遠方の砲座、機銃座に向かうのだろうか。
ビストに入ると席は七割程埋まっており、中島飛行隊長が目を閉じて待っていた。
「動けるのはお前達だけか……まあ良い。
電探がポートモレスビーから発進した敵編隊を捉えた。
数は不明だが反射具合からB-17も含むとの事だ。
侵入高度は六〇(〇〇)。
叩き落として来い」
隊長の声に坂井達は立ち上がったが、皆動きが鈍い。
デング熱やマラリア、アメーバ赤痢等風土病が彼等の身体を蝕んでいた。
だが一日に催す下痢が十回前後と少なく、立って動けるだけマシであった。
ラエ、サラモアでは上記の風土病の洗礼を受け、守備隊の四人に一人が入院していたのである。
掩体壕に入ると差し出されたサイダーを引ったくるように掴み乗り込む。
車輪止めが外されるや否や、排ガスと爆音を壕内に残し彼を含め十三機の零戦が出撃した。
米軍は山越えをした後レーダーを避ける為山肌に沿って降下するのが常であるが、今回は敵編隊に動きが鈍くレーダー反射率の高いB-17が含まれている為、ガーンと耳鳴りを起こす程引き起こしはしない。
会敵しやすい六五(〇〇)まで上がったが未だ敵は見えず、味方機も脱落はしていないようだ。
(整備兵が無事ならもっと飛べたものを……)
歯噛みしてから程なくしてゴマ粒程の群れが迫って来た。
「数は五十〜六十機、B-17……いや、P-39か!」
坂井はそう叫ぶとフットバーを蹴り、B-17との間に割り込むように滑り込んで来た敵機P-39から放たれるアイスキャンデーを回避、左ひねり込みを掛けた。
曳光弾が目を引く機首の三十七㍉機銃はブローニングの手前で落下していく。
(何だ。 先に見つければブローニングにさえ気を付ければ大した事無いじゃないか)
そう思いながらP-39に対して背後を取り、7.7㍉機銃を発射した瞬間、風防の中が煌めいた。
(あっ──)
太陽光を反射していた風防が赤黒く染まり、ゴーグルの煌めきも消える。
やがて風防が吹き飛び、がっくりと項垂れたパイロットを乗せたP-39はスーッと機首を下げ、そのまま地上に墜ちて行った。
(済まん)
戦闘機による迎撃をくぐり抜けたB-17がラエ基地、ハドソン爆撃機がフォン湾に浮かぶ艦船の爆撃コースに入った。
「両舷微速前進」
半舷上陸していた乗員を乗せていたタグボートが艦から慌てて遠ざかる中、ラエに停泊していた第十九号海防艦がノロノロと動き出した。
対空戦闘はサイレンとほぼ同時に発令済みで、既に測距儀や電探と連動して敵機を志向していた前部主砲がブザーにやや遅れて咆哮した。
(逆光でろくに見えん……!)
右舷中央部の二十五㍉連装機銃手、清水上等水兵は照星越しに三〇度から突っ込んで来るハドソンの方を見つめながら悪態を吐いた。
「まだ撃つなッ、一五(〇〇)まで引き付ける」
根岸三等兵曹が声を張り上げる。
清水の同期、片山上水は顔を強張らせていた。
「撃てっ」
命令と共に機銃が火を吹く。
前部甲板の二十五㍉三連装機銃も協同射撃するが、全長七十m足らず、満載排水量千tに満たない小艦には二十五㍉単装、連装、三連装機銃各二基を両舷や前後に設けるのがやっとだった。
ハドソンの機首から閃光と共に機銃弾がビシビシと細かい水柱を立てる。
「(居た!)弾!」
足元の弾倉を取ろうとかがみ込んだ瞬間、銃座でガンガンとけたたましい音が響き、銃声が止む。
「おい!」
弾倉を叩きつけるように装填し、片山の居る方に振り向いた清水はあお向けになり絶命した片山を見つけ絶句。
二度と銃を撃つ事は無かった。
頭上から甲高い音と共に降ってきた千ポンド爆弾が、第十九号海防艦の艦体毎彼の身体を引き裂いたのである。