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ドレス

本日2話目です。

 逞しいラスティの腕に抱えられ、サンダルウッドの香りに包まれ、エリザベスはさっきまでの恐怖も怒りもどこかへ飛んでいってしまった心地がした。


「ウッド子爵令息、ベス姉を、姉を助けてくださってありがとうございました」


 エリザベスの部屋まで案内したオリーブが、深々とラスティに頭を下げながら言った。


「もちろんだよ。君は……オリーブ嬢? 」

「はい。オリーブ・ミラー。ミラー家三女です」


 オリーブは肩を震わせ、鼻をすすりながら答えた。知識豊富で大人びて見えるが、まだ13歳の少女だ。エリザベスに起こった出来事のショックが抜けないのだろう。

 エリザベスはラスティの腕を叩き床に下ろしてもらった。


「リー、私は大丈夫だから」

「ベス姉! 私が、私が側を離れなければ……」


 エリザベスは優しくオリーブを抱き寄せ、自分と同じ濃い茶色の髪を撫でる。自分よりも背が高く、姉妹あねいもうとが逆転してしまったような見た目だが、エリザベスはどんな時でも姉らしい姉だった。領地に戻ることの多い両親に代わり、二人の妹を見守り支えてきたのはエリザベスで、エリザベスがいたからこそ二人の妹は自分のやりたいことを伸び伸びとでき、貴族令嬢にしては珍しく個性豊かに育つことができた。


「……私、私、無味無臭で分解の早い毒を研究する」

「は? 」


 エリザベスの腕の中でグズグズ泣いていたオリーブが、ボソリと不穏なことを呟いた。


「ベス姉を穢したあのゴミ男を抹殺してやる」

「えェェッ?! 」


 個性豊かに成長し過ぎた妹は、有言実行するタイプだ。そう遠くない将来、本当にそんな毒物を抽出精製してしまうかもしれない。毒は薬にもなることがあるから、その研究自体は素晴らしいんだろうけれど、エリザベスよりも遥かに頭の良い妹が、盛大に勘違いしている。


「ちょっと待って! 私は穢されてなんかないわよ」

「でもだって……」


 オリーブは痛ましそうにラスティの上着を着たエリザベスを見下ろす。ブカブカな上着は、きっちり着込んでもエリザベスの胸元が覗けてしまう。ボタンが飛んで引き裂かれた胸元が。


「これは違うの! そりゃ色々触られはしたけど、洋服が破けたのはラス様が助けてくれた副産物というか……」

「色々触られた? 」


 背後から凄まじい殺気がして、エリザベスはブルッと身体を震わせた。ラスティの方を向いていたオリーブなど、涙も止まり真っ青な顔でガタガタと震えている。


「……多少、でも……服の上からですから」

「オリーブ嬢、君の研究に全面的な融資をしよう」

「ちょっとラス様、何を言ってるんですか。リー、そんな研究はしないでちょうだい。ほら、厨房へ行って焼き上がったクッキーを持ってきて。ラス様をおもてなしして」


 ちょうどそこにアンナが湯浴みの準備ができたこと告げに来て、ラスティを自室に残したままエリザベスは浴室へ向かった。


 エリザベスが簡単に湯浴みを終え、デイドレスに着替えて戻ると、部屋には紅茶を片手にクッキーを頬張るラスティだけが自室にいた。ドアは開け放たれているが、自室に二人っきりという状態に、湯上がりというだけでなく頬が紅潮してくる。


「お帰り。そのデイドレス、素敵だね」

「ありがとうございます。ラス様、それ……」


 ラスティの前にはトルソーが2体置いてあり、ドレスが2着着せられていた。一つはジルベルトが持ってきた濃い紫色のお色気ムンムンのドレス、もう一つは見たことのないマーメイドラインの青紫に光るドレスがあった。

 不思議な光沢のドレスは、光の当たり方によって碧にも青にも紫にも見える布地に銀糸でバラの刺繍がしてあり、胸元から首にかけて繊細なレースのホルダーネックとなっており、背中は肩甲骨が露出するくらいには開いていた。


「うん、祝賀舞踏会用のドレスを用意したんだけど、今回はあの男も用意したみたいだな」

「えぇ……」


 比べて見れば見る程ラスティのドレスの方が上品で美しく、ジルベルトの物は下品にしか見えなかった。ただ、今はまだ婚約者はジルベルトであるから、祝賀舞踏会にラスティのドレスを着ることはできない。


「来年、このドレスが着れるように、とっておいてくれないか」

「え? 」

「今年はまだ我慢するさ。でも来年は……」


 それは、来年までにはジルベルトとの婚約に片を付けようという意思表示か、さらにその上で……。


 エリザベスは儚い希望を胸にラスティを見上げる。


「さっき……」

「さっき? 」


 ラスティはエリザベスがさっき拭った唇の端に指を当てた。


「な……なんてことないのよ。ちょっと、ほんのちょっと端っこに掠っただけで! 」

「……殺す」


 ラスティが小さい声で何か呟き、聞こえなかったエリザベスはラスティの口元を注目する。それがまるでキスをねだっているように見えていることにエリザベスは気がついていない。ラスティの喉仏がゴクリと上下し、ゆっくり腰を屈めてラスティの顔がエリザベスに近付いていく。そのゆっくりな動きは、いつでもエリザベスが逃げ出せるように、エリザベスの意思を尊重してだった。


 エリザベスは目を大きく見開いて近付いてくるラスティの口元を見ていたが、視界がボヤけるくらいの距離にラスティの顔が近づいた時、エリザベスは自ら瞼を閉じた。


「送り付けてやりましたわ!! 」


 扉が勢いよく全開になり、高笑いするアナスタシアが部屋に入ってきた。


「……シア」


 ラスティはガックリと膝から崩れ落ち、エリザベスに縋るような姿勢で床に膝をついた。


「オホホホ、公爵家の公式文書としてストーン侯爵家に抗議文を送り付けてやりましたの。ついでに期限付きではございますが、ベスへの接近禁止も要求いたしましたわ」

「公式文書って、王印も必要なんじゃ……」

「そんなのラ……サイラスがなんとかしますわよ。ねぇ、ラス」

「そうだね。確実になんとかすると思うよ」


 ラスティは気力で立ち上がり、大きくため息をつく。


「それでラス、エリザベスに躓いて何をなさっていたの? 愛でも乞うてましたの? 」

「あ……愛ッ?! 」


 アナスタシアがパタパタと扇子を扇ぎながら口元を押さえて表情を隠すようにしているが、その目はニンマリと弧を描き、明らかにからかう気満々みたいな表情に見えた。


「まぁ、そんなようなもの」


 エリザベスはボッと顔を赤くしてラスティを見上げる。しかし目元の見えないラスティからは、ふざけてアナスタシアに話しを合わせただけなのか、本気でそう返したのかを読み取ることが出来なかった。


「順番は守りなさいませ」

「あぁ、だから予約しとくよ」

「それがよろしくてよ。あなたは昔から……」


 気兼ねなくポンポン言い合う二人は、まるで同性の親友のように見え、ダンスパーティーの時のようなしっとりとした雰囲気は微塵もなかった。

 ラスティ自身も、あの時はエリザベスに一歩距離を置くような態度だったのに、今はアナスタシアとの距離よりもエリザベスとの距離の方が近い気がする。心の距離とかそんな曖昧な物ではなく、実際の立ち位置の距離がだ。


「ところで、この下品なドレスはいかがなさいましたの」


 アナスタシアは扇子でペシペシトルソーを叩いた。


「ジルが持ってきたんです。新年の祝賀舞踏会用にって」

「ベスのサイズに合ってないのではなくて。雰囲気にも合ってませんけれど」

「明日、リリアナ衣装店の方がサイズ合わせにいらしてくれるらしいです」

「まぁッ! あのリリアナ衣装店のドレスですの? それにしては……」


 アナスタシアが言いたいことはわかる。センスが良く流行りの衣装店で、よくこんなに品のない品を選べたなということだろう。


「それではこっちは無駄になってしまったんですのね。せっかくベルトモンド夫人がラスに合わせて選んだよりすぐりの布地で作ったドレスですのに」


 光で色を変える不思議な光沢の布地が、ラスティに合わせたとはどういうことだろうか? 場合によってはラスティの瑠璃紺色の瞳の色にも見えなくもないが、どちらかというと王族の持つ特別な瑠璃色に近い気がする。まさか、ラスティがそんな不敬なドレスを贈ってくる筈もないが。


「無駄じゃないです。いつか着たいと思ってますから」


 いつかこのドレスを着て、ラスティのエスコートで歩けたら……。


 それはそんなに遠くない未来であればいいと、エリザベスは切に願うのだった。




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