前向きな少女
王都での乗合馬車の中、アリスはモテモテであった。
彼らの命を救った、という実感よりも気恥ずかしい、という気持ちの方が先立つ。
大人たちは皆、一様にアリスを褒めてくれる。
とある商人のおじさんは、
「うちの息子とお見合いをしてみないか」
と、言ってくれた。
もちろん、お断りする。
アリスの今の目標は、図書館の司書である。
商人の妻ではない。
結婚を考えるのは、自分でお給金を稼ぎ出せるようになってからだ。
それまではお見合いはもちろん、恋愛も御法度である。
アリスは、
「それは父上が決めることですので」
と、無難に断る。
一方、馬車に乗っていたおばあさんから貰った林檎は有り難く頂く。
「よくできた娘さんだねえ。うちの孫娘もあんたくらい賢ければいいのに」
その言葉には、
「いえいえ、たまたまですよ」
と、謙遜をしておく。
実際、今回の手柄は自分が立てたものではない。
すべて懐に抱えている『未来日記』の力であった。
あの日記によってアリスは自身に魔法の才があることを知り、それを使えば人々を救える、ということを教えて貰ったのだ。
もしもあの日記を読んでいなかったら、今頃、アリスたちは山賊たちに縄で縛られていただろう。
なので感謝するのならば、この日記にしてください。
――というべきなのだろうけど、そう宣言するわけにもいかない。
未来を見通せる『力』を持っていると言うことはこの国では禁忌なのだ。
それにそんなことを言っても誰も信じてくれないだろう。
ならばこの秘密は一人、胸中に抱えておくのが得策なように思えた。
ただ――、
一人だけ、ごまかしきれないというか、隠しきれないというか、弁明をしなければいけない人物がいた。
アリスは。馬車の人たちから謝辞を一通り受けると、彼女が話しかけてくるのを待った。
案の定、シャナンさん、――黒髪の女剣士はアリスが一人きりになるのを見計らうと話しかけてきた。
「ところでお嬢ちゃん、君は山賊がやってくることを事前に知っていたような発言をしていた気がするのだが、私の思い違いだろうか?」
思い違いではありません。
おっしゃるとおりです。
そう白状してしまいそうなほどのナチュラルな語りかけだったので思わず肯定してしまいそうになるが、アリスはぶるんぶるんと首を振る。
「め、滅相もございません」
この若い身空で幽閉生活などごめんだ。
未来を見通せる『日記』を所持しているなどと吹聴するのは愚かな選択だろう。
アリスがかたくなに否定すると、幸いなことにシャナンはそれ以上の追求をしてこなかった。
「ふむ、そうか」
形の良い顎に軽く手を添えるとそう漏らし、こう続ける。
「君がそう言うのならばきっとそうなのだろう」
なにか、含みを持たせているような気がしないでもないが、アリスは一安心する。
「――さて、山賊の出現を予知したことはひとまず置いておくが、問題なのは君が使った魔法だ。実はそちらの方が興味ある」
「…………」
そちらに来ますか。
思わずそんな感想を漏らしてしまうけど、まあ、魔女裁判に掛けられるよりはましだと思うことにする。
「あの魔法はいったいなんなのだ? とてつもなく強力な魔法に見えたが」
「あ、あれはただの《濁流》の魔法ですよ」
そう答えるしかない。実際にそうだったし。
「あれが濁流の魔法? ならば魔法の辞書を書き換えなければならないかもな。少なくとも私には、《大海嘯》に見えたが」
「そ、そんな上級魔法、使えるわけないじゃないですか。だって、わたしはこの前まで魔法のマの字も唱えたことがなかったただの一読書家なんですから」
――と、答えられれば楽なのだろうけど、魔法を唱えられるようになって三日で、《濁流》を使いこなし、それで山賊を追い払うというのもそれはそれで怪しまれる。
アリスの目標は、平穏平和、堅実謙虚をモットーに平凡な人生を送ることにある。
ここで天才魔法使いと誤解されるのは得策ではないだろう。
アリスは、あえて嘘をつくことにした。
(――ごめんなさい、天国にいるおばあちゃん。貴方の孫は嘘つきになります)
心の中で亡き祖母にそう弁明すると、アリスはこう説明した。
「……ええと、その、実はですね、我がクローネ家は代々、水魔法を得意とする家柄でして。幼い頃より、水魔法『だけ』はちゃんと仕込まれているんです」
「つまり、《濁流》の魔法だけは安易に扱える、と?」
「よ、要約するとそうなります」
アリスは上目遣いでシャナンの顔を覗き込む。
都合の良すぎる言い訳かな、と自分でも思う。
しかし、そのように答えるしかなかったし、実際、水魔法しか使えないのも事実であった。
一応、読書家兼貧乏貴族の末娘を兼ねているので、夜の読書のために《照明》の魔法の練習をしていた時期はあったが、それよりもバイトでお小遣いを稼ぎ、蝋燭を買った方が効率的だと気がついたので、それ以来、魔法には一切触れていない。
魔法のド素人なのは事実であった。
目の前にいる女性、シャナンさんはアリスの苦しい言い訳を信じてくれるだろうか?
それだけが心配であったが、アリスの杞憂は杞憂で終わったようだ。
シャナンは、
「なるほどな。一芸も極めれば名人級になる、ということか」
と、微笑むと、手を差し出してきた。
右手だ。
一瞬、ぽかん、と頭の上にクエスチョンマークを乗せてしまうが、すぐにそれが別れの挨拶だということに気がつく。
見ればいつの間にか、馬車は王都に近づきつつあった。
馬車の幌の外から王都の城壁が見える。
つまり、アリスたちは目的地に到着する、ということだ。
それはこの馬車の乗客たちとの別れも意味した。
彼ら彼女らは皆、それぞれの人生があり、目的があり、王都にやってきたのだ。
王都の駅馬車の停留所に着けばそれぞれの道を歩み出すのが筋というものだった。
だからここで分かれるのが必然といえば必然なのだけど、一抹の寂しさを覚えるのも事実であった。
「旅は道連れ世は情け」
昔の偉い人もそう言っていた。
それに特に目の前の女性には大変お世話になった。
いや、命の恩人と言っても差し支えはない。
それだけにここで別れるのは名残惜しい気がした。
ゆえに、アリスは彼女に、自分の姓名と身分を名乗ることにした。
というか今まで「お嬢ちゃん」と呼ばれていたので気がつかなかったが、彼女に自分の名すら名乗っていないことに気がついた。
アリスは、元気よく、声を張り上げ、自分の名を名乗った。
自分の名前を言うときは常に明るく元気に、別れの挨拶はそれよりもさらに力強く! それがクローネ家のモットーであった。
「お世話になりました! シャナンさん。わたしの名前はアリス・クローネ! 王都にある王立学院に通っています! また会う機会もあるかもしれないので、良かったらこの名前を覚えておいてください!」
アリスは目をつぶって、手を差し出す。
また再会できるといいな、もしくはお友達になってくれるといいな、そんな生意気なことを考えながら手を差し出したのだけど、その願いは叶うことはなかった。
シャナンはアリスの手を握り返してくれなかったからだ。
何か粗相でもしてしまったのだろうか。
何か嫌われるようなことをしてしまったのだろうか。
アリスの思考回路はショート寸前になるが、それが勘違いであることを、シャナンは行動によって示してくれる。
彼女は、しばらくアリスの顔を見つめると、苦笑いを浮かべながらアリスの手を握り替えしてきた。
その苦笑いの意味はなんなのだろうか? そんな疑問が湧いたが、彼女はすぐに解消してくれる。
「いや、巡り合わせとは本当にあるものなのだな」
シャナンはそう言い切ると、こう付け加えた。
「実は私は王立学院の講師になるためにこの王都にやってきたのだ」
その言葉を聞いたアリスは思わず「ほへ?」という顔をしてしまう。
「………………」
つまり、どういうことなのだろうか、と想像を巡らせる。
数秒間の沈黙の後、結論にたどり着く。
(し、しまったー! 寄りにもよって王立学院の『先生』の前で目立ってしまったー!)
アリス・クローネは、一番、その実力を知られてはいけない人にまざまざと魔法の力を見せつけてしまった、というわけである。
とほほ……。
山賊の件といい、なんともさい先の悪い旅立ちであった。
しかも、あとでこっそり未来日記を読んでみたら、このことがちゃんと明記されていた。
『ね、だから迂回した方がいいといったでしょ?』
未来のアリスはどうやらこの出会いは良いものであると解釈しているらしい。
なんだか、とてもむかついたが、まあ、取りあえず握りしめた拳の力は弱める。
未来の自分の策略にまんまとはまってしまったような気がするが、王立学院に入学する前に、素敵な先生に出会えたことは良いことだった。
アリスは田舎から出てきた貧乏貴族の末娘。
都会で知り合いがいないというのもいささか心許ない。
この出会いはきっと素敵なものになるだろう。
そう解釈することにした。
アリス・クローネは常に前向きな少女なのだ。
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