馬車を止める!
馭者の操馬術が最高のためか、あるいは馬が駿馬のためか、クロエの主であるルナリアを誘拐した馬車にあっという間に追いつく。
しかし、後方から急接近した馬車の存在に気がついてしまったためだろうか。
向こうの馬車も馬に鞭を叩き、全力で加速する。
その光景を見たクロエは、
「ちぃッ」
と苦虫を噛み潰したような声を上げる。
「せめて数メール先まで迫れれば、クロエの『能力』で飛び移ることができるのですが」
彼女はそう言い切ると、こう補足した。
「クロエは接近戦タイプなのです。敵に接近することができればどうとでもなるのですが」
ついでアリスの方を振り向くと、こう尋ねてくる。
「アリス様、貴方はどのタイプでしょうか?」
「タイプというと?」
「武芸をたしなむものにはいくつかのタイプがあります。近距離タイプ、中距離タイプ、遠距離タイプ。アリス様はどの距離がお得意なのですか?」
「わたしは文化系です」
そんな体育会系の思考方法で型にはめて欲しくないが、そんなことを言っていられる余裕はないことはアリスも理解していた。
アリスは正直に話す。
「わたしは王立学院の魔術科に通っています」
「素晴らしい! エリートではないですか」
「ですが、つい数ヶ月前まで、《照明》の魔法も使えない本好きの平凡な娘でした」
「………………」
その言葉を聞いたクロエは明らかに落胆の表情を浮かべる。
「今も使える魔法は、《水球》と《濁流》の魔法だけ」
「それでは《濁流》で馬車を横転させてしまう、というのはどうでしょうか?」
「中にルナリアさんが乗っているんですよね? あの速度の馬車が横転したら中の人は……」
「その案は却下しましょう」
彼女は即座に言い切ると、他になにか手はないのですか? そうアリスに問うてきた。
アリスは考える。
今のアリスの力であの馬車を止める方法を。
アリスの身体には膨大な魔力が宿っている。
それは先日の盗賊との一戦、あるいは王立学院の試験で証明できたことだが、逆にいえばアリスには膨大な魔力しかなかった。
普通の魔法使いが使えるような便利な魔法はまだ使えない。
アリスが人並みの魔法使いならば《飛翔》の魔法で敵の馬車に飛び移ることも。
アリスが一廉の魔術師ならば《睡眠》の魔法で敵の馬車の馬を眠らせることもできるかもしれない。
しかし、それでもなんとかあの馬車を止めることはできないか。
いや、止めなくても良い。
せめて動きを緩めることさえできれば。
「ああ、もう、どうしてわたしは水魔法しか使えないんだろう」
リルムのように神聖魔法が得意でなくてもいい。
ドロシーのように付与魔法が得意でなくてもいい。
ルクレシアのように火魔法が得意でなくてもいい。
せめて人並みの魔術師くらいに基本魔法が使えれば、もっと状況を変えることもできたのに。
「もう、なんで神様は才能を偏らせるの?」
未来なんて知る力はいらない。
大洪水を起こせる水魔法も使えなくていい。
ただ単純に目の前の馬車の速度を緩めることさえできたのならば、アリスは喜んでこのチートの力を受け入れたのだろうに。
そう思い嘆いたが、アリスは絶望したりはしなかった。
アリスは祖母から習った言葉を思い出す。
「諦めては駄目、一度でも諦めてしまうと、それが習慣になる」
アリスはその言葉を胸に、今日まで生きてきたのだ。
司書になるため、幸せな未来を掴むため、頑張ってきたのだ。
ここで諦めてしまったら、アリスはきっと司書にはなれない。
あの日記に書かれていた英雄にも、聖女にもなることはできない。
きっとなにもできないまま人生を終えてしまう。
今、ここで女の子一人救えない人間に、何かを成すことなどできるはずがなかった。
そう思ったアリスは知恵を振り絞った。
頭の回転を最大限にした。
今、アリスの持っている力だけであの馬車を止めることができるはず。
そう信じて策を練った。
しかし、無情にも相手の馬車との距離は縮まることはなかった。
それどころか離される一方だった。
このままでは王都の城門を突破され、都の外に逃げられてしまうかも知れない。
そうなればもう捕捉することは不可能だろう。
中の女の子はどうなってしまうのだろうか。
クロエの方を振り返る。
見れば彼女は泣いていた。
無表情で感情のない人形だと思われたクロエさんの瞳から、玉のような涙が流れていた。
「この人も泣くのか」
そんな感想が思い浮かんだが、それは口にはしなかった。
つまりそれほど大事な人が中に乗っているということだろう。
アリスは冷静に彼女の涙が流れ落ちるのを観察する。
すると、アリスの脳内に天啓のような考えが浮かんだ。
「玉……、そうか! 球を使えばいいのね!」
そう気がついたアリスは早速手のひらに《水球》を作り出す。
それを見たクロエは尋ねてくる。
「アリス様、その魔法は?」
「《水球》の魔法です。ただし、威力は最低限度に抑えます。いえ、ゼロにします」
入学試験でど派手に的を吹き飛ばしてしまった魔法であるが、アリスはあれ以来、《水球》を制御する術を学んだ。
どうやれば相手を傷つけずに動きを止めることができるか、腐心した。
その結果、限りなく威力を削ぎつつ、水だけを発生させる術を学んだ。
級友たちからは、
「攻撃魔法の威力をなくしてどうするの?」
と不思議がられたことがあるが、意味はある。
そのお陰で、アリスは苛めに来たルクレシア一味を傷つけることなく撃退することができたし、今、目の前に居る馬車の速度を緩めることができる。
アリスは威力を限りなくゼロにし、精度だけを高めた《水球》を的の馬車めがけ投げつける。
――正確には敵の馬車の車輪にめがけ。
ここで物理の話。
錬金術の発達により、物理学という学問ができてはや数百年。
この世界には魔法という便利なものがあるから、その発展は遅々たるものだが、読書家のアリスは科学という分野にも多少の造詣があった。
とある書物によると、この世界には『摩擦』と呼ばれる現象があるらしい。
摩擦とは、簡単に説明すると、床の上に置かれた物体を動かそうとするとそれを邪魔する力のことだ。
物理学者いわく、摩擦は物体の運動エネルギーを容赦なく奪うが、物体の運動エネルギーを奪うのはなにも摩擦の力だけではないらしい。
大気、つまり普段我々が吸っている空気も物体の運動エネルギーを奪うのだそうだ。
物理学者はそれを『空気抵抗』と呼んでいる。
そしてさらに付け加えれば、その空気以上に物体の運動エネルギーを奪う存在がある。
空気と同じくらい身近で、どこにでもありふれた素材。
「水」
と呼ばれる液体も物体の運動エネルギーを大量に奪うことができる。
つまり、何が言いたいのかといえば、馬車の車輪に水を纏わせることができれば、抵抗の力が働き、馬車の車輪の回転速度を落とすことができるのではないか。
そう思ったのだ。
実際、アリスの考えは的を射ていた。
見事命中し、車輪に纏った水の球は容赦なく馬車の速度を奪う。
あれほどまでのスピードを誇った馬車も、今は騾馬が牽いているかのような鈍足になっていた。
あっという間に車間距離は縮まり、こちらの馬車は相手に追いつく。
そうなれば後は近接タイプの戦士の出番であった。
クロエはこちらの方を軽く振り向くと、
「ご協力感謝します」
そう微笑んで懐から『懐中時計』を取り出した。
こんなときに時間でも見るのだろうか。
悠長な人だなあ、そんな感想が浮かんだ瞬間、その懐中時計は青白く光る。
「時計が時間を調べるだけの道具だと誰が決めたのでしょうか」
彼女はそう不敵にいうと叫んだ。
「聖鉄鎖の懐中時計!!(ジャッジメント・チェーン)」
そう叫んだ瞬間、彼女の手の中の懐中時計は、まるで生き物のように蠢き出す。
そして意思を持った聖なる鎖は、蛇のように相手に食らいつく。
青白い糸が相手を真っ二つに粉砕する。
相手の馬車の馭者を一刀両断にしなかったのは、クロエの心にまだ慈悲の心があったからではない。
もしも敬愛するルナリアの身に何かあった場合、彼女は容赦なく馭者さえ殺すだろう。
そんな恐ろしいほどまでの冷徹さを彼女は持っていた。
だが、まだルナリアは無事なはずである。
だからクロエは、馬車の操車台と母屋を切り離すだけで、馭者の命までは奪わなかった。
ただ、馬車から切り離された操車台は、当然のようにバランスを崩し、操車を振り下ろした。
地面に思いっきり転げ落ち、地面の摩擦力の洗礼を受けていた。
「い、痛そう」
という感想しか浮かばない。
しかし、同情している暇はなさそうだった。
操車を失った馬車であるが、まだ慣性の力を失ったわけではない。
このまままっすぐ進めば数十メートル先にある城壁にぶつかるかも知れない。
いや、確実にぶつかるだろう。
そう思ったアリスは《水球》の魔法を解除する。
先ほどの魔法は敵の馬車の後輪二つに覆い被さるように掛けた《水球》である。
水の力によって速度を奪っただけ。
ただ、完全に停止させることはできない。
完全に止めることができないのであれば、発想を変えるしかなかった。
「完全に止められないならその場でぐるぐる回りなさい!」
アリスはそう叫びながらもう一度《水球》の魔法を放った。
今度も二つの車輪めがけ。ただし、今度は後方ではなく、右側だけ。
さて、頭のいい人ならば分かって貰えると思うけど、4つある車輪のうち、片方だけ動きを弱めればどうなるか。
答えは簡単。馬車はまっすぐ進むのを止め、その場で回転し始める。
つまり、ルナリアの乗った馬車は壁に激突しないで済む、ということだ。
そして物体を前進させる力を失った馬車はそのうち必ず静止する。
こうしてアリスの機転により、馬車は無事停止した。
一連の行動を見守っていたクロエはアリスの方向を振り向くとこう言った。
「素晴らしい。魔眼の魔女様は、未来を見通す力だけではなく、この絶望的な状況を好転させる機知もお持ちのようですね」
「たまたまですよ、いつも本を読んでいるおかげです」
そう謙遜しようと思ったが、そんな暇さえなかった。
とあることを思い出したからだ。
ルナリアを傷つけずに済んだ、ということは、逆にいえばあの馬車に乗って居るであろう誘拐犯も無事、ということだ。
まだ危機的状況が終わったわけではない。
そう確信したアリスは馬車の方向へ目をやる。
案の定、馬車からはいかにも悪そうな人たちが降りてきた。
一人はルナリアに短剣を突きつけている。
どうやらアリスたちの戦いはまだ続きそうだ。
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