新年の祝賀舞踏会
午後にも投稿します
「ザックノート・ストーン侯爵令息様、エリザベス・ミラー伯爵令嬢様ご入場」
新年の祝賀舞踏会当日、エリザベスはジルベルトの次兄であるザックノートのエスコートで舞踏会場に入場した。ジルベルトはゴールド公爵家からの抗議文を受け謹慎状態にあった為に祝賀舞踏会には欠席、エリザベスのエスコートは妻が妊娠中で一人で出席する予定であった次兄のザックノートが代わりに行うことになった。ザックノートもジルベルトに引けを取らない体躯の持ち主で、その腕に手を置くエリザベスは大木にとまる蝉のようにさらに小柄に見えた。
エリザベスの紫のドレスは、胸元に何枚も重ねたフリル(詰めた余り布で作った)が施され、背中や腕は露出しているものの、二の腕まで覆うくらいの手袋をしている為慎ましやかな印象を与えた。また膝丈くらいのタイトのワンピーススカートの上に、透け感のあるシフォンのフレアロングスカートを重ね着しており、歩く度にそのシフォンスカートがフワフワ揺れる様は、清楚な中に色気を醸し出していた。つまり、ジルベルトが持ってきた下品なドレスは原型もなく、全く別物のドレスに仕上がっているというわけだ。
「エリー、少し見ない間にずいぶんと大人っぽく美しくなったな」
「それはドレスとお化粧のおかげです。元はたいして変わりませんよ」
ザックノートは、年の離れた妹を見るように目尻を下げてエリザベスを賞賛した。ストーン侯爵家兄弟とは小さな時から面識があり、特にザックノートはエリザベスのことを自分の弟よりも可愛がっていた。
「そんなことないさ。こんなに綺麗に成長したエリーを前にジルが理性をなくしたのも理解できるが、でもやっぱり時期を待つべきだった。あいつは最低なことをした。本当に申し訳なかった。全く、あと少しも辛抱できないなんて、騎士になる者として忍耐力を鍛えないとだな」
「……」
ザックノートに悪気がないことは、わかっている。エリザベスを本当に可愛がってくれており、弟であるジルベルトと結婚することで義妹になることを、本当に望んでくれているのだ。
「ザック兄様、私……」
「ごめん、悪かった。エリーにはトラウマだよな。いくらジルのことが好きでも、純情なエリーには耐えられないことだったよな。でも、夫婦というものは子供を成す為に絶対にしなくちゃならない行為があるんだ。恥ずかしいことでもなんでもないんだ。最初は怖いかも……」
「ザック兄様! 私も成人してるんですから、それくらいわかってます」
「しかしだな……」
舞踏会の真っ最中、回りに人が沢山いる中で話す話題ではない。エリザベスは声をひそめる為にザックノートの腕を引っ張って大きな身体を丸めさせ、人のいないテラスで話しをしようと耳元で言った。
前世では恋人がいたこともあるのだ。今世ではキスもまだ(ジルベルトにされた唇の端っこに触れた何かはノーカンだ)ではあるが、知識だけなら今時の貴族令嬢より豊富な筈だ。
エリザベス達はカーテン裏の窓からテラスに出ると、テラスに置いてあるベンチに腰掛けた。ベンチの横には火が焚いてあるから、なんとかドレス姿でも凍えずにすみそうだ。
「ああいう行為は力づくで無理やりやるものでもないし、他にも沢山関係しているのに私とも……という不誠実な態度が耐えられないんです」
「不誠実……。ベスにはそう見えるのかもしれないが、成人男子には発散する場所も必要でだな。それ専門の相手とだな、閨の授業の一環で……。まぁなんだ、その、ジルにもそれなりの経験はあるだろうが、それは婚姻を結んだ時にベスを傷つけないように練習する意味合いもあるんだが……」
ザックノートはジルベルトの御乱行は知らないらしい。ザックノートはジルベルトの兄とは思えない(見た目はそっくりだが)くらい生真面目で誠実な男だった。結婚前も、結婚後も。
「まぁ、練習?! 学園のそこかしこで腰を振るのがベスの為だとおっしゃるの? 」
真後ろから声がして振り返ると、アナスタシアが扇子で手をペシペシ叩きながら立っていた。
「腰……」
「シア様! その言い方はちょっと」
「あら、真実を申し上げただけですわ。既婚未婚どころか、平民や貴族も関係なく盛って。不誠実の塊のような男じゃありませんの。それだけじゃ飽き足らず、婚約者であることを盾に取ってベスを襲おうとするなんて、なんておぞましい」
ザックノートはアナスタシアの言っている言葉が理解できないのか、ポカンとしてアナスタシアを見上げている。入場はエリザベス達の方が早かったから、その見た目でザックノートをジルベルトの関係者だと判断したのだろう。アナスタシアはザックノートを敵認定したかのように、腹立たし気に睨みつけていた。
「シア様、ザック兄様はジルのお兄様だけど、ジルとは違って奥様に誠実だし、私のことも昔から可愛がってくれてるのよ」
アナスタシアはジロジロとザックノートを見下ろしていたが、エリザベスが気負わずに近い距離に座っていることから、エリザベスの言うことを是として受け取った。
アナスタシアは宝石の散りばめられた青いドレスの裾をつまむと、お手本のように美しいカーテシーを披露した。
「失礼いたしましたわ。わたくし、ゴールド公爵家息女アナスタシアと申します。ストーン侯爵令息様でございますね」
「あぁ、あなたがゴールド公爵令嬢様。ジルベルトの兄、ザックノート・ストーンだ。王国騎士団第一団隊副隊長を勤める。以後お見知りおきを」
舞踏会の為腰に剣は差していないが、ザックノートは立ち上がって騎士の礼をとった。
「名前で呼んでいただいてけっこうよ。あなたがエリザベスの味方であるのならばですけれど」
「俺は小さいベスのいつだって味方さ。アナスタシア嬢」
「そうであれば良いと、心から思いますわ。と、侯爵様にもお伝えになって」
ザックノートが思案するように眉を寄せた。公爵家と侯爵家、家格としては一つしか違わないが、五大公爵家であるゴールド公爵家は王族に最も近い公爵家だ。その言葉は王族から賜るお言葉と同様に重い。アナスタシアがサイラス第3王子の婚約者候補筆頭になることで、周りの貴族を抑え込めているのは、ゴールド公爵家の威光に誰も逆らえないからだ。そうじゃなかったら、今頃血みどろの貴族の争いが勃発し、サイラス第3王子を巻き込んで婚約者争奪戦が繰り広げられていることだろう。
「それは、ゴールド公爵家がミラー伯爵家を擁護するということですか」
「さぁ? わたくしはエリザベスを全力で擁護いたしますけれどもね。ザックノート様、ベスをお借りしても? ベス、美味しいケーキを取り置いてもらっておりますの。サイラス第3王子とラスティも待っておりますわ。まいりましょう」
アナスタシアがエリザベスに手を差し出し、エリザベスはザックノートに目線で許可をとった。
「行ってくるといい。俺も騎士団関係に挨拶回りをしないとならないからな。アナスタシア嬢、ベスは俺の大事な義妹になる女性です。くれぐれもよろしくお願いします。ベス、知らない男から安易に飲み物を受け取ってはならないよ。常にアナスタシア嬢から離れないように。耳ざわりの良いことを言う男は要注意だ。決してついて行ってはならないんだからね」
「まぁッ、ご心配なさらなくて大丈夫ですわ。番犬もついておりますから。……駄犬ではありますけれど」
アナスタシアは最後の言葉は扇子で隠し、高らかに笑いながら窓を振り返った。そこにはキラキラしく見目麗しいサイラス第3王子と、その後ろに控えるように立つラスティがいた。
それに気がついたザックノートは慌てて膝をついて臣下の礼をとり、アナスタシアはエリザベスの手を引いて立ち上がらせた。
「では、エリザベスはお預かりいたしますわ」
エリザベス達が窓際までくると、サイラス自ら窓を開けて出迎えてくれる。
「やぁ、ベス。今日も相変わらず美しいね。いくらテラスも火を焚いているとはいえ、冷えてしまったんじゃないか? 」
仰々しくエリザベスの手を取り、その指先にキスを落とすサイラスを、ザックノートは不敬なのも忘れてマジマジと見た。指先へのキスは、貴族の男性が女性にするメジャーな挨拶であるから驚くことではなかった。何よりもエリザベスを愛称で呼ぶ程の親しさに驚いたのだ。しかも、エリザベスもそれをすんなり受け入れており、普通に新年の挨拶を交わしているのだから、さらに驚かされる。
キャンベル王立学園に在席しているとはいえ、二人は学年も違えば学科も違う。いくらアナスタシアを介して知り合ったとはいえ、人見知りで大人しいエリザベスが、学年も上でしかも王子と親しく話せるとは思えなかったが……。
父親であるストーン侯爵に報告しなければならないと、ザックノートはエリザベス達が会場へ消えた後、慌てて父親を捜しに会場に戻った。




