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魔眼の魔女

 アリスとクロエは同時に馬車から降りる。


 向こうも二人組だ。


 一人は黒髪の妖艶な女性。


 身体のラインがくっきり出る衣服を身に纏った女性。


 まるで娼婦のようね、とはクロエの言葉だが、いわれた相手は気にすることなく、


「あら、嬉しい褒め言葉ね。有り難いわ」


 と、表情を崩すことなく返した。


「誰も褒めてないですよ、この腐れビッチ」


 クロエはそう言うと飛びかかろうとしたが、娼婦と罵られた女はそれを制する。


「待ちなさい。貴方の大切なお嬢様がどうなってもいいと言うの?」


 お決まりの文句を言われたクロエはまるで蛇に睨まれたカエルのように固まってしまう。


「っく、卑怯な……」


「それも最高の賛辞ね」


 女は恍惚の表情を浮かべると自己紹介を始めた。


「初めまして、クロエさん。私の名前は死兆星のリディア。以後、お見知りおきを――」


 リディアは貴婦人のようにスカートの端を持つと、挨拶した。


 その挨拶に答えるクロエの敵意は消えない。


「覚える必要はない。なぜなら、お前はこの場で死んで(はらわた)をぶちまけるのだから」


 彼女はそう言うと、聖鉄鎖の懐中時計に力を込める。


「あらあら、まあまあ、本当に勇ましいお嬢さんだこと。若いというのは特権ねえ。でも、何度も言うけど、その場から一歩でも動いたら、私の部下が貴方のお嬢様を殺すわ。それでもいいの?」


 リディアがそう言うと、彼女の部下は気を失っているルナリアの首に短剣を添える。


 こうなってしまっては迂闊な行動はできない。


「――膠着状態に持ち込む気ですか? それは不利だと思いますよ。なぜならば、このままだとこの騒ぎを聞きつけた護民官が大挙してやってくるでしょう。貴方のような犯罪者は即逮捕され、そのまま縛り首です」


「まあ、それは怖いわ。私はか弱い女性だから」


 リディアはそう言うと、か弱い女性では到底持てぬ大鎌を振り上げる。


 そしてそれを振り下ろす。



 ぶあん!



 という音と風圧がアリスの横を通り過ぎた。


「ほんと、怖いわ。私、血を見ると立ちくらみしちゃうの。この大鎌で切り裂かれる護民官の数を数えるだけで、今から憂鬱になるわ」


 今の大鎌の挙動、その余裕ある態度。


 そうならないと言い切るのは難しいような気がする。


 相手の実力を計ることのできないアリスにはよく分からないが、おそらく、この人なら名のある騎士が数人がかりでも互角に渡り合えるのではないだろうか。


 そんな雰囲気を持った女性だった。


 ただ、それでもやはり人目に付くのも、増援がやってこられるのも困るらしい。


 リディアはこんな提案をしてきた。


「まあ、確かにこのままここで睨み合いをしていても仕方ないわ。乙女の時間は限られているしね」


 ふふふ、と妖艶に笑いながら、唇に指を添えると、


「そうね、こうしない?」


 そんな枕詞でリディアはクロエに提案を持ちかけてきた。


「貴方たちに誘拐を追跡された時点で誘拐は私の失敗。でも、依頼主に頼まれた手前、このまま手ぶらで帰るわけにはいかないのよ」


「……どういう意味ですか? 依頼人? 誰がお嬢さまを誘拐しようだなんて企んでいるのですか?」

「そんなの言えるわけないでしょ。この業界、信用が第一だしね。でもね、依頼内容ならば言えるわ。私の依頼主は私にこんな依頼をしたの。このルナリアという子を誘拐して、『魔眼の魔女』の居場所を探しなさい、って。なんでも、この子はやがて魔眼の魔女に導かれて、この国の女王になる、という託宣が下されたみたい」



「魔眼の魔女」



 思わずびくり、としてしまったが、それはアリスだけだった。


 クロエはその言葉を聞いても僅かばかりもこちらに意識を寄せない。


 その意思はとてつもなかった。


 ここで僅かでもアリスの方を振り向けば、アリスがその魔女であるとばれる可能性がある。


 その可能性を彼女はその鉄の意志で排除したのだ。


 ありがたいことである。


 アリスはその行為を無駄にしないため、努めて平常心を保った。


「だから、私は依頼さえ果たせれば、この子を解放するのもやぶさかではないわ。もしも今現在、貴方が魔眼の魔女の居場所を知っているのならば、無傷で貴方たちを解放してあげるし、今後、一切手を出さないわ」


「その約束を信じられるという根拠はあるのですか?」


「なんなら契約書を書いてもいいけど?」


 リディアは微笑みを浮かべるが、クロエは表情一つ変えない。


 まったく正反対の二人であるが、自分の信じるもののためならばどちらも冷徹になれる、という点では似たもの同士なのかも知れない。


 クロエは自嘲気味に微笑むと言った。


「いいでしょう。ただし、こちらにも条件があります」


「聞きましょう」


「ただ、情報交換しただけでは詰まりません。ここは決闘という形を取りませんか?」


「あらあら、まあまあ、決闘とは。勇ましいお嬢さんね」


「血なまぐさいビッチに言われたくないです」


「それで、私が決闘を受けるメリットは?」


「もしもビッチが勝ったら、魔眼の魔女の居場所だけでなく、その身柄も渡しましょう」


「そうしてくれると助かるのだけど、そうしてくれる、という保証は?」


「お嬢様の名誉とクロエのメイドとしての自尊心に賭けてお約束します」


 真剣な表情でそう宣言するクロエ。


 彼女はその名誉に賭けてそれを実行するだろう。


 そんな気迫を感じた。


「私が負けたら?」


「そのときはもう二度とクロエたちの前に現れないでください。今回の誘拐未遂も不問にしましょう」


 その言葉を聞いたリディアは、己の唇に人差し指を添え、しばらく悩み始める。


 その姿は妖艶な娼婦のようにも見えたし、無邪気な子供のようにも見えた。


 彼女はしばらく検討すると、急に、にやり、と微笑む。


 そしてごくごく軽い口調で言い放った。


「オーケー、いいわ。私にはなんのデメリットもなさそうだしね。そもそも私が貴方に負けるだなんて到底思えない」


 彼女はそう言い切ると軽く準備運動を始める。


 ついで朝食のメニューを決めるよりもあっさりとした口調でこう尋ねた。


「それで? 決闘のルールは? どうやって決着をつけるの?」


 その問いにクロエは率直に答える。


「どちらかが腸をぶちまけるか、泣いて命乞いをした方が負け、です」


「あら、私好みのルール♪」


 リディアがそう言ったのと同時に決闘は始まった。


 クロエはなんの躊躇もすることなく、リディアの懐に飛び込む。



 クロエは俊敏な動きで相手の懐に入り込む。


 その俊敏さは特筆に値した。


 残像が見えんばかりの動きでリディアのもとへ向かう。


 その動きには一切の無駄がなく、躊躇もなかった。


 あの大鎌で一刀両断される危険性など微塵も考えていない動きであった。


 実際、クロエはそのようなことをまったく考えていなかった。


 ただ、相手を倒す。そのことしか頭になかった。


 リディアの得物は、死神が持っているかのような大鎌。


 クロエが持っているのは、魔法が付与された懐中時計。


 クロエの武器はオールレンジで戦える万能兵器であるが、それでも相手の懐に飛び込んだ方が有利なのは明白であった。


 大鎌ならば懐に入り込めさえすれば後はどうにでもなる、そう思ったのだ。


 クロエの判断は正しかった。


 もしもクロエがリディアのもっとも得意とする中距離で戦ったとしたのならば、一瞬で勝負はついていただろう。


 リディアはなんの躊躇もすることなくその大鎌を横なぎにし、クロエの上半身と下半身を分断したことだろう。


 しかし、いきなり懐に入られてしまえば、リディアの戦闘力は半減する。


 クロエの決断は正しく報われた。


 懐に入り込んだクロエは、聖鉄鎖の懐中時計を右へ左へと繰り出す。


 鎖時計の時計部分には打撃属性の魔法が付与されている。


 その大きさは時計そのものであるが、その威力は怒れる巨人の拳に等しい。


 事実、聖鉄鎖の懐中時計は、何人もの暴漢どもの鎧をひしゃげ、その骨を砕いてきた。


 今回も同様に目の前の女の骨を砕き、その戦闘力を奪うだろう。


 ――そのはずであったが、その武勇伝は過去のものにしなければいけないのかもしれない。


 確かに聖鉄鎖の懐中時計は的確にリディアの急所を捉える。


 頭部、胸部、腹部、臑、肘。


 およそ人体の急所といわれる部分すべてに命中するが、それでもまったくダメージを受けたような様子がない。


(魔力の付与が足りない?)


 そう思ったクロエは、確認のため、地面に聖鉄鎖の懐中時計を叩きつけてみる。



 ばしん!



 という音と共に石畳は砕け、土埃を上げる。


 その光景を見ていたリディアはにやりと微笑む。


「貴方の心を読んであげましょう。貴方はこう思ってるわ。この化け物め、と」


「この一撃を食らって平然としている人間の呼称としては至極ベターなものに聞こえますが」


「本当に食らっていたらね。でも、私はピンポイントに《防御》魔法を展開しているから」


「そんなピンポイントに展開できるわけがない」


「現実にやってるでしょ。貴方の目の前で」


 リディアは愉悦を浮かべながら言う。


「私は相手の僅かな表情筋の動き、筋肉の伸びる音、間接のきしむ音、心音を聞き分けることができるの。その能力を駆使すればそれくらい朝飯前よ」


「やっぱり化け物じゃないですか」


「褒め言葉として受取っておくわ」


 リディアはそうにこり微笑むと、それではもっと化け物らしいところをお見せしましょうか、と攻撃に転じた。


 黒髪の女はそう口にした瞬間、握りしめていた大鎌を振り上げる。


 片手で、それも軽々と。


 まるで小枝でも振るうかのように、それを振り下ろす。



 横薙ぎ、

 袈裟斬り、

 連撃、




 およそ大鎌という武器で行える動作すべてを完璧にこなす。

 リディアが鎌を振るたびに、クロエの衣服が破れ、あるいは皮膚の一部がうっすらと剥がれる。



(遊ばれている!)



 瞬時にそう判断できる。


 本気を出せば、一撃でクロエを仕留められるだろうに、目の前の女はそれをしないのだ。


 まるで捕まえたネズミを弄ぶ猫のような表情を浮かべながら鎌を振っている。


 しかし、それがクロエの命を繋いでいるのも事実だった。


 クロエはそのことに感謝をしながら反撃の機会を待った。


(その油断が貴方の命取りになる)


 クロエはそう信じて、この恥辱に耐えた。


「詰まらない子ね。服を切り裂いても、肌を傷つけても、悲鳴どころか表情ひとつ変えないなんて」


「ご期待に添えずにすみません」


 クロエは能面のように返す。


「知っている? 命乞いをするのには二つのコツがあるの」


「後学の為にうかがいましょうか」


「ひとつ、命を奪う権利を持ってるものを楽しませるの。この子を生かしておいたらもっと楽しい姿が見られるじゃないか、って」


「そういった意味ではクロエは落第生ですね」


「ええ、赤点だわ」


「もう一つの方は?」


「もう一つの方は教えるまでもないでしょう、貴方が実践していることよ。この子を生かしておけば利益が得られる。そう相手に思い込ませるの」


「……なるほど、つまり、クロエが魔眼の魔女の情報を知っている限り、命までは奪わない、と」


「ええ――」


 とリディアは妖艶な笑みを浮かべたが、こうも付け加えた。


「でも、命は奪わないけど、手足の一二本は切り落とすこともできてよ? そうされたくなければ、大人しく情報を差し出すことね」


「………………」


 クロエは沈黙によって答える。


 リディアはそれを回答拒否とみなそうとしたが、鎌を振り上げた瞬間、クロエは笑みを漏らした。


「……貴方の秘密は墓場まで持って行くと約束したのに」


 クロエがそう漏らした瞬間、後方から女の子の声が響き渡る。



「もう、喧嘩は止めてください。私が魔眼の魔女です。だからその人を傷つけないで」

 


 そう叫び声を上げ、《水球》の魔法を放ってきたのは、アリス・クローネだった。


 やはりアリスは優しい子だ。


 我が身を犠牲にしてなんのゆかりもないメイドを守ってくれるのだから。


 クロエは秘密を守ることを諦めると、後方に下がり、アリスと並んだ。


「今さらなぜ名乗り出たのとはいいません。名乗り出たからには貴方はもう普通の生活をおくれない。そう思ってください」


「や、やっぱりそうなりますよね……」


 思わず言いよどんでしまうアリス。


「今からなんちゃって、とかいいますか?」


「……無駄だと思うのでやめます」


 アリスはそう言うと再び《水球》の魔法を唱えた。


 いつリディアが襲いかかってくるか分からなかったからだ。


「素晴らしい覚悟です。このクロエ、微力ながらお力添えをします」


 クロエはそう言うと、聖鉄鎖の懐中時計に魔力を付与し直す。


 彼女の髪の色と同じ青色に輝く。


アリスも《水球》に力を込める。


 試験のときに用いたくらいの力を込め。


 いや、あるいはそれ以上の魔力を込め。


 ほんとは魔法で人を傷つけたくない。


 しかし、この世界には暴力でしか物事をはかれない人間がいるのだ。


 そういった人間にはやはり同じ暴力を持って答えるしかないのかもしれない。


 そう思いながら、アリスは魔力を込めた。


 アリスの魔力は賢者や聖女に匹敵する。


 当たりさえすれば、敵に致命的なダメージを与えることができるだろう。


 そう確信していた。


 そしてアリスには魔法を当てる自信があった。


 熟練の戦士であるクロエが手こずるような手練れに魔法を命中させる。一見不可能なように思えるが、アリスには特別な力があった。


 アリスはリディアが魔眼の魔女と呼ぶ存在。その力を使えば、どんな強敵にも魔法を命中させることくらいできる。


 アリスは改めて左手で未来日記をめくる。


 そこにはやはり死兆星のリディア攻略法が書かれていた。

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