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未来日記

 この世で一番嫌いなものは、いわれのないお説教と、推理小説の犯人ばらし。


 それがアリスの持論であった。


 もしもそのふたつが合わさった本が発売されたら、そんな想像を巡らし、戦慄したこともあったけれど、幸いなことにアリスは今までそのような書物を手に取ることはなかった。


 あるいは自分は幸せなだけでそのような出版物に触れずに済んだだけで、世の中には案外、上記の条件を満たした書物に溢れているのかも知れないけど。


 ただ、まさかそのふたつの条件を兼ね備える本を送られてくるとは夢にも思っていなかった。



 しかも自分から。

 それも未来の自分から。



 軽く目眩というか、憤りにも似た感情を覚えたけど、それを押さえると、冷静になってみる。

 ある日、自宅に届けられた一冊の書物。



 宛名は過去のアリス・クローネ、つまりわたし。

 差出人は未来のアリス・クローネ、つまりわたし。



 ……見事に混乱というか、何を言っているのか自分でも分からない状態だ。


 魔法使いに魔法をかけられた気分になる。


 それとも友人の性質の悪い悪戯だろうか?


 というか、その可能性の方が高いのだろうけど。


 よくよく考えてみれば、未来の自分から日記が届くなど荒唐無稽というか、小説の中でしか起こりえないことであった。



「あはは……、あはは……、だよねー、これって悪戯だよねー」



 では誰がこのような悪戯をしてきたのだろうか?


 父上だろうか?


 アリスの父親は平民も恥じらうような貧乏貴族だ。


 貧乏暇なしの格言どおり、領地を駆け回っては領民たちに尽くしている。


 このような悪戯をする時間もないだろうし、そもそも人を騙すなんてことを知らない善良な人だ。


「よし、容疑者から削除、と」


 アリスは自分の父親を疑ってしまったことを恥じた。


 

 ならば犯人は使用人だろうか?


「お給金の遅配が続いているもんなー」


 クローネ家は貧乏ではあるが貴族の末席、よぼよぼのお爺さんと腰の曲がった女中さんを雇っている。

 彼らが悪巧みをしてアリスを騙している――、という可能性を考察したけれど、その可能性も即座に捨て去る。


 動機としては薄すぎる線だ。


 そもそもお給金を支払うのは父上の仕事であって娘の領分ではないし、第一、彼らはそのような意地悪なことをする人たちではない。


 アリスは長年クローネ家に尽くし、自分を可愛がってくれた老夫妻を疑ってしまったことを恥じた。



 ならば消去法で友人が犯人、ということになるのだろうけど……。


 真っ先に幾人かの友人の顔が浮かぶが、 どの子もにこにこと微笑んでいる。


 このような悪戯をするような子はいないと思うんだけど。


「恨まれるようなことをした覚えはないんだけどなあ」


 ただ、身に覚えがないだけで、いつの間にか傷つけてしまった、という可能性もある。


 アリスはよく鈍感な娘、と評される。


 いつの間にか友達を傷つけてしまい、今回のような事態に――。


「いやいや、ないない」


 自分の心が天使のように清らか、と主張するほど驕ってはいないけれど、他人様に恨まれるような真似はしたことがない。


 だから多分、友人の犯行という可能性もない。


 というか、そんなことをする子とは友達にならない。


 アリスは気の良い友人たちを疑ってしまったことを恥じた。



「となると――、これってもしかしたら本物なの?」



 アリスは恐る恐る日記帳に手を伸ばしてみる。


 先ほど、1ページ目を開いてみたがそこには確かに自分の筆跡と思われる文字で、


『過去のわたしへ――』


 と書かれていた。


 その後、このような文字が綴られている。



『こんにちは過去のわたし。なんか変な出だしの文章だけど、この日記は未来の貴方が書いた日記です。この文字を読んだ瞬間、貴方は一度この本を閉じて、誰かが送りつけた悪戯か考察するでしょうけど、やがて犯人の目星が付かなくなり、再びこの日記をめくるでしょう』



「………………」



 ぐぬぬ、その通りなのでぐうの音も出ない。


 続きを読んだら負けのような気がするが、続きを読まざるを得ない。



『貴方は歯ぎしりをしながらこの文章を読んでいることでしょう。なぜ、そのことを知っているのかと言えばわたしは未来の貴方だから。過去、貴方が何をしたか全部お見通し。でも、疑り深い貴方のことだから、この日記を最後まで読んでもその内容を信じないでしょう』



 そりゃそうだ。誰がこの日記を書いたかは置いて置いて、いきなり未来の自分から日記を送りつけられてその内容を信じろ、だなんて虫が良すぎる。


 そもそもこの日記自体、最初の数ページしか書かれておらず、アリスの未来が事細かに書かれているわけではなかった。


 ただ、この日記が未来の自分が書いてあることと、アリスがこの日記を手に取り、その内容を読んで歯ぎしりする程度のことしか書かれていない。


 

「やっぱり性質の悪い悪戯なのかな?」



 そう思っていると、空白だった部分に黒い文字が浮かび上がる。


「………………」


 なんと手の込んだ悪戯だろう。この日記にはどうやら強力な魔力が付与されているらしい。


 読みたくなかったが、その部分を読まざるを得ない。



『さて、いきなりのネタバレなのだけど、将来貴方はこの国の英雄となり、やがてはこの世界を救う聖女になります。この日記をよく読み、慎重に行動すれば幸せになれるので、心して読むように』



「………………」



 思わずくらり、と立ちくらみをしてしまう。


 貧血とは無縁の健康優良児のアリスであるが、自称未来のアリスが送りつけてきた言葉の爆弾の威力は凄まじかった。


「ちょ、ちょっと、待って、わたしの夢は、目立たず、騒がれず、平々凡々に生きて、大往生を遂げることなのに」


 姉上のように大貴族と結婚して玉の輿に乗りたい、とか、兄上のように冒険者と成って一山当てたい、とか、そんな無謀で分不相応な考えは一切ない。


 頑張って勉強して、国王陛下から奨学金を頂いて、なんとか地方の大学に入れて頂いて、司書の資格を取って、本に囲まれながら生活をして、本の匂いに包まれて、誰からも注目されず、誰からも後ろ指指されず、人並みの生活を送りたい。


 それがアリスの夢なのに、よりにもよって自分が英雄に?


 しかもそのあと聖女様に?


 ――ちょっと想像しただけで寒気を覚える。


 根っからの庶民体質のアリスには考えられない未来図であった。


 厭だ! 絶対に厭だ! 断固拒否する!


 日記に向かってそう叫ぶが、日記はあざ笑うかのように新たな文字を浮かべる。



『図書館の司書になって平凡な人生を望む過去のわたし。貴方は自分が聖女になると聞いてさぞ混乱しているでしょう。この日記を破り捨てようと、ハサミに手を伸ばしているかもしれません』



「はッ! な、なぜ、ばれた!?」



 確かにアリスはテーブルに置かれていたハサミに意識をやっていた。



『でも、この日記を破り捨てることは不可能なの。この日記は特別な魔力が付与されているの。ただのハサミでは刃が折れるだけ。あと、一応、念のために言っておくけど、捨ててもこの日記は何度でも手元に戻ってくる仕様になっています』



 ゴミ箱に視線を送っていることもお見通しのようだ。


 ここまで見透かされるともはや渇いた笑いしか漏れ出てこない。



「……あはは」



『貴方にできる行動はふたつだけ。この日記を見るか見ないか。見たあと、その内容を信じるか信じないか。まあ、貴方がどうするか、未来のわたしは知っているのだけど、貴方がこの日記の内容を信じるため、少しだけ手品を見せましょう』



 日記帳はそこで文字を綴るのを止めるが、しばらくすると文字を浮かび上がらせる。


 そこに書かれていたのは衝撃の事実だった。



『この文字を読んでから数分後、丁度、壊れかけの鳩時計が正午を告げた瞬間、貴方の父上、つまりわたしのお父さんが慌てて駆け込んでくるでしょう。手紙を持って。その手紙の差出人は国王陛下。内容は貴方が『王立学院』への入学が許されたというもの。父上は大喜びをしますが、喜びすぎて転んでテーブルの上のものを床にぶちまけてしまうので、あらかじめ割れやすいものは片づけておいてください』



 アリスは時計を見る。


 確かにそこには壊れかけの鳩時計があった。


 正午になればガリガリという音と共に仕掛けが作動し、鳩が飛び出してくる時計だ。


 後、数分後に父上が入ってくる。


 王立学院の入学届を持って。


 自称未来の自分の勧め通り、テーブルの上を片付けておくべきだろうか。


 確かにテーブルの上には欠けた陶器のお皿が置かれている。


 貧乏貴族のクローネ家では欠けていてもお皿は貴重品だ。


 割られると分かっているのならば片付けたいところだけど――。


「でも、なんか片付けたら負けな気がする……」


 そう思ったアリスは静観することにした。


「そもそも、あの日記が本当かどうか分からないし」


 そうだそうだ、あの日記は手の込んだ悪戯で、真っ赤な偽物の可能性もある。


 あるいは日頃、本を読み過ぎのアリスの誇大妄想という可能性も。


 あの日記帳に書かれている未来がやってくる保証などどこにもない。


 そう自分に言い聞かせるように心の中で呟きながらその瞬間を待った。


 鳩時計の時計が正午を指した瞬間を――、


 時計の長針と短針が重なる。


 オルゴールの音が鳴り響き、壊れかけの鳩が申し訳なさそうに飛び出てくる。


 その瞬間、居間の扉が開かれる。



(き、きたー! ほんとにきたー!)



 入ってきたのはやはり父上だった。


 しかも恐ろしいことに、その右手にはなにか書状のようなものが握られている。


 父上は息を切らせながらこう言った。



「ア、アリスよ、落ち着いて聞くのだぞ。いや、まずは深呼吸を三回するのだ」



 深呼吸が必要なのは父上の方に思えたが素直に従う。


 父娘、仲良く深呼吸をすると、父上の言葉を聞く。


 どうかその書状が王立学院の入学通知書でありませんように、と願いながら。


 しかし、運命という奴は皮肉なもので、父上の手に握られていたものは王立学院の入学通知書だった。


 父上は誇らしげに書状を見せびらかすと、こう言った。


「アリスよ、喜べ。お前は明日から王立学院に通うのだ。選ばれた人間しか通うことの許されない名門校だぞ。我がクローネ家の子女が、あの名門校に通うのだ」


 父上はそう言うとその場で踊り始める。


「ま、待って、父上! 浮かれすぎると危ないですよ」


 という暇もない。


 それほどの浮かれようだった。


 浮かれるのは構わないのだけど、今、踊られると、あの日記に書かれていることが現実になってしまう。


 アリスは慌ててテーブル上に置かれた食器類を片付けるが、それでもすべてが『あの』日記に書かれてる通りにことが運んだら癪ではないか。


 アリスはそう思い、父上を止めたが、それも無駄であった。


 父上は日記に書かれている通りに転び、テーブルの上のものを床にぶちまけていた。



(や、やっぱりあの日記は本物なのか……)



 アリス・クローネの心の叫びが木霊する。


 アリスは転んだ父親の介抱をしながら、テーブルの上に置かれながら難を逃れた日記に視線をやる。



(ていうか、あの日記の通りに行動すれば、わたしは英雄になって、この国の聖女様になるのか……)



 ごくり、思わず生唾を飲んでしまう。


 考えてもいなかった未来像だが、今はこう口にするしかなかった。



「そんな未来はぜったいに厭だー!」



 それがアリスの偽ざる気持ちであった。

「面白かった」

「続きが気になる」

「更新がんばれ!」


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