十話 和解の種をまいた人(ルシード視点)
――ふわり。
小柄な体が動くと空気が揺れる。
そうすると俺にも覚えのある、だがこの部屋に、今まで漂ったことのないいい香りが広がった。
コポコポと注がれる水音。
そして、立ち上る湯気。
あたたかさに触れたせいか、誰ともなしに「ほぅ」というため息がこぼれる。
「はい、どうぞ」
カップを出しだしてきたのは、緊張した面持ちのレトだ。
先ほど、あれだけ強気で物を言っていたくせに、変な奴だと思いつつ受け取る。
それから口を付けると……。
「……美味い」
無意識に、呟いていた。
見ればアレスや他の隊員もみんな、ホッとした顔でお茶を飲み、レトを褒めている。
「……お口に合って、よかったです」
照れくさそうに、レトが笑った。
「いや、本当に美味いよ、これ! どこの茶葉?」
アレスが身を乗り出し気味にレトに聞くと、また少しだけおどおどとして口を開く。
「あ、食堂で……その、みなさんの休憩時間だから、お茶を入れると言ったら、快く譲っていただいて」
レト曰く、食堂で説明したら調理部の隊長が「あの仕事中毒者共、ようやく休憩する気になったか! なら、これを持っていけ! 支給品だが奴らだけ使わなくて、溜まる一方だったんだ!」と保存していた茶葉をくれたという。
「調理の方達も、心配していたみたいなんです」
あと、これ……とレトが出したのは小ぶりな焼き菓子だった。
「どうせ、苛々してるだろうから、甘い物も食べさせろ……と。みなさん、好かれているんですね」
のほほんと笑うレトに、自分の肩の力も抜けるのを感じる。
あれほど怒りを露わにしていたアレスですら、へらへらとした笑みを浮かべ焼き菓子に手を伸ばしている。
なんだろう、この空気感。
――今まで、この部屋がこんな風になることはなかった。
どこかヒリつく、緊張感が漂うばかりの場所だったはず。
他の隊とは違うその空気を肌で感じ取っていた俺は、それを自分のせいだと思っていた。
俺が隊長としての能力がないせいで、部下として配属された年上の騎士達はピリついているのだと、そう思っていたのだ。
いきなり年下の新米隊長の下に付けられて、戸惑いも大きいだろう。そして外野の声もうるさい。
そんな彼らに恥をかかせてはいけないと、必死だった。
だが……今の彼らの表情を見ると、それは間違いだったと気付く。
「……みんな、すまない」
俺がカップを置いて頭を下げると、緩んだ空気が再びざわついた。
ああ、ダメだな。俺はまたやってしまったのか。
「……立派な隊長であろうとしたが……どうやら俺には、隊長の資格がないようだ」
「え、リグハーツ隊長、なに言ってるんですか」
アレスが戸惑うような声を上げる。
だが、なにも言うなと俺は首を横に振った。
「いいんだアレス。俺が至らない中、お前が隊をまとめてくれたことは分かっている。……隊長は、お前がやるべきだ、アレス」
「~~~~っ」
これでいい。
これで、みんな喜ぶと思った。
人の心の機微に疎い俺より、人当たりもよく外部とも上手くやれる、なによりここにいるみんなをまとめる能力があるアレスが隊長になれば、安心しやる気も出るだろうと。
だが、アレスは言葉に詰まり苛立った顔をする。
他の皆も困惑した様子だ。
――どうしてだ?
途方に暮れた気分で視線をさ迷わせると、レトと目が合った。
レトは部屋をぐるりと見渡したあと、もう一度俺を見て……笑った。
大丈夫だというように。
それでまた、肩の力が抜けた。
「……すまん。俺はいつも、言葉足らずだとか、ズレているだとか言われる。……もしかして、今回も俺は、なにかズレていただろうか」
すると隊員達は、そろって大きく頷いた。
「極端から極端に走りすぎなんですよ隊長! オレ達、ただアンタの本音が聞きたかっただけなんだ!」
「それはもちろん、お前達のことは大事な部下だと思っている」
「……いや、そこまで直球でとは言ってないけど……でも、オレ達は分かって欲しかっただけで、アンタが何を考えているか分かりたかっただけなんです。……今回だってすこぶる有能なアンタにオレ達の能力が追いついなくて、とうとう部下の至らなさにキレて過労死スケジュールを組んできたのかと思ってたんです」
「すまない。隊長として立派に仕事をこなしている姿を見せれば部下は付いてくると……」
「空回りもいいところじゃないですか! 不器用ですか、アンタ!」
笑う隊員達。
和やかな部屋。
――そして、まるで邪魔をしないようにとでもいうように隅に立つ、小柄な人物。
「……レト」
名前を呼ぶと、小さな体がウサギのように飛び跳ねた。
「は、はい?」
「ありがとう」
「え、いえ、あの」
「お前が強引に割って入ってくれなかったら、俺は隊員の信頼を完全に失っていた。……立派な隊長であらねばと、そう気負ってばかりで大事なものが見えていなかったんだ」
「そ、そうですね。……僕から見ても、リグハーツ隊は働き過ぎでしたから。……休むことも大事だって、思い出してもらえたなら、よかったです」
正直、みなさん顔色もあまり良くありませんでしたと呟くレトは、本当に我々を心配していたのだろう。
このお茶と同じ、あたたかい色をした瞳がじっとこちらを見る。
そこにあるのは純粋な心配の色だけで……カップの中のお茶を飲み干すと、俺はレトに向かって頭を下げた。
「本当に、ありがとう」
「!? そ、そんな頭なんて下げないで! 僕は、本当に、たいしたことはできなくて……むしろ、偉そうなことを言ってしまって申し訳ないくらいです! だから、えぇと、もったいないから、顔を上げてください……!」
照れたように顔を赤くして、両手をぶんぶんと振る姿が面白く、何人かが吹き出す。
「レト、こんな時になんだか、明日から仕事を増やしていいだろうか」
「え? なんでしょうか」
「……休憩時間に、お茶を入れてもらえるか。そうすれば、全員……もちろん俺も、きちんと休みを取ると思うんだ」
お前のお茶は美味い。
そういうと、レトの目が潤んだ。
なにか、傷つけるようなことを言っただろうかと考え、眉間にしわが寄る。
すると、レトは慌てたように首を横に振る。
「っ、僕なんかのお茶でよければ、いくらでも!」
初めて聞く、明るい声音だ。
だが、その目は変わらず潤んでいる。今にも涙がこぼれそうだ。
「……無理はしていないか」
「はい、もちろんです! ――あの、ありがとうございます。僕、本当に、嬉しいです」
ただ、お茶を入れてくれとお願いしただけだ。
ここまで大仰に感謝される理由はない。むしろ、仕事を増やすなと言われるかと思ったのに。
――俺は、この時は、レトがこんな顔をする理由が分からなかった。ただ、なぜか頭の中に残る表情だった。




