お風呂に入りたい
目抜き通りにある大きな本屋、路地裏にある良い感じにひなびた古書店、街角にある公立の図書館。
どれもアリスの心を鷲掴みにする建築物だったが、ここはじっと我慢の子、と懐の路銀を守るように王都の一角にある王立学院に向かった。
アリスが通うことになる王立学院。
それは王都にある最大の学舎であった。
ちなみにこの国には王立学院と名の付く学舎はいくつかあったが、王都にあるものが最大のものだった。
王立学院といえば、ここ。
王立学院の代名詞。
この国を建国した初代国王の名を取った由緒ある名前を持った学院。
それがアリスの目の前にある建物だった。
「ほえ~、これが第一王立学院アースハイム校か」
月並みというか、ありきたりな台詞しか口から出てこなかった。
もしもこの姿を姉上が見ていたら、
「あんたは本の虫なのにボキャブラリーが貧弱ね」
と笑うかも知れない。
「でも、そんな感想しか漏れ出てこないんだよね……」
正直に言ってしまえば、アリスは本の虫だが、詩人ではない。
目の前に広がる立派な門。
それを取り囲む巨大な壁。
その奥、数百メートル先にある巨大な建物はなんとも名状しがたいものだった。
「きっと、ロロナ調だの、ガシック建築だの、立派な名前がある建築物なのだろうけど」
残念ながらアリスは司書志望であって、建築家志望ではない。
この門扉の奥にある立派な建物を見てもなんの感慨も湧かない。
強いて言えば、
「お金ってのはあるところにはあるんだな」
くらいの感想しか湧かなかった。
むしろ、隣にいるシャナンさんの方が臆しているくらいだった。
「こ、これが噂に聞いたアースハイム校か。聞きしに勝る荘厳さだな……」
と、圧倒されていた。
あるいは彼女はアリスよりも権威に弱いタイプなのかも知れない。
そう思ったが、口にはせず、彼女に礼を言った。
「シャナンさん、ここまで連れてきてくださりありがとうございます」
残念ながら、ここで彼女とはお別れだ。
シャナンはこのまま教員たちがいる教員の棟へ。
アリスはこれからお世話になる学院の寮に挨拶しに行かなければならない。
そのことを思い出したのだろうか。
シャナンは、「うむ」と表情を取り戻すと、握手を求めてきた。
その握手に応えるアリス。
「残念ながらここからは共に旅をした仲間ではなく、一講師と一生徒、という関係だ。もしも授業を受け持つことになっても手加減はしないぞ」
確かに、この人は実際に手加減など一切しなそうな性格に思えたが、望むところであった。
もしも授業で対面したら、全力でその剣技を習いたかった。
「もっとも、わたしがシャナンさんの授業を受けることは絶対ないと思いますけどね」
と、笑みを漏らす。
「それはどういう意味だ?」
「だって、わたしはここの史学科に入るために来たんですもの。史学科には剣技の授業なんてありませんよね?」
「確かに。史学科にはないな」
シャナンはそう言うとこう続ける。
「しかし、君はてっきり魔術科か、騎士科辺りを狙っていると思ったが」
「まさか、そんな恐れ多い」
「山賊を蹴散らした《濁流》の魔法、見事であったぞ」
「まぐれですよ、まぐれ。それに本人が望んでいないのだから、そんなエリート・コースを歩めるわけがありませんよ」
「しかし、配属される科は本人の希望も考慮されるが、基本的に本人の適性で判断されると聞いているぞ。君ならば確実に魔術科に配属されると思うのだが」
「ないですないです」
だって入試テストで落第しない程度に思いっきり手を抜きますもの。
心の中でそう付け加えると、アリスは改めてお辞儀をした。
「それでは、今まで本当にありがとうございます。シャナン『先生』」
アリスはそう言うとぺこりと頭を下げる。
シャナンも軽く会釈をすると踵を返す。
アリスは彼女の後ろ姿をしばらく見守る。夕日に照らされた黒髪がなんともいえない光沢を放っていた。
シャナンとの別れを済ませると、アリスはまっすぐ寮へと向かった。
このアースハイム校にはいくつかの寮があるが、もちろん、男女別々の区分けになっている。
そもそも、このアースハイム校自体、基本的にすべて男女別々だ。寮は当然として、授業も食堂も別々になっている。
「まあ、お偉いさんの娘が通うところだもんなあ。なにか間違いがあったら、校長先生の首が飛んじゃうもんね」
比喩ではなく、文字通りに。
しかし、『男女平等』『身分不問』を理念に掲げられ建設された学院だ。
あからさまに男女比を偏らせるわけにも行かず、苦肉の策としてそういう方策がとられているのだろう。
――と思う。
まあ、田舎貴族の末娘には与り知らぬこと。
別に男の子には興味がないので、男女の区分けはこの際、どうでもいいことだった。
ただ、ひとつだけ気になるとしたら、アリスがこれから赴くアースハイム校第三女子寮にお風呂があるかどうかであった。
(いや、さすがにこの豪壮な建物なのだろうから、湯浴みくらいはできるのだろうけど)
問題はこの時間帯に湧いているか否かであった。
無論、アリスの家にもお風呂くらいあるが、アリスはこの9日間、馬車で移動していたのだ。
濡れタオルで汗を拭くくらいのことしかできなかった。
つまり、なにが言いたいのかと言えば、一刻も早く、お風呂に入りたかった。
「面白かった」
「続きが気になる」
「更新がんばれ!」
そう思って頂けた方は、下記から★ポイントを送って頂けると、執筆の励みになります。