競馬
ひとしきり謝辞を述べられると、ルナリアさんと歓談、そしてメイドさんから、ショート・ケーキを差し出されると、それを口に運ぶ。
「アリスさんは苺から食べる派なんですね」
「なにぶん、兄弟が多いもので……」
苺を残していると、姉上辺りに、
「これ、もーらい」
と略奪される可能性が大なのだ。
好物は最初に食べる。そんな癖が付いていた。
「私も苺から食べるんですよ」
彼女はそう言うと苺をナイフとフォークで一口大にして口に運ぶ。
うむ、さすがはお姫様だ。苺ひとつ食べるのもお上品で可愛らしい。
アリスは努めて真似しようとするが、こういうのは一朝一夕では身につかない。
ぐしゃり、と綺麗な苺を潰してしまった。
「………………」
流れる気まずい沈黙。
「……すみません」
「気にしなくていいんですよ」
彼女はそう言うとにっこり微笑む。そして自分の苺も潰す。
「こうした方が香りが広がって美味しいかもしれません」
彼女はそう言うと、それをスポンジの上に乗せ、口に運ぶ。
「やっぱりこっちの方が美味しいです」
にこり、と聖母のように微笑む。
「か、かわいい」
思わず呟いてしまう。
こんな可愛らしい生き物がこの世にいただなんて。
世の中は広い。
そんなことを思っていると、音もなく扉が開かれ、一人の少女が部屋に入ってくる。
よく見知った顔だ。
先ほど一緒に激闘を繰り広げた戦友だった。
(いや、わたしはなんもしなかったけど)
どうやら気を失っていたルナリアよりも、クロエの方が重傷だったらしく、医者の治療を受けていたのだ。
頬にガーゼが張られている。
ただ、それ以外は至って健康そうで、切り裂かれたメイド服も真新しくなっていた。
クロエは寄り添うようにルナリアの横に立つと、「ご心配をおかけしました」と軽く会釈をする。
「傷の方は大丈夫なの?」
思わず尋ねてしまう。
「かすり傷なのでそのうちに治るでしょう。神聖魔法を使う必要もありません」
「でも、女の子の顔なんだから、綺麗に治療した方がいいと思うけど……」
「クロエは女の子ではなく、メイドですから、気にしないでください。むしろ、この傷はメイドの誉れ。主を守るためにできたものです。治療せずに残しておいた方がいいかもしれません」
なんという忠義心であろうか。見上げたものである。
それに彼女は自身はソファーに座ることなく、ルナリアの横に佇んでいる。
なんでも、「君臣の区別はしっかりと付ける」それが彼女のポリシーらしい。
クローネ家にはない考え方だ。アリスの家では女中さんも使用人も一緒にご飯を食べるし、同じ席について家族のように親しく歓談する。
でも、クロエという少女にとってそれは禁忌なのだろう。
まさにメイドさんの中のメイドさん、プロフェッショナルだった。
ただ――、主であるルナリアはそれを歓迎していないらしい。
アリスに小声で話し掛けてくる。
「この子は変わっているでしょう? でも、根は悪い子ではないの。良かったら友達になってあげて」
どうやらルナリアとしてはクロエのことを友人だと思っているらしいが、肝心のクロエがそう思ってくれないらしく、ほとほと困り果てているらしい。
なるほど、と思わずはいられない。
その能面のような表情は確かに融通が利かなそうだった。
しばし二人でクロエの顔を見つめたが、それに気がついた為だろうか、彼女は「コホン」とわざとらしく咳払いをすると、
「お嬢様、そろそろ本題に入った方が宜しいのではないでしょうか?」
そう伝えてきた。
その言葉を聞いたルナリアは、そうね、それがいいわね、と口にした。
彼女がその言葉を口にした瞬間、部屋に待機していたメイドさんたちは潮が引くように部屋を出て行く。
よく教育されたメイドさんたちだった。
それを確認すると、ルナリアはまっすぐにこちらを見つめながら尋ねてきた。
「まず最初に確認しますが、貴方が魔眼の魔女である、というのは間違いありませんね?」
アリスは、こくりと頷く。
「たぶんですが、そうだと思います」
「たぶん、とはどういうことかしら?」
「いや、自分でも自信がなくて。おでこに、『魔眼の魔女』と書かれていれば別なのですが、書かれているわけでもないし」
「それでは服を脱いでくださる? 背中に大きなアザがあるかもしれないから」
アリスは思わずぎょっとしてしまう。
「まじですか?」
「冗談よ。魔女に特別な印がある、という文献は見たことがないわ」
「ですよねー」
「ではどうして貴方は自分が魔眼の魔女だと思ったの?」
「それは――」
話すと長くなるのですが、と前置きした上で、未来日記の話を正直に話し、これまで起きてきたことをかいつまんで話した。
「なるほど、つまり、未来の自分から送られてきた日記。ええと、名前は――」
「未来日記、背表紙にはそう書かれています」
「それに書かれている事実がすべて本当になるのね」
「そうです」
と、きっぱりと肯定する。
今さら隠してもしょうがないことだったし、この人ならば信頼できる。そう思ったのだ。
クロエが補足するように付け足してくれる。
「彼女の言っていることは本当だと思われます。彼女はこのクロエにジャンケンに勝ち、お嬢様が誘拐されることを予見し、突飛な行動で得体の知れぬ誘拐犯を追い返したのです。――そう、まるで己の未来を知っているかのような行動でした」
「この娘がお嬢様を誘拐した犯人の一味、という可能性もありますが?」
執事の男、名前をヘンスローというらしいが、彼はアリスに疑念の目を向けてくる。
どうやら彼はアリスのことを得体の知れない娘、だと思っているらしい。
確かに得体の知れない娘だと自分でも思う。
なので自分が未来を見通せる力があることを証明することにした。
アリスは懐から日記を取り出すと、それを見つめる。
「何も書かれていませんが?」
ヘンスローは渋面を作る。
「よく分かりませんが、この日記はわたしにしか見えないようになっているんです」
「それはまた奇っ怪な」
「おかげでいつも変な子と間違われます」
でも、とアリスは続ける。
「この日記に書かれているのは、たしかに未来のわたしからのメッセージなんです。しかも私しか見えないんです」
アリスはそう言うと日記帳の中身を皆に見せる。
「確かに真っ白ですな」
「真っ白ですね」
「真っ白ね」
異口同音にそう言う三人。
アリスは続ける。
「でも、不思議なことに、この日記には未来のできごとが書かれるんです。たとえば――」
アリスはそう言うと、日記の内容を読み上げる。
「ヘンスローさんは毎日、クロエさんに武芸の手ほどきをしているそうですね。昨日は不覚を取り、腹部に打撲を受けてしまった。まだ青あざが残っていますね」
ヘンスローとクロエは顔を見合わせる。
「あのとき、誰かに見られていたのでしょうか?」
「それはない――、はず」
ヘンスローはそう問うとこう答えた。
「確かに私の腹部には青あざが残っていますが、それは過去の出来事、未来のことを予測しても貰えませんかな」
「そうですね」
ごもっともな話だ、とアリスは日記に視線をやる。
そこに書かれていたことを口にする。
「ヘンスローさんは競馬が好きなんですか?」
「ええ、まあ。紳士のたしなみとして」
「では、今日開催されるレースの勝敗をすべて当ててみます」
アリスはそう言うと、本日、王立競馬場で開催されるレースの優勝馬を列挙した。
7レースほど行われるから7頭ほど名前を挙げる。
「ほお、お嬢さんは競馬も詳しいのですな」
「いえ、一回も見たことないですよ。てゆうか、馬の名前ってややこしい」
「馬主に奇人が多いからでしょう」
ヘンスローは苦笑いを浮かべるが、アリスの言葉に耳を傾けてくれる。
すべての馬の名前を聞き終えると、ヘンスローは呟く。
「仮に当てずっぽうだとしても、7つのレースすべてを当てるなど不可能。もしもすべて当てればお嬢さんの予知能力は本物、ということになる」
「わたしの、ではなく、正確には『未来』のわたし、ですけどね。あ、日記にはこんなことが書いてあります。ヘンスローさん、いくら競馬好きでもその馬に賭けてはだめですからね。この日記の力はお金儲けに使っては駄目らしいです」
「……肝に銘じておきましょう」
再び苦笑いを漏らすと、ヘンスローはメイドを一人呼び寄せた。
「いつものように競馬場に行ってきてくれ。いや、今回は結果だけ分かればいい」
かしこまりました、と妙齢の女性は頭を下げる。
ルナリアはクスクスと笑う。
「堅物だと思ってたヘンスローがメイドに馬券を買いに行かせていただなんてね」
「……面目ない」
ヘンスローは恥じらう。
「クロエは知っていましたけどね」
と、悪戯な笑顔を浮かべる。
三人はそれを肴に話を弾ませる。
レースの結果がすべて出るのは三時間後だ。
その間、紅茶でも飲みながら、ゆっくり待つことにした。
三時間後、メイドさんが戻ってくる。
メイドはヘンスローに耳打ちする。
ヘンスローは一瞬だけ、驚愕の顔をしたが、すぐにその表情を取り戻す。
そして努めて冷静な口調で言った。
「的中でございます」
どよめきは広がらない。
ルナリアとクロエは最初からアリスの言葉を信じていたからだ。
ルナリアは言う。
「これでアリスさんは魔眼の魔女だと証明されたみたいね」
「御意。7レースをすべて的中、うちひとつが万馬券。この結果を聞かされて信じないほど耄碌はしておりません」
「そのレースの馬券を買っておけば良かったわね」
クスクスと笑うルナリア。
だがすぐに笑うのを止めると、くるり、とこちらの方を振り向き、真剣な表情をした。
「アリスさん。いえ、アリスと呼んでいい?」
「か、かまいません」
「では、アリス。貴方にお願いがあるの」
「お願い……」
この流れだ。だいたい想像はつくが、一応、尋ねてみる。
「どんなお願いでしょうか?」
「簡単よ、私の花嫁になって欲しいの」
ルナリアはそう言うとにっこりと微笑んだ。
無論、その問いにはこう答えるしかない。
「わたし、司書になりたいんですッ!」
と――。
アリス・クローネ。
一応、その未来は聖女になることが確約されているらしいが、花嫁になるなどとは聞いていない。
百歩譲って司書になれないにしても、せめて普通の人生が送りたかった。
同性、それもお姫様と呼ばれる立場の人と結婚するなど、想定の範囲外であった。




