魂の叫び
山賊たちに囲まれている。シャナンはそうぼつりと漏らすと、不思議そうな顔で尋ねてきた。
「……お嬢ちゃん、一応、尋ねるが、なんで山賊が襲ってくる、と予期していたんだい?」
その台詞でアリス以外の乗客も事態の急変を知る。
馬車の乗客たちがざわめき始める。
馬車は急に止まる。
その瞬間、馬車の幌に無数の矢が刺さる。
一本は幌を突き破り、馬車の中へ入ってきた。
それが丁度、アリスの足下に突き刺さる。
思わず腰が引けてしまうが、それはアリスが普通の女の子の証拠。
なにせアリスは本の虫で、兄や姉たちと違って、武芸や荒事にはまったく向いていない性格なのだ。
いや、兄や姉上だけでなく、普通の人間ならば、足下に矢が刺さっただけで腰を抜かしてしまうのが普通だろう。
よろめいただけでなんとか立っているアリスはむしろ褒められてよい部類のはずだ。
しかし、シャナンはアリスを褒めることなく、即座にこう言い放った。
「前言は撤回だ。いや、目算が甘かった、というべきか」
「ど、どういうことですか? 山賊の10人くらいならば自分だけで戦えるって言ってたじゃないですか」
アリスの素朴な疑問に、シャナンは簡潔に答えてくれる。
「確かに言った。『10人』程度ならば私一人でもなんとかなるだろう。しかし、山賊の数が30を超えてれば話は別だ。私は黒の剣士の二つ名は持っているが、30人殺しの異名は持っていない。まだ、ね」
そう言うとシャナンは顔を僅かに歪ませる。
「そして、今回もまだその異名を得ることはできないだろう」
シャナンはそう断言すると、アリスの腰を抱き、ひょい、っと持ち上げる。
自分はそんなに軽くないはずだけど、シャナンのその細腕のどこにそんな力があるのだろう。
なぜかそんな感想が浮かんだが、すぐに冷静になる。
「シャ、シャナンさん、なにをするんですか」
「山賊30人を斬り伏せることはできないが、山賊数人を斬り伏せながら、女の子を抱えて脱出することはできる。私はその道を選ぶことにした」
「つまり、他の人は見捨てる、ということですか?」
「より多くの人命を救う道を選ぶだけさ。まあ、生き残るのは君と私、二人だけになるが、その数がゼロになるよりはましだろう」
シャナンはそう言い切ると、混乱している馬車を横目に戦線を離脱しようとしている。アリスを抱えたまま。
アリスとしては、命を救って貰うのだから、これ以上ない幸運だった。
しかし、馬車の人はそうではない。
残されたのは馬車の馭者を始め、男の人が多数だった。
もしも山賊に捕まれば命はないかも知れない。そう思うと自分だけ助かるのが心苦しく感じた。
アリスは、自分一人だけ助かればいい、他の人間など知ったことか、と思い込めるほど、心の強い娘ではなかった。
だから、アリスは、シャナンの好意。
彼女の切り開いてくれた血路を無為にすることにした。
三人目の山賊をかわし、逃げ切れた! と思った瞬間、アリスはシャナンの腕から抜け出す。
まさかシャナンも抱えていた娘がそのような暴挙に出るとは思っていなかったのだろう。思いの外、簡単にするり、と抜け出すことに成功した。
唖然とした表情でその光景を見つめる黒髪の女剣士。
あるいはシャナンはその行動を見てアリスの気が触れたと思っているのかもしれない。
それほどまでにアリスの行動は馬鹿げていた。
アリスはシャナンの腕から抜け出し、その両足を大地に根ざすと、逃げるでもなく、その場に仁王立ちし、無心に未来日記を開いた。
(――頼りたくはなかったけど、ここは未来のわたしに頼るしかない)
ほんとは未来なんて知りたくない。
聖女様はもちろん、王立学院になんて通いたくはなかったけど、それでもこの本に馬車に乗っている人たちを救う術が書いてあるのならば、喜んでページをめくるべきであった。
アリスは周囲の喧噪に目もくれず、ページを開く。
その間、シャナンは自分だけ逃げるでもなく、襲いかかってくる山賊たちとつばぜり合いをしていた。
シャナンはアリスの荒唐無稽な計画に協力してくれるようだった。
彼女には本当に感謝をせねばならない。
そう思いながら、アリスは急いで、だが慌てずに未来日記に目を通した。
(わたしの性格ならば、ここで必勝の秘策が書かれているはず!)
そう思い日記の最新ページに目をやった。
未来のアリスならば、このようなとき、絶体絶命のピンチのとき、勝利の秘策を書き記し、劇的な勝利を収めさせようとするはずだった。
なにせアリス・クローネという少女は本が大好きなのだ。
物語が大好きなのだ。
この決定的な瞬間、この絶体絶命の危機を黙って見過ごす性格には思えなかった。
そう確信していたが、そのもくろみは見事に当たった。
アリスが意識を集中した瞬間、文字が浮かび上がってくる。
『さすがは過去のわたし。ちゃんと物事を理解していますね。ここで馬車の人たちを見捨てるようでは英雄になれません。ましてや聖女を名乗る資格などありません』
「そんなのどうでもいいから、早く山賊たちを追い払う方法を教えてよ!」
思わずそう叫んでしまったが、そう叫び終えると同時に、アリスの探していた答えがそこに浮かび上がった。
『貴方の中に膨大な魔力があるのは、先日、屋敷の居間を水浸しにしたことが証明しているわよね? 実は貴方の中には強大な魔力が宿っているの。それを上手く使って』
「上手くってどうやって? 先日の《濁流》の魔法も別に意図して使ったわけじゃないし」
アリスの問いに未来のアリスは即座に答えてくれる。
『貴方には無限の可能性があるのだけど、逆に言うと今はろくに魔法が唱えられないの。だから無理して難しい魔法を唱えようとは思わないで。先日、使った魔法を応用するの』
「応用? つまり、《濁流》の魔法を使えっていうこと?」
確かにあの魔法ならばもう一度唱えられるかも知れないけど、あの魔法で山賊すべてを追い払うことができるとは思えない。
何人かを谷底に突き落とせるかも知れないけど――。
そう思ったアリスは「はっ!」と気がつく。
先日読んだ書物の内容を思い出したからだ。
その書物にはこう書かれていた。
「一匹の獅子に率いられた羊の群れは、一匹の羊に率いられた獅子の群れに勝てる」
と――。
つまり敵の親玉、山賊の頭を倒すことができれば、山賊たちは引き上げるのではないだろうか。
そう思ったアリスは、かたわらで戦っている女剣士に尋ねる。
「シャナンさん、山賊のボスはどこにいると思います?」
アリスの唐突な問いに、シャナンは最初、困惑したが、即座に答えを返してくれた。
「私が山賊の親玉ならば、最も見晴らしの良い場所に陣取って指示を下す。司令官とはそういうものだ」
その言葉を聞いたアリスは、山の傾斜の上を見上げる。
そこに複数の山賊がいた。
どれが山賊の親玉だろうか。
山賊たちは皆、いかにも山賊です。という出で立ちをしていた。
皆、山刀か手斧を持っていたし、多くの山賊が山賊っぽい毛皮や革の鎧を身に纏っていた。ただ、一人だけ、ちょびっとだけ、豪華な衣装を凝らした革の鎧を纏った人物がいるような気がした。
一人だけ偉そうにふんぞり返り、髭を蓄えている人物がいたような気がした。
アリスはその人物に狙いを定めると、先日と同じように魔力を蓄えた。
意識を集中させ、魔力を結集させた。
アリスの身体に浮かび上がる古代魔法文字と青白いオーラ。
アリスの足下には魔方陣も浮かび上がる。
その光景を見たシャナンは驚嘆の声を上げる。
「術式も詠唱もなしに魔方陣を描けるのか。どうやら私が抱えていた娘は賢者かなにかだったのかな」
どうやらアリスがやっていることはとてもすごいことらしいが、本人はよく分かっていなかった。
本から得た無駄な知識は一杯あっても魔法に関する知識はほとんどないからだ。
ただ、この力を使えば、先日、屋敷の居間で起こした現象を再現できる!
それだけは肌で感じていた。
それを知っていたアリスは大声で魔法を唱える。
《濁流》
本来ならば、古代魔法文字を使用しなければ発動しないはずの『魔法』も、アリスは共通言語だけで発動することができた。
後日、それはとてもすごいことだと教わることになるのだけど、今は解き放った魔法を制御するだけで手一杯だった。
アリスは馬車の乗客に被害が及ばないよう。
山賊の頭とその周囲の人間しか飲み込まないよう細心の注意をしながら、《濁流》の魔法を操った。
いや、正直、操り方などよく分からない。
ただ、被害が最小限になるように祈りながら魔法を唱えた。
その願いが通じたのだろうか。
傾斜の頂上から湧き出たおびただしい水は、アリスの思惑通りに動いてくれた。
山賊の頭と思われる人物を中心に、10人ほどの山賊だけを巻き込み、彼らを谷の底に沈めてくれた。
そこには川が流れている。
かなりの急流で、川に流し込まれた山賊たちは、あっという間に遠くに流されていった。
その光景を見ていた馬車の乗客たちは息を飲み、
残された山賊たちは恐怖し、混乱をきたしていた。
「こ、こんなすげえ魔術師がいるだなんて聞いてなかったぞ」
「お、お頭たちが一気にやられてしまった」
「あ、あの娘は化け物か!」
「え、Sランク級の魔術師じゃねえのか、こいつ」
そんな発言を漏らすと、残された山賊たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
こんな人畜無害な娘に対して甚だ失礼な発言だと思う。
けれど彼らに抗弁する暇さえなかった。
それほどまでに手際の良い逃げっぷりだった。
最初の勇猛さが嘘のようである。
残されたアリスたちはその光景をぼんやりと見ているしかなかった。
「――たぶん、助かったんだよね? わたしたち」
乗客皆が沈黙する中、アリスがぼつりと呟く。
だが、その意見に反対する人物がいた。
黒色の髪と剣を持った女性だ。
彼女はやれやれ、といったポーズをすると、こう訂正した。
「『助かった』んじゃない。勝ったのだよ、我々は。それも圧倒的勝利というやつだ」
そしてアリスに手を差し出すとその手を握りしめてくる。
「君がここにいる善良な市民を救ったのだ。もっと誇りに持つが良い。女英雄さん」
「お、女英雄……」
聞きたくないというか、聞かされてしまったというか、どうしても思い出してしまう言葉である。
アリスの握りしめている日記に書かれている言葉を。
『貴方はこの国の英雄に。やがて世界を救う聖女になることでしょう』
図らずとも英雄になる第一歩を踏み出してしまったわけだけど、悪い気持ちはしなかった。
馬車の乗客たちは、アリスの活躍を手放しに褒めてくれる。
アリスは司書になりたいだけの貧乏貴族の少女だった。
見知らぬ人たちから感謝をされることなどほとんどなかった。
思わず英雄になるのも悪くない。
そう思ったが、慌ててその考えを引き込める。
(……危ない危ない)
ほんの一時の迷いで自分の将来設計を崩してしまうところだった。
何度も言うけれど、アリスの夢は、目立たず、苦労せず、普通の人生を送ることなのだから。
そのためにはなんとしても司書の資格を取って、本に囲まれ、穏やかな日々を過ごさなければならない。
いくらチート級の魔力を、
未来を見通せる不思議な力を手に入れたとしても、
それに頼るわけにはいかなかった。
ゆえにあえてここでこう叫んでおこうと思う。
未来の自分に対して、右手に握られている未来を見通せる不思議な日記に対して。
「わたし、未来なんて知りたくありませんから!!」
それがアリス・クローネの魂の叫びだった。
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