図書館での触れ合い
R15バージョンです。
午後にも投稿します。
「ウッド子爵令息様は凄い方だったんですね」
何だろう?
焦げ茶色のボサボサヘアーが光り輝いて見える。これは魔術士効果だろうか?
「目に見える魔術はこれくらいだし、野営の時にマッチ要らずなのは便利かもしれないね。魔術士団にも王国騎士団にも入るつもりはないから、野営の心配はないけれどね」
「まぁ!マッチが必要なのは野営の時だけではないですよ。普通の料理の時だって竈に火を焚かないといけないし、お菓子作りの時も竈から毎回火種を貰ってますもの。日常生活に火は欠かせないものですわ」
「なるほど。君の作る美味しいクッキーに必要なら、いつでも呼んでくれ。ついでにご相伴したい。是非にも」
世にも貴重な魔術をたかだかクッキー作りの為に使用するとか、普通に考えたら有り得ない。しかしラスティの口元は至極真面目に引き結ばれており、冗談でも何でもなく口にしたんだとわかる。
最初に会ったときは、無言でお菓子を食べる変な人……というイメージだったのだが、声や話し方を好ましく思い、エリザベスのお菓子作りを認めてくれ、さらには自分の大切な秘密さえ明かしてくれた。親しい友人になったような気がして嬉しくなる。
自然とエリザベスから笑顔が溢れた。
「その時には是非お願いしますね」
「もちろんだ」
「ウッド子爵令息様は本当にクッキーが好きなんですね」
ラスティを見上げて言うと、キリッと引き締まった口が躊躇うように開かれた。
「クッキーも好きだがそれよりも、……ラス」
「?」
「これからエリザベス嬢の婚約破棄を手伝う同志として、ぜひラスと呼んで欲しい」
いきなり愛称呼びは敷居が高い。しかし、ずっとウッド子爵令息様呼びをするのも自分からラスティを拒絶しているようで申し訳ない。もっとこの人と親しくなりたいという気持ちも芽生えていた。
「ラス……ティ様?」
「ラス」
「ラス……様」
ラスティの口角が上がり、満足げに微笑んだ。……多分、やはり目は見えないけれど。
「僕も君のこと……」
「ベスとお呼びください」
エリザベスは家族から呼ばれている愛称を告げた。
「それは、彼の人もそう呼んでいるのか?」
「ジルは、私の名前は滅多に呼びません。婚約者殿とか……昔はエリーと呼んでいたでしょうか? 記憶にないくらいの昔ですけど。家族などの親しい人にはベスと呼ばれています」
ラスティは「ベス、ベス……」と口の中で呟いて、満足したように頷いた。
「そういえばベスはここに用事があって隠れていたんだろう? 用事はいいのかい?」
そうだった。キャサリンが探していた本を所定の場所に戻して置こうと思ったんだった。うたた寝して忘れるところだった。
「ちょっと本を探していて……」
エリザベスはさっきジルベルトが色々致していた場所へ向かった。何か変な汁が飛び散ってそうで、この辺りには触りたくない。棚の上の段を見ると、いかにも異質な装丁の本があった。
「ありました」
エリザベスは近くにあった梯子を移動させて梯子に足をかけた。
「あ……ベス」
五段程登ったところでラスティの慌てたような声がした。
「どうかしました? 」
振り返ると、顔ごと真横を向くラスティがいた。何故か顔が赤いようだ。
「言ってくれれば僕が……」
「すぐだから大丈夫ですよ」
スカートは膝丈だが、段を上がることにより太腿あたりまで見えてしまっていることにエリザベスは気が付かなかった。あと一段で手が届きそうだと六段目に足をかけたて本を掴んだ時、メリメリという音がして梯子の段が折れる。
「アッ!!」
体重をかけていたエリザベスは、見事に体勢を崩して梯子から転げ落ちる。床に叩きつけられるのを想定して身体を縮こまらせて目を瞑れば、ドンッという音と温かい何かに包まれる気配が。痛みはいつまでたってもやってこなく、嗅ぎ覚えのある爽やかなサンダルウッドの香りがした。さっき、この匂いに包まれて目覚めたような。それはラスティの上着から香った匂いと同じだった。
「大丈夫?!」
エリザベスは驚いて目を見開いた。梯子から落ちたエリザベスをラスティが受け止めてくれたらしく、ラスティの胸元にしっかりと抱きかかえられていた。その体温はエリザベスのものより少し高く、ドキドキと速い心音も伝わってきた。
ヒョロッと細身のイメージだったが、しっかりと胸筋のついた胸の感触は固いだけでなく弾力があり、エリザベスを抱きかかえる腕は固く盛り上がり、エリザベスを抱えてもよろけることない足腰は鍛えられたものだった。
細マッチョ?
騎士科のジルベルト程ではないが、頭脳の文官学科の体型ではなかった。
「あ……ありがとうございます」
「びっくりした。立てる? 怪我はない?」
「はい。ラス様のおかげです」
ゆっくり床に下ろされ、エリザベスは至近距離からラスティを見上げた。落ちるエリザベスを助けた時に乱れたのか、ボサボサの髪の毛の間からラスティの切れ長の目が見えた。瑠璃色の瞳は思わず見惚れてしまうくらい綺麗で、髪の毛で隠してしまっているのがもったいないくらいだった。王家が持つ特別な瑠璃色に似ている気もしたが、一瞬しか見えなかったからきっと似ているだけなんだろう。
猫背を矯正し、ボサボサの髪の毛を整えてスッキリと顔を出したら、物凄い美青年なんじゃないだろうか?
「ラス様って……」
「うん?」
もう少し身なりを整えれば良いのに……と言いかけて、大きなお世話なことに気がついた。これだけ端整な顔立ちをわざとボサボサの髪型で隠しているのだから、自分の風体を周知したくないのかもしれない。どんな理由があるかはわからないけれど。
「ラス様って、良い香りがしますね」
「匂い?特に香水は使ってないんだけれど」
「そうなんですか? サンダルウッドのような爽やかな香りがします」
エリザベスは鼻をひくつかせてラスティの匂いを嗅ぐ。
「ベスの方がいい匂いだよ。甘くて美味しそうな匂いがする」
「本当ですか?私も香水とかは使ってないんですけど。お菓子ばっかり作っているから、バニラエッセンスの匂いがしみついちゃったんでしょうか」
お菓子の匂いのする女って、いかにもお子様な気がするんだけれど……とエリザベスが考えていた時に、いきなりラスティが屈んでエリザベスの耳元の匂いを嗅いだ。そのあまりの至近距離に、エリザベスの頬がボッと赤くなる。
「ラス様近いです!」
「あぁ、うん。甘い香りが強くなった。これはきっとベスの魔力の香りだね。知ってる?魔力の相性の良い相手の匂いはとても好ましく感じるんだって」
魔力の相性?
ジルベルトの匂いを好ましく感じたことはなかった。それは相性が良くなかったということだろうか? カスみたいな魔力でも、合う合わないがあるんだと初めて知った。
「魔力なんて感じたことなかったけれど、私にも少しでもあるんですね」
「うん、甘くてうっとりする魔力」
実際に触れられてはいないが、パッと見抱擁されているように近い距離にいる。ラスティの唇が耳に掠ったような気がして、エリザベスは慌てて一歩下がった。
「ごめん、美味しそうな匂いでつい」
「美味しそう……って、私はクッキーじゃないですよ。それより、学園の備品を壊してしまいました。どうしましょう」
多分全身が真っ赤になっている気がする。婚約者がいるとはいえ、異性とこんなに近い距離にいたことがないから免疫がないのだ。しかも魔力の相性が良いって、ラスティと相性が良いって、凄く恥ずかしくて……舞い上がってしまうくらい嬉しい。
嬉しい?なんで?
頭の中がパニックで、エリザベスは学園の備品を壊してしまったから慌ててるんです……というフリをする。
「大丈夫、僕が司書の先生に伝えておくから」
司書の先生……スザンナ先生。彼女は貴族令息達には大人気の大人のお色気ムンムンな女性だ。ラスティが彼女の魅力にはまったら……。
さっきのジルベルトとスザンナ先生のイケナイ映像がラスティとスザンナ先生とのものに置き換わる。
心臓がギュッと掴まれたような痛みを感じ、手足の先から急激に凍えていくように感じた。思わずラスティの上着のそでを握ってしまう。
「ベス?」
「私が……私が壊したんだから、私が伝えます」
「じゃあ、一緒に伝えに行こうか」
エリザベスが頷くと、ラスティはエリザベスの手を包むように握った。
「大丈夫、危ない目にあわせたと謝られることはあっても、備品を壊したと怒られることはないからね」
ラスティは、エリザベスが怒られるかもしれないと不安になってラスティに縋ったと思ったらしかった。優しく包まれる手の温かさに、身体に温度が戻ってくる。同時にサンダルウッドの香りに優しく包まれる。
これはあれだ……。
エリザベスは自分の感情に戸惑いながら、見えないラスティの顔をジッと見つめた。ラスティの口元が孤を描いているから、きっと微笑みかけているに違いない。
やっぱり顔が見えないのに、全体的にカッコ良く見える。
これはあれだ、恋愛フィルターがかかってしまったに違いない。
つい最近ジルベルトの浮気現場を目撃し、前世を思い出しちゃうくらい衝撃を受けて失恋したばかりだというのに、もう気になる人ができちゃうなんて……。
前世でも現世でも、そんなに気の多いタイプじゃないと思っていたが、もしかして惚れっぽい体質なんだろうか?
エリザベスが色んな面で衝撃を受けている中、ラスティは自然な動作でエリザベスをエスコートしつつ、エリザベスの当初の目的である本を所定の場所に戻し、梯子のことを司書の先生(スザンナ先生はおらず、男性の先生に伝えたらすごく謝られた)に伝えてから馬車寄せまで送ってくれた。