ヒトとモノと時計の針
──理化学研究所──
『大本営発表!大本営発表!去る五月六日、ニューギニアの東方珊瑚海に於いて──』
(大本営発表か……何処まで本当なのやら)
亮平は食堂のTVが垂れ流す大本営発表を聴き流しながら顔を顰めた。
「どうした、体調でも悪いのか?」
東工大からやって来ていたフェライトの発明者の一人、加藤与五郎博士がお盆を手に声を掛ける。
「いえ、大丈夫です。 先生が学食に顔を出すのは珍しいですね」
「ああ、昨日新型磁石が出来てね。
今日は性質の試験中で気分転換に来たんだ」
「古野電気の魚群探知機開発に圧電素子材料のチタン酸バリウムを応用、生産と供給で手が離せないと思ってましたが、もう他の事やってたんですね」
「あれは製法と材料がフェライトとほぼ同じだから本業に戻っただけだ。
君達兄弟には感謝しているよ。
フェライトにバリウムを使う発想やパラメトロン素子、会社の設立だけじゃなく、製造に必要な色んな鉱物や未来の資料、製品を提供してくれた事にね」
博士の言う通り、小川兄弟はTDK設立や各種鉱物の生産を東北復興予算を用いて実施していた。
岩手の久慈では砂鉄と石灰、石炭を混ぜてロータリーキルン内で還元、航空機用防弾鋼板や鉄薬莢を造っていたがスラグ(不純物)からチタンとバナジウムを回収。
チタンを圧電素子材料にする事でソナーの性能、バナジウムをモーター用鋼板に添加する事でモーター効率が従来より向上していた。
秋田の小坂鉱山では今まで採掘していた金銀銅や亜鉛、鉛以外にバリウムの鉱石である重晶石の採掘も開始。
1932年に開山、堺化学工業が保有する日本最大かつ完全自給を成し遂げたバリウム鉱山の北海道の小樽松倉鉱山には品位でも劣ったが、副産物としてストロンチウムも産出する為フェライト磁石の製造ノウハウを持つTDK向けだったのだ。
「いえ、お礼を言われるような事では……。
ところで完成した新型の性能はどの位なのですか?」
「4GOeだ。
今日本以外で使われてる本多博士が開発した新KS鋼の倍、君達から貰ったネオジム(48)の1/12、ストロンチウムフェライト(4.5)の9割、航空機用モーターに使われてるマンガンアルミカーボン(7)の6割で、従来のバリウムフェライト(3)を3割強上回っている。
来年アメさんが実戦投入する磁石(5.5)の3/4でもある。
君達の歴史だと私が死んだ後の1980年に完成する代物だよ」
「おお(これはどう反応すれば良いんだ?)」
引きつった笑いを浮かべる亮平に博士は尋ねた。
「磁石開発に移る前に斎藤社長から聞いたんだが、ストロンチウムフェライトの製法を三国同盟締結時に軍がドイツやイタリアに教えたら向こうは大変喜んだそうだ。
教えるのは良いが大丈夫なのかね」
「大丈夫って何がですか?」
「いや、敵に複製されないかと」
「それなら大丈夫ですよ」
「何故?」
「フェライト磁石の製造技術で先頭を走ってるのが先生の居られるTDK。
国外で二番手を探すならオランダのフィリップスですがドイツ占領下ですし、世界第二位の産出量かつヨーロッパ最大のストロンチウム生産国でもあるスペインは枢軸よりです。
三番手はアメリカのウェスチングハウスで、自給は勿論生産量では三番目のメキシコと国境を接していますが、史実で彼等がストロンチウムフェライトを開発するのは1961年。
フィリップスが3GOeのバリウムフェライトを開発してから9年経ってます。
国内がボロボロだったオランダより知識も経験も不足してますから、例え日独から捕獲するなりオランダに潜入してノウハウを盗んだとしても商業生産に入る前に戦争が終わりますよ」
亮平はそう言って肩を竦めた。
ヒト(フェライトの発明者の加藤、武井、チタン酸バリウムの発見者の小川、和久)、モノ(バリウム、チタン、フェライト磁石製造技術)はあった。
発想(フェライトにバリウム、ストロンチウムを使う事とパラメトロン素子の考案)と金、時間がなかった。