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馬車チェイス

 ひとしきり泣き終えると、場所を移動した。


 リルムとドロシーには、偶然、友人と再会した。


 そんな嘘をついた。


「それならば仕方ない」


 二人は許してくれた。


 彼女たちに嘘をつくのは心苦しいが、仕方のないことだった。


 メイドさんに是が非でも我が主に会って欲しい。


 そう懇願されたからだ。


 いや、そんな態度ではなかった。


 彼女は恥じらいもなく床に伏せると、


「お願いします。どうか我が主に会っていただき、そのお力をお貸しください」


 そう土下座をしてきた。


 そんなことをされてしまえば、断ることなどできない。


 アリスはメイドさん。クロエの頼みを聞き入れることにした。


 ただし――、と付け加える。


「わたしに未来を見通せる力があることは内緒にしてくださいね……、それと頭を上げてください。そんなことをされても困ります」


 一応、確認のためにそう言っておく。


 彼女はおもむろに立ち上がると、当然です、と同意する。


「貴方が魔眼の魔女であることは主以外には決して伝えません。たとえ『敵』に捕まり、拷問に掛けられても。指を一本一本切り落とされても。決して口外しません」


 クロエの恐ろしい言葉に思わず身震いしてしまう。


「……そこまでされそうになったらしゃべってもいいのだけど」


「いえ、墓の中まで持って行きます。いえ、地獄の底まで持って行きます」


 彼女はそう言うと、アリスを洋服屋の外に連れ出した。


 そこには立派な馬車がとまっていた。


「す、すごい。まるで王様が乗るみたいに豪華」


「国王陛下の馬車はもっと豪華ですよ」


 クロエはそう言い切ると、アリスを馬車へいざなった。


 馬車へ足を掛けるアリス。思わずクロエの方へ振り向き、

「く、靴は脱いだ方がいいんですかね?」

 と尋ねてしまう。


「脱がないで結構ですよ」


 本当に良いのだろうか?


 馬車の内装は木の板ではなく、ビロード張り。


 床にはふかふかの絨毯が敷かれている。


 泥が付いた靴のまま載っていいかためらわれる。


 アリスがしばし躊躇していると、業を煮やしたクロエがアリスのお尻を押す。


「アリス様は、お嬢様のお客人なのです。たとえ犬の糞を踏んだ靴でも構いませんので、どうぞお気兼ねなくお乗りください」


 そう言い切ると、アリスを押し入れ、自分も乗り込んだ。


 そして馬車の馭者に伝える。


「用件は済ませましたので、このまま館まで向かってください」


 その声に、馭者の男の人は、「御意」と一言だけいい、馬に鞭を入れる。


 馬車はアリスが馬車の席に座ったと同時に走り出す。


 とてもスムーズに、静かに。


「おお、すごい」


 思わず感心してしまう。


「なにがすごいのですか?」


「わたしが王都にやってきたときに乗った馬車はもっと揺れました。乗り心地が悪かったです」


「この馬車は王侯貴族専用にカスタマイズされていますからね」


 と言い切るクロエ。


「この馬車には懸架装置(サスペンション)と呼ばれている機構が備え付けられています」


「さすぺんしょん? ですか?」


 初めて聞く言葉に戸惑う。


「衝撃を吸収する装置のことです。詳しくは存じ上げませんが、これを取り付ければ乗り心地は万全になります。錬金術の進歩のおかげですね」


 クロエはそう言い切ると、


「館まで十数分の旅です。それまでゆっくりとくつろいでください」


「はーい」


 というまでもなく、アリスは馬車の中を探検していた。


 王侯貴族の馬車に乗るなどそうそうある機会ではない。


 王侯貴族の馬車にはワインを積むワイナリーが搭載されているというのは本当だろうか。


 小さな書斎を積んでいるという話も聞いたことがある。


 それに魔力駆動式の通信機などが備え付けられているという話も聞いたことがある。


 アリスはクロエが客人扱いしてくれているのをいいことに、それらを探したが、すぐに結果が出た。


「ほんとにあった」


 馬車の内部には小型のワイナリーがあった。年代物のワインが横に寝かされている。


 アリスの故郷でもワインを製造しているが、アリスの父上の領地で産出されるワインは当然置かれていない。どれもアリスでも聞いたことがある高級なワインだった。


「1本で、小説10冊くらいは買えるかな……」


 いや、それどころではないかも。


 アリスが欲しくてたまらない絶版の希少本と同じくらいの値段かも知れない。


 一生、アリスには縁がなさそうなのでこれ以上は触れない。


 次にアリスが目をやったのは、小さな書斎。


 お貴族様が暇を持てあまさないよう置かれた蔵書。


 馬車で本を読むと酔いそう、というのがアリスの想像だったけど、こんなにも乗り心地が良ければ、悠々と読書することが可能だろう。


 アリスは王都にやってくる際、安い乗合馬車を選択したが、それでも必死に酔いと戦いながら読書に励んでいた。


 もしもあのときの馬車がこの馬車だったら、積読書の消化が大いに進んだことだろう。


 アリスは自分の生まれを不憫に思ったことなど一度もないが、初めて大貴族の娘に産まれたかった、と思ってしまった。


「もしも、あの日記の通りわたしが聖女様になったら、こんな生活を送れるのか」


 一瞬、そんな不埒な感想を思い浮かべてしまったが、


「いやいやいや、いけない、いけない。駄目よ、アリス」


 と自分を叱咤する。


 聖女様になれば、どんなに高価な本も買い放題だが、逆にいえば読み放題ではなくなるはず。


 聖女様とはその国で一番の英雄を指す言葉だ。とても偉い、ということだ。


 とても偉い=責任がともなう。


 つまり忙しくなる、ということだ。 


 きっと大臣だの将軍だの、偉い人がたくさん面会に来て、寝る間もないほど忙しいだろう。


 国中の、いや、世界中の本をかき集めることはできても、それに目を通せるのは、深夜、眠りに就く前のベッドの上だけ、ということが容易に想像できる。


 本がいくらでも買えるからといって幸せになれるとは限らないのだ。


 そうやって自分を納得させると、アリスは備え付けの書斎から目を離した。


 こんなものを見ているから気の迷いが生じるのだ。 


 ここはおとなしく普通の方法で時間を潰すべきだろう。


 アリスは目の前で沈黙している少女に尋ねた。


「あの、馬車で十数分と言ってましたが、わたしがこれから会う人はどんな人なのでしょうか?」


 その言葉を聞いたクロエは表情を変えずに返す。


「とあるやんごとなきお方です」


「やんごとなきというと、偉い貴族さまということですよね?」


「…………」


 クロエは否定も肯定もしない。


 つまり相当偉い人、ということか。


「伯爵さまとか?」


 クロエは首を振る。横に。


「侯爵さまとか?」


 クロエは否定する。優雅に

「ま、まさか? 公爵さま以上というんじゃ?」


「…………」


 クロエは沈黙によって肯定すると、こう付け加えた。


「あまり身構えないでください。我が主は貴き血筋のお方ですが、気さくなお方。そのように身構える必要はありません」


「はあ……」


 と、覇気のない返事をする。


「身構えるなとか言われると余計に緊張するのですが」


「失礼ですがアリス様も貴族でしょう。貴族の晩餐会や舞踏会に参加されたことがあるのでは? そこで大貴族の方々とお会いしたことがあるのでは?」


「滅相もない」


 と首を横に振るアリス。


「クローネ家はなんで男爵家でいられるのか不思議なくらいの貧乏貴族ですよ。そういった貴族の社交界とは無縁の一族です」


 そもそも、パーティー用のドレスなんて一着も持ってませんしね、とはにかむ。


「だから、大貴族、それも男の人と会うとなると少し緊張します」


「なるほど。そうでしたか。ならば緊張を和らげる魔法を掛けて差し上げましょう」


 と、クロエは少し表情を緩めた。


「たしかにこれから面会される方は、とても貴きお方ですが、男性ではありません。とても可愛らしい女性です。いえ、女の子です。それもアリス様と同じくらいの年頃の」


「え、そうなんですか?」


「ええ、だから肩の力を抜いてください」


「なるほど、同い年の子なのか」


 ならば緊張せずにすむかも。


 大貴族と聞いたから、てっきり中年や壮年の男性をイメージしてしまったが、同じ年頃の娘ならばそんなに気負う必要はないかもしれない。


 実際、アリスの通う王立学院には、大貴族の娘さんや息子さんが一杯通っている。


 最初こそ鼻持ちならない子が多いと思ったが、話しかけてみれば、あるいは仲良くなってみればいい子ばかりだった。


 最初に友達になったドロシー・ドロッセルマイヤーも、子爵家の娘さんだ。


 しかも代々、魔剣士科を卒業してきたエリートの一族。


 だけど本人はエリート風を吹かすことなく、アリスを含め、クラスメイト皆に人当たりよく接してくれる。


 他の子も最初こそはツンケンしていたが、アリスが根気よく話しかけると根負けしたのか、今では普通に挨拶してくれたり、昼食を一緒に食べたりしてくれる。


「そうか、同じ年頃なのかー。なら友達になれるかも」


 そういった淡い期待が膨らむ。


 今現在、アリスの友達は、リルムとドロシーのみ。


 知り合いと呼べるような子はたくさんいたが、「友達です」と言い張れるような子はごくごく僅かしかいなかった。


 ここで新しい友達をゲットする、というのも悪い話ではない。


「友達百人できるかな計画が前進する!」


 そう思ったアリスは三人目の友達をゲットするため、クロエに話しかける。


 敵を知り、己を知れば百戦危うからず。


 先にどんな子か知っておけば、友達になれるチャンスが増える、というものだ。


 アリスは率直に尋ねた。


「クロエさん、クロエさん、これから会う方のお名前を教えてください」


 クロエはその言葉を聞くと、こちらの方に視線をやる。


「――ルナリア。ルナリア様です」


 一瞬だけ間を置くとそう答える。


「ルナリアさんかぁ。可愛らしい名前だ」


「ええ、世界一可愛らしい方です」


「クロエさんよりも?」


「クロエなんか比較対象になりませんよ」


 彼女はそう言うとこう続ける。



「ルナリア様の金色の髪の毛は、同質量の黄金よりも貴重で美しい」

「その笑顔は周りのものすべて幸せにし、岩戸に隠れた神さえも虜にしてしまう」

「その慈愛に溢れる心は、この世の闇すべてを照らし出す払暁(ふっぎょう)となるお方」



 クロエは恍惚の表情で語る。


 あまりにも仰々しいたとえだが、彼女がそれほど心酔するということはとても可愛らしいお嬢さんなのだろう。それだけは容易に想像できる。


 今から会うのが楽しみだ。


 ワクワクが抑えられないが、無粋にもそれを邪魔する人物がいる。


 懐に忍ばせていた日記がプルプルと震える。


 相も変わらず気の利かない日記である。


 無視をする、という選択肢もあったが、一応、ページを開く。


 そこに書かれていた文字は、ごく単純なものだった。



『窓の外を見なさい』



 一応、アリスはその指示に従う。


 命令されるのは癪だったが、窓の外になにかあるのかと思うと、気になるではないか。


 

 好奇心は猫を殺す、という諺があるのは分かっていたが、物語が大好きなアリスは好奇心も人一番強かった。

 


 さて、好奇心はアリスを殺したのだろうか。


 結果から言えばアリスの身体は傷ひとつ負わなかった。


 それどころか目立ったイベントひとつ発生しない。


 王都の目抜き通りはいつものように賑わっていた。


 ただ、ひとつだけ気になったことがあるといえば、すれ違うように通り過ぎた馬車の中に可愛らしい女の子がいたことくらいだろうか。


 年はアリスと同じくらい。


 見目は麗しい。


 王都にやってきて以来、色々なタイプの美人を見てきたが、その中でも特筆に値するくらいの美人さんだった。


 変わったところといえば、両手両足を拘束され、猿ぐつわをはめられていたくらいだろうか。


「………………」


 って! それって誘拐じゃん!


 即座に自分の間抜けさに気がついたアリスは、そのことをクロエに伝える。


 クロエは慌てずにこう返した。


「そうですか。最近の王都は物騒ですからね。後で護民官に通報しておきましょう」


 と、冷淡に返すだけだった。


「な、すぐに助けないと大変なことになりますよ!」


 思わず叫んでしまうが、彼女には暖簾に腕押しだった。


「クロエの勤めは使える主を守ること一点のみ。今はアリス様をお嬢様のもとに届けるのがその責務だと思っています」


 ああ、もう、なんだこの人。まったく話が通用しそうにない。


 融通が利かないことこの上ない。


 アリスは軽く苛立ったが、ここで怒ったりしないのが、アリスのいいところ。


 慌てることなく深呼吸すると、いつもの手を使うことにした。


 アリスは未来日記をゆっくりと開く。


 そこに書かれていることに従えば、少なくとも悪い結果にはならないだろう。


 ……まあ、またアリスが騙されるという可能性はあるけど。


 それでも日記を見ないという選択肢はない。


 アリスは日記に目を通す。


 案の定、そこには新しい文字が綴られていた。


『目の前の冷血メイドにはこう言ってあげなさい。誘拐された娘の髪飾りは、聖母マグダラを模したもの、オリハルコンで作られた特注品でしたよ、と』


 未来の自分がなにを言っているのか、アリスにはよく分からなかった、取りあえずそれをクロエに伝えてみる。



「ッ!?」



 見事な変化だった。


 まるで錬金術の実験に出てくるような化学変化が目の前で起きた。


 陶器の人形のようだったクロエの瞳が即座に変わる。


 瞳の奥に灼熱の炎を宿すと彼女はこう言った。



「ほんとですね? と、魔眼の魔女に尋ねるのは無粋の極みでしょう」



 クロエはそう言い切ると、馭者に命令を下した。


「即座に馬車を反転させてください。先ほどすれ違った馬車に『お嬢様』が乗っていらっしゃるようです。もちろん、望まぬ形で」


 その台詞を聞いた馭者は、一瞬、表情を曇らせるが、即座に反応する。


「………………」



 彼は無言で馬に鞭を叩くと馬車を反転させた。


 180度ターン。


 馬車の車輪は軋み声を上げながら回転する。


 無論、そんなことをされてしまえばサスペンション付きの馬車とはいえ、室内はひっちゃかめっちゃかになる。


 それでもクロエは平衡感覚を失うことなく、立っていられるのだからすごい。


 ひっくり返って下着が丸見えになっているアリスとは足腰の鍛え方が違うのかも知れない。


 そう思いながら、加速する馬車に必死にしがみついた。

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