番外編1 その頃のジルベルト
番外編です。午後にも投稿します。
はっきりいって、ヒーローの出番がないです。申し訳ない。番外編はヒーロー不在(いるんですけど活躍しません)と考えてください。
グズグズと鼻をすするイザベラの肩をガーベラが撫で擦って慰めているのを、ジルベルトは忌々しそうに真向かいに座って見ていた。さすが侯爵家の馬車、ジルベルトの通学用とはいえ広さはそこそこあり、向かい合って座っても膝が触れることもない。
「うざい!」
「ウワァァァァッ……」
あまりの辛気臭さに、ジルベルトがイライラも隠さずに一喝すると、せっかく泣き止みかけていたイザベラがまたもや大号泣しだした。泣きに泣いて、すでに瞼が腫れ過ぎてパンパンだし、化粧は落ちて黒い筋で顔が斑になってるしで、とてもじゃないが人間の顔ですらない。
「ジルベルト様、さすがに酷いです。あんまりです」
「何がだ」
ガーベラはイザベラの肩に腕を回し、赤ん坊を宥めるようにトントン背中を叩きながら、ジルベルトを睨みつけようと視線を向けるが、ジルベルトに逆に睨みつけられて、オドオドと視線を落とした。
「イーちゃんは本当にジルベルト様をお慕いしているんですよ。イーちゃんの何がそんなに駄目なんです」
「……ずいぶん仲良くなったもんだな」
「そりゃ同志ですから」
あだ名呼びに、ジルベルトが鼻を鳴らしてフンッとそっぽを向いた。
「私みたいな脳筋と違って、几帳面な努力家なんです。ちょっと努力の方向性が特殊な面もありますが……。いえ、とても素敵な女性ですよ……ある種の性癖の方には刺さる感じで。なにより子爵家長子です。一人っ子で親戚にも男児はいないそうです。つまりは確実に後継ぎです!お買い得なんです!」
「ぞうでず!おがいどぐなんでず(そうです!お買い得なんです)」
「その酷い顔をこっちに向けるな!」
「びどいィィィッ」
ガーベラもけっこう酷いことを言っている気がするが、イザベラはそこでは傷ついていないようだった。
「情はないんですか。少なくても、一回は身体を重ねた訳ですし」
「ざんがい(3回)でず」
「3回なんですね。私は5回でした」
「まげだ(負けた)ー!」
脱水症状が起こりそうになる勢いで泣くイザベラに、少し得意そうなガーベラ、なんだってこんな女達に手を出してしまったんだろうとため息が止まらないジルベルト。そんな三人を乗せた馬車はストーン侯爵邸の門をくぐり抜け、立派は屋敷の前で停まった。
「ほら、さっさと下りろ」
ジルベルトが二人を屋敷に連れてきたのは、エリザベスに言われた責任とやらをとって、身綺麗になった(絶対ならない!)状態でエリザベスに再度求婚する為だった。その為には、父親であるストーン侯爵に金を出して貰わないといけないし、親戚で彼女達の婿になりそうな男を侯爵の権限で見繕って貰う必要があった。
あくまでも諦めない男、それがジルベルトだった。
そして、諦めない女、それがイザベラでありガーベラだった。
つまりは、お似合いなんじゃない?というのがエリザベスの感想なのだが、今ここにそれを言うエリザベスはいない。
「ロックウェル、ロックウェル!」
「はい、坊ちゃま」
「坊ちゃまはよせといつも言っているだろう。父上は?まだ王宮か?」
ストーン侯爵家の老執事がジルベルトに呼ばれてやってきた。白髪に白い髭を生やした痩せぎすの老人だが、さすが侯爵家の筆頭執事というべきか、背筋がピシッと伸びて立ち姿が美しい。
「いえ、先程お帰りになられて、今は執務室においでです」
「そうか。おまえら、ついてこい」
ジルベルトが顎をしゃくり、ズンズンと歩いていく。その後ろから泣き女のようなイザベラと、そんなイザベラを支えて歩くガーベラが続いた。
二階に上がってすぐ、重厚感のある扉を叩くと、「入ってよし」という低く響く声が返ってきた。ジルベルトが扉を開くと、大きな執務机の前にはジルベルトよりもさらに一回り大きく、渋みのある中年男性が座っていた。その横には、ジルベルトによく似た男性が立っていた。座っているのはストーン侯爵その人で、立っているのは長男のダンバートンだった。
「父上!お願いがあります」
「ジルベルト、まずは座れ。……カーン子爵令嬢とブロンド騎士爵令嬢だったか。君達も座りなさい」
ストーン侯爵は椅子から立ち上がると、正面にある会議机に並ぶ椅子に座るように手で示した。イザベラのあまりに崩れた顔面に、一瞬誰だかわからなかったようだが、ガーベラと一緒にいたからか、低い身長に不釣り合いな大きな胸というその体型から当たりをつけたのか、イザベラをなんとかカーン子爵令嬢だと認識できたらしい。
ダンバートンは素早く動いて、イザベラとガーベラの為に椅子を引いた。そして無言でイザベラにハンカチを渡したが、それでは足りないと気がついたのか、さらに部屋の戸棚にあったタオルを持ってくると、イザベラの前のテーブルに置いた。
「三人揃っての話ということは、ジルベルトはやっと責任を果たす気になったか」
「そんなのある訳ない」
ややホッとしたように表情を緩めたストーン侯爵だったが、次のジルベルトの発言で一瞬にしてコメカミに青筋が浮かんだ。
「ジル!」
ダンバートンの静止の声も無視し、ジルベルトはさらに続ける。
「父上達だってエリザベスとの婚姻を望んでいるだろう。その為には、こいつらに十分な慰謝料を払って、嫁ぎ先を提供す……」
「この!馬鹿者がッ!!」
ストーン侯爵の太い腕が唸り、ゴツゴツした拳がテーブルに叩きつけられる。ガンッという大きな音と、ミシッとテーブルにヒビが入る音が重なり、その後執務室は無音になった。
イザベラの涙は引っ込んだし、ガーベラは蒼白を通り越して土気色になり表情をなくした。
さすがに親子というか、最初にストーン侯爵の怒気による圧力から動けたのはダンバートンだった。
「父上、ご令嬢方が怯えていますから」
「……」
ストーン侯爵は大きく深呼吸をすると、ゆっくりと怒気をおさめた。
「すまなかったね」
いまだに青筋はたって、握った拳は小刻みに震えているものの、ストーン侯爵は般若のような顔に無理矢理笑顔を貼り付けてイザベラ達に話しかけた。
「と……と、と、とんでもございません」
「君達に聞きたい」
「は、はい!なんなりと」
「君達は、こんな愚息だが……まだ婿にと望むのか?」
イザベラもガーベラも、まるで赤ベコのようにブンブンと首を縦に振る。
「……そうか」
ストーン侯爵は深く息を吐き出すと、ジルベルトに顔を向けた。
「二者選択だ。平民になり侯爵家と完全に縁を切るか、この二人の令嬢と将来を共にする選択をするか」
「は?」
ジルベルトは一瞬頭が真っ白になった。貴族ではない自分など想像したことはなかったし、いつだってストーン侯爵家のジルベルトだと認識されてきた。いきなり平民とか意味不明だし、この二人と結婚とかはもっとありえない。
「一ヶ月だ。一ヶ月で決めろ。他の選択肢は受け付けない」
あ然とするジルベルトの腕をつかみ、ダンバートンがジルベルトを執務室から引きずり出す。
「ジル、父上は本気だ。正しい選択をすることを願うよ」
廊下に転がされたジルベルトは、ただ目を見開いて閉じられていく扉を見つめた。
バタンと音をたてて扉が閉まると、もう執務室の中の音は聞こえなくなった。ジルベルトはヨロヨロと立ち上がり階下に下りると、老執事のロックウェルの声掛けにも気づかずに屋敷を出た。
脳筋のジルベルトは、辛い時や悩んだ時には考えるのではなく無性に身体を動かしたくなる。勉学を怠けて女と抱き合うことはあっても、鍛錬を欠かすことは絶対にない男だ。そんなジルベルトが、裏庭にある訓練場のベンチに座り頭を抱えていた。
「ジルベルト君」
柔らかい声で呼びかけられ、ジルベルトはノロノロと頭を上げた。目の前には、マリア先生が琥珀色の瞳に笑みを浮かべて立っていた。その豊満に熟れた身体を見ても、色気漂う口元の黒子を見ても、以前のようなムラムラするような高揚感はなかった。
「……古文学は選択してないぞ」
「勉強の話できたんじゃないわ」
「ハッ……。セックスの相手なら他をあたれよ。今はそんな気分じゃないんだ」
「あら珍しい」
マリア先生はジルベルトの横に座ると、ジルベルトの内腿に右手を滑らせた。
「よせよ……マジで気分じゃない」
「ふーん……まぁいいわ。そういう時もあるかもね。そんなジルベルト君に招待状を持ってきたの」
「招待状?」
「えぇ。特別な招待状よ。多分これが最後のチャンスね」
唇の端だけを上げて笑うマリア先生を見て、ジルベルトは招待状を受け取り鼻で笑う。
「なんの最後だよ」
「ジルベルト君が将来のミラー伯爵になる……よ」
放心気味だったジルベルトの瞳に光が戻り、マリア先生の方へ膝を向ける。
「興味わいた?」
「詳しく話せ」
すでに暗くなってきたのにもかまわず、ジルベルトはマリア先生の話を聞いた。二人の話は、暗い中を老執事ロックウェルがランプを持ってくるまで続いた。