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最後に誰かと一緒に行った、買い物の日を思い出せない。何時、何所で、誰と、何を、どの交通手段で、なぜ買いにいったのか、まるで思い出すことができない。母親とだった気がするし、友達だった気がするし、いたことがないはずのガールフレンドだった気がする。
家にあるものも何時何所で買ったものなのかも思い出せない。日用品はネットで定期便で頼むか、まとめ買いをするので、記憶に残らないのは仕方がない。服も同じ服を何着も買って、それをローテーションしているだけなので思いだせない。布団やパソコンにソファなど、頻繁に買い替えないものも思いだせない。たまに、自分の名前や容姿も思いだせない時がある。
家に引きこもり、文章を書いていると、どこからが現実の出来事で、どこからが虚構の出来事だったのか、だんだんとわからなくなる。僕は、文章を書くときに、その文章に関連した体験をしたことがないと、書くことができない。逆に、少しでもその文章と関連した出来事をしたことがあれば書くことができる。つまり、想像することができないことは書けない。頭の中で、文章の流れをシュミレーションできないことは書けない。だから、自分に嘘を信じ込ませる必要性が僕にはある。
今までに読んだ文章、今までに書いた文章、今までにした会話、今までにみてきたもの、今までにきいてきたもの、今までにふれたもの、今までにかいだこと、今までにあじわったこと、今までにかんがえたこと、今までの感情、これだけの現実では文章を書くことができない。嘘で人を楽しませるには、まず自分がその嘘を信じなければいけない。つまり、文章を書く前に、虚構の世界を脳に創生する。これは繊細で孤独な遊びだ。辛い体験に好奇心を向け、無意識と夢想を脳に植え付け、情熱的に、能動的に、異端になる自分をひたすら観察し、瞑想しなければいけない。
僕はこの世界の神であると同時に、アダムにならなければいけない。そして、自らの力だけでイブをつくる必要がある。イブはとても重要な存在だ。イブがいないと、子供が―――文章が生まれない。
イブは複数人必要だ。一人のイブからは、一人の子供しかうまれない。でも、イブはこの世界に一人しかいない。だから、僕は、世界を繰り返し創生する。