どうしてこうなった
試験会場は賑わっていた。
模擬試験に参加する生徒は、一年生のみ。
ただし、魔術科だけではなく、他の科からも我こそは、と思うものはエントリーしてよいことになっている。
ここで目立っておけば、魔術科に転科できるかもしれない。
そう思っている子が大挙して押しかけてくるのだ。
アリスとは逆パターンを狙っている子たちである。
軽く60人くらいは参加しているだろうか。
皆、熱気に満ちあふれている。
アリスはきょろきょろと周りを見渡す。
件の学科長がいないか確認しているのだ。
もしもなんらかの理由で来ていないのならば、あえて目立つ必要はない。
最低限の成績を残してさっさと負けて、余った時間を読書に当てたかった。
「さあて、学科長さんはいないかな」
アリスは円形闘技場の貴賓室を見回す。
「学科長さんくらいになれば貴賓席にいるよね」
そう判断したのだけど、その判断は正しかった。
灰色のローブに、真っ白なお髭を蓄えた偉そうなおじいさんが鎮座していたからだ。
「たぶん、あれが学科長さんなのかな」
偉そうなオーラが漂っている。
たしか魔術科の学科長は、かつてこの国の宮廷魔術師を務めたこともあるすごい人で、今は引退がてら、王立学院の顧問兼魔術科長をしている、という話だった。
アリスはまじまじと見つめる。
「あのおじいさんに頼めば史学科に転入させて貰えるのかな」
そう思うと俄然やる気になるが、アリスの熱視線に気がついた人物がいた。
学科長ではない。
その横にいた人物だ。
彼女はアリスのことを見つけると、おもむろに立ち上がり、貴賓席から降りてきた。
アリスはその行動でやっとその人物が誰であるか気がついた。
「シャナンさん!」
やってきた人物が目の前まできたとき、アリスが発した言葉がそれである。
シャナンさん。アリスがこの王都にやってくる際に出会った女性である。
一緒に乗合馬車に乗り、旅をし、盗賊の襲来からアリスを救ってくれた恩人である。
彼女はこの王立学院の臨時講師になるためやって来た、と言っていたが、無事採用されたようだ。
たぶん、戦士科か剣士科に配属されたのだろう。
魔術科はまだ剣技の授業を行っていないので、出会う機会はなかったが。
そんなふうに懐かしんでいるとシャナンは親しげに話しかけてくれた。
「やあ、アリス。久しぶりだね」
「お久しぶりです。シャナンさん。いえ、シャナン先生」
ぺこり、と頭を下げるアリス。
「シャナンさんでいいぞ」
「でも、先生だし」
「そうだな。無論、公の場、もしくは授業中に呼び捨てにされても困るが、個人的な会話で先生と呼ばれるのは困る。そういう柄じゃないんだ」
「……じゃあ、シャナンさんで」
「うむ、それでいい」
シャナンはそういうと軽く笑顔を漏らす。
「さて、その校章を見る限り、どうやら君は魔術科に配属されたみたいだね」
「……はい、残念ながら」
「どうして残念なんだい? 魔術科といえばエリートの中のエリートじゃないか。あそこを卒業しておけば一生食いっぱぐれないぞ」
「でも、わたし、魔法使いになんてなりたくないし」
「じゃあ、お嫁さんにでもなりたいのかな?」
冗談半分でシャナンは言う。
「それは最終的な就職先ですが、その前に司書になりたいんです」
「なるほど、たしかに君は馬車の中でもずっと本を読んでいたしね」
「はい、司書になるのが子供の頃からの夢だったんです。なんとか史学科に転科させて貰えませんか?」
「それは私の権限の及ばないとこだなあ」
と頭をかくシャナン。
「私は雇われの臨時講師。生徒の人事権までは及ばない」
「それじゃあ、さっきシャナンさんの横に座っていた学科長さんに頼んでは貰えませんか?」
「横に座っていた学科長? ん? アーリマン大賢者様のことか?」
「はい、あの人が魔術科の偉い人なんですよね? あの人が首を縦に振れば、わたしは史学科に行けるんですよね?」
「まあ、彼が首を縦に振れば転科することぐらいわけはないと思うが」
シャナンはそこで言葉を止めると、こう続けた。
「うーん、しかし、君は変わり者だな。普通、史学科から魔術科に転科を臨む生徒は多数いるが、その逆は聞いたことがない。今日、この模擬試験会場に集まっている史学科の生徒も一発逆転を狙って魔術科に転科を狙っているというのに」
やれやれ、もしも君の願いを彼ら彼女らに話したら、妬まれるぞ、とシャナンは言う。
「私に言わせれば史学科の人たちの方が羨ましいですよ。だって、毎日、資料に触り放題なんですよね? 本を読み放題なんですよね」
「それが彼らの学問だからな」
「なら断然史学科ですよ。それに卒業すれば司書の資格も貰えますし」
「司書の給料などたかがしれているぞ。同じ公僕の護民官よりも遙かに少ない」
「でも、どうせ、お給金はほとんど本に消えてしまうし、それなら本を読み放題の司書になった方がお得です」
「君らしい考え方だ。はっはっは」
シャナンはそう言って笑い声を漏らすと、膝を打った。
「いいだろう、そこまで言うのならば私がアーリマン殿に掛け合ってみよう」
「ほんとですか?」
「黒の剣士は嘘は言わない。仲間内では有名だったよ」
シャナンはそう口にしたが、すぐに前言を撤回した。
「――いや、やはり私から口にするのはやめておこう」
「ええー!」
30秒で前言撤回。
早すぎるよ。
そう抗議しそうになったが、何も意地悪をするためにそう言ったわけでないらしい。
シャナンは軽やかに翻ると、深々と頭を下げた。
そして小声でアリスに伝えてくる。
「君は幸運の女神かもしれないな。アーリマン殿が君に興味を持ったみたいだぞ。さっきの願いは自分の口で伝えたまえ」
シャナンがそう言うと、アリスもその言葉の意味を察した。
いつの間にか学科長も貴賓席からいなくなっていた。
見れば学科長は、杖をつきながらこちらの方へ向かってきた。
恐れ多いためだろうか、会場にいた生徒たちは学科長に道を譲る。
人の波を裂くかのように学科長はこちらに向かってきた。
アリスたちは思わず恐縮し、固まってしまう。
しかし、当の学科長は、気にした様子もなく、隠居老人のようなのんびりした口調でこう言った。
「これこれ、あまり緊張する出ない。ただのじじいが物見遊山でやってきただけなのだから。もっとリラックスするんじゃ。いつも通りでよいぞ」
「しかし、アーリマン殿、貴方はこの国の大賢者と呼ばれる方。そのような方がやってこられれば、魔術を志す人間は緊張しますよ」
シャナンはそう言うが、この場で一人緊張しない娘がいた。
その娘はいつも通りの態度でアーリマンの懐に入ると、その手を握りしめた。
「学科長、わたし、アリス・クローネと申します! 魔術科に在籍していますが、本来、わたしは史学科に入りたかったんです。学科長の口添えでなんとか史学科に転入させて貰えませんか?」
ぎょっとしてしまったのは、手を握られたアーリマンではなく、シャナンであった。
向こう見ずなところがある娘だと思っていたが、まさかこの国の大賢者に向かっていきなりおねだりするとは夢にも思っていなかったのだ。
シャナンは慌ててアリスを引き離すと、
「礼節をわきまえたまえ」
と、説教をした。
「でも、アーリマンさんはいつも通りで良いって」
「ものには限度というものがある」
むう、そうなのか。なんとか史学科に転科したいがために周りの景色が見えていなかったのかもしれない。
アリスは素直に反省すると、今度は軽くお辞儀をしてからお願いした。
「アーリマンさん、どうかこのアリス・クローネを史学科に転入させて貰えませんか」
両手を握りしめ、涙目になり、おねだりポーズ。
それくらい史学科に転入したいのだ。
アリスの気持ちを察してくれたのだろうか、アーリマンは言う。
「アリスとやら。お主はそんなに史学科に転入したいのか?」
「はい、是が非でも」
「なぜじゃ? 魔術科はこの王立学院でもエリートの中のエリート。現実は魔術科を志望した人間が落ちこぼれて他の学部に配属される。そういう流れになっておる。お主はその流れを逆行しようというのか」
「はい」
と即断するアリス。
「理由を聞いてもいいかの」
「もちろん、理由は単純です、わたしは魔術師ではなく、司書になりたいからです」
その発言を聞いたアーリマンは一瞬、眉をしかめるが、すぐに人の良い笑顔を浮かべ、好々爺のような笑い声を発した。
「なんと単純にして明快な答えじゃな。気に入った。もしもお嬢ちゃんに魔術師としての才能があるのならば、お望み通り転科の口添えをしてやろう」
「ほんとですか?」
「このアーリマン。今まで嘘をついたことはないぞよ」
しかし、その言葉にシャナンは反応する。
「良いのですか? そのような大事、この場で決めて」
「このような大事だからこそこの場で決めるのがいいのじゃよ。これも何かの縁。それに身を任せるのが風流というものだろう」
アーリマンはそう言い切ると、
「では、まず魔術師としての素養を見てしんぜよう。お嬢ちゃん、こちらに来なさい」
アリスはアーリマンの言葉通り、赴く。
そしてアーリマンはなんの前触れもなく、アリスのお尻に触った。
一瞬、時間が凍り付く。
アリスも含め、シャナンも沈黙し、その場の時が止まる。
時間が動き出したのは、シャナンが「あっ……」という言葉を上げた瞬間だった。
それと同時にアリスも自分の臀部を触る老人の手に気がつく。
それが痴漢行為である、と気がつくのに、3秒のときが必要だった。
年頃の娘らしく、
「きゃあ!」
という叫び声を上げたのに必要だった時間は5秒。
手のひらに水の弾を作り出し、それで痴漢を撃退するのに要した時間は7秒ほどだった。
アリスは作り出した《水球》を容赦なく相手にぶつける。
力の加減、命中精度、そんなことを考えずに全力で相手にぶつけた。
アリスの水球の威力は入学試験でも実証されているが、大きな鉄の塊を数十メートル吹き飛ばす力を持っている。
それを間近で、ゼロ距離射程で食らえば、『大賢者』と呼ばれる老人でもひとたまりもないであろう。
そう思ったが、それは後の祭りだった。
「やばい、学科長に大けがをさせてしまうかも」
そう思ったのは、学科長に水の弾が命中した後だった。
哀れにも学科長は数十メートル先に吹き飛ばされ、倒れ込んでいた。
――はずだったのだが、けろりとしている。
なんとアリスの全力の《水球》を食らっても無事だったのだ。
彼はアリスの水球を手のひらで受け止めると、それを平然と受け止め、眉ひとつ動かすことなく握りつぶした。
アーリマンは、「ふぉっふぉっふぉ、元気の良いお嬢ちゃんじゃ」と言うと、こう続けた。
「これで魔術師としてのお嬢ちゃんの腕はおおよそ計れた。転科の件『検討』だけはしてみよう」
そう口にしながら踵を返した。
シャナンはそれに従うようにアーリマンの後ろについていくが、途中、こちらの方に振り返り、こう口にした。
「初めて会う大賢者に《水球》をぶつける娘など初めて見たよ」
アリスは自分のしでかしたことに今さらながら恐怖を覚える。
思わず冷や汗が背中からジトリと流れる。
「も、もしかして、わたし、転科どころか退学級のぽかをやらかしちゃいました?」
アリスはそう尋ねるが。シャナンは首を横に振る。
「その辺は私がフォローしておくよ。君は模擬試合に集中したまえ」
そう言い残し立ち去っていた。
アリスは二人の姿を見送りながら思った。
「どうしてこうなったー!」
と――。




