山賊が現れた!
快調だったのも三日目までだよ!
アリスは心の中でそう叫ぶ。
何事もなければ六日で王都に到着できるとのことだったが、三日目にして暗雲が立ちこめた。
どうやら道中にある川の橋が大雨によって流されてしまったらしい。
馬車の馭者さん曰く、
「この川を泳ぐ勇気があるものはいるかい?」
とのことだったが、そんな勇気のある人間はおらず、大きく迂回して破損していない橋を渡ろう、ということで乗客の意見は一致した。
――アリス以外の意見はだけど。
正直、アリスは大反対であった。
なぜならば、その迂回ルートを使うと、道中、山賊に襲われる、ということが未来日記に事細かに書かれていたからである。
ゆえにアリスがここで、
「わたしは反対です! この濁流の中、泳いで向こう岸に渡りましょう!」
と、主張することもできたが、それはできなかった。
理由は二つある。
ひとつ、
この国において未来を見通す力を持つ、ということはあまり宜しくないからだ。
かつてこの国には、
「魔眼の魔女」
と呼ばれた魔女がいた。
彼女は未来を見通す力を悪用し、この国の王を籠絡し、この国を大乱へと導いた。
以来、この国では未来を見通す力があると分かれば、王都の護民官に捕まって火あぶりに――、は大げさだけど、そのまま牢獄に幽閉されるのが通例となっていた。
アリスはまだ若い身空である。
恋も経験せぬまま幽閉されるのは真っ平ごめんだった。
ゆえにこの日記のことは、家族にも一切話していない。(みんなを巻き込みたくないし)
二つ目の理由は、もっと切実なもので、アリスの予言を誰も信じてくれないからだ。
一応、隣の席に座っている屈強な女剣士さんに、未来日記をチラ見して貰った。
しかし、女剣士さんは、
「真っ白な日記帳を人に見せるのが若い娘の間で流行っているのか?」
という返答しかくれなかった。
どうやらこの日記は隠すまでもなく、 アリス以外の人間には白紙に見えるようになっているらしい。
「つまり、わたしは端から見ると何も書かれていない日記帳をただ見つめてる変な子なのか……」
思わず身震いする。
今後は佇まいに気をつけないと。
ただ、そんなことを気にしている余裕はさすがにない。
このまま馬車が山道に向かえば、山賊が襲ってくるのだ。
なんとかこの日記帳から情報を得て、山賊との遭遇を回避できないか模索するしか、今のアリスには選択肢はない。
「そもそも、どこで山賊と遭遇するのだろう?」
アリスはしつこいくらいに日記を見つめるが、特に有益な情報は書かれていない。
「迂回路を使うと山賊と遭遇するので注意してください」
としか、書かれていなかった。
「そもそも迂回路のどの辺で山賊と遭遇するの? 遭遇したらどうなるの? もしも遭遇してしまったらどう対処すればいいの?」
それらの重要な事柄がすべて抜け落ちていた。
「手抜きだなあ。未来のわたし」
思わず突っ込みを入れてしまう。
そもそも、わたしことアリス・クローネは几帳面な娘だ。
自分の性格ならば、事細かに日記を書いておくような気もするのだが。
未来のアリスはずぼらな性格になってしまうのだろうか?
首をひねっていると、未来日記の続きが更新される。
『ぶっぶー、残念でした、過去のわたしさん。貴方の几帳面で生真面目な性格は未来でも直っていません。小心者なところも。だから今でも結構苦労してるのよ』
「…………」
なんか、未来の自分から言われると腹立たしいが、気にせずに更新された文章を追う。
未来の自分の性格よりも今は山賊の情報の方が大事だ。
『ちなみにどこで山賊と出会い、山賊に何をされるか、そして貴方がどうなるか、未来のわたしは知っているのだけど、でも、あえてここには書きません。なぜだか分かる?』
「わかりません」
そう答えるしかなかったが、未来の自分に突っ込みを入れていると、彼女は戯けた文章で返事をくれた。
『答えは、貴方がネタバレが嫌いなのを知っているから。筋書きの分かっている物語ほど詰まらないものはないでしょう? クスクス(笑)』
うむうむ、と思わず納得してしまいたくなる。
確かにアリスの嫌いなことのひとつに、小説のネタバレがある。
中古の本を買いあさっていると、希によく、巻頭の登場人物のところに印を入れている不届き者がいる。しかも推理小説に。
あるいは長編の冒険活劇ものの小説に、「こいつ3巻で死ぬから」と書かれていたこともある。
しかしそれは物語の話であって、自分の人生、それも火急の危機が迫っているのならば、話は別だ。
大いにネタバレして欲しいというか、どうやって山賊たちと遭遇せずに済むか、あるいは遭遇してしまってもどう対処すれば良いか、教えて欲しいものであった。
アリスの夢は、王立図書館の司書である。
堅実、謙虚に、健やかに生きるのが、目的であった。
山賊と遭遇するなどというイベントとは極力かかわりたくなかった。
ちなみにこの国の山賊は荒っぽいのだろうか?
これまでの人生で、山賊と遭遇とか、モンスターに襲われるとか、そういった危なっかしいイベントに遭遇したことがないアリスである。
山賊に身ぐるみをはがされる、というのはどうも想像がつかない。
「そもそも、物語に出てくる山賊ってどこか間抜けだしなあ……」
主人公に襲いかかる山賊。
得てしてそういうキャラは最初のやられ役。
主人公の踏み台。
物語冒頭の盛り上がりどころというイメージしかない。
アリスは本ばかり読んでいるので、そういった世事に疎かった。
なので、思い切って、隣に座っている女剣士さんに聞いてみる。
「あ、あの、もしも、この馬車に山賊が襲ってきたらどうなりますか?」
アリスが話しかけた女騎士さん。
名をシャナンというらしいが、彼女はクールな表情で言った。
「そうだな。この馬車に乗っているのは、比較的富裕層が多い。まずは身ぐるみを剥がされるだろうな」
がーん! 女中のウェンディさんが仕立ててくれた一張羅を取られてしまうのか。
それに父上が持たせてくれた僅かばかりの銀貨も。
王立学院に入れば制服が支給されるらしいけど、いきなり下着姿で制服を受け取りに行く様は格好悪すぎた。
どうにか肌着くらいは見逃して貰えないだろうか、そう思っていると、女剣士さんはさらなる追い打ちをかけてくる。
「男の方はそうだな、役に立たないし、騒がれたら不味いだろう。それに見せしめのために何人か首を掻き切られるかもしれない。女の方は妙齢の娘はそのまま山賊たちの慰みものにされるだろうな」
「な、慰みもの……」
思わず息を飲んでしまう。
首に輪っかをはめられ、「がっはっは」と笑う山賊にお酒を注がされる未来図が浮かぶ。
「安心しろ。それは妙齢の女だけだ。そうだな、お嬢ちゃんみたいな貴族の娘は、人質に取られて丁重に扱って貰えるさ。親を脅せばたんまりと身代金が入ってくるしな」
「ち、ちなみに、その身代金が払えないとどうなります?」
アリスはおそるおそる尋ねる。
繰り返すが、クローネ家は貧乏貴族だ。アリスのことを過大評価され、高額の身代金を要求されても、父上に支払い能力はないだろう。
「そうだな、もしも身代金を払えなければ、お嬢ちゃんのような貴族の娘は、南方にでも売られるだろうな」
「な、南方といいますと?」
「商業連盟カナックという国を知っているか?」
「聞いたことはあります。たしか商人さんたちが治める国ですよね?」
シャナンはその流麗な唇で補足してくれる。
「ああ、別名商人の持ちたる国だ。どこの国家にも隷属せず。商人たちが合議によって国を動かしている。その経済力によって傭兵を雇い、周辺国から自治を認めさせている金持ち国家だ」
シャナンさんはそこで言葉を句切ると続ける。
「彼らの出自は商人、つまり平民だからな。いわゆるお貴族さまに憧れがある」
「といいますと?」
「つまり貴種の娘、君のような可愛らしい少女を愛人にしたり、奴隷として囲う趣味を持った変態商人が多いということだよ。君は彼らに売り飛ばされるだろう」
そうだな、君なら金貨50枚は固いのではないかな、そう付け加えると、シャナンは笑った。
「………………」
いえ、笑い事ではないんですけど。
恋も知らないどころか、男の子と手も繋いだことがない自分がいきなり、愛人ルートとか、奴隷ルートとか、本当に笑えないんですけど。
思わず脂汗が流れるが、その姿を見たシャナンは。にたり、と口元を歪める。
アリスから滲み出た汗が玉になったのを確認すると、声を張り上げ、
「はっはっは、君は面白い娘だな。安心したまえ、そのような事態には決してならない」
そう笑いながら付け加えた。
「私の別名は黒の剣士だ。東方の国ではそれなりの規模の傭兵団を率いていたこともある。山賊ごときなら一人で十人は斬り伏せてみせるさ」
「おお!」
思わず賛嘆の言葉を漏らしてしまう。
黒の剣士。なんかいかにもな二つ名だ。
少なくとも山賊に遅れを取るような二つ名とは思えない。
その二つ名の由来は、その綺麗な黒髪なのだろうか。
それとも腰に下げられた剣の鞘の色なのだろうか。
どちらかは分からないが、彼女の二つ名とその実力は疑いないと思う。
シャナンは、
「見てな、お嬢ちゃん」
そう言うと、懐から林檎を取り出し、それを空中に投げる。
最初は何をするのかな? と疑問符が湧いたが、すぐに彼女は行動によってアリスにその意図を伝えた。
シャナンは空中に投げ、落下し始めた林檎に向かって剣閃を放つ。
腰から抜かれた剣は、文字通り目にも止まらぬ早さだった。
一瞬だけ、銀色の腺が見えたかと思うと、即座に抜き放たれた剣がその鞘に戻っていた。
林檎は、地に落ちると、ぱかり、と二つに割れていた。
アリスはその林檎を拾い上げると、二つに割れた林檎を繋ぎ合わせてみる。
昔、何かの本で読んだのだけど、真の達人が切り裂いた物体は、まるで魔法で切り裂いたかのように綺麗な切れ方をしており、ぴたりとくっつく、という話を聞いたからだ。
その噂は本当だろうか?
確かめる良い機会だと思った。
アリスは恐る恐る試してみるが、二つに切り裂かれた林檎は、見事に重なった。
「す、すごい!」
そんな単語しか浮かばないほどの芸当であった。
まさかこのような達人が同じ馬車に乗り合わせていようとは。
これならば、山賊に襲われてもなにも心配などする必要はない。
「そっか、だから未来日記にはなにも書かれていなかったのか」
妙に得心する。
確かにシャナンのような女剣士が居合わせているのならば、アリスの出る幕はない。むしろ余計なことをすれば、彼女の足を引っ張ってしまうかも知れない。
(ここは何もしないのが正解なんだね!)
懐に忍ばせた未来日記に意識をやる。
しかし、その予想というか、想像は甘すぎたようだ。
どれくらい甘いかといえば、タルトの上に、ココア・パウダーとキャラメル・ソースを振り掛けたくらい甘い。
まるで砂糖水で溶かした絵の具で描いた絵のように甘い未来図だった。
それを証拠に、目の前にいる女剣士の表情が強ばっていた。
シャナンの意識はすでに、林檎から、馬車の外に移っていた。
どうやらアリスたちは山賊に取り囲まれているらしい。
シャナンの凜々しい表情がその事実を物語っていた。
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