素数
「なにを驚いているのですか?」
メイド服姿の少女クロエは不思議そうな顔をしている。
「だ、だって、わたしが狙われるってどういうことですか? わたし、なにか悪い子としました? 人様に迷惑を掛けました?」
「していません」
きっぱりと否定するクロエ。
「ですよね」
「ですが、それと敵が襲ってくる。というのは別個の話になります」
彼女はそこで言葉を句切る。
「アリス・クローネ。未来を見通せる力を持った最強の魔女。もしも彼女がルナリア様の花嫁になったら。もしくは他の王候補の花嫁になったら。そうなるのならばいっそ消してしまえ。そう思う輩も存在するでしょう」
「そ、そんな」
「あの女、死兆星のリディアに貴方の素性がばれた時点で、アリス様はもはや尋常ならざる政治の世界に巻き込まれたのですよ。もう普通の学院生活は送れないとお考えください。――少なくとも次期国王が正式に定まるまでは」
「そ、そんなあ」
「そんな顔をしないでください。巻き込んでしまったこちらにも負い目はあるのです。ですからこのクロエがアリス様のメイドとなり、24時間警護いたしますので、ご安心ください」
「え、それはどういう意味ですか?」
「先ほど、ご学友の方と話されていましたよね。この学院は、格別の計らいがあればメイドを一人側に置くことができる、と」
「もしかしてそれは……」
「エルザッハ家は公爵家です。学院長とも知己。またこの学院にも多額の寄付金をしており、理事にも名を連ねています」
「ええと、もっと簡単に言うと?」
「理事長に金貨を渡して、便宜を図りました。明日からクロエはアリス様のメイドになり、第三女子寮に住まわせて頂きます」
「……まじですか?」
「まじです」
真顔で答えるクロエ。
どうやら本気らしい。
事実、放課後、寮に帰るとアリスの部屋には荷物が置かれていた。
そして舎監さまのミセス・オクモニックさんからこう言われた。
「貴方の家はそれほど裕福ではないと聞いていたけど、学院にメイドを連れてくる余裕があったのね」
「そんな経済的余裕はありません!」
そう宣言したかったが、この複雑な事情を話すのは困難を極める。
アリスは適当な理由をでっち上げることにした。
「ええと、親戚の親戚が某公爵家の人でして、今度学院に入学するのですが、その前に学院がどんなところか見聞するために派遣されたメイドさんです」
「そうですか。過保護な親御さんですね」
こういう事態になれているのだろうか。
オクモニック夫人は淡々と事実を受け入れると、最後にこう返してきた。
「たとえ大貴族の娘でも、王家に連なる方でも、この学院では一生徒、一寮生として扱います。それは肝に銘じてください」
おそらくその言葉はアリスにではなく、クロエに向けているのだろう。
それを察したクロエは、
「かしこまりました」
と深々と頭を下げた。
さて、こうして図らずもルームメイトができたわけだけど、問題がひとつだけあった。
オクモニック夫人は、軽くクロエに寮の規則を説明し終えると、最後にこう言った。
「ああ、そうだ。ひとつ言い忘れていました。入居が急だったので、まだベッドがひとつしかありません。申し訳ないのですが、しばらく二人でひとつのベッドを使ってください」
「………………」
な、なんですとー!
思わず心の中で絶叫してしまうアリス。
アリスはこの歳になるまで、他人と同じベッドで寝たことはない。
姉上となら寝たことはあるが、それもかなり大昔のこと。
ましてやこのような人形みたいな美少女メイドさんと同じベッドで寝るだなんて、想像の範疇外だ。
思わず赤面してしまう。
「……どうしよう」
クロエの方は緊張していないのかな?
そんな表情でクロエの方を見たが、彼女は表情一つ変えることなく、こう言った。
「さて、アリス様。夜もふけて来ましたし、就寝することにいたしましょうか」
と、勝手にベッドに潜り込んだ。
「あ、あのもしかして一緒に寝るの?」
「お嫌なのですか?」
「い、いや、じゃないけど、少し恥ずかしいかな」
「問題があるのならば、クロエは床で寝ますが」
「だ、大丈夫、問題なのはわたしの心だから。すぐに矯正する」
美少女と同じベッドに寝るから緊張するのだ。
妙に意識するからこういうことになる。
「そうだ! こういうときは素数を数えればいいんだ!」
アリスは申し訳なさそうにベッドに入ると、素数を数え始めた。
「2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29, 31, 37, 41, 43, 47……」
緊張のるつぼに放り込まれたアリス。
その晩、なかなか寝付けなかったのはいうまでもない。
アリスは821までの素数を数えると、やっと眠りに落ちることができた。




