第1章 間話 おいぼれの龍
アルが初めて龍を見たのは5歳の時だった。
その日、グレイは朝から家を空けており、アルは1人で狩りに出ることにした。3日ほどで戻ると言っていたが、家の北側には1人でも行っていいと言われているエリアがあり、アルは使い慣れた短剣を抱えて家を飛び出した。
本当は東方面にあるモルドレイクの近くで狩りをしたかったのだが、あの辺りは獣のレベルが高く、まだ1人での狩りは許可されていない。
ちなみにアルの父親は1か月ほど前からどこかに行っている。むしろ家にいる方が珍しく、突然帰ってきてはまたすぐにどこかへ行ってしまうその男に対し、実の父親ながら少しばかり苦手意識を持っていた。
家の北側は少し歩くと森があり、その森には小型の獣が多く生息している。
その森を抜けた先には小さな泉があるのだが、そこまでがアルが1人で狩りをすることを許されているエリアだった。
森に入って5分ほど経ったところでアルは最初の獲物を見つける。
草陰からのぞいた目線の先には、体長50Cmほどのハネウサギが食事をしていた。食べているのは土蛇のようだ。ハネウサギはその名に反して肉食の獣で、背中に4枚の羽がついている。ただし空を飛べるわけではなく、滑空ができる程度だ。
アルは静かに短剣を構え、ゆっくりとハネウサギに近づく。そしていよいよ飛び出そうとしたその時。
「ピキッ」
足元の小枝が折れ、アルはハネウサギに気づかれてしまった。
「くそぉ~!」
すでに走り出したハネウサギを追い、アルも草陰から勢いよく飛び出す。
飛べないといっても、ハネウサギの4枚の羽は俊敏な動きを可能にし、見失わないまでもなかなか追いつけない。
また、森の中では短剣を投擲しても障害物が多く、今のアルには命中させることが難しかった。
ただ、このまま北に進めば泉に出る。あそこは森がひらけているから、そこでアルは仕留めようと考えた。
数分の追いかけっこのすえ、正面の木々の間から光が差し込んでくる。
「よし!」
アルは再度短剣を構え、勢いそのままに森を飛び出した。
その瞬間、アルの目に飛び込んできたのは、泉の中に横たわる白い体を輝かせた大きな獣だった。
しまった、と思った。この辺りは危険な獣は出ないとグレイから聞いており、まったく警戒せずこんなにも近づいてしまった。
明らかに今のアルでは太刀打ちできない獣を前に、途端に体が硬くなり、その場から動けなくなる。
そんなアルをよそに、追いかけていたハネウサギは視界の左で再び森の中に消えていった。
自分も逃げよう、今来た道を全力で戻れば逃げられるかもしれない・・・
そう考えた時だった。
「人間の子供とは珍しい。こんなところで何をしているんだい?」
突然その獣がアルに声をかけたのだ。ビクッと体を震わせたアルだったが、すぐに逃げ出さなかったのはそれがとても優しい声だったからだ。
それにしても、言葉を話せる獣がいるなんて。緊張で体を固くしながらも、アルはなんとか声を絞りだした。
「ハネウサギを追いかけてて・・・狩りの途中で・・・僕は、追いかけてて・・・それで・・・」
おどおどするアルを見てその龍は少し慌てた様子でアルに謝った。
「おや、これはすまない、怖がらせてしまったね。私はレイ・ボルド・クレガ。見ての通りおいぼれの龍だ。そんなに警戒しなくても大丈夫だよ、私は敵意のないものを襲ったりはしない。ましてや子供なんて論外だ。君の名前を聞かせてくれるかい?」
レイと名乗ったその龍は、話しかける表情も柔らかく、アルは少しずつ体の緊張が解けていくのを感じていた。
「僕は・・・僕はアル・グランオッド。5歳の・・・人間です。」
グレイから龍については聞かされていた。だが、その話の龍と目の前の龍はまったく印象が異なるようだ。
「ふふふ、これはこれは丁寧にありがとう、アル。君はこんなところで1人で狩りをしていたのかい?」
アルは無言でうなずく。
「勇敢な子だね。ただ、モルドレイクの近くは危険な獣が多いから、近づいてはいけないよ。」
アルはまた、無言のうなずきで返す。
「レイは、レイはここで何をしているの?」
「私は・・・少し体を休めているんだよ。ここの泉は体の傷を癒す効果があってね。」
「けが、してるの?」
そう尋ねると、レイは自分の体のほうにかを向け、左の翼をばさっとあげる。そこには縦に大きく削られた痛々しい傷が見えた。
「少し、油断をしてしまってね。このありさまさ。」
グレイが言っていた。龍に傷を負わすことができるのは、同じ龍か、龍の力を持つ者だけだと。
「大丈夫?」
「あぁ、老いても龍は龍だ。これしきの傷では死ねない。ただ、回復には少し時間がかかるがね。」
傷を見つめるレイの表情はどこか寂しげだった。
そんなレイに対し、アルは何を言っていいのかわからなくなってしまう。
アルが困った顔をしていると、それを察したレイが別の質問を投げかけた。
「アルはこの辺りに住んでいるのかい?」
「うん。ここから数km西の森がひらけたところに住んでます。」
「家族は?アルが1人で狩りをしていて心配しないのかい?」
「今日は出かけてて家にいないくて・・・この辺りまでなら1人でも狩りをしていいって言われてるから、大丈夫・・・」
「そうか。それなら問題ないのだろう。私のことは気にせず狩りを続けてくれて構わないからね。」
アルはこくりと頷きレイを見上げた。
「また、明日もここに来てもいい?」
「あぁ、もちろんだよ。私も君のような子が話し相手になってくれるのはありがたい。」
アルはなんだか認められたような気持ちになって上機嫌でレイと別れた。
その後アルは再び森の中へと入り、日が暮れるまで狩りを続けた。
翌日も、アルはレイのいる泉へと向かった。左手には大きな袋を持っており、昨日の狩りで捕まえたハネウサギなどの獣が入っている。今日はこれをレイに分けてあげるつもりだった。
泉につくと、レイは昨日と同じ場所で体を丸めて休んでいた。
ただ、アルが来ていることは気づいていたのだろう、森から出た時にはこちらを見て微笑んでいた。
「やぁ、アル。来てくれたんだね。」
アルが近づくと、レイは顔を上げて少し体を起こす。
「うん。昨日約束したから・・・けがの具合はどう?」
「ありがとう、だいぶ良くなってきているよ。」
かなり深そうな傷だったから、1日でどうこうなるものではないだろうが、レイは昨日と変わらず優しい表情でそう答えた。
「あの、これ。」
さっそくアルは持っていた袋をレイに差し出す。
「おや、これは?」
「昨日捕まえた獲物、レイにあげる。ずっとここにいるなら、何も食べてないかなって思って。」
その言葉にレイは目を見開き微笑んだ。
「アルはとても優しい子だね。ありがとう。」
レイに感謝されて嬉しくなったアルは、さっそく周りに落ちていた木の枝を集め、魔法で火をつけた。
「アルは魔法も使えるのかい?」
「うん。僕は剣士だけど、簡単な魔法なら使えるよ。」
アルは得意げに返す。
「今作るから少し待っててね。」
そう言うと袋から取り出した獣に木の枝を刺し、火の周りに並べ丸焼きにする。
こんがりと焼き色がついたら塩をかけてアルの特製獣焼きの完成だ。
肉から木の枝を抜き、落ちていたクジラギの葉の上に並べる。
「はい、どうぞ。」
そうして差し出した肉を見たレイの表情はいっそう優しく見えた。
「こんなにも美味しそうな食べ物はいつ以来だろうか。ありがたくいただくね。」
そう言ってレイはアルの料理を嬉しそうに食べた。
それからアルは他にも使える魔法を見せたり、グレイに習った剣の型を披露したりした。
そのどれもをレイが褒めてくれるのがアルはとても嬉しかった。
1時間ほどたった頃だろうか。
突然じっとりとした風が森の中を駆け抜けた。
それと同時に、さっきまで優しかったレイの目が急に鋭くなる。
「なぜここがわかった?」
ぼそりとつぶやき、空を見上げる。
そのまま遠くを見つめながら何か考えるそぶりを見せると、レイはアルに顔を近づけこう続けた。
「アル、全速力で家に戻れ。ここは危ない。」
「え?」
急な展開にアルは戸惑いレイを見つめる。
「よく聞きなさい。今からここに別の龍が来る。間違いなく私と戦いになるだろう。そうなったら・・・わかるね?」
レイの表情から状況を察し、アルは素直に頷く。
「うん・・・わかりました。」
「よし、いい子だ。じゃあすぐにいって・・・」
「雷神の名も落ちたものよのぉ。」
レイの言葉を遮り、低く冷たい声が空から降りかかる。
見ればそこには大きな翼を広げた真っ黒い龍がこちらを見下ろしていた。
「くっ・・・遅かったか。」
「探したぞ、レイ。その様子だと、どうやらわしの与えた傷はまだ癒えていないようじゃな。」
レイは答えずその龍を睨みつける。
「ん?」
ふと黒い龍がアルを見る。
「これは珍しい。人の子ではないか。久しく食っていないが、わしの大好物よ。レイ、それをおとなしく譲ってくれるなら、楽に殺してやってもよいぞ?」
「ふざけるな。この子は私の大切な友人だ。手出しはさせん。」
アルはとっさに隠れようとレイの陰にまわり、その体に触れた時だった。
急にアルの体の中に暖かい光のようなものが流れ込んできた。
それは一瞬だったが、レイにもそれが起きたのだろう、目を見開きアルを見る。
「アル、君は・・・」
「ボウッ!」
レイが何か言いかけたのもつかの間、空から大きな黒炎が降り注いだ。
とっさにレイが翼を広げ、アルを守る。
「ぐぁあっ!」
その翼に黒炎を受け、レイが声を上げた。
「ふん。いくら雷神龍といえど、我が黒炎を受けて無傷では済むまい。結果は見えておろうて。」
レイは黒い龍を睨みつけながら、しかしその翼を動かさない。
「ならば気の済むまで受けるがよい。」
黒い龍はそう言うと再び黒炎を放った。
何度その黒炎を受けただろう。
レイの翼は内側からでもわかるほどボロボロになっていた。
「貴様・・・たかが人間の子をかばって、龍の誇りを失うか!」
それでもアルを守るレイに、黒い龍は声を荒げる。
「・・・ぐぅ・・・言っただろう・・・この子は私の友人だ。命に変えても守るさ。」
「そうか・・・ならば望み通りにしてくれるわ!」
黒い龍がそう叫んだ瞬間、ズバッという風切り音とともに、それまでアルを守っていたレイの左の翼が宙に舞った。
「がぁあぁっ!」
翼の付け根から激しく血を吹き出し、レイがいっそう苦悶の表情を浮かべる。
ドサっという音を立てて地面に落ちた翼は、もはやその原型を留めてはいなかった。
「もうよい、雷神龍よ。興が醒めた。その子ともども消して終わらせてやろう。さらばだ、レイ・ボルド・クレガ。」
そう言うと、先ほどよりも数倍は大きな黒炎が黒い龍から放たれた。
その時アルが感じたのは圧倒的な不可避の死だった。
これが龍。これが世界最強の獣。その理不尽なまでの攻撃を前にアルは死を予感したのだった。
「ドカーン!」
しかし、それが現実になることはなく、黒炎は放たれた直後になにかとぶつかり、空中で大きな爆発を起こして消えた。
「おい黒炎龍。ここは俺のテリトリーだぞ。」
振り向くと、そこに立っていたのはアルの父、ジョー・グランロッドだった。
ジョーはアルたちに近づくと、レイに治癒魔法をかける。
「俺の息子を守ってくれて感謝する、雷神龍レイ・ボルド・クレガ。あれは俺が対処しよう。」
「ジョー・グランロッド・・・そうか、この子はお前の子だったか。」
「あぁ、自慢の息子さ。」
爆発の煙が薄れ、黒い龍がジョーを見て声を出す。
「貴様は・・・水神のぉ・・・」
「ふんっ!」
言葉を遮るようにジョーは持っていた矛を凄まじい速さで振り抜いた。
「ぐぁあっ!」
矛先から放たれた衝撃波は一直線に黒い龍に向かっていき、その巨体を大きく吹き飛ばした。
「場所を変える。クリス!雷神龍と、アルを頼む。」
気づけばアルの後ろには青い髪の青年が立っていた。
「うっす。」
ジョーはその返答にうなずくと、アルに目を移し、一瞬微笑みかけるとすぐに龍が飛んでいった方向に駆け出した。
緊張から解き放たれたからだろう、アルは途端に意識が朦朧とし、ジョーの背中が見えなくなると同時に気を失った。
気づくとアルは家のベットに横になっていた。
ぼんやりと窓から外を見ながら、意識を覚醒させる。
あれからどうなったのだろう?
レイは無事だろうか?
そんなことを考えながらベットを出て1階へ降りると、そこにはグレイがいた。
「アル、起きたか。気分はどうだ?」
アルに気づいたグレイが声をかける。
「うん・・・大丈夫。あの・・・父さんは?」
「雷神龍のところだ。今はクリスと一緒に治療をしてる。」
「レイは・・・大丈夫なの?」
「あぁ、無事だよ。まぁしばらくは動けないだろうが。」
それを聞いてアルはほっとしたと同時にすぐに謝りに行かなければと思った。
「僕、レイのところに行ってくる。」
そういって外へと向かうアルをグレイが呼び止めた。
「アル。すまなかったな。俺がいればお前にも無駄な負い目を感じさせずにすんだのに。」
「違うよ。あれは僕に力がなかったせいだ。僕がもっと強ければ、あんなことにはならなかったんだ。」
ぎゅっと握りしめたこぶしを見つめる。
「だから、もっと強くなる。たくさん訓練をして、もうこんな思いをしないように強くなるんだ。」
「お前は強いな。さすが俺の教え子だ。行っておいで。」
家を出ると、アルは一直線に泉へと向かった。
泉につくと、レイはいつもと同じ場所で体を丸めて眠っていた。
左の翼は背中についているが、その見た目は痛々しく、治癒魔法のオーラがその周りを覆っている。
辺りには父さんやクリスと呼ばれていた青年は見当たらなかった。
アルはゆっくりと近づき、そっと声をかける。
「レイ・・・」
レイはゆっくりと目を開くと、頭を起こしアルに微笑みかけた。
「アル。来てくれたんだね。君が無事でよかった。」
その優しい声にアルの中に再び悔しさがこみ上げた。
「あの・・・ごめんなさい!僕のせいでまたけがをさせちゃって・・・僕がすぐに逃げなかったから・・・僕が弱かったから・・・」
そう言ってアルは勢いよく頭を下げた。
「顔をあげなさい、アル。君が謝ることなんて何もないんだよ。」
そう言われ、アルはゆっくりとレイを見る。
「黒炎龍の狙いは最初から私だ。むしろ謝るのは私の方なんだよ。やつが来る可能性はあったのに、君と話すのが楽しくてそれに目を瞑った。そのせいで君に怖い思いをさせてしまったんだ。本当にすまなかったね。」
「でも・・・僕が強ければ、レイを守れたんだ・・・」
「その気持ちだけで十分だ。今はまだ力がなくても、これから努力をしていけば君はきっと誰よりも強くなれる。この私が保証しよう。そうしたら今度は君が周りにいる誰かを助けてあげればいい。今の自分を恥じることなんてしてはいけないよ。」
レイの話を聞くうちに、少しずつ胸のモヤモヤが小さくなっていくのを感じた。
「うん・・・わかった。これからたくさん努力して、たくさん訓練して、あの龍にも負けないくらい強くなるよ。」
「よし、いい子だ。」
そうと決まればさっそく訓練だ。レイに別れを告げ家に戻ろうとした時、森から出てくる人影が見えた。
「アル、来てたのか。その様子だと大丈夫そうだな。」
「父さん。うん、僕は平気。レイの傷は治るの?」
「治るさ。なんたって都市一番の治癒魔法使いが手当てをしてるからな。」
「それはあっしのオヤジの話ですよ。あっしの治癒魔法はオヤジには遠く及ばない。」
「だとしても、今のブランヘルブでお前より優れた治癒魔法使いはいないだろう?あ、アルは初めてだったな。彼はクリス・ターナー。少し前から俺の調査を手伝ってもらってるんだ。」
「ども。ジョーさんから話は聞いてます。」
「こんにちは。あの・・・レイを・・・治してあげてください。」
そう言ってアルはクリスに頭を下げた。
「できる限りのことはしますよ。でも治癒魔法も万能じゃあない。それだけは伝えときます。」
クリスは表情を変えず淡々とそう返した。
「アル、もう戻るのか?」
「うん。帰って、特訓しないといけないから。」
「そうか。ま、あんまり気負わず頑張れよ。」
そう言うとジョーは泉の方に向かって行った。
アルもすぐに振り返り、森の方へと駆け出した。
〜〜〜〜〜〜〜
「雷神龍。具合はどうだい?」
「彼の魔法のおかげでかなり回復しているのを感じるよ。」
「そりゃあよかった。しばらくはクリスに治療を任せてるからなにかあったら遠慮なく言ってくれ。」
「定期的に様子を見にきますので。」
「すまないね。」
レイの言葉を聞くと、クリスはぺこりと頭を下げ、音もなくどこかへと行ってしまった。
数秒の静寂の後、レイが口を開く。
「ジョー。あの子はお前と同様、龍の資質があるぞ。」
「だろうな。なんたってアルは俺とラミアの子だからな。」
「なんだって!?あの子の母はラミア・グレイシアなのか?・・・そうか。ではあの子は・・・いや、これ以上はよそう。」
再び訪れた静寂の中、レイは遠くアルが駆けて行った方を見つめていた。




