婚約破棄でお願いします
本日2話目です
やっとだ……。
6月終わり、夏の社交界に向けてエリザベスの両親が王都に出てきた。なるべく早くに王都に来て欲しいというエリザベスの手紙を受け、いつもより半月程早くに来てくれた両親は、娘達の真剣な表情に、再会の抱擁もそこそこに談話室のソファーに座り三姉妹と対面した。
「何があったんだい? キャロラインの学園生活がうまくいってないとか? 」
「私は順調です」
「ではオリーブ? 何かとんでもない物でも発明したとか? 」
「私も別に」
「では屋敷に何か? 」
三姉妹が揃って首を横に振ると、母親であるミラー伯爵夫人が心配そうにエリザベスを見つめた。
「だって、大切なお話があるって。まさかエリザベスではないだろう?」
おとなしいエリザベスは、今まで親を心配させるような行動をとったことはなく、両親から絶大の信頼を得ていた。
「ごめんなさい。私です」
「いったい何が? 」
「婚約破棄を考えてます。というか、明後日、調停を行います」
「そんな! いきなり……」
ミラー伯爵夫人は青くなり、ミラー伯爵は信じられないと額に手をやる。
「おまえがそんなことを考えるには、何か理由があるんだろう? 」
エリザベスは頷くと、調停で呈示する為に用意した証拠の品々を両親に見せた。そしてつっかえながらも、ジルベルトの不貞の現場を目撃してしまったこと、それから年末のダンスパーティーではジルベルトが浮気相手をエスコートしたこと、新年の祝賀舞踏会直前にこの屋敷でジルベルトに襲われそうになり、舞踏会にはジルベルトの兄にエスコートしてもらったことなどを話していく。
「あなた、そんなこと一言も……」
ミラー伯爵夫人が涙を浮かべてエリザベスに手を伸ばした。エリザベスはその手をしっかり握り、謝罪の言葉を続けた。
「ストーン侯爵家とのご縁を繋ぐことができず、申し訳なく思ってます。お父様達も社交がしにくくなるとは思いますが、私はジル……ジルベルト侯爵令息とは結婚できません。本当に申し訳ございません」
エリザベスが頭を下げると、ミラー伯爵は大きく息を吐き出した。
「私達のことは心配しなくていい。多少事業を縮小することになるだろうが、そんなものはたいした問題じゃない。おまえの、おまえ達の幸せが一番なんだ。それで、明後日調停か。なるほど、間に合って良かった。長雨の影響で橋が通れなくなるところだったのだよ。で、ストーン侯爵様は王都に来ているのかい? 」
「ええ、侯爵様は冬の社交の後、領地にお戻りにならなかったようなの」
そう、ストーン侯爵にも調停に出席してもらわないといけない都合上、4月に証拠は集め準備はできていたのだが、夏の社交界が始まる7月に調停を予定していた。しかし調べてみると、ストーン侯爵が冬以降王都に滞在しているのがわかり、調停を早めてエリザベスの両親にも早くに王都に出てきてもらったという訳だ。
「そうか……。侯爵様はこのことは? 」
「多分ご存知ないと。調停にも、違う用事で来ていただくことにしてあるし」
「違う用事? そんなこと可能なのか? 」
エリザベスだけなら確実に不可能だ。でも、サイラスとアナスタシアの協力があれば可能なのだ。
「うん。シア様、ゴールド公爵令嬢とお友達になってね、彼女が今回のこと手伝ってくれたの。他のお友達も」
「ゴールド公爵令嬢が?! そうか。ベスに友達が……」
アナスタシアと友達だということよりも、エリザベスに友達ができたことに両親は嬉しそうに微笑んだ。
「三人共、学校でのこと教えてくれる? リー、中学部では相変わらずなの? 本ばかり読んでいるんじゃない? キャロ、学園はどう? 入学式には帰ってこれなくてごめんなさいね。お父様の風邪がお母様にも感染ってしまって。さらには屋敷の人達も。お友達はできた? あなたのことだからそれはあまり心配してないのだけれど」
ミラー伯爵夫人は優しい笑顔で娘達の話を聞き、エリザベスは婚約破棄について両親に責められることはなかった。
★★★
婚約破棄の調停日、エリザベスはミラー伯爵と一緒に王宮にきた。通常ならば調停を王宮で行うことなどないのだが、サイラスのはからいで王宮の一室で行われることになった。
通されたのは会議室の一つで、すでに調停員である三人が正面に座っていた。三人共黒いマントで身体をスッポリ覆い、フードを目深に被っているから目元まで隠れてしまっている。
見るからに怪しい風体に、エリザベスは部屋に入ろうと踏み出した足をピタリと止めた。
「ミラー伯爵、ミラー伯爵令嬢ですね。主調停員をつとめますアントンです」
「副調停員のフィリッポです。あっちのはザイス」
「……アントン様ですか」
ミラー伯爵は口の端をひくつかせながら三人の調停員を見つめ、何故か諦めたようにため息をついた。エリザベスを促して部屋に入り、調停員に向かって右側の席につく。
「なんで彼らが……」
ミラー伯爵はブツブツとつぶやいていたが、エリザベスはザイスと呼ばれた調停員をジッと見た。目元は隠れてわからないが、だからこそ少し見えている鼻筋と唇、そして何よりもそのサンダルウッドの香り。
エリザベスの表情がフッと緩んだ。
「ストーン侯爵様、ストーン侯爵第3令息様がご到着になりました」
ドアの前に控えていた騎士がストーン侯爵とジルベルトの到着を告げ、開けられた扉から二人が入ってきた。
「これは? ミラー伯爵じゃないか。君もキャンベル王に呼ばれたのか」
ラス様、王様の名前使ったんだ……。
エリザベスは遠い目になってしまう。彼にとっては父親かもしれないが、不敬罪で処罰されないだろうか? もしくは偽証罪?
「いえ、私共は……」
「あぁ、エリザベス。今日も小さくて可愛いね。うん? 私達はこちらに座るのか? いったい何が始まるんだ」
ストーン侯爵は、エリザベスの頭を撫でようと近寄ろうとし、案内してきた騎士にエリザベス達の正面に座るように促された。
ストーン侯爵達が席につくと、アントンと名乗った調停員が調停の開始を宣言した。
「これより、ストーン侯爵令息ジルベルトとミラー伯爵令嬢エリザベスの婚約破棄における調停を執り行うこととする」
「は? 婚約破棄? 一体何を……」
ジルベルトのみ、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。ストーン侯爵の落ち着いた雰囲気からは、まるでこのことを知っていたかのように伺えた。
「静粛に。まず、第一の証言これへ」
扉が開き、キャサリンが部屋に入ってきた。
「キャサリン・ハート、あなたはこの場で真実を述べることを誓いますか」
「はい、誓います」
「では証言を」
キャサリンは日記を取り出すと、ジルベルトに関するところだけを抜粋して読み上げた。そして、証拠として日記を提出して部屋を出ていった。
「何をいったい。あんなのは妄想だ!日記だと? ただの平民の戯言じゃないか! 」
「なるほど。不貞の事実はなかったと? 」
「ある訳がない! 」
「では第二の証言これへ」
扉が開いてアナスタシアが部屋に入ってきた。
「アナスタシア・ゴールド、あなたはこの場で真実を述べることを誓いますか」
「誓います」
アナスタシアは証言証書を調停員に差し出した。
「これはわたくしの書いたものではございません。本人達の名誉を守る為、名前は伏せさせていただきますが、ストーン侯爵第3令息と身体の関係にあった貴族令嬢の証言です。わたくしの前で懺悔し、サインした物でございます。いつ、どこで、どのようにストーン侯爵第3令息と交わったか、詳細に記されているものでございます」
「うーん……これはまた」
「凄いね、これ書いた人官能小説家になれるんじゃない」
ずいぶん軽々しく話す調停員を、ジルベルトが盛大に睨みつけた。
「あ……アントン調停員、それをストーン侯爵第3令息に確認してもらいますから」
ザイス(サイラス)調停員が証言証書を手にジルベルトに近づく。ジルベルトはそれをひったくるように奪うと、貪るように目を通した。
「こ……こんなのそれこそ官能小説だ。虚偽だ! なんの証拠にもならない」
ジルベルトがビリビリに証言証書をひきちぎってしまう。
「まぁッ! 酷いですわ。そちらは調停が終わりましたら、本人達にお返しすることをお約束いたしましたのに」
アナスタシアはひきちぎられた証書を丁寧に全て拾うと、綺麗な淑女の礼をして出ていった。
ジルベルトは椅子に深く腰掛け、苛々したように膝を指先で叩き、エリザベスを怒りの形相で睨みつけていた。以前のエリザベスならば、そんな視線を受けたら、震えて目も合わせられなかったかもしれない。しかし、今は父親が隣りに座り優しくエリザベスの手に手を重ねてくれているし、何より近い位置にサイラスの存在を感じる。それだけで、エリザベスはしっかりとジルベルトと視線を合わせることができた。
「では第三の証言これへ」
次に部屋に入ってきたのはイザベラとガーベラだった。同じように宣誓をし、ジルベルトとの関係を事細かく話す。ほとんどはイザベラが話し、ガーベラは調停員に聞かれたことに頷いたり小さく返事をしたりだった。イザベラが証拠として、ジルベルト監視ノートと初めてを捧げた証拠であるハンカチを提出すると、その明らかな不貞の証拠に、ジルベルトはそんなものをとっていたのかと不愉快そうに眉をひそめた。しかしすぐに表情を消すと、すぐに反論を開始する。
「確かに、俺はそこの女共に言い寄られたことがある。だが、どこの世界に可愛い婚約者がいるのに、こんな地味な眼鏡ブスを抱くって言うんだ。そっちの騎士爵の娘だって、筋肉ばかりで抱き心地も悪そうじゃないか」
イザベラはジルベルトの言葉に蒼白になり、ガーベラは泣き崩れた。
「でも! ここにあなた様に抱かれた証拠も」
「だから気持ち悪い女だな。どうせ屋敷に潜り込んで、ゴミでも漁ったんだろう。俺だって男だからな。自慰くらいはする。どうせそのハンカチを拾って、自分の血を擦り付けたんだろうさ。ふられた腹いせに嘘ばかり書き綴りやがって」
ジルベルトが軽蔑したような視線で睨みつけると、イザベラもとうとう我慢ができずに泣き出し、騎士に支えられて二人共退出した。
「で! どこに俺が不貞をしたって証拠があるんだ! 」
ジルベルトが勝ち誇ったように叫ぶと、ザイス(サイラス)調停員が立ち上がった。
「では、これは最後の証言になります。第四の証言これへ」
扉が開き、キョトンとした顔のティタニアが立っていた。ジルベルトを見つけると、パッと笑顔を浮かべてジルベルトに走り寄る。
「ジルベルト様ァ、これはなんですの」
「寄るな! 触るな! 」
腕に纏わりつこうとしたティタニアを、ジルベルトは不機嫌さも隠さずに振り払う。
「ティタニア・オスマンタス男爵令嬢で間違いないな」
「そうですけど、あなたどなた? 」
「私は婚約破棄の調停員。今は婚約破棄の調停の最中である」
「まぁッ! 」
ティタニアの顔が喜びで綻ぶ。
「去年の年末に行われた学園のダンスパーティー、そこでストーン侯爵第3令息はここにいる婚約者の令嬢ではなく、そちらの男爵令嬢をエスコートしたことに間違いないな。第3王子殿下の証言も取れている」
「そ……それは間違いありませんが、やんごとなき理由があったからで、それが不貞の証拠には……」
「ミラー伯爵令嬢、あなたは去年、婚約者の不貞の現場を目撃した。相違ないか? 」
エリザベスは立ち上がり、大きな声で「はい」と答えた。




