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二十四話 彼女の来訪


「マリアベル様……!」

「レト、元気そうでよかった……!」


 部屋に入るなり、マリアベルは笑みを浮かべ駆け寄ってきた。


 手を握り、喜んでくれる彼女に、レティナも自然と笑みを浮かべる。

 すると、その表情変化を見たマリアベルは息を呑んだ。


「マリアベル様?」

「あなた、笑えるようになったのね」

「……え?」

「自覚がないの? それとも、笑っていなかった自覚がなかったのかしら? わたくし、もうずいぶんと、あなたの笑顔を見ていなかったのよ」


 悪戯っぽい笑み、それでいて、どこかはしゃいだ様子で告げるマリアベル。


 彼女の言葉を聞いて、レティナは思い出す。

 自分も、マリアベルのこんな風にはしゃいだような笑みを見るのは久しぶりだと。


 以前はふたりでいるときはよく見せてくれた顔だったのに、最近はずっと――どこか強ばったり、沈んだ表情ばかりだった。


 ずっと、心配をかけていたのだ。

 レティナは気付く。


 自分に精一杯で気付けなかったが、マリアベルはずっと友人であるレティナを心配し、気にかけていたのだ。


 ――楽しい、嬉しい。


 ここに……リグハーツ隊に世話になってから、そんな風に感じる機会が増えた。


 だが、今にして思う。

 そんな風に心が動いたのは、いつぶりだっただろうか、と。


「……ご心配、おかけしました、マリアベル様」

「――っ」

「でも、僕はもう、大丈夫。マリアベル様が手を差し伸べて下さったおかげです」


 感謝を込めて、マリアベルの手を握り返す。

 すると、マリアベルは微笑んだ。

 レティナも、笑い返す。


「ああ、その笑顔だわ。わたくしの、大事なお友達が見せてくれる、とびきりの笑顔」


 マリアベルは言った。目を潤ませ、本当に嬉しそうに微笑みながら。


「――それで、愚弟はいつまで壁に張り付いているの? わたくしたちが美しい友情を確認し合っている様子を見ているなんて、無粋という言葉を知らないのかしら?」


 言われてレティナは我に返った。

 アレスは部屋のなかにいない。

 だが、ルシードはしっかりと部屋の中に入っており、扉のすぐ横の壁に背を預け、こちらを見ていた。


(そ、そうだ、私、今男の子だから、マリアベル様にこんな風に馴れ馴れしくしたら……!)


 マリアベルは社交界の花。

 結婚前は大勢の求婚者がおり、結婚後も諦めきれない者が突撃しては玉砕する――誰もが求める麗しき花だが、マリアベル自身は夫を愛しているため、そういった手合いに辟易していた。


 それでも、時にはマリアベルが色目をつかっただとか、そういう噂が流れることもあり――結婚後、マリアベルは未婚、既婚問わず、男性との接触は最低限に留めていた。


 それを弟であるルシードが知らないはずはない。

 ならば、無遠慮な見習いの振る舞いをどう思ったか。


 恐る恐るレティナはルシードの表情をうかがい見た。すると、ムスッとした表情を浮かべた彼と視線が合う――思わずそらした。


「……仲がいいんだな」


 一拍の間があり、それからルシードの苛立ったような声が響く。


 マリアベルが誤解されるのも、ルシードに自分がマリアベルを困らせるような手合いと同じと思われるのも嫌で、レティナはパッと握っていた手を離した。


 すると、驚いたようにマリアベルが目を瞬いた。


「どうしたの、レト」

「あ、あの、僕、失礼を! マリアベル様の、手を」

「あら。わたくしたち、お友達でしょう? なにも悪い事なんてないわ」

「でも、僕は、その――お、男ですから!」


 パチクリ。

 驚いたマリアベルの長いまつげが、上下に動く。


 それから、彼女は何を思ったか壁に立つルシードに目をやり、それからまたレティナを見て……。


「つれないことを言わないで、わたくしの大事なお友達!」


 突然、抱きついてきた。


「えっ?」

「なっ……! 姉上! やり過ぎだ! レトが嫌がっている!」


 レティナが戸惑いの声を上げつつ、彼女の背中に手を回そうとした瞬間、ぐいっと後から腰を抱かれ、マリアベルと強引に引き剥がされた。


 こんな風にするのは、マリアベルの名誉のためだろうが――腰を抱かれたままルシードにくっつかれたレティナは、真っ赤になった。


(分かってる。分かってるの。分かってるけど……これは、やめてほしい!)


 意味などないのに、変に期待してドキドキするのは、ルシードに対して失礼だ。

 そう思うのに、レティナの胸は勝手にときめく。


「……ルシード、わたくしよりも、お前こそ行動を自重なさい」


 マリアベルの冷ややかな指摘に、ルシードがハッとしたような顔になった。


「あ、すまない!」


 一瞬で彼は、壁際に戻ってしまった。


(よ、よかった……!)


 正直、あれ以上くっ付かれていたら、アレス曰く「死ぬ」だ。


 レティナが安堵のため息をつくと、ルシードは僅かに肩を揺らし、それからぎゅっと拳を握りうつむく。

 それを、レティナは無作法な見習いへの注意と解釈した。


「も、申し訳ありません、マリアベル様、リグハーツ隊長。淑女に対して無作法でした」

「わたくしは、なにも。……ねぇ、それよりもレト。わたくし、あなたが元気になったのならお願いしたいことがあったの」

「なんでしょうか?」

「……わたくしね、あなたのいれてくれたお茶が飲みたいわ」


 お願いできる?

 そう、気恥ずかしそうに頼むマリアベルに、レティナは大きく頷いた。


「それじゃあ、ルシードに話もあることだし、今お願いしてもいい?」


 聞かれたくない話――そして、お茶が飲みたいのも本当だろう。

 レティナは二つ返事で引き受け、部屋を出た。


 扉が閉まり、足音が遠ざかった……その瞬間、よく似た姉弟だけが残った室内に、ひんやりとした空気が漂った。

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