妹たち④
「……さて、と言うわけで集まってもらった訳だが、まあいつもの通りユミールはいないな」
あいつはいなくても話は進むから良いが、と前置いて机の上に資料を表示する。昨晩のうちに日置から来ていたものだ。ありとあらゆる伊集院 光瑠とその周辺人物についての情報を連ねたものであり、あまり大した情報源ということもおこがましいほどだが。
「職員会議を抜けてくるのも一苦労だったわ。まあ非常勤だから参加の義務はなかったんだけどね」
「最悪だろこいつ。早くクビにしろ」
「いやぁね、できる訳ないでしょ〜?私これでも教育の質はいいし、生徒からの信頼も厚いんだから。それに仮に辞めさせられそうになっても色仕掛けでしがみついてやるわよ。この仕事辞めたら私結婚しなきゃいけなくなりそうなんだから」
断るのにも体力がいるの、と言ってヴェローナは鼻を鳴らした。
彼女は手を伸ばして資料のpdfをスライドさせる。どんどんと顔つきが険しくなっていくのに気づいたナルヴィが俺の肩をつつき、俺も彼女の眉間の皺が深まっていくのを見てちょっと厳かな空気を出し始める。彼女がばっと顔を上げると俺を気持ち悪いものを見る目で睨みつける。厳かな空気ではなかったようだ。失敗。
「それで、これが資料ですって?1日のスケジュールを書き出したもの、行動範囲、交友関係……これじゃあまるでストーカーじゃない。女の子に寄ってたかってこういうことするのが総帥のご趣味だったかしら?」
「いや……そうじゃないが」
以前までなら魔法少女以外に対しては絶対にやらなかったことだ。クライアントについても最低限『困った行動』をしていないかどうかだけ調べていただけ。事細かに全てを調べ出して粗探しをするようなことはしなかったはずなのに、いつの間にか行動の指針がぶれ出している。
「そうじゃないなら、本人に直接聞いてみたらいいじゃない。どうせ、そのうち私たちも販路を拡大する予定だったんだから今からやっても大差ないんじゃない?それにこんなコソコソするの私はイヤよ」
あまりの暴論に俺とナルヴィはポカン、と口を開けて互いに顔を見合わせる。いや、確かに言われてみればそうなのだが。
「もし目的が俺たちの壊滅だとしたら……」
「バカね、その時は改造なりなんなりしちゃえばいいじゃないの。そんな大企業の力使ってくるんだから、こっちだって対抗策くらい用意して当然でしょうが」
「……」
なんだか考えることすらバカらしくなるようなあっさりした回答に、俺は深々と息を吐いた。そして、両手を顔に力強く当てる。痛みがある訳ではないが、気合が入るような気がする。
「ーーよし。ありがとうヴェローナ、私もやや視野狭窄に陥っていたようだ。まず、私だけで彼女の部屋に赴く。その上で、もし彼女の目的がラグナロクの組織であった場合……全員をその場に吐き出して対処する。これでいいか?」
「ええ、問題ないわ。あんたもそうでしょナルヴィ?」
「うっせぇ、問題ねーよ」
じゃあ、と俺はずるんとその場にいた全員を飲み込んだ。体内でわちゃわちゃと言っている気はするが、俺は軽く腹を撫でる。そういえばシギュンは一言も発しなかったな、と思いつつ家への道を辿っていく。
ピンポン、と聞き慣れた音が鳴る。鳴らすより多かったその音に今はじんわりと手のひらに汗が滲む。
「……はい?」
ギィ、とすんなり開いた扉に俺はは、と息を吐くように笑った。平日、学校終わりのこの時間ならいると踏んでのタイミングだったが当たりのようだ。すでに部屋着というにはやや綺麗めの格好に着替えているあたり、たぶん洗濯をするという概念はなさそうだ。
「少し不用心では?」
「インターホンで顔が見れますし、加えて血のつながる実の兄が何かできますか?お入りください。訪ねてくるほどに聞きたい事があるのでは?」
血のつながりを感じさせるような笑い方にああ、やっぱり妹なんだな、と言う思いが胸に込み上げる。玄関を上がると、俺たちの部屋と全く違うような部屋になっていた。金のあるような余裕のある暮らし、カタログからそっくりそのまま持ってきたような生活感のない部屋に少し場違いさを感じつつ、俺は座りぐせのついていないソファーに腰掛ける。そして軽く背もたれに体をつけ、足を組んだ。
「……何、大した用じゃない。茶を入れることもしなくていいとも。なにしろ俺の聞きたいことは一つーー昨晩妹と話していたことの続きを聞きたいだけだ」
その言葉を放った瞬間に彼女の表情は硬く、凍りついたようなものになる。次いで雰囲気もやや威圧感のにじんだものに変貌する。しかし、本音で話すならちょうどいい。
「なるほど?聞かれているとは思っていなかったのだがな」
「ああ、まあ玄関にちょっとばかり仕込ませてもらったんだ。録音機をな。ああ、安心してくれ。データ自体はどこにも保存せず、すでに消去しているから」
「ふむ……私自身そう聞かれて問題あるようなことは発言していないはずだが?それと、続きというのは私がこの地を訪れた理由の方か」
「そうだ。俺はむしろそちらに興味がある」
「フフ、おかしな男だ。実の妹が現れたことよりもそちらに興味が?まあ、うむーーそうだな、今の状態だと雲をつかむような話ではあるのだが……」
彼女は自らの今まで飲んでいたであろうカップを手に取り、そして口にした。ソーサーのぶつかる音だけがカタン、と響いた。
「私は今、ラグナロクの総帥とのつながりを欲している。彼の人に非ざる技術力、そしてそのカリスマ性でもって、伊集院グループを更なる飛躍へ導くこと。ーー奇妙に聞こえるかもしれないが、私は血のつながりのみによって伊集院を愛している訳ではない。会社を継ぎたくないと思ったこともないほどに、伊集院という場所を守りたいと思っているからだ」
「なるほどーーつまり、ラグナロクの構成員に会うこと、それがお前の望みか」
「ああそうだ。しかし先程からなぜ、一般家庭に暮らすあなたからひどく余裕を感じる気がするのか聞きたいところだがな。高級そうな家具にもその雰囲気が見劣りせず、一瞬も気をとられることはない。水上家はそこまで裕福でもなかったと記憶しているが……何を隠している?時折妹にあなたが居所を告げずに消えることには関連があるのか?」
鋭いな、と俺は唇に笑みを滲ませた。なるほど繁栄が理由であれば、ラグナロクのところに声をかけに来たのも納得がいく。そしてその糸口を掴むのは難しい。いくらヴェローナが窓口になっているとはいえ、その取引も厳重にバレないように行っている。電子上でも痕跡を残さないように契約は全てその場で執り行い、金の動きに関しても海外の銀行などを経由して金を動かしている性質上追跡は難しい。
「……なるほど、昔から網を張っていたのは両親の所だけか。どうせ伊集院の調査力の前では隠すこともないな。さてーー今からお前の願いを叶えてやろう、この『私』がな」
ずず、と足元から闇が広がる。彼女の驚いた顔を見ることができたのが唯一得られた利益だろうか。闇から滲み出てくるようにして現れた人影に彼女の肩が震え、そして動揺を一切隠せないような表情のまま彼女は立ち上がった。ひざまずき、現れたうちの一人であるシギュンがぬるり、と立ち上がる。
「そんな馬鹿なーー」
「ーー総帥、こちらを」
マントと帽子を差し出され、帽子だけを受け取ると軽く被る。マントに関してはシギュンが肩に軽くかけてくれた。様になっているとはあまり思えないものの、まあ威嚇行為としては十分だろう。
「さて、伊集院光瑠。まあ今後はヒカルと呼ばせてもらおうーー我々の関係性は、何がいい?」
「……わ、私は……」
ごくり、と喉が上下する。目だけがギラギラとした光を放って、こちらをねめつけてくる。そしてやや俯き、口元を抑える。吐くか?と一瞬思ったが、彼女の肩は震えだし、そして抑えつけていた指の隙間から笑い声が漏れ出した。
「ふふ、……ふふふふふ………!!そうか、そう、か……ふふふふ、私はある意味最高に不運で幸運な女だ」
彼女の顔は明らかに喜色を孕んでいるとはいえない顔色で、目の前の人間に対して明らかな恐れを抱いているように見えた。俺は口をつぐんだまま彼女の様子を見守る。
「ああ、そうか。最初から……わかっていたのだな。私、伊集院光瑠がお前の妹であるということを……そして私がどう行動するかも、何もかも……お前の掌の上だとそういうことか」
「いいや、それは違うが」
「……何?」
「私は美玲と血が繋がっていないことには愚かにも最近気がついた。というより、どうでもよかった。血が繋がっていようがいまいが、私にとっては家族であり大切な人と言える。だから、血のつながりも関係なく、俺は楽しく家族というものをやっていたし、ヒカルという妹が増えて嬉しいと思ったのも本当のことだ。だからもしこの世界に魔法少女というものがいなければ、私はラグナロクをここまで大きくするつもりもなかった。せいぜい、日常にちょっとした悪戯を仕掛ける悪質なイベント屋を想像してくれればいいとも」
「悪質なイベント屋?お前たちは社会に害を成すという認識しか我々一般人は持っていないが?」
「そうかな?現に私たちの手によって死んだ人間はいない。多少心に傷を負った者はいるかもしれないが、警察側にも内通者が忍び込み、あちこちに既に対応策は練っているーー私の目的は人が人のためにある世界、人が自らの思うままにある世界、それだけだ。私はあくまでそれ以上の活動をするつもりは一切ない」
そこで目の前にいる少女はようやっと落ち着きを取り戻し始めたようだった。
「……信ずるに値するかはさておき、一旦嘘はない、と考えることにする。そうでなければ始められないからな」
「そうか、では話を続けよう。君の言う繋がりとはーーあくまで対等なビジネスパートナーとして、という認識でいいな?それとも我々を支配するというやり方であれば、我々は抵抗するが?」
「いやーー少し考えさせてほしい。あくまで『水上 創』と言う人物を見極めるための時間が欲しい」
「そうかね、私は構わないとも。その気になった時には私に直接電話をしてくれたまえ。ああ、会話内容の録音などはできれば控えてほしいが」
彼女は電話番号をメモした紙を受け取ると、それをテーブルの上に置いて息を吐いた。
「……ひとつ、聞きたいことがある」
「何かね?私に答えられるならば答えよう」
「ラグナロクの行き先だ。今はあくまでも魔法少女との小競り合いを起こしているが、目的を聞く限り、お前たちの活動はこの先魔法少女との戦闘だけには収まらないはずだ。とどのつまりお前たちが目指しているのは、最終的に『何』なんだ?ラグナロクの目指す世界が実現された時、この世界はどうなるーー?」
緊張感を孕んだ視線がこちらに向けられる。あまりの真摯さに俺も真剣に答えたいが……まあ、こればかりは答えられない問いだ。
「わからないーーそうとしか言えないな。なぜならそうなった所でどうなるかは、私にも予想がつかないからだ。私の願いが結実した時、人々の願いが何を成すのかーー私のちんけな想像を超え、そして大きなうねりを伴いながら全てを破壊するか、もしくはほとんど何も変わらないかは私如きでは全く予想できない。私はあくまで皆の欲望の体現者であり、皆を愛する者である、それだけだからだ」
ゆえに、と俺はため息を吐いた。
「君の質問には答えることができない。それを決めるのは君自身であり、君以外だから」
「……なるほど恐れ入った。であるならば……一つ、我が兄上にはお願いをしよう。何、可愛い妹からの頼みだ。もちろん喜んで聞いてくれると私は信じているよ?」
「ああ、もちろんだとも。何が望みだ?」
彼女は唇に微笑みを貼り付け、そして凄絶に微笑んだ。年齢に不釣り合いなその姿には俺がかつて、同じ年で立ち上げたラグナロクのことを思い出す。何か壮大なことを依頼されるのかと思いながら願いのいかんによってはどう断ろうか、と頭を巡らせていると、彼女は一つ呼吸して願いを口に出した。
「私を、ラグナロクの一員として迎え入れてほしい」
「……うん?」
何?
「簡単な願いだが……本当にそれで良いのかね?」
「簡単な願い?」
そこではっきりといぶかしげな顔をしたヒカルは、秘密結社ではないのかとこぼす。
「秘密結社ではないさ。しっかりと国の中枢の方にも協力者がいて、納税もしている会社だし届けもはっきりと出している、警察にもまあまあ顔が利くから普通に企業だ。中学生が所属するにはやや難があるが、社会勉強という名目で通うことはできる。高校生になった時点でその期間の給料を支払う予定だ。まあその給料の一部から我々組織と伊集院のコネを作るのに使わせてもらうことはあるが……」
「それに関しては問題ないというか、むしろ給料をもらえることは想定していなかったな。給料がないと思いこんでいたが……」
「おいおい、バカじゃね~の?給料なしで働かせる経営者がどこにいんだよ。ロキ総帥はたった五人の創設メンバーから数千人を越えるくらいの企業にしてるんだぜ?」
「なに!?!?」
急激に食い付きのいいヒカルに俺は顔をひきつらせた。
「そうか……確かに私には不足している能力だ。今あるものを維持しつつ、革新的な見地を得るためには……」
嫌な予感がする。
「では、兄様と呼ばせていただこう。よろしく、兄様」
「……ナルヴィ?」
「な、なんで俺睨まれてんのォ……?」
「さあね~?なんか怒らせたんでしょ。私にもわかんないわぁ」
一気にやいのやいのと騒ぎ始めたナルヴィたちに緊張感がない、と呆れつつ、美玲にはどういいわけしようかと考え始めていた。




