番外編2 アナスタシアの悪夢5
本日2話目です。
「……マリア先生」
エリザベスが廊下を歩くマリア先生に声をかけると、振り返ってエリザベスを見たマリア先生は、一瞬目を見開いて驚いた表情を浮かべた。しかしその表情はすぐに消え去り、両腕を胸の下で組み、自慢の胸を持ち上げるように不敵に微笑んだ。
「あら、エリザベスさん。なにかご用かしら?」
「先生にお話があります」
「まぁ、なぁに?」
「ここでは……」
エリザベスが周りを気にする素振りを見せると、マリアは小さく笑った。
「クスッ、女同士の内緒話かしらね。いいわ、私の教務室にいらっしゃい。お茶くらい出してあげるわ」
マリア先生の後に続き、古文学の教務室へ向かった。
教務室は壁一面の本棚にギッシリ本が並び、その本棚に入り切らない本が至るところで山積みになっており、狭い教務室がより狭く感じられた。しかし教務室をさらに狭くしているのは、その中央に置かれた異様に大きなソファーで、その上にも本が散乱していた。
「適当に本をどけて座ってちょうだい」
沢山の魔力香の染み込んだソファーは、はっきり言って悪臭を漂わせており、ここで致していただろうアレコレを思うと座る気にはなれず、エリザベスは壁際にあった一人がけの椅子を持ってきて座った。
マリア先生はそんなエリザベスをチラリと見たが、何も言うことなく紅茶をいれて戻ってくると、自分は本をどかしてソファーに座った。同じポットからティーカップに紅茶を注ぎ、エリザベスにどうぞとカップを選ばせた。念の為、エリザベスは自分から遠い方のカップを手に取った。
「それで、どんなお話なのかしら」
足を組み、魅惑的に微笑むマリア先生からは、教壇に立つ姿とは違う女の色気が溢れ出ていた。
「……」
「もしかして……キャンベル王国学園、全女子生徒を攻略せよ!〜ジルベルトの乱れた放課後……のことかしら?」
いきなり直球できたマリア先生の言葉に、エリザベスは驚きのあまり目を見開いてマリア先生を見つめた。
キャンベル王国学園、全女子生徒を攻略せよ!〜ジルベルトの乱れた放課後……とは、前世のエロゲーの題名である。
「その表情を見る限り、やっぱりあなたも転生者みたいね」
「マリア先生……も?」
マリアは紅茶に砂糖を一匙入れると、紅茶をクルクルとかき混ぜて一口飲んだ。
「そうよ。同郷の人に会えて嬉しいわ。輪島まりあが前の名前ね。あなたは?」
「……各務愛莉」
「そう、愛莉ちゃんね。あなたはこのゲームにおける最重要なモブキャラだって自覚はあるのかしら?」
最重要なモブキャラ……言いたいことはわかるけど、その言い方はどうなんだろう……。
「私はゲームのキャラクターじゃありません。エリザベス・ミラー、この世界に生きている人間です。もしこれがゲームの世界だというなら、マリア先生、あなたの存在はどうなりますか?私はマリア・ロンドなんてモブキャラとしても記憶にないです」
「それはそうよ。私はプレイヤーですもの。ジルベルトを成長させたのも私だし、各ルートを攻略するようにさりげなくサポートしたのも私。ただ、この世界はワンクール目だから、どうにもうまく進めることができなかったわ。ゲームみたいにリセットできないのが難点ね」
クスクス笑いながら言うマリア先生は、本当にこの世界がゲームそのものだと思っているようだった。しかも、ワンクール目ということは、何度も転生するつもりでいるんだろうか?
エリザベスはゾッとして思わず二の腕をさすった。
「でも……実際にプレイヤーとしてこの世界で生きてみたけれど、思っていたよりも面白くないものね。ジルベルトは思ったようには動いてくれないし、なによりも映像みたいに良い角度から見れるわけでもないもの。自分がジルベルトとしてみれば、あの奇跡のエンディングを体験できるかもとも思ったけど……元婚約者のあなたに言うのもなんだけど、イマイチなのよね」
あっけらかんとして言うマリアに、エリザベスは開いた口が塞がらない。
「イマイチ……って」
「なんていうか……普通?正直ガッカリよ。最近何回も、あの奇跡のエンディングを夢にまで見たけど、やっぱり夢は夢なのね。本当に見かけだおしというか、期待外れというか……」
「夢……ですか?」
アナスタシアの悪夢とマリア先生の夢、そこに接点があるのではないだろうか?マリア先生の様子からは、アナスタシアを貶める為に夢を見させているという感じはしない。たまたまマリア先生の夢にアナスタシアが引きずり込まれたのなら、はた迷惑にも程があるだろう。
それだけマリアの潜在的な魔力が強いのか、超常現象を引き起こしてしまうくらい性への探求心が人並外れているのか……。
「そんなことより、愛莉ちゃん、お紅茶が冷めてしまうわ」
「愛莉ちゃんは止めてください」
「はい、はい、エリザベスさん。お紅茶にはミルクか砂糖をいれますか?この茶葉は苦味が強いからお砂糖多めがおすすめですよ」
「いえ、なにも」
エリザベスは砂糖の甘さは媚薬などの味を隠してしまうと思った為、何も入れずに一口飲んでみた。さすがに王太子の婚約者になったエリザベスに何か仕掛けてくるとは思えないが、砂糖をあまりにすすめてくる為警戒したのだ。
特に怪しい感じもなかったが、マリア先生の言うようにミルクが合いそうなダージリンのような紅茶だったので、ミルクを少し足してさらに飲んでみた。
「美味しいでしょ?もう一杯いかが?」
「いえ、それよりもさっきの夢の話なんですけど」
マリア先生は空になったエリザベスのカップに紅茶を注いで、ミルクをたっぷりと入れた。
「夢がどうかして?あなたは婚約破棄してしまったし、ジルベルトと復縁も難しいでしょう。もう、夢で見るくらいしか楽しみがないのだから、私の夢くらい好きに見させて欲しいわ」
「でも、そのせいでシア様が!」
「ゴールド公爵令嬢?」
「マリア先生の魔力が暴走してるんです。マリア先生の夢がシア様の夢に影響を及ぼしてしまっているんです。シア様は毎晩苦しんでいます!お願いですからゲームのことはもう忘れてください!さっき先生が言ったように、もう私は婚約破棄してるんです。ストーン侯爵令息に好感を持つなんて、一生かかってもありえません!」
エリザベスは一息に喋りきり、あまりに喉が渇いたので紅茶をいっきに飲んだ。
「本当に……ジルベルトのことを好きになることはないの?」
「ないです!私はもちろん、シア様だってストーン侯爵令息のことをゴミカス扱いですから」
「あらあら。悪い子じゃないのに可哀想に……」
「ストーン侯爵令息のことはおいておいて、今はシア様です!」
マリア先生は紅茶をかき混ぜながら、首を傾げる。
「私の夢が影響を及ぼしている……ということは、彼女はアレを体験しているということかしら?まぁ、処女には少し刺激が強いかもしれないけれど……」
「少しなんてもんじゃないです!もしもこれ以上シア様……に」
エリザベスは、急にふらついてテーブルに手をついた。
「シア……様……に」
急に身体が痺れて、身体の自由がきかなくなる。
痺れ薬というには強力で、指先すらも動かせない状態に、エリザベスは姿勢を保つこともできずに、椅子から崩れ落ちてしまった。
「……な……に……こ……れ」
床に転がるエリザベスを横目に、マリア先生は優雅に紅茶を口にした。
「アナスタシアに何かするとしたら、あなたがジルベルトに堕ちてからよ。無意識の私が何かしていても知ったこっちゃないわ。ウフフ、伯爵令嬢のあなたが床に寝転がってはいけないわ。まるで平民の娘みたいにお行儀が悪いわよ」
「……わ……た……し……は……」
エリザベスはとうとう喋ることもできなくなってしまった。
「大丈夫よ。これで心臓まで止まることはないから。これに効果があるのは随意筋だけ。不随意筋には作用しないから安心して。そうそう、これも飲んでおいてもらわないとね。あなた、もう王子のお手つきはあったの?あったとしても、ジルベルトのはあなたサイズじゃないから、媚薬でも飲まないと痛いだけで、身体から堕ちてはもらえないでしょう?これを飲んでジルベルトがいないといられない身体になればいいのよ」
マリア先生はエリザベスを抱き起こすと、その口に甘い液体を注ぎこんだ。口の端からダラダラと溢れるが、少しは喉を通ってエリザベスの体内に入ってしまった。マリア先生はエリザベスをソファーの方へ引きずって行くと、動けないエリザベスをなんとかソファーに横たえた。
「まぁ、そこそこジルベルトには仕込んであるから、モブキャラのあなたを堕とすのなんか簡単でしょうね。特にこの薬を飲んでいればね。身体から落ちる恋もあるのよ、愛莉ちゃん」
マリア先生はクスクスと笑いながら教務室を出ていった。




